冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
ラナスオルは、変わらぬ神の隣で人間として生きていた。
シードのために食事を用意し、向かい合って何気ない会話を交わす。
彼が読んでいる書物に興味を示せば、彼は淡々とその内容を語って聞かせた。
時には彼の冷徹な言葉に苛立ち、時にはその理路整然とした思考に感嘆しながらも、彼女は彼を理解しようと努めた。
ラナスオルにとって、彼の隣で過ごす日常はかけがえのないものだった。
そしてシードにとっても、彼の失われた何かを埋めようとするかのような日々だった。
永遠の命を持つ神の隣で、有限の命を持つ人間が日々を重ねていく。
止まった時計の横で、自分だけが針を刻み続けていくように。
しかし、それでも彼女は願った。この穏やかな日々が少しでも長く続くことを。
――たとえ、それが永遠には続かないものだとしても。
* * *
時は流れ、さらに数十年が経過した。
シードにとってその年月は一瞬の出来事のように過ぎたが、ラナスオルの姿は確かに変わっていた。
かつて少女だった彼女は大人になり、美しさは年齢とともに深みを増していった。
しかし、老いの気配は静かに忍び寄り、その若さは少しずつ失われていく。
――ある夜、静寂に包まれた居城の広間。
ラナスオルはゆっくりとソファに歩み寄り、腰を下ろした。
ゆったりとしたドレスの膝に手を置き、緩やかに波を描いた長い白髪を耳にかけた。
どこか疲れたように肩を落とすと、ふう、と小さく息をつく。
そして、隣に座るシードの肩へとそっと身体を預けた。
彼の肩は昔と変わらず温かく、しっかりとした感触があった。
時の流れが彼女に与えた変化を、彼は知らぬ顔で受け止めてくれる。
その不変さが、今の彼女には心地良かった。
彼の手を優しく握りながら、ラナスオルは微笑みを浮かべて言った。
「私は歳を取っちゃったけど、あなたは本当に何も変わらないね」
寂しげに囁く、大人びた声。
シードは彼女の言葉に答えず、握られた手に視線を落とすだけだった。
少しだけ細くなった指先。滑らかだった肌には、細かな皺が見える。
時の流れを刻む痕跡が、そこには確かに存在していた。
(僕は……何も変わらない、か)
彼は変わっていなかった。
神となった瞬間から、時の流れを超え生き続ける不変の存在。
何も失わず、何も得られない。
しかし、隣にいる彼女は――少しずつ、確実に失われていく。
「ねえ……あなたは私といて幸せ?」
ラナスオルはシードの銀の瞳にぽつりと問いかけた。
彼は肩にかかる重みと、握られた手の温もりを感じながら、少しの間黙考する。
彼女は何度も、こうして「幸せ」について問うてきた。
人間にとって、それは生きる意味となる大切な感情なのかもしれない。
しかし彼にとっては感情とは曖昧なもの。その問いに対して明確な答えを持っていなかった。
やがて視線を少し逸らし、冷静な口調で応じる。
「……君は、よくそんな問いを僕に投げかけられるものですね」
再び彼女の手を見つめ、その指をそっとなぞった。
かつての彼なら、こんな問いに答えることすらしなかっただろう。
感情を捨て去り、存在意義すら失ったはずの自分にとって、そんなものは必要ない。そう思っていたはずだった。
「『幸せ』という感情は、僕のような存在には本来馴染まないものだ。過去の僕なら、そんなものは無意味だと切り捨てていたでしょう」
少し間を置いてから続ける。
「ですが、君がここにいることで、何もなかったこの場所が少しだけ違うものに見えるようになった。それが幸せかどうかはわからないが……悪いものではない」
彼女の存在が、彼の無機質だった世界に微かな色を落としている。
それを幸せと呼ぶべきかは、彼にはまだわからない。
ラナスオルはその言葉に微笑みながら、彼の胸に顔を埋める。
「ふふ、それって褒めてるってこと、でいいのかな、神様……?」
シードは儚げな彼女の声を聞き、低い声で静かに答えた。
「……君に答えるなら、こう言うべきでしょう――『君がいるから、今の僕がここにいる』」
それは、彼にとって最大限の誠実な答えだった。
その答えを聞いてラナスオルは少し驚いたように顔を上げた。紫色の瞳には、薄らと涙が滲んでいる。
「このままずっと、こうしていられたらいいのに……あなたを離したくない……」
彼女は両手を回し、震える腕で彼をしっかりと抱きしめた。
「……」
シードは彼女の涙を感じながら、一瞬だけ目を閉じる。
彼女の温もりが彼の冷徹な鎧にじわりと染み込んでいく。
抱擁に答えるわけではないが、拒絶することもせず、静かな声で応じる。
「……君は、そう思えるほど僕に価値を見出しているということですか」
言葉は冷静だが、自分自身に問いかけるような声音だった。
変わらない自分が、変わっていく彼女に何を与えられたのか。この先何を与えられるのか。
それでも、彼女がここにいることで、確かに彼の世界は少しだけ変わっていた。
「永遠に続くものなど何一つない。この世界も、君も、そして僕自身も例外ではない」
彼は彼女を見下ろし、その涙を受け止めるような目で続けた。
「……君がこの場所に留まり、僕のそばにいることを選んだのなら、それを否定するつもりはありません。ですが、『離したくない』という感情が君を縛るなら、それは君自身が苦しむことになる」
ラナスオルは静かに首を振り、涙を拭う。
「シードさん……」
彼は少し間を置き、銀色の瞳で彼女をじっと見つめる。
「……もし君が、この瞬間だけを生きることを選ぶなら、その感情を抱えたままでいい。僕もまた、今の君を受け入れるだけの答えを、少しずつ見つけていくことになるでしょう」
彼女の背にそっと手を添え、低く囁いた。
「……君が選んだ答えが、君自身にとって誇れるものであることを願います」
その言葉は、彼女だけではなく彼自身に向けたものだったのかもしれない。
ラナスオルの涙の温かさを感じながら、シードは再び静かな沈黙に包まれた。