冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
ぶつかり合う二神の力が、「ラナス」の世界を深く傷つけていく。
美しい大地はひび割れ、豊かな緑は荒れ果て、空の精霊は次々と命を失い、美しい青の海は干上がり始める。
この惨状を作り出しているのは、紛れもなく自分たち自身だった。
命が失われていくその光景に、ラナスオルは戦いの手を止め、呆然と見入った。
「ああ……また……私は……同じことを……世界を傷つけるのか……」
彼女の手から放たれる破壊と創造の力は、敵を滅ぼすだけでなく、世界そのものを削り取っていく。
(守るための力が……これではあの時と同じではないか……)
その現実が彼女の意思を鈍らせた。
僅かな隙が、ラナスオルの放つ破壊と創造の力に綻びを生じさせる。
その迷いを逃すはずもなく、シードの魔力は容赦なくラナスオルの防壁を侵食し、ついに彼女の膝を地に屈せしめた。
「うあぁっ……!!」
異形の力に押し倒されたラナスオルの身体が、砕けた大地に沈んだ。
美しいドレスが裂け、跪いた脚に血が滲み出る。
それでも彼女は震える指先で地を掴み、闘志を絶やそうとはしなかった。
「力が足りない……私では、この世界を守りきれないのか……」
彼女は精一杯の力でシードを見上げた。
だが、その顔に浮かぶのは怒りでも憎悪でもない。どこか迷いに満ちた色が見え隠れしている。
シードは彼女を冷徹に見下ろしていた。銀色の瞳は何も感情を浮かべず、ただ彼女の弱まりゆく力と、周囲の荒廃した世界を静かに見極めるような光を湛えている。
「……これが、あなたの使命の『結末』ですか?」
彼の冷たく低い声が荒廃した大地に響き渡る。周囲をうねる異形の魔力は、枯れ果てた土地や散りゆく精霊たちをさらに侵食していく。
(彼女が僕を滅ぼそうとする限り、世界は滅びる。その矛盾こそが、使命の無意味さの証明だ)
拮抗が崩れた異形の魔力は、さらに地を這うように広がっていった。
まるでラナスオルの心を完全に潰すかのように、彼は冷酷な声を響かせる。
「守りたいと願いながら、あなた自身の力でこの世界を傷つけている。そしてその結果がこれです。かつての戦いと同じ繰り返しですね」
彼は一歩前に進み、ラナスオルの跪く姿を冷ややかに見下ろした。
青銀の瞳は容赦のない光を放ちつつも、どこか複雑な色合いを含んでいる。
「くっ……」
彼女は苦痛に耐えながら歯を食いしばり、その言葉を否定することができなかった。
彼の言葉が真実だからだ。
守ろうとするたびに壊れる――その事実が、彼女の心を蝕んでいた。
「ラナスオル……」
シードは彼女を見据えながら静かに言葉を重ねる。
「あなたが使命に縛られることを否定するつもりはありません。それがあなたの『神』としての本質なのでしょう」
少し間を置いて、彼はさらに突き刺すような声で問いかける。
「ですが、こうしてあなたの力が綻び、守りたいと言った世界が荒廃していく光景を見て……それでもまだ、使命に従うことを正しいと信じられるのですか?」
彼の問いは冷たく、無慈悲なまでに鋭く、まるで彼女の信念そのものを試すかのようだった。
(僕が欲しいのは答えだ……。もし彼女がそれでも立ち上がる理由を語るのなら……)
胸の奥で鈍く疼くものを押し殺し、シードは手を軽く上げる。
魔力がさらに高まり、重くおぞましい空気がラナスオルの肌を舐めた。
「……っ!」
彼女の傷ついた身体に冷たい波がじわりと絡みつき、小さく悲鳴を上げた。
シードはその場に立ち尽くし、力を振るうこともせずただラナスオルの返答を待っているように見えた。
世界の傷は刻一刻と深まっていく。
二柱の神の間で、その答えが空気を震わせるかのように、静かに、しかし確実に迫っていた。
「……私を殺せばいい」
ラナスオルの低くか細い声が荒廃した世界に響く。
その言葉が落ちると同時に彼女の両手から力が抜け、破壊と創造を司る神の光が徐々に薄れていく。
大地に膝をついたまま、彼女は無力な神の姿を晒していた。
砕け散った精霊たちの欠片が風に舞い、干上がった海の匂いが痛々しく鼻を突く。
彼女の紫色の瞳にはかつての威厳も使命感もなく、昏く深い虚無だけが広がっていた。
「使命を全うできない神に、もはや存在意義はない。君の言う通り、私は守るべきものを自分で傷つけている……使命を果たすことに目がくらんで、周りを見ることができなかった。愚かなのは私の方だったかもしれない。私が守りたいのは、世界……だが、これでは……ただ使命に縛られているだけ……!」
自嘲の笑みが溢れ落ち、紫色の瞳に宿る絶望が彼女の拳に力を込めた。
そして、無力感に突き動かされるように、拳を大地へと叩きつけた。
(どうして……私は同じことを繰り返す……?)
彼女は迷いなく生きてきたはずだった。
世界を守ることが存在理由であり、自分そのものだと信じてきた。
しかし、今目の前に広がるのは焼け焦げた大地と、沈黙した精霊たちの骸。
自分の使命が、世界を守るはずの力が――すべてを壊してしまった。
拳を打つ音が響く。
擦り切れ、割れた皮膚から赤い血が零れ、ひび割れた地面を汚していく。
「うぅっ……!!」
どれほど拳を打ちつけても、死んだ精霊たちは戻らない。
失われた命は蘇らない。
それでもラナスオルは打ち続けた。まるで自分を罰するかのように。
(私が存在する限り、世界は壊れてしまうのなら……もういっそ……)
涙が頬を伝い、枯れ果てた大地に音もなく滴った。
シードは冷徹な銀の瞳でラナスオルの痛ましい姿を見つめていた。
拳が地面に響かせる乾いた音に耳を澄ませながらも、その表情は何一つ変わらない。
ただ、周囲に渦巻いていた魔力が静かに揺れ、徐々に収束し始めていく。
「……あなたが、そこまで自らを卑下するとは思いませんでした」
静かな声が冷たい風とともに彼女を包む。
シードは一歩前に進み、跪く彼女を上から見下ろす。
その眼差しには、冷たさの中にどこか興味深げな光が共存していた。
「使命を果たせない神に存在意義がない――それがあなたの結論ですか? ならば、あなたがその答えに辿り着いた今、僕が戦う理由もまた消え失せました」
彼は手を下ろし、魔力を鎮めた。
青白い異形の魔力が収束し、おぞましい気配が引いていく。
周囲には涼やかな風だけが吹き抜け、戦いの熱気は完全に消え去った。
「ラナスオル……あなたが『愚か』だったとして、それがどうしたというのです?」
厳しい叱責のような響きを伴った冷淡な声がラナスオルの頭上に投げかけられた。
「神であろうと人であろうと、愚かさそのものは変わらない。重要なのは、その愚かさの中から何を見出すかだけです」
シードはラナスオルの震える肩を見つめていた。
そして静かに膝をつき、彼女と同じ高さまで視線を落とした。
異形の神の威厳も、死霊術師の恐怖もそこにはなかった。
「……僕があなたを殺したとして、この荒廃した世界はどうなると思いますか? あなたがいなくなれば、このラナスは崩壊するだけです」
シードは一瞬、目を伏せた。
その瞼の裏に焼き付いて離れない二人のラナスオルの姿を思い出す。
彼女たちは必死に生きた。だが、今目の前にいる女神は――。
「あなたは本当にそれでいいのですか? 守りたいと言いながら、自ら終わらせることを選ぶのですか?」
その問いは、彼女の存在そのものを試すかのように響いた。
冷たい声の中に僅かに込められた情の響きが、彼女の心を揺さぶっていた――。