冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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62話 神と人の愛の狭間で

「……愛という感情は、神である私にも理解できる。慈しみ、守ること。私にとってこの世界すべてが愛すべき存在だ。一個人に向ける感情などではない」

 

 ラナスオルは静かにそう言い切った。

 だが、その瞳に次第に疑問の色が浮かび始める。

 

 紫の光が淡く揺らめき、心の奥に生まれた小さな疑問が波紋となって広がっていくのが、外からも分かるほどだった。

 

(幻の私は、一人の人間のためにすべてを捨てた……?)

 

 考えれば考えるほど、答えは遠ざかる。

 神としての理屈では到底理解できない行為。それが彼女を苛んでいた。

 

「だが、『幻』の彼女は君に神の力を託した。死すべき運命にあった君を救うため……? 神性を失えば、神は滅びる。それを知りながら、彼女は君に力を託したのか? 愛のために、自らの命と引き換えに一人の命を救う? そんなこと……ありえない……。それは私が理解する『愛』ではない……」

 

 絞り出すように紡いだ言葉には、確信と困惑、そして奥底の戸惑いが混じる。

 

 理解できない。理解したくない。

 

(私のどこかに、そんな想いがあったというのか……?)

 

 その可能性を認めてしまえば、これまで積み重ねてきた永遠の時間と使命の意味が崩れてしまう。

 だからこそ、彼女は必死に否定しようとしていた。

 

 シードはラナスオルの言葉を冷静に受け止め、銀の瞳で彼女を見つめた。

 そこには感情がなく、ただ彼女の内面の揺らぎを観察するような冷徹さだけが浮かんでいる。

 

 しばしの沈黙の後、彼は低く響く声で口を開いた。

 

「……ありえない、ですか」

 

 その言葉を静かに繰り返し、彼は微かに口角を上げた。その笑みは冷たい皮肉と、無意識の哀れみを滲ませている。

 

「確かに、あなたの言う通りです。神としての『愛』は、世界全体を慈しみ、守るもの。個人に向けられるものではない。それこそが神の本質でしょう」

 

 シードはゆっくり歩み寄る。

 一歩踏み出すたび、大地が軋み、砕けた精霊たちの残骸が埃のように舞った。

 

「ですが、幻の彼女はその本質を捨て去った。あるいは、神としての本質を超越した存在だったのかもしれない」

 

 彼は一瞬視線をそらし、荒れ果てた大地を見渡す。

 女神が守ろうとしたはずのものが滅びる光景は、彼に感傷を呼び起こさない。

 

(『愛』を語り、僕を救った結果がこれだ)

 

 くだらないと思いながらも、心のどこかで何かが引っかかる。

 答えの出ない問いが、彼の胸の奥で燻っていた。

 

 破壊されゆく世界を背に、シードは再び語りかけた。

 

「……彼女は、『人』であることを選んだ。それが神性を失うことを意味していても」

 

 視線が再びラナスオルに向けられる。

 銀の瞳が、彼女の紫の瞳を射抜くように捉えた。

 

「神としての使命を捨て、一人の人間として僕に力を託し、永遠の命を押し付けた。……その理由は、彼女自身が言った通り、『愛』だとしか言いようがない」

 

 シードは僅かに息を吐き、しばし沈黙する。

 雲一つない虚ろな空を見上げ、遠い記憶の余韻に浸るように目を閉じ、ゆっくりと続けた。

 

「それが神としての『愛』に反するものであっても、彼女にとっては唯一の答えだったのでしょう。……皮肉なことに、僕が今ここにいる理由も、結局は彼女のその選択にある」

 

 もう一歩近づき、彼は冷静な表情を崩さず問いを投げかける。

 

「ラナスオル……あなたには、彼女の選択が理解できますか? それとも、それすらも『ありえない』の一言で片付けますか?」

 

 その声音は鋭く冷たく、それでいて彼自身の疑問も滲ませていた。

 

 ラナスオルは震える指先で胸を押さえ、呼吸を整えようとした。

 だが、胸の奥から込み上げる感情は、彼女の神としての威厳を根こそぎ崩そうとする。

 

 シードの問いに、彼女は答えられなかった。

 

「……」

 

 喉を塞ぐ感情に言葉を紡げず、彼女はシードの冷ややかな銀の瞳を避けて視線を落とした。

 

 理解が追いつかず、思考の波に溺れそうになる中、ようやく震える声で呟く。

 

「神性を捨て、自ら『人』となり滅ぶことを選んだ……? それが『愛』だというのか……?」

 

 その言葉には困惑が滲み、声は掠れている。

 揺れる紫の瞳には、神としての誇りと崩れかけた信念が複雑に絡み合っていた。

 

「分からない……幻とはいえ、なぜ私がそんなことを……」

 

 ラナスオルは首を振る。

 

「私はこの世界を守るため、命をかけて『無』を生み出した。それが神としての責務だった。だが、彼女は君というたった一人の人間を守るために命を投げ出したと言うのか? たった一つの命に、それほどの価値があるなど……!」

 

 声が次第に荒々しくなる。

 理解できない苛立ちを抑えきれず、額に手を当てて目を強く閉じた。

 

(なぜ……たった一人の人間のために、幻の私が……?)

 

 神であるはずの自分が、一つの命を繋ぐために滅ぶなど――決してあってはならないことだった。

 使命こそが神の存在理由であり、自己犠牲は世界全体のためであるべきなのだから。

 

 シードはラナスオルの動揺をじっと見つめていた。冷たい銀の瞳は微動だにせず、彼女の言葉を静かに受け止める。

 観察するように、あるいは彼女の答えを待つように。

 

 少しの沈黙の後、彼は低い声で語り始めた。

 

「確かに、その考え方は神としてのあなたには到底受け入れられないものでしょう」

 

 彼は一歩前に進み、ラナスオルのすぐ近くで足を止めた。

 その瞳には冷酷さと僅かな興味が交差している。

 

「ですが……幻の彼女は、それを『選んだ』のです。たった一つの命を救うために、自らの神性を捨てるという選択を」

 

 ラナスオルは乱れた白髪を掻き上げ、顔を上げた。

 視線の先に、シードが僅か数歩の距離に立っている。

 彼の銀の瞳が、真実のように彼女を容赦なく射抜いた。

 

「……その選択が『正しい』かどうかは重要ではない。むしろ、彼女にとって正しいかどうかさえ問題ではなかったのでしょう」

 

 彼の声が低く響き、再び彼女の紫の瞳を見つめる。

 

「彼女はたった一つの命に価値を見出し、神としての責務を捨てて『人』としてその命を守ることを選んだ。それが彼女にとっての答えだった」

 

 シードの声に冷たさと皮肉が混じる。だが、どこかに人間的な心の重みが感じられた。

 

「……あなたがその選択を理解できないのであれば、それも仕方のないことです。あなたは『本物の女神ラナスオル』であり、使命に従いこの世界を守り続ける存在なのですから」

 

 それは自分自身にも向けているような冷酷な皮肉だった。

 彼は僅かに口角を上げ、氷のような微笑みを浮かべながら言葉を加える。

 

「ですが、ラナスオル……それがどれほどの愚行であっても、僕が今ここにいる理由は、彼女のその選択の先にあるということを、忘れないでほしい」

 

 ラナスオルはその言葉に打ちのめされたように息を詰まらせた。

 

 神としての理屈では理解できない現実。

 だが、それを突き放そうとするたび、心の奥底から何かが叫ぶようだった。

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