冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
「君がここにいる理由は分かった」
ラナスオルは静かに立ち上がる。
紫色の瞳はシードを真っ直ぐに捉えながらも、どこか遠くを見つめるように曇っていた。
自らの使命と、幻のラナスオルが選んだ道の狭間で揺れる彼女の内側には、拭い去れぬ迷いが渦巻いている。
「幻の彼女にとっての君は、慈しみ、守るべき存在だった……いや、それ以上の……」
そう口にした時、ラナスオルはふと唇を噛みしめた。
声に乗せられない感情――受け入れられない複雑な想いが、胸の奥で疼く。
「私の理解を超えた、かけがえのないものだったのだろう」
彼女は拳を握り締め、枯れ果てた大地を見つめた。砕けた地面の割れ目に、無数の精霊たちの名残が吸い込まれていく。
守るべきだった存在が塵となって消えゆく光景を前に、もはや涙すら流れなかった。
「君を殺したのは私だ。なのに、君を救ったのもまた私……なんとも愚かで、皮肉な話だ」
ラナスオルの低い声が大地の沈黙に溶け込む。
シードは冷徹な銀の瞳で彼女を見つめ返した。鋭く、感情を欠いた氷のような視線で。
「けれども、君は……神としての使命に目覚めるわけでもない。ただ力を追い求めるだけだ。力こそすべてだという君の根底は、死霊術師だった頃と何一つ変わっていない」
紫の瞳がシードを射抜くように輝く。
「いや、それどころか……破壊も創造も、無すら超越し、君は異形の神と化した。幻の彼女は、君がそうなることを望んだのか?」
その問いが放たれた瞬間、彼の銀の瞳が細められる。感情を押し殺した表情に、一瞬の陰りが走る。
(彼女たちが望んだものは……)
記憶の奥底に、幻のラナスオルと人間のラナスオルの笑顔が蘇る。
漫画やゲームに夢中になり、ティラミスを頬張る少し悪戯な表情。
最後まで寄り添い、食事や会話を楽しんだ彼女。
胸に何かが疼くが、彼はそれを無理やり押し込み、一歩後退した。
視線を荒廃した世界に投げ、低い声で答える。
「……幻の彼女が望んだことは、人としての生き方を見つけること。そして、彼女が与えた『愛』に応えること……おそらく、それが彼女の願いだったのでしょう」
かつての温かな記憶が、微かな感情の揺れを呼び起こす。
「……ですが、僕はその願いに応えられなかった」
まるですべての希望が絶たれ、暗闇に沈むような一声だった。
言葉では表せぬほどの深い孤独と、自己否定。
彼は再びラナスオルに視線を戻す。
「永遠の中で、答えを見つけられなかったのです。力こそすべてだという根底を変えられず、ただ力を求め、力に呑まれるまま、こうして異形の神へと化した」
その声に、言葉を紡ぐたびに自分の内側が空っぽになっていくような虚無感が絡みつく。
シードはゆっくり息を吐き、静かに告げた。
「彼女が望んだ未来は、この姿ではなかったでしょう。ですが、今の僕にはそれをどうすることもできない。……あなたが使命に縛られ続けるように、僕もまた、自ら選んだ呪いに縛られているのです」
自嘲が混じる声が、彼女を深い思索へと引き込む。
そして彼は冷たく一言を付け加えた。
「それが僕の『答え』の結果だとでも言えば、少しは納得していただけますか?」
皮肉げに微笑むが、その表情は昏く虚ろだ。自らの存在すら蔑む無気力な瞳に、鈍い光が落ちる。
ラナスオルもまた、使命と愛、存在理由――絡み合うすべてが思考を締めつけ、葛藤を掻き立てる。
だが、やがて女神の瞳に一筋の決意が宿る。震える足先が焦土を踏みしめた。
「そうか……」
低く掠れた声に、永遠の時間に積み重なった使命の重みと深い憂いが宿る。
「儚い人間の塵芥のような人生と違い、君も私も、呆れるほどの永遠の時間を持ちながら……結局、答えを見つけられなかったのか」
彼女は薄ら笑った。
それは自嘲とも諦めともつかぬ、神ですら抱える無力感の象徴だった。
(このラナスに在り続けて、私は何を守れた? そして、この男は……何を得た?)
かつての彼がどれ程の苦悩を抱えてきたのか、彼女には想像もつかない。
だが、たった一つだけ分かることがある。
それは、彼が未だ「人」としての在り方を捨てきれていないこと。
もし本当に異形の神として全てを超越してしまったのなら、迷うことなどなかったはずだ。
それでもなお、彼の中に迷いが生じているのは――
(彼は、まだ「答え」を探しているのではないか?)
その可能性に気づいた瞬間、ラナスオルの心に微かな希望が灯る。
彼女は戦いの疲れを振り払うように背筋を伸ばし、意を決して手を天に掲げる。
「残念だが、私は君に人としての生き方を教えることはできない。だが、神としての終わりなら……」
右手から破壊の力が消え、代わりに左手――創造の神フェルジアに力が集まり始める。
それはかつて幻のラナスオルがシードを救うために振り絞った、慈愛に満ちた眩いオーラを放つ力と同じだった。
だが、今の彼女の瞳には慈悲だけでなく、強い決意と悲壮感が宿っている。
「君の中の『呪い』を、浄化する……」
低く威厳ある声とともに、紫の双眸が異形の神を鋭く睨みつけた。
シードは反射的に後退し、冷静にその変化を観察する。銀の瞳が彼女の左手に宿る光を捉え、僅かに細められた。
表情は無感情に見えるが、瞳の奥に疑念と警戒が浮かんでいた。
「ラナスオル、あなたが『浄化』という言葉を使うとは少し意外ですね。それが神としての使命に基づく行動なのか、それとも、あなた自身の選択なのか……」
彼の声はさらに冷たく響く。
「ですが、あなたがその力を振るえば、この世界――ラナスそのものにも影響が及ぶはず。僕を浄化するという行為が、あなたの守りたい世界を再び傷つけることになると知っていて、なおその選択を取るのですか?」
異形の魔力が再び脈動し、周囲の空気に重苦しい圧力が広がる。
その中で彼は低く鋭い声で問いを重ねた。
「……それとも、浄化という名の破壊をもってして、僕を排除しようとしているのですか? それが本当に、あなたが世界を守る行為だと信じているのなら……試してみるといい」
銀の瞳から恐れも迷いも消え、冷徹な光だけが残る。
ラナスオルはその声に動じず、紫の眼差しに憂いを湛えたまま、ゆっくりと創造の左手に魔力を集めた。
「君の言う幻のラナスオルが何者かは分からない。だが、今の君を彼女が見たら、私と同じことをするのではないか?」
彼女の声は僅かに震え、確信と後悔が入り混じる。
「こんな姿にさせるために、君の命を救ったのではないはずだ!」
鋭い一喝と共に、創造の光が手のひらで激しく脈打つ。それは失われた精霊たちの叫びが光と化し、シードの呪われた魂に手を差し伸べるようだった。
「私はラナスの創造主。君の命もまた、この世界で生まれたもの。ラナスのすべての命を管理する権限は私にある」
左手のフェルジアに集まった浄化の力が、かつてない輝きを放つ。
周囲の荒れ果てた地が光に照らされ、空を映したかのように白く染まる。
「だが……君を殺すのではない。私にはもはや君を斃す力はない。……私は、幻の私が選んだ道を尊重しよう。君は再び『人』として生き、彼女が示した道をもう一度探すのだ。有限の命の中で、答えを掴み取る機会を与えてやる」
浄化の光が大気を満たす中、シードは微動だにせずその様子を見据えていた。
銀の瞳がラナスオルを捉え、彼女の言葉を漏らさず聞き取る。
(人として生きろ、それがあなたの答えか……)
何のために?
誰のために?
冷たい深淵に沈むように、心の奥底に微かな痛みが走る。
それはかつて無へ葬られた時に感じたものと同じ、恐ろしくも懐かしい感覚だった。