冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
シードの胸に顔を埋めていたラナスオルの涙の跡がようやく風に乾き、頬にはほんのりと紅が差していた。
彼女は涙の名残を拭うことなく、ゆっくりと顔を上げて軽口を叩いた。
「ふ、そうだな。私も君の冷徹さを少しは見習わねばならないかもしれないな」
ラナスオルはシードを見上げたまま、少し首を傾げていたずらな表情を見せる。
紫の瞳はどこか寂しげで、それでもその奥に希望の光を宿しているかのように澄んだ輝きを放つ。
「数百年か、数千年か……君が隣で皮肉を言い続けてくれるなら、答え探しの旅は退屈せずにすみそうだよ」
冗談めかした言葉だが、シードは彼女の切なる本音を感じ取っていた。
――孤独には、もう戻りたくない。たとえ皮肉ばかりで素直じゃなくとも、自分の隣にいてくれる彼がいるだけで、それがどれほど救いになるかを。
シードはその言葉を静かに受け止め、銀の瞳を僅かに細める。
「……隣で見届ける、とは言いましたが、数千年に渡って皮肉を言い続けるのが僕の役割だと決めつけられるのは、さすがに迷惑ですね」
揺れる風に、彼の黒衣の裾がひらりと翻った。そして呆れたように肩をすくめる。
「……ですが、退屈を感じる余裕があるのなら、あなたもまだまだ神としては甘いということでしょう」
彼の言葉は厳しくも、彼自身がかつて永遠という時間に押し潰され、退屈と絶望の淵に沈んでいたからこその痛みが込められていた。
シードは窓の外の澄み渡った空を一瞥し、少しだけ真剣な表情を浮かべる。
雲一つない空は、彼らの新たな旅を祝福するかのように広がっていた。
ラナスオルもまた、視線を外に向けながら答える。
「ふふ、神というのは案外退屈なものだよ、シード。数百年の平和が続く時代があれば、混沌とした戦乱の時代が訪れることもある」
彼女は頬にかかった白髪を指でそっと梳きながら、過去を懐かしむように微笑む。
優美で、それでいてどこか人間らしいその横顔を見ながら、シードは静かに言葉を落とした。
「……平和が退屈だと感じる神。それも、この世界が平和である証拠なのでしょう」
永遠の時間の中で平和が続くほど、神は自らの存在意義を見失っていく。
それをシードは嫌というほど理解していた。
「……ラナスオル。答えを探す旅がどれだけ長く続いても、その終わりが訪れるのかどうか――それすら分からないのが、僕たちの永遠の存在の性質です」
彼は視線を伏せ、過去の記憶を辿るように目を閉じる。
幻の世界、神として君臨した日本の街並み、そして孤独に満ちた日々。
終わりのない時間の中で、彼は幾度もその「退屈」に呑まれそうになっていた。
「あなたが平和の象徴として語る退屈が、永遠を生きる神にとってどれ程苦痛に近いものか――」
彼は知っている。何も見出せずにただ永遠に沈みゆくことが、いかに恐ろしく、空虚なのかを。
しばしの沈黙の後、再び落ち着いた口調で話を続ける。
「……日本の世界で神に座していた時、僕もまたその『退屈』を知りました。ですが、それは平和への称賛ではなく――時間が無限に続くことへの呪いに近いものでした」
そう語るシードの声に痛みが滲んでいるのに気づき、ラナスオルは息を呑んだ。
彼女自身も、ずっと使命という呪いの中で彷徨い続けていたのだから。
「あなたが退屈だと感じる間に、この世界で何が失われ、何が生まれているのか――それを見極めることこそが、神であるあなたの役割なのではありませんか」
彼の言葉は鋭く、容赦がなかった。
しかし、シード自身がかつて無為な時間に沈んだ過去を持つからこそ、ラナスオルに同じ苦しみを味わわせたくないのかもしれない。
ラナスオルはその言葉にしばし目を伏せ、そしてゆっくりとシードを見つめ返した。
「……君は本当に、厳しい男だな」
その声に咎める色はない。むしろ、安堵のようなものが宿る。
「でも……だからこそ、君が隣にいるなら……私はきっとこの永遠にも耐えられる気がするのだ」
そう言って微笑む彼女の横顔は、これまでに見せたことがないほど柔らかい。
シードは気のない風を装いながらも、応えるように言葉を返す。
「……もっとも、退屈に耐えられなくなったあなたがカフェでティラミスを追い求める姿も、平和の象徴としては悪くはありませんが」
それを聞いたラナスオルはぷっと吹き出し、次の瞬間には鈴を転がすような笑い声をあげていた。
――この笑いが続く限り、きっと世界はまだ終わらない。
ラナスオルは、窓の外に広がる穏やかな景色を眺めながら、ゆっくりと語り始めた。
声は風に乗り、優しく、どこか遠くを見つめるような儚さを秘めている。
「退屈が永遠の呪い……。確かにそれは、孤独がもたらす苦痛だ」
静かな居城の空間に溶け込むように響く。
「……けれど君は、与えられたその力を投げ出すことなく、ここまで歩んできた。彼女たちが繋いだ君の命を諦めなかった。だから今の私があり、こうして君の隣にいられるのだ」
彼女の紫の瞳には、かつて彼を殺すため破壊と創造の力を振るい、使命に縛られた厳格な女神の面影はもうなかった。
代わりに宿るのは、ひたむきで温かな想い。
命を慈しみ、今この瞬間、隣にいる者を失いたくないという切実な願いだった。
シードは、黙ってその言葉を受け止めていた。
その時、冷たく澄んだ銀の瞳に、ふと淡い翳りがよぎった。
かつて徹底して排除してきた「感情」という不確かな波が、今では心の奥で静かに揺れ動き、少しだけ胸が苦しくなる。
「……僕が諦めなかったのは、答えを見つけられなかったからです」
彼は呟くように言った。
視線を伏せながら窓枠に手を添え、指先がそっと木の表面をなぞる。
その横顔は思索的で、千年の孤独の重みを無意識に辿っているかのようだった。
「それは生きるためではなく、終わらせる術すら見つからなかったから……。結果として生き延びたに過ぎません」
彼の声には虚ろな響きが濃く滲んでいた。
永遠は希望ではなく、終わりさえ許されなかった――それは無限の時間の中で消耗し続けた魂の告白だった。
ラナスオルは、その重さを受け止めながらも首を振る。
彼の言葉に反論したいのに、うまく言葉が見つからなかった。
ただ、彼の孤独の深さに思いを馳せると、胸が締め付けられるようだった。
「それでも……私は、君が生きてくれていたことに感謝しているのだ」
彼の苦しみを完全に理解することはできないかもしれない。
だが、自分がこうして彼の隣にいることが、せめて少しでも彼を繋ぎとめる理由になればと、彼女はそう願わずにはいられなかった。
ラナスオルは再び彼の手をぎゅっと握る。
「大地に降り立ち、人々のそばで生きる。今まで気づけなかった、人々の暮らしの中にある失われる痛みや生まれる喜びを、この目でともに確かめたい。私たちが求める答えはきっとどこかにある」
シードはその言葉を聞きながら、しばらく沈黙したまま窓の外を見つめていた。
遠くには再び芽吹いた森が広がり、精霊たちがその枝葉の間を舞っていた。
村では人々の笑い声が響き、命の営みが日常の中に溶け込んでいる。
それらを眺める自分が、この世界でかつて死霊術師として破壊と終焉の象徴だったことが、今ではまるで夢のように思えた。
そして、シードはラナスオルに視線を戻し淡々と答える。
「……それは確かに、答えを探す一つの方法かもしれません」
彼は軽く肩をすくめ、皮肉めいた口調で付け加える。
「……ただし、その過程で再びあなたが感傷に浸り、無駄な涙を流し始めたら、僕はその場を立ち去ることも考えます」
一瞬、ラナスオルは呆然として目を瞬かせた。
だが次の瞬間、慌てて手を離し、少しだけ後ずさった。
「し、仕方ないだろう……涙ぐむことぐらい……」
反論することができず、照れ隠しをするように頬に手を当て、目を逸らしながら言葉を濁す。
しかし、その笑顔はどこか嬉しそうだった。
だが、そんな彼女の照れ笑いの中にこそ、シードは救いを感じていた。
ほんの少しのことですぐに涙してしまう、自分とはまったく正反対の――まるで人間のように感情豊かな女神。
凍てついたように冷たいはずだった彼の瞳が、僅かに柔らかみを帯びる。
「……ラナスオル。あなたが望むのなら、しばらくはその旅に付き合いましょう」
その声には、長い孤独を越えた先でようやく見出した「繋がり」への小さな希望が込められていた。
ラナスオルは目を潤ませながらそっと笑みを返す。
再びシードの手を握り――今度はもう離さなかった。
「ありがとう、シード……」
小さな感謝の言葉には、これまでのすべての思いが込められていた。
窓の外、風の精霊がふわりと舞い込み、二人の間を通り抜ける。
答えはまだ遠く。けれど、旅は確かに始まったばかり。
互いを信じ、互いに寄り添いながら、終わらぬ時を超えて――。