冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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73話 破壊の女神

「私は女神としての使命を忘れたことなどないさ。まあ、たまには君に押し付けてサボりたい時もある……なにせ君の神の力は、セヴァストやフェルジアのような三位一体ではないにしろ、私とほぼ同質のものだからね」

 

 ラナスオルは、窓際から差し込む柔らかな光を背に、いたずらっぽく微笑んだ。

 白く輝く髪がそよ風に流れ、紫の瞳に艶やかな光が浮かぶ。

 その仕草には余裕と遊び心が垣間見え、女神の威厳を忘れさせるほど無邪気だった。

 

 だが、笑顔には単なる遊び心だけではない、目の前の男とこの瞬間をともに過ごすことへの感謝と、言葉にできない深い愛しさが宿る。

 

「ふむ……そう考えると、もっと相性がいいはずなのだが……。それっ!」

 

 その言葉とほぼ同時のことだ。

 彼女はふわりと軽やかにシードに飛びかかる。

 予兆もなく彼を押し倒し、そのままソファに沈み込ませた。

 

「……!?」

 

 ソファに倒れ込んだシードの銀の瞳が一瞬驚きに見開かれた。

 普段は冷静沈着で、何事にも動じない彼には珍しい反応だった。

 だが、彼が身を起こすより早く、ラナスオルの唇が迷いなく重なった。

 

 その大胆な行動は、かつて日本でともに過ごした「人間のラナスオル」を彷彿とさせる。

 

 彼女のすべての想いが、その一瞬に凝縮されていた。

 

(シード、私は君を愛している……)

 

 甘く溶けるような時間の中、シードはラナスオルの衝動を受け入れつつ、冷静にその理由を解析しようとした。

 しかし、胸の奥に生じた僅かな乱れを無視できない。

 

 唇がそっと離れると、ラナスオルは腕を回し、シードの胸に顔を埋めた。

 彼女の身体から伝わる速い鼓動は、彼の静かな心臓の響きと対照的だった。

 

 ただ、ぎゅっと抱きしめる腕の力があまりに強く、破壊を司る右腕――セヴァストが発動しているのではと、シードは一瞬本気で警戒した。

 

 だが、すぐにその力の正体を悟る。

 

 それは――「恐れ」だ。

 

 彼を失うことへの純粋な恐怖。いつかこの日々が終わってしまうのではないかという焦り。

 愛するものを手に入れた者だけが抱く、幸福ゆえの不安。

 

 ラナスオルは全身で彼の存在と温もりを確かめるように、力強く抱きしめ続けた。

 

「……あなたのこういった行動は相変わらずですね」

 

 シードの声がようやく静寂を破った。

 感情の起伏を抑えた声に、微かな戸惑いが混じっている。

 彼のような男にとって、感情を正面から受け止めることほど厄介なことはないのかもしれない。

 

 ラナスオルの強い抱擁を感じながら、彼は少し苦しげに眉を寄せた。

 

「……ラナスオル、あなたが言う愛とはいったい何を意味しているのですか? ただ感情に任せて行動するのは、神としてのあなたらしくない」

 

 言葉は鋭くとも、拒絶の意志はない。むしろ、それは問いだった。

 彼自身がまだ理解しきれていない「愛」という概念を、彼女に確かめたかったのだ。

 

 だが彼もまた、抱きしめられた温もりを忘れられずにいた。

 神の理を超えた、ただ一人の女性から向けられる情熱が、冷徹なはずの心を静かに揺さぶる。

 

「あなたがこうして感情を露わにする姿を見るのは、今に始まったことではありません……」

 

 彼は息をつき、声を少し柔らかくして続けた。

 

「ですが――」

 

 そしてほのかに皮肉を込めて言葉を重ねる。

 

「――僕を捕まえる力をもう少し穏やかにできませんか? これでは、あなたに破壊されてしまうのではないかと心配になります」

 

 呆れたようなその一言に、ラナスオルはきょとんと目を瞬かせた。

 視線を右腕に落とし、我に返ったように顔を真っ赤に染めた。

 

「……っ!」

 

 照れ隠しに俯いた彼女の頬は火照り、耳の先まで赤く染まっていた。

 自分の行動の勢いと感情の爆発で、神性が無意識に発現してしまったことに気づき、恥ずかしさが込み上げる。

 

 シードの銀の眼差しには、破壊の力を持て余す一人の女性が映っていた。

 

「あぁっ、す、すまない!」

 

 ラナスオルは白い頬を炎のように染め、慌てふためいた。

 羞恥と焦りが一気に押し寄せ、理性が混乱の渦に飲み込まれていく。

 

 彼女は急いで右手を離し、まるで重大な過ちを犯したかのように両手をぶんぶん振り回した。

 その動きは感情と破壊の力が一体化しているかのようにも見える。

 

 狼狽しながら手を振る姿は、神の威厳などどこへやら、ただ戸惑う一人の女性そのものだった。

 

「つ、つい力が……いや、君を破壊だなんて、そんなつもりは……!」

 

 声はうわずり、視線は宙を泳ぐ。

 目の前の男に弁解しようとするたび、言葉は喉でつかえ、しどろもどろになるばかりだった。

 

 そんな彼女を、シードは冷静に見つめていた。

 表情は相変わらず冷ややかで、銀の瞳も穏やかなまま。

 だが、その口元が僅かに緩んだのに気づいたのは彼女だけだ。

 

「……あなたの『つい』が世界を崩壊させかけたことが、これまで何度あったか考えたことはありますか?」

 

「うぅっ……」

 

 淡々と指摘しつつも、シードの声は責めているというより、どこか柔らかい。

 彼はソファから身を起こし、乱れた衣服を整えながらラナスオルを一瞥する。

 

「……やれやれ。愛とは、破壊にも等しいと聞いたことがありますが……」

 

 落ち着いた声に呆れを織り交ぜて呟く。その言葉に、ラナスオルはぴたりと動きを止めた。

 

 思わず自分の右手を見つめ、その手のひらに残る彼の温もりを感じ、心臓が跳ねるように高鳴った。

 

(だって……君が……いけないんだ……)

 

 恥ずかしさともどかしさに押し潰されそうになる。

 だがその時、シードの言葉が静かに響いた。

 

「もしそれが、あなたなりの『愛』だと言うのなら……理解する努力はしてみましょう」

 

 ラナスオルは目を見開き、喜びが込み上げるのを抑えきれなかったが、シードと目が合うと、悟られまいと鼻を鳴らし視線を逸らした。

 

「……あれから数百年は経つというのに、君はまだ理解していないようだからな……!」

 

 気丈に装った言葉の裏で、抑えきれない感情が膨らむ。

 少しでも距離を間違えれば、また皮肉が飛んでくる――

 それでも、それをむき出しにするのが怖くて、彼女は深く息を吸い込んだ。

 

 ゆっくり立ち上がり、胸元を押さえて鼓動を整えるように呼吸を落ち着けた。

 肩の震えと早まる鼓動はすぐには収まらないが、やがて決然とした足取りでシードの前に立つ。

 

「私が教えてあげようと思ったのだ。さもなければ、君は千年経っても理解できないだろう」

 

 そう言いながら、今度は力を加減し、優しくシードの手を取る。

 指先はまだ微かに震え、壊れ物を扱うようにぎこちない。

 

 シードは微動だにせず、その様子を静かに見つめた。

 銀の瞳には冷たさが漂うものの、何かを探るような陰が差していた。

 

 そして――ラナスオルは背伸びをして再び唇を重ねた。

 今度は乱暴でも衝動的でもなく、ただ優しく、柔らかく――

 まるで、永遠の時間の中で育まれた想いの欠片をそっと差し出すように。

 

 シードは押し寄せる感触を受け入れ、拒むことなく目を伏せてその瞬間を味わった。

 

 キスが終わり僅かに距離を取ると、彼は淡々とした声で言葉を紡ぐ。

 

「……あなたの教え方は、いささか強引すぎるのではありませんか?」

 

 その一言に、ラナスオルは口をすぼめて抗議しようとしたが、シードの表情が普段よりほんの少し和らいでいるのを見て、言葉を飲み込んだ。

 

 それは、彼自身がまだ完全には理解できない感情の揺らぎ――否定も肯定もできず、氷のような静けさの中で波打つ未知の何か。

 

 彼はゆっくりと腰を下ろし、まるで自分に言い聞かせるように続けた。

 

「……ですが、あなたが本気で何かを伝えたいのなら、それを無下にするのも失礼でしょう」

 

 銀色の視線が再びラナスオルを捉える。冷徹で皮肉で、けれどそれ以上に、彼女に向き合おうとする姿勢があった。

 

「……ラナスオル、僕に愛を教えるというのなら、あなたもまた覚悟を持つべきです」

 

 シードの言葉は鋭く、容赦がない。

 しかし、その厳しさの奥には、かつて幻のラナスオルが示した無償の愛の残響が感じられた。

 

「僕はまだ、あなたの感情をそのまま受け入れられるほど素直な存在ではありません……しかし、あなたがその覚悟を持つというのなら、僕も教えに耳を傾けてみる価値はあるのかもしれません」

 

 ラナスオルはしばらく黙って彼を見つめ、やがて隣に腰を下ろした。

 沈黙の中で、二人の間に流れる空気が柔らかく溶けていく。

 

 ――それでも、彼女の瞳のいたずらな光はまだ消えていなかった。

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