冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
ラナスオルは、まるで壊れ物を扱うようにシードにそっともたれかかり、目を閉じた。
「ふふ……それでいい。愛は、きっと一朝一夕で理解できるものではないからな」
寄り添いながら、彼女は落ち着いた声で呟いた。
シードがその言葉に安堵したように肩を緩めると、次の瞬間、ラナスオルはにやりと口角を上げた。
「……しかしだ。愛とは、時に強引さも必要なものなのだ。特に君のような冷徹な男にはね……!」
紫の瞳が挑発的に彼を見上げる。
だが、冗談めいた軽さの裏には、迷いのない真剣な想いが宿っていた。
千年、いやそれ以上の時を越え――彼女はようやくこの瞬間を迎えた。
理屈や時間ではなく、「想い」だけで彼の傍に立つことを選んだのだ。
「それに……この感情は理屈では説明できないと、以前君も言っていたではないか。言葉を尽くしても、どうにもならない感情だ……だから……」
ラナスオルの声が少しずつ小さくなっていく。
言葉の代わりに動作で伝えようと、ゆっくりと手を伸ばし、シードの身体に腕を回した。
白く柔らかな髪がシードの肩を撫で、甘く仄かな香りがふわりと漂う。
破壊と創造の力を持つラナスオル――かつて無慈悲に彼を殺した女神が、今はこうして一人の女性として寄り添っている。
静けさが訪れる。風のような静寂の中に温もりが広がる。
「こうして君の隣にいられるのなら……私は千年でも一万年でも、教え続けてやろう」
彼女は囁きながら顔を寄せ、そっと彼の肩へと頬を埋めた。
重ねた身体の下で、鼓動が重なり合う。
シードはその行動に一瞬反応しかけたが、すぐにいつもの冷徹な仮面に戻る。
抱きしめられることも、心を寄せられることも、もう何度も経験してきた――はずだった。
だが、それはどれも過去の記憶の中のこと。今、こうして現在進行形で触れてくる温もりは、彼の中では未知そのものの領域だ。
何も言わず、彼はしばしの間目を閉じていた。
拒絶するわけでも、彼女を振り払うわけでもなく、静かにその状況を受け入れているかのようだった。
しかしその内面では、氷のように冷えていた感情に微かな亀裂が生じる。
やがて、低く抑揚のない声で言葉を返す。
「……僕にとって、感情とは効率を損なう不確定要素でしかない」
理路整然とした論理の鎧を纏った、いつも通りの冷徹な声音。
事務的な報告のような語調だが、どこかぎこちない。
その言葉の奥に潜む揺らぎを、ラナスオルは感じ取っていた。
「ですが――」
短く切ったその言葉の後に、シードはほんの少しだけ深く息を吐いた。
彼にしては珍しい、感情を整える仕草のように見えた。
「……これ以上、強引な手段に訴えるつもりなら……それなりの覚悟を持つべきです」
銀色の瞳が、肩に寄り添う彼女を見下ろす。
ラナスオルはその視線を受け止め、逃げずまっすぐに見つめ返した。
この気持ちを伝えたいという強い意志と、変わらぬ想いを胸に。
(あなたが僕に愛を教えたいというのなら……それがどれほど困難なことか……)
シードはそう心の内で呟きながら、ふとラナスオルの香りに意識を引き戻される。
その香りは、記憶の中の幻の彼女、人間の彼女、そして今ここにいる女神の彼女――すべてを重ねたような、不思議な心地良さがあった。
拒絶する理由はいくらでもあっただろう。
自我の防衛、愛という未知の感情ががもたらす破綻――
だが、それらを押しのけて今ここで寄り添う彼女を拒む術を、彼はもう持ち合わせていなかった。
永遠の時間の中で、力だけを信じ、感情を捨ててきた。
それでも、隣に立ち続けたラナスオルが、何度も何度も愛を伝えようとする。
その執念とも言える強さが、彼の揺るがなかった冷徹さを少しずつ、微かな温もりによって溶かされていくのを、彼自身がまだ気付かないままで――。
「覚悟なんて、ずっと前からできている……」
ラナスオルは緊張を抑えながら、しっかりとシードの瞳を見つめた。
紫の瞳に宿るのは、長い年月の中で育まれた深い想い。
あの日から、どんなことがあってもその想いを抱き続け、決して手放さなかった。
「君は気づいていないかもしれないが……私は人間たちの世界に触れて、彼らの暮らしから愛を学んだ。化粧だって、かわいくておしゃれなものを選んだ。この服も、店に足を運んでじっくり選んだ……この髪も……」
彼女は白く艶やかな髪を指に絡ませ、そっと一房をつまんだ。
その瞬間、瞳に切なげな光が宿ったように見えた。
髪の一筋が指先から溢れると、彼女は声を震わせて訴えた。
「全て、自分の力で磨き上げた。何百年も前から、君だけのために……!」
閉じ込めていた心の泉が溢れるように、ラナスオルの純粋な告白が熱を帯びた。
シードはそれを耳にした瞬間、彼女の言葉の重みに思わず息を飲んだ。
永劫の歳月をともに過ごしながら、彼は彼女の変化を見過ごしていたのだ。
「……僕だけのために」
彼はその言葉を確かめるように呟いた。
ラナスオルの髪、衣装、纏う香りを、彼は初めて本当の意味で見つめた。
それは単なる外見の装いではない。彼女が自分に向き合い、想いを形にしてきた積み重ねだった。
「確かに……以前のあなたとはどこか違う印象を受ける。だが――」
一拍置いて、シードは理性を保つように問いかけた。
「――そこまでの努力を僕のために重ねてきたと言うのなら……どうしてもっと早くそれを伝えなかった?」
それは疑問というより、戸惑いの吐露だった――なぜ、そこまでしてくれていたのに、自分はそれに応えられなかったのか。なぜ、気づかなかったのか。
そんな自己嫌悪にも似た感情が滲んでいるように見えた。
「……長い年月を費やしてまで、自分を磨き上げる理由とは? それほどまでに執着する理由は……?」
ラナスオルの、理屈では理解できない行動。
永遠の時間の中で、なぜ彼女は一方的に愛を注ぎ続けてきたのか――。
その問いに、ラナスオルは一瞬視線を落とし、指先をぎゅっと握り締めた。
だが、すぐに意を決したように顔を上げ、潤む紫の瞳でシードを見つめ返した。
「それは……君に『気づいて』欲しかったんだ……。少しずつ変わっていく私に気づいて、かわいいって……言って欲しかったから……」
彼女の声は次第に小さくなり、頬には熱を帯びた赤みが差していた。
それは神でありながら人間のように、不器用に、ひたむきに愛を求める彼女の純粋な心そのもの。
その姿はあまりにも儚く、まるで一輪の可憐な花のようだった。
シードは思わず言葉を失った。
かつて何者をも拒み、信じることなく、孤独と力を支えに生きてきた自分に、ラナスオルは数百年もの歳月をかけて「好きだ」と伝える準備をしていた。
これが彼女の――覚悟なのだ、と。
「君を好きな理由……どうしてかは、はっきりと言葉にはできないんだ。君といると、胸の奥が熱くなる……こんな曖昧な理由じゃダメか?」
恥じらいを押し殺し、彼女はなおも言葉を重ねた。勇気を振り絞るように視線を上げ、上目遣いでシードを見つめる。
早鐘のような鼓動には不安と希望が入り混じり、拒絶されるかもしれない恐れと、それでも伝えたい一途な願いが込められていた。
シードの銀の瞳が、彼女の潤んだ紫の瞳と重なる。
死霊術師として命を奪われたあの日。幻の世界で救われた命。人間としてのラナスオルとの時間。
それらすべてが今この瞬間、彼女の告白に繋がっていた。