冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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※一章 日本編のラナスオルの記憶のお話です。
4話で終わります。


79話 幕間 日本の記憶4【プリクラ&ガチャ】

 熱気に満たされた音ゲーコーナー、ギャラリーのやたら騒がしい体感ゲーコーナーを潜り抜けてやってきた、ゲームセンターの奥。

 ほんのり甘い香りが漂うこの空間は、ゲーセンの喧騒から切り離された、まさに異次元の聖域。

 

 少女たちの夢と希望に溢れたその一角は、プリントシール機、あるいはプリクラコーナーと呼ばれる。写真を撮って落書き・加工をしたものをシールにして持ち帰れる、お馴染みの大人気マシンだ。

 

 併設されたドレッサーで、今日も若い女子たちが化粧に勤しんでいる。

 

「……シード……プリクラを撮るぞ」

 

 コーナーの前でシードの袖を引っ張って小声で提案すると、彼はほんの少し首を傾げた。

 

「写真の自動撮影装置ですか? スマホで撮影し加工アプリを用いれば、あの程度の加工処理は容易に再現可能ですが」

 

 返ってくるのは理路整然とした言葉。

 相変わらず彼は何でも効率で語ろうとする。この理屈っぽさ、少しはどうにかならないものか。

 

「そういうことを言っているのではない。『君と一緒に』! 『今日』! 『ここで撮る』! という体験が重要なのだ! わかっているのかね?」

 

 私はつい熱を持った声を上げてしまった。いかん、周囲の女子たちがチラチラこちらを見ている……。

 だが、私が言いたいのはそういうことではないのだ。そう――これは、ただの記録ではない。何と言えばいいのか……今この時間を、彼とともに形に残したいという、そういう感情なのだ……多分。

 

「わかりました……あなたがそのように思うなら、僕に異論はありません」

 

 いかにも不承不承といった返事。彼はどうせ私の気持ちなどわかっていないだろう。

 君がどう答えようと、最終的には私に付き合うことになるのだから、たまには素直に聞き入れて欲しいものだ。

 

 シードは一歩こちらへと歩み寄る。その足取りに、なぜか私の方が一瞬だけ身を引いてしまった。

 

(……何を動揺しているのだ、私は)

 

 息を呑んで一呼吸置く。そしてぎこちない動きで並びながらブースへ足を踏み入れた。

 周囲の照明の淡い光や、ピンクの壁紙がやけに目に眩しく映る。

 

 ところがその時――

 

【男性のみのご利用はご遠慮ください。カップルまたは女性同士での入場をお願いします。】

 

 ……という張り紙が目に入り、思わず肩が震えた。

 

 私は顔が熱くなるのを止められなかった。目の端で彼がそれを読んでいるのがわかるが、特に何も言わず、何も詮索しない。

 ……彼はそういう男だ。私の感情を察しても決して深追いはしない。それなのに、わかっているのに……私の心は「どうして何も言ってこないのだ」とざわついてしまう。

 

「……ど、どうやら、こ、このままでは入場できない……ようだな……!」

 

 わざとらしい咳払いとともに、私はちらりと横目で彼を見やった。

 シードは無表情にその文面を見つめて、冷ややかな声で答える。

 

「これより先は、形式上の恋人関係を装う必要があるというわけですか」

 

 感情の起伏なんてまるでない。平然と、ただ事実を告げるかのような口調。

 こんな彼の物言いにはいい加減慣れっこではあるのだが……。

 

「ま、まあ、偽装だ……な? あくまで、『偽りの設定』というやつだからな!」

 

 自分でも何を言っているのかわからない。どうしてこんなに心拍数が上がっているのか。やはりゲーセンという俗な閉鎖空間は、神の健康上よろしくない。

 

「特に不都合はありません。……あなたが問題なければ、の話ですが」

 

 そう言って、彼は自然な仕草で左手を差し出した。

 まるで「手を繋いで仲良く入りましょう」とでも言いたいかのような態度だ。……かつて殺し合った私たちが、だ。

 それに、こういう時の誘導が妙にスムーズなのがどうにも引っかかる。

 

(まさか……この男、慣れているのか? 誰かとこういう事を……? 過去に、他の誰かと……) 

 

 はぁ……私は一体何を考えている。誰かとそんな事があったとして、それがどうしたというのだ。私には関係のない話だ……。

 

「う、うむ……行こうか……」

 

 自分でも情けなくなるようなうわずった声が漏れる。

 私は一度小さく息を吐き、雑念を払うように首を振った。

 

 そして右手を伸ばし、差し出された彼の手を取る。

 

(温かい……)

 

 思った以上にしっかりと体温が伝わってくる。彼にも血が通っていて、今こうして生きている――

 

 私は無意識のうちに、その指先をぎゅっと握ってしまっていた。

 力を込めすぎてしまい、彼が苦しげに目を細めているのに気づかないまま。

 

 カーテンを潜り筐体の中に入ると、色とりどりのフレームが画面に映し出され、白い雪だるまのようなマスコットキャラが「ポーズを決めてね♪」と促してくる。

 

 私はマルタモンぬいぐるみを両腕でそっと抱えた。白くてふかふかで、ちょっと間の抜けた顔が愛おしい、彼が獲ってくれた大事なものだ。

 だが、このぬいぐるみは大きい。思ったより画面のスペースを取ってしまう。

 

「……ラナスオル。あなたのぬいぐるみが撮影範囲を占有しすぎています。そこまで大切なものなのですか?」

 

「これは……君と一緒に獲ったものだから……な……もう少し寄れば問題なかろう……」

 

 私は狭い筐体の中で身を竦めるようにして、彼の隣へと身体を寄せた。画面に映る自分の顔が妙に赤いことを、気づかれないよう祈りながら。

 背景やらスタンプやらの操作は全部彼に任せた。意識がこちらに向かないよう、操作に集中させるのに必死だった。

 

 ……私の謎の胸の高鳴りが、彼に伝わらないように。

 

「撮影します。表情をもう少し柔らかくしたほうがいいかもしれませんね」

 

「……表情筋が死んでいる君が言うことかね?」

 

 珍しく私の方から皮肉をお見舞いしてやると、彼は「無表情」のまま僅かに目を伏せて低い声でこう答えた。

 

「だからこそ……あなたには笑っていてほしいのです」

 

「う……むぅ……」

 

 そう言われて私は口をつぐむしかなかった。皮肉に正論を返すのは反則ではないか?

 こんな時こそ、いつものように「笑顔」になれるような皮肉を言い返すべきだろう……これでは何も言えなくなってしまうではないか。

 

 けれど、まあ……そういうところがこの男らしさなのだろうな。不器用で、無愛想で、そのくせなぜか――いつも私の一番弱いところにクリティカルヒットを撃ち込んでくる。

 

 そんなやり取りをしてるうちに、カメラのカウントダウンが始まった。しまった、シードが変なことを言うから心の準備がまだ――

 

 3、2、1……パシャ。

 

 やはり……画面に写った自分の顔は強張っていてぎこちない。でも、なぜか嬉しそうで、ほんの少し幼く見えた。

 

 次のフレームの準備に入る。私はぬいぐるみを高く掲げて、今度こそ満面の笑みを浮かべてみた。シードは相変わらず無表情だ。

 

 最後のフレーム。私は肩を寄せ、彼の腕に軽く身体を預けた。どうしてこんなポーズをしたのかわからないが、彼は嫌がるような反応はしなかった。

 

 ぬいぐるみを抱きしめながら、私は囁くように言った。

 

「いい思い出ができた……」

 

 聞こえていなかったのか、彼は何も返さなかった。

 けれど――画面越しに見た彼の表情はどこか穏やかに見えた……そんな気がした。

 

 撮影が終わりしばらくすると、印刷機から写真シートが吐き出される。

 二人の姿が、落ち着きのある金色のフレームと、やけにかわいらしいネコのスタンプに飾られてプリントされていた。

 

「ふん、君のセンスも悪くない。……誰にも見せないから安心したまえ。ほら」

 

 私はブースに備えられたハサミで写真を綺麗に半分に切って、彼へと差し出した。

 一枚だった思い出が、二つに分かれて互いの手の中に収まる。

  

「……心配はしていませんし、懸念もしていません。僕にとってこれは一種の観測記録に過ぎませんので」

 

 抑揚のない声で言いながら、彼はその「観測記録」を丁寧にスリーブへ収め、上着の内ポケットへと仕舞い込んだ。まったく、この男は素直ではない。

 

 私は彼に背を向けるようにして、改めてプリクラをじっと見つめた。

 ぎこちない顔、いつもの笑顔、そして……少女漫画のような変な顔の私の横に、無表情の彼がいる。

 

 そこに写っているのは神と死霊術師などではなく――ただの、ひと組の人間にしか見えなかった。

 

(……永遠の命を持つこの身でも、こんな一瞬を残しておきたくなるとはな)

 

 私はラナスの守護者たる女神であり、彼とはいずれ再び剣を交える運命にある。

 それなのにどうしてだろう。今だけは、戦いも、使命も忘れて――

 

 写真に刻まれたこの「一瞬」が、永遠に続いてほしいと願ってしまうのは。

 

 

   * * *

   

 

 楽しいひとときも、そろそろ終わりの時間を迎えようとしていた。

 私はたちは少しだけ距離を開けながら、並んで歩いて出口へ向かう。

 ふとバッグの中を覗き込むと、マルタモンのつぶらな瞳がなんだか微笑んでいるように見えて寂しさを紛らわせてくれた。

 

 ゲーセンを出ようとした、その時。出口付近に並ぶ小さな丸いカプセル筐体――「ガチャガチャ」と呼ばれるコーナーが目に留まった。

 

 そのディスプレイの一つに見慣れた顔がある。

 赤い瞳に短い黒髪の青年。きりっとした目元に鋭い眼光。そうだ、これは――

 

「……『コク』じゃないか」

 

 思わず声が漏れ出る。

 

 ガチャ筐体の上の展示スペースに「魂の二重奏」と題された、最近私が読み耽っている漫画のフィギュアが並んでいたのだ。

 びーえる――日本でそう呼ばれている人間の娯楽の一つ。私は、その類の物語に……神でありながら心惹かれていた。

 

「……ラナスオル?」

 

 私が足を止めていると、シードが不思議そうにこちらを振り返る。私は視線を逸らしながら財布から百円玉を数枚取り出した。

 

「一回だけ……あれを回したい」

 

 私が小声で告げると彼は歩み寄り、ガチャ筐体と私を交互に一瞥して目を細める。

 

「対象年齢十八歳以上、との記載がありますが……あなたならば該当条件は満たしていますね」

 

「当たり前だ!」

 

 まるで玩具に興じる私を見て「幼さ丸出しですね」とでも言いたげな顔だ。……無表情だが。

 

 神である私に年齢という概念は存在しない。だが、外見的には人間に換算して二十歳ほど。たった二十四年しか生きていない君と比べれば、神生経験の厚みは雲泥の差だ。

 そんな事を真面目に考えていたら、じわじわ恥ずかしさが込み上げてきた。

 

 私は誤魔化すように硬貨を突っ込んで、そのまま勢いよくハンドルを回す。

 

 ガチャガチャ――ころん。

 

 軽快な音がして、カプセルが落ちてきた。

 シード、君にはわかるまい。この、開けるまで何が当たるかわからないところがガチャの一番楽しい瞬間だという事が。

 

 取り出して急いで中を確認する。

 出てきたのは――

 

「……『コク』か」

 

 私の推しは白髪の青年「レン」の方だった。だが、出たのはその相方。

 全身黒ずくめで、寡黙な性格の影のある男。……黒髪、黒服。

 

 私はふと、隣のシードへと視線を移した。黒い髪(幻術による偽装だが)銀の瞳、そして黒を基調とした服装――

 

「ふむ……君に似ているな」

 

「僕に、ですか?」

 

「そうだ。瞳の色こそ違うが、全体の雰囲気は……な。黙って立っていれば尚更だ」

 

「なるほど……光栄とは言いかねますが、理解はできます」

 

 私はなんとなく彼の手を取り、その手のひらにそっとフィギュアを乗せた。

 

「……やる。君に」

 

「僕にこれを……?」

 

 ――どうせ私は「レン」の方が欲しかったのだから。

 

 シードはほんの少し困惑する素振りを見せつつも、丁寧にコクのフィギュアを受け取って、それをしばし手のひらの上で眺めていた。

 強引な押し付けであることも、こういったものに彼は興味がないこともわかっている。

 なのに、どうしてか――これを彼に持っていて欲しかった。

 

 やがて、彼はふとしたように顔を上げる。

 

「……では、僕も一回試してみましょう」

 

「なっ……君が、か!?」

 

 あまりにも意外すぎる行動に思わず声が裏返る。彼がフィギュアを欲しがることなどあるはずがない。仮に興味があったとしても、ラインナップは男性キャラオンリーだぞ?

 まさか、モルカリで転売でもするつもりか? いや、実は本当は「そっち」の趣味が……? いやいやいや……。

 

 ――ええい、落ち着くのだ、私よ。

 

 そんな私の心の声などどこ吹く風。彼は無言で硬貨を投入し、ハンドルを回す。たったそれだけのことが、まるで何かの儀式のように異様な光景に映る。

  

 そして中から転がり出たカプセルを開けると、そこには――

 

「……これは」

 

 出てきたのは、なんと……長い白髪に紫の瞳を持つ、私の推し「レン」のフィギュアだった。

 

「……っ!」

 

 その一瞬、私は言葉を失った。なぜ、よりにもよって、君がそのキャラを引くのだ……!?

 無言のままたじろいでいると、シードは造形を確認するようにフィギュアを摘み上げ、それを私に向けて問いかけた。

 

「これが……あなたの『推しキャラ』ですね?」

 

「うっ……ど、どうしてわかった!?」

 

「以前、あなたの部屋でこの作品と思われるグッズをいくつか見かけた記憶があります。傾向に偏りが見られたので、推測は容易でした」

 

 まさかそんなところまで冷静に分析していたとは。私は驚愕と羞恥で思わず後ずさる。

 

「そこまで見ていたのか……!」

 

「当然です。あなたの言動や行動には、常に注意を払っています」

 

 ……それは、つまりどういう意味なのだ。「敵として警戒している」ということか? それとも他に何か意図があるのか? 深く考えると、余計に顔が熱くなる。

 

「よければ、これはあなたに。対になったほうが意味があるのでしょう?」

 

「っ!? ……あ、ああ。感謝……する……!」

 

 私は思わずうわずった声を漏らす。欲しい気持ちを見抜かれたうえに、「対に」だと……どうしてそんなことまで。

 

 レンとコク――作中でも、最終的には結ばれる二人。

 お互いに遠く手の届かない場所にいた彼らが、誤解とすれ違いを重ねながら、それでも歩みを止めず少しずつ距離を縮めていく。やがて心を通わせ、寄り添うまでに至る物語。

 

 彼が「レン」を引き当てたことが、偶然だというのはわかっている。ただの確率、誰が引いてもおかしくはない。

 なのに……私はこの小さなフィギュアを受け取る手が、少しだけ震えていた。鼓動が早くなって、また息苦しさが襲ってくる。

 

 ――本当に、偶然なのだろうか。

 それとも……いずれ敵として相対するはずの彼との、決着までの束の間の「奇跡」なのだろうか。

  

 この世界で、ともに過ごすこととなった彼との時間。

 それはいつ終わってもおかしくない偽りの関係だ。明日には彼を殺しているかもしれないし、私が殺されているかもしれない。

 

 それでも――形にも言葉にもならない、曖昧な想いが確かに私の中に積み重なっていく。

 

「なぁ……シード」

 

「……? どうしました?」

 

 私は消え入るような声で呟きながら、右手のひらに「レン」を乗せ、左手でスマホを構えた。

 

「……写真……撮りたい……」

 

 シードは一瞬、不思議そうに眉をひそめた。

 けれどすぐに私の意図を察し、左手のひらに「コク」を乗せて、そっと近づいてくる。

 

 そして、手の上の小さなフィギュアを見つめながら、目を細めてぽつりと言った。

 

「……記録に残すという行為には、明確な意味が存在します」

 

「えっ……」

 

「消えてしまうかもしれないものを、記録によって少しでも残す。存在を証明しようとする……ごく人間的な感情です」

 

 そう言って彼は自然に私の隣へと並び、肩が触れ合うほどの距離でフィギュアを掲げた。

 

「あなたが望むなら――その瞬間は、残す価値があるものです」

 

「シード……」

 

 ――人間的な感情。

 確かに、この世界に来てからの私は、なるべく神の力を使わずまるで人間のように暮らしてきた。

 

 けれど……私の中に芽吹いた、まだ名もなきこの想い。

 その本当の意味を知るのは、きっともう少し先のことだ。

 

 互いの手のひらの上で、レンとコクが並び立つ。

 地獄のような試練を越えて、ようやく寄り添えた二人の姿――

 それはまるで、いつかの未来に辿り着けるかもしれない、私たち自身のように思えた。

 

 だが、きっとこれは「似て非なるもの」なのだ。

 このキャラクターたちには、定められた結末がある。どれだけ傷つこうと、何度すれ違おうと、最後には手を取り合う運命が待っている。

 

 それが「物語」の特権。だが私たちは、そうではない。

 

 私と彼は――殺し合うことしかできない、女神と死霊術師。

 

 この手の中の奇跡が現実になることはないと、私はどこかでわかっている。

 

 それでも。一瞬でもいい、永遠に続かないとしても――

 このフィギュアのように、彼と並び立つ未来を夢見てしまうのだ。

 

 写真を撮り終えた私は、レンのフィギュアをトートバッグの中のぬいぐるみの隣へ大事に仕舞い込み、ファスナーを閉める。

 自動ドアのガラスの向こう――外はもう陽が落ちていて、眠らない街中に色とりどりの光が溢れ出していた。

 

「さあ、そろそろ帰ろうか、夜も更けてきた」

 

 私がそう告げると、隣で歩き出しかけた彼が立ち止まってこちらを振り返った。

 

「ええ、そうしましょう……ラナスオル」

 

 いつもの冷静で無感情な彼の声――だったはずだが、少しだけ優しく、どこか儚く聞こえた。

 ネオン看板に照らされた淡い銀色の眼差しの奥に、まるで永遠の時を漂う真っ白な幻が揺れているような……そんな気がした。

 

 その瞬間、時が止まったような感覚に陥る。

 

 彼はいずれ私の手によって滅びるはずの存在。

 けれど今はこんなにも傍にいる。

 声をかければ応えてくれるし、手を伸ばせば触れられるはずなのに。

 その背中は遠くて、近寄ればすり抜けてしまいそうで――

 

 錯覚かもしれない。

 それでも私は否定しきれなかった。

 

 彼の存在も。自分の中で膨れ上がるこの気持ちも。

 

 ゲーセンの外へ出たのに、息苦しさはおさまらない。

 秋の夜風に晒された指先がじわりと冷えて、私はさっきの彼の温もりを思い出してしまった。

 

 右手が、そっと彼へと伸びかけて――すぐに引っ込める。

 

 ダメだ。

 私たちは、決して並んでは歩けないのだ。

 

 逸らした視線の先、彼は気づかぬまま街の雑踏へ歩き出す。

 私も何も言わず、その後を追いかけた。

 

 果たして彼のもとへ向かう歩みなのか、彼を殺す未来へ近づいているだけなのか。

 この一歩一歩が、どこへ向かっているのか――誰も知る者はいない。

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