冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
シードの挑発とも取れる言葉を受け、三柱の神々の放つ殺気がさらに濃密に渦巻き始めた。
見るものすべてを震え上がらせる圧倒的な神威がシードの前に立ち塞がる。
「我らを愚弄するか……!」
「命知らずめが……!」
「ならば無を持って貴公を滅する」
深淵から響き渡る低い声とともに、三柱の神々の中心の空間が不自然に歪み始めた。
何かが捩れるようなぎりぎりとした摩擦音が鼓膜を伝わり、空気が激しく振動する。
――
目の前に収束するのは、次元そのものに干渉するかのような、世界の理を超えた異質な力。
捻れるようにゆっくりと広がる漆黒の裂け目――そこから滴る冷たい暗黒が辺りを蝕み出す。
それは、かつてラナスオルが命を賭して生み出した「無」そのものだった。
すべてを飲み込み、肉体も魂も輪廻の外へ追いやる終焉の闇。
しかし、最高神たちはそれを何の躊躇もなく呼び寄せた。
彼らにとって、「無」は武器であり、裁きそのものだ。
そこにはいっさいの容赦など存在しない。
「無」がシードを飲み込もうと侵食を始める。
「シード……!」
ベッドの上で息も絶え絶えのラナスオルが、神の呪いの苦痛に抗いながら震える手を彼へと伸ばす。
しかし、シードは彼女の声に一瞬も振り返らなかった。
迫り来る無の闇を、まるで日常の風景でも眺めるかのように見据えていた。
空気を塗り潰し、重圧感が押し寄せる。
居城が絶えきれず軋む音を上げ、光さえ吸い込まれていく。
シードの青銀の瞳には恐れの欠片は微塵もない。
「……『無』を呼び寄せたか。それがあなたたちの切り札というわけだ」
彼は冷たく微笑むと、一瞬だけラナスオルの方へ振り返った。
その瞬間、幻のラナスオルが、自分を救うために命を賭したあの日の記憶が脳裏をよぎる。
そして、人間のラナスオルが、儚くも温かな笑顔で自分の名前を呼んだ日々が胸の奥底で疼く。
シードにとって、すべての終わりであり、始まりであった「無」――
彼の目が微かに揺らいだ。
しかし――すぐにその感情は冷たい氷の膜で封じられた。
シードはラナスオルを一瞥し、静かに言葉を落とす。
「ラナスオル、僕がここにいる理由を忘れないでください」
その声は低く、揺るぎない決意が込められていた。
ラナスオルは微笑みながら小さく頷き返した。今はただ、彼を信じて。
「……あなたたちは、僕が無を恐れるとでも思ったのか?」
シードの視線が三柱の神へ戻されると、彼の身体から放たれる魔力が爆発的に膨れ上がった。
青白い魔力の奔流が包囲し、無の侵食が彼に触れようとした途端、異形の霊圧がそれを弾き返していく。
「僕は無を知り、そこから戻った唯一の存在だ。そして――その本質をも超越した」
シードはゆっくりと手を伸ばし、黒く渦巻く無の中を指先で触れる。
本来ならば即座に身を削り取られるはずのその空間が、まるで生き物のように痙攣していた。
「あなたたちが操る『無』を上書きする」
その言葉とともに、無の渦が大きくうねった。
シードが指先を動かすと、打ちなびかれた闇が啼き声を上げながら蠢き出す。
そしてそれは――ついに最高神たちへ向けて逆流を始めた。
空間全体が激しく震え、重い圧迫感で視界が揺らぐ。
(無は恐怖ではない。ただの静寂だ。僕にとっては、何もかもが終わったあの場所こそが始まりだった)
無が、ゆっくりと折り畳まれるように三柱の神へ迫る。
「まさか……この男……!」
三柱の神々は身構え、額に汗の粒を浮かべていた。
互いに顔を見合わせながら、血を沸騰させるかのように全身から魔力を放出させる。
シードは残酷に微笑む。
「無の中の静寂で何を見出せるか、試してみるといい」
捻じ曲げられた無の渦が、神々を飲み込もうと膨張していく。
三柱の最高神たちは、信じられぬ光景を前に愕然としていた。
神々の悠久の歴史の中で、「無」から生還した者などただの一人も存在しない。
ましてや、「無」に干渉し、それを操るなど――。
氷の神が、凍てついた声で叫ぶ。
「不合理だ……神ですら理解の及ばぬ闇を……魔力によって支配するなど……!」
その声は恐怖に震え、威厳さえ失われていた。
炎の神が激昂し、業火を纏う拳を振り上げる。
「痴れ者め! 自分が何をしたかわかっているのか!?」
しかし、彼らの叫びも虚しく、シードが制圧した「無」はすでに逆流を始め、目前まで迫っていた。
黒い奔流が氷と炎の神を包み込むと、二柱の身体は崩れ落ちるように闇に溶けていく。
「ぬぁあああああああ――」
恐怖と絶望の表情を貼り付けたまま、氷と炎は閉じた暗闇の中へ消えていった。
最高神格の神威すら無意味なほどの圧倒的静寂、容赦のない侵食。
二神の断末魔が消える瞬間、シードの銀の瞳は何の感情も見せなかった。
「……結局、あなたたちは『無』の本質すら知らなかったということだ」
彼の声は冷たく、鋭利な刃のように無の余韻を切り裂いた。
しかし――
雷の神だけは、傷を負っていた二神を踏み台とするようにして無から逃れ、空間にその威容を現し続けていた。
「……雷よ。なるほど、あなたが最後の神というわけか」
シードは冷然と雷の神を見据え、身に纏う異形の魔力をさらに膨張させる。
銀色の瞳が青く鋭く光り、冷酷な笑みが口元に浮かんだ。
雷の神は轟然と告げる。
「最高神を手にかけるとは……貴公の罪、断じて許されざる行い……!」
憤怒の声は雷鳴そのもののようにラナスに轟き、精霊たちが悲鳴を上げる。
雷の神は手をかざした。
居城の上空が鳴動し、暗雲が渦を巻く。
電閃が天を裂き、稲妻が蜘蛛の巣のように広がりながら大地を迸る。
彼の怒りが、世界そのものを揺るがす――
「我が
刹那、空が明滅した。
雷の神がその手を振り下ろすと同時に、雷鳴とともに天より幾千もの稲妻が枝分かれし、シードへと襲い掛かった。
凄まじい轟音が炸裂し、砕け散った居城の石壁が瓦礫となって宙を舞う。
しかし――
その中心、最も雷撃が集中した場所に、シードは静かに佇んでいた。
全身を包む青白い障壁が、雷の猛威を寸前で弾き返している。
退けられた雷が地に落ちると、大地に深い裂け目が刻まれていった。
空気が焼け焦げるような異臭が漂う中、シードは徐に歩き出す。
「僕の罪を語るのなら、聞いてやろう。『神殺し』の罪とやらが、どれほどの重みを持つのか」
彼のその一言一言が、雷の神を打ち据えるかのように鋭く響く。
雷の神が再び空へ拳を掲げた瞬間、シードはゆっくりと指先に魔力を集中させる。
「僕が今ここにいるのは、ただ守るためだ」
その言葉とともに、彼は一瞬だけラナスオルに視線を向ける。
荒れ果てたベッドの上で、彼女は弱った身体を支えながらじっとシードを見つめていた。
たとえ呪いの苦痛に蝕まれていても、紫色の瞳は曇ることなく、揺らぐことなく――ただ、彼の勝利を信じて光を灯し続ける。
(シード……! 私なら大丈夫だ……!)
彼の冷徹な銀の瞳が、僅かに柔らかい光を帯びた。
それを境に、指先に魔力の奔流が一気に収束する。
「来たりての者を穿て――」
彼は銀の瞳を軽く閉じ、短い呪文を紡いだ。
空気が軋み、シードの放つ魔力が雷の神の力に激突する。
黒衣が激しい風に煽られ、銀髪が光の中で糸を引くように舞い散る。
しかし、その青銀の瞳は一点もぶれることなく雷の神を捉え続けていた。