冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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85話 神の慰み者

 雷の神は、シードの放った魔力の一閃を素早く宙で掴み取った。

 その手から黒煙が立ち昇り、雷光が火花を散らして魔力を押し込めていく。

 

 指先に残る焦げた煙の匂いに息を吹きかけ、雷の神は不敵に笑った。

 

「我を討とうとするか……。ならば望み通り、この女神を業火で灼き尽くしてくれよう」

 

 雷の神の言葉とともに、ラナスオルを縛り付けていた雷の鎖が擦れ合い、鉄が軋むような不気味な音を立てた。

 次第に熱を帯び、彼女の白い肌に赤い痕を刻みつけていく。

 

 そして次の瞬間、燃え盛る業火が彼女の身体を包み込んだ。

 

「ああぁぁっ……!!」

 

 女神の悲痛な叫び声が居城全体に響き渡る。

 鎖の炎は、破壊の右手も、創造の左手も封じられた彼女の身体を容赦なく焼き焦がそうとする。

 

 それでもラナスオルは、必死に耐えようとしていた。

 瞳は涙に濡れ、痛みを噛み殺そうと歯を食い縛る。

 

(これでいいのだ……君が戦いをやめてくれるなら、それで……)

 

 一方、シードに動揺の色は見えなかった。

 どれだけラナスオルの悲鳴が耳を裂こうとも、表情は氷のように冷え切ったままだった。

 

 しかし、その銀色の瞳の奥では押し殺された感情が沸々と騒めく。

 

 それでも、目の前の邪悪な神が持つ力、その底がどこにあるのか――冷徹に見極めようとしていた。

 

「……神界に仇なす異形の者よ。自らの力では何も変えられぬ無力な女神を守ろうとするか? 滑稽だな」

 

 ラナスオルの悲鳴をよそに、雷の神は勝ち誇ったように嗤う。

 彼女の命を弄ぶその声音は、シードの理性に徐々に亀裂を作っていく。

 

「最高神よ……私は、言いつけ通り……神界へ行き婢女に服します。だから、どうか、もうこれ以上……彼を傷つけないでください……!」

 

 呪いに蝕まれ、焼かれ、傷ついた身体でなお、ラナスオルは震える声で懇願した。

 雷の神の前に跪き、シードを守ろうとするその姿はあまりにも痛々しかった。

 

 ラナスオルの言葉に、雷の神は下品な笑みをさらに深める。

 

「ほう、この男のために、自ら慰み者になると……。貴女ともあろう者がそこまで堕ちるか」

 

 何かを企んだように、雷の神の顔がぐにゃりと歪んだ。

 

「……よかろう」

 

 その瞬間、雷の鎖から業火が消えた。

 

 しかし、その行為はラナスオルを解放するのではなく、彼女をさらなる絶望へ陥れる前触れでしかなかった。

 

「……だが、それだけではつまらぬな」

 

 瞳に狂気が宿り、悪意に満ちた笑みを貼り付ける。

 

 直後、雷の神は鎖を引き寄せ、ラナスオルを自分の側に捕らえた。

 そしてためらうことなく、彼女の唇を強引に奪った。

 

「……っ!!」

 

 ラナスオルは紫色の瞳を見開き、まるで息が止まったかのように動けなくなる。

 

 拒絶の意志が全身から溢れ出すも、鎖に囚われ身動きすら取れない。

 震える手は虚空を掴み、恐怖と絶望の色が紫の瞳を染めた。

 

「い……いや……っ! やめてぇ……っ!!」

 

 彼女は唇を塞がれたまま必死に声を上げた。

 激しく首を振り、堪えきれない涙が頬を伝って飛び散っていく。

 

 雷の神はラナスオルの美しい白髪を一房掬うと、指先に絡めて弄び、満足そうな笑みを浮かべる。

 

 そして――

 

 その手を彼女のドレスに掛けた。

 

「……ぁ……」

 

 雷の神の手が怪しく動くたびに、ラナスオルの瞳から涙が溢れ、紫色の輝きが曇っていく。

 

「やめろ……」

 

 異形の神の一言が空間に響いた。

 冷たく厳かな声。だが、世界そのものが震えるかのような重圧だった。

 

 次の瞬間、シードの魔力が爆発的に膨れ上がる。

 残った柱も崩れ落ち、居城全体が耐えかねたように悲鳴を上げた。

 

 青白い魔力が荒れ狂い、渦巻きながら全てを焼き尽くすように蠢く。

 

 その凄まじい殺気に、雷の神は唇を離し振り返った。

 

「雷の神よ――」

 

 低く抑えた声。しかし、そこに込められた怒りは底知れなかった。

 

 シードの青銀の瞳は、凍てつく炎となって残光を伴い、宙に揺らめいていた。

 黒衣に包まれたその姿は、死と恐怖を纏う、完全なる異形。

  

「あなたのその振る舞い……もはや神の名を貶めるだけだ」

 

 彼の身体から溢れ出す魔力は、まるで地獄そのものを呼び寄せているかのように生あるものを呑み込もうとしていた。

 

 戦いの領域が異形の力に支配され、殺意に塗りつぶされていく。

 

 冷たく響くシードの呪文とともに、全身から放たれる異形の魔力が形を成し始めた。

 

 無数の青白い刃が、雷の神を取り囲むようにゆっくりと軌道を描く。

 刃の一つ一つは、擦れ合うたびに金属が軋むような不吉な音を奏でていた。

 

 そしてそれらは、標的を確実に狙い定める。

 

「愛を嘲り、弄ぶ愚かな神よ……死をもって償え」

 

 シードの冷酷な一声とともに、刃の一つが雷の神の手に向かって閃光のように飛び出した。

 

「ぐぅっ……!?」

 

 直後、雷の神の手が貫かれ、鮮血が噴き出す。

 

 熱を帯びていた雷の鎖が焼け落ちるように断ち切られ、ついにラナスオルがその戒めから解放された。

 

 拘束から逃れたラナスオルは力なく崩れ落ちる。

 

 心臓が冷たい手で掴まれたかのような感覚が消えない。

 身体に染み付いたあの恐怖が離れない。

 

 紫色の瞳孔は開いたまま、細い肩が小刻みに震え、唇は青ざめていた。

 

 それでも彼女は何度もドレスの袖で口元を拭い、荒い息を吐きながら必死に立ち上がろうとする。

 

(シード……)

 

 ――本当は、今すぐにでも駆け寄りたかった。

 ――戦いを止めたかった。

 

 しかし、ラナスオルの脚は震え、声を掛けることもできなかった。

 

「ラナスオル、目を閉じていなさい」

 

 シードの声が鋭く、命令のように響いた。

 

 彼女はその言葉に従い、ぎゅっと目を閉じる。

 しかし、閉じたまぶたの裏には焼き付いてしまった恐怖がちらつき、涙が溢れ出して止まらなかった。

 

 その一方で、雷の神を中心に刃の嵐が巻き起こっていた。

 恐るべき速度で神の身体を切り裂き、その場に赤黒い血飛沫が舞い散った。

 

 シードはその場から一歩も動くことなく、ただ冷徹な瞳で刃が雷の神を飲み込む様子を見据えていた。

 

「ぐぬうっ……おのれぇっ……!」

 

 雷の神は血塗れになりながらも、まだ立ち上がる力を持っていた。

 満身創痍の身体全体が雷光に包まれ、荒れ狂う雷撃が刃のいくつかを弾き飛ばし、焼き尽くしていく。

 その瞳には未だ狂気が宿り、敗北を認める気配は微塵もなかった。

 

 その時――

 

 ピシッ――!

 

 シードの胸から青白い光が迸り、彼の半身に亀裂が浮かび上がった。

 

「……っ!?」

 

 肉体を蝕むような灼熱感が胸を引き裂き、思わず膝が沈む。

 彼の視界が揺らぎ、一瞬霞がかったように青白く染まった。

 

(そうか……僕は……)

 

 異形の魔力が暴走を始め、いよいよ彼の肉体と精神を呑み込もうとしていた。

 

 シードは迷うことなく胸に爪を立て、魔力を押し込めようと深く息を吐く。

 そしてすぐに体勢を立て直し、雷の神を睨み返した。

  

 それを見たラナスオルは、耐えられず叫んだ。

 

「シード……もうやめてくれ……!」

 

 震える声が戦場に響く。

 ラナスオルはふらつきながらシードの元へと近寄り、必死に訴えかける。

 

「君がそれ以上、その異形の力を使い続けたら、君は君でなくなってしまう! そうしたら今度こそ本当に、君の永遠は呪いに……いや、君自身が呪いそのものになってしまう!」

 

「……」

 

 その言葉が耳に届いた瞬間、シードの刃が一瞬だけ揺らいだ。

 放たれていた刃の嵐が次第に衰え、雷の神の放つ雷光に弾かれていく。

 

 ラナスオルの顔は涙と血に濡れ、神の呪いと火傷を負った身体は痛々しいほど傷だらけだった。

 それでも、彼女はシードの方へ手を伸ばし、震える声で彼の名を呼び続けた。

 

 シードはその姿を見つめ、自らの胸に手を当てる。

 彼の中に疼くのは、異形の力による傷の痛みか、それとも別の何かか――。

 

 ただ、冷たく閉じ込めてきた感情が、彼女の叫びに揺さぶられて崩れていくのだけはわかっていた。

 

「……ラナスオル」

 

 シードの声が僅かに掠れた。

 一瞬、手を止めようとする意志が生まれたかに見えた。

 

 しかし――

 

 次の瞬間、彼はその迷いを強引に断ち切るように目を閉じ、再び異形の魔力を解放する。

 

「僕が呪いそのものになろうとも……あなたが傷つけられるのを見過ごすわけにはいかない」

 

 シードの声は低く、しかしその中に宿る意志は揺るぎないものだった。

 

「僕にとっての『愛』が何か……それが答えになるなら……僕はこの力を使い続ける」

 

 青白い光が再び膨張し、居城全体を包み込むように広がった。

 異形の力が暴れ狂い、シードの身体の亀裂はさらに深くなっていく。

 

 それでも彼は止まらなかった。

 

(彼女を救えなければ……僕の答えは……)

 

 戦場は沈黙に包まれる。

 

 心臓が脈打つたびに、精神が異形の力に引き摺り込まれそうになる。

 敵を見据え、命を奪おうという思考でさえ理性を侵食していく。

 

 神が呪いと化し、災厄となる瞬間が訪れようとしていた――。

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