冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜 作:えびふぉねら
「君は……もう十分だよ、シード……。君がこの先……どんな姿になろうとも……私にとって君は……ただ一人の大切な存在だ……」
途切れ途切れのラナスオルの声が壊れた鈴のように響く。シードはその声を聞いた瞬間、全身の力が抜けそうになった。
その瞳から目を離せぬまま、ゆっくりと膝を折り彼女を抱き寄せた。
シードは震える腕の中で、息も絶え絶えの彼女を見下ろす。
なぜ自分の腕がこんなに震えているのか。怒りか、悲しみか。そんな感情があるのかさえもうわからなかった。
ラナスオルの白い髪は血に染まり、槍が刺さったままの身体は、神の呪いと火傷でぼろぼろだった。
自分がついていながら、どうして彼女をこんな無惨な姿にしてしまったのか――怒りすら超えた絶望が彼を苛んでいた。
しかし、そんな彼を見つめるラナスオルの紫の瞳には恐怖はなく、純粋な慈愛だけが輝いている。まるで最後の瞬間まで彼を安堵させようとしているかのようだった。
「愚かなる女神よ……己の命と引き換えに何を得るというのか!」
雷の神の嘲笑が響き渡る。
だが、シードは彼の存在すら意識の外へ押し出していた。
シードの視線はただラナスオルにだけ向けられ、全身から溢れ出す異形の魔力が制御を失いかけていた。
「黙れ……!」
鋭い一言が放たれた瞬間、戒めの刃が雷の神の四肢にさらに深く食い込み、裂き穿たれた皮膚から雷光が弾け飛ぶ。
シードは手を当て、創造の力でラナスオルの身体を癒やそうとした。
しかし、放たれる淡い光は彼女の身体に触れた瞬間、吸い込まれるように霧散してしまう。
幻のラナスオルから託され、ラナスの世界を再生させた創造の力。
それが今この瞬間、最も必要な時に無力だった。
「僕は……もう何も守れないのか……」
シードの青銀の瞳には、千年の孤独の記憶と、今まさに失われつつある唯一の光が映っていた。
ラナスオルは震えながら手を伸ばす。異形に染まりつつあるシードの青白い腕を掴むと、そのままゆっくりと下ろした。
「もう、力を使わなくていい……。今ならまだ……君は君のままでいられる……」
そう言うと、ラナスオルは傷ついた身体を起こし、全身に女神の闘志を宿らせる。
その時、雷の神が狼狽し、声を荒げた。
「バカな! 貴女は神の呪いで力を使えぬはず……!」
それを聞いても、ラナスオルは笑っていた。
胸元に突き刺さる雷の槍を右手で握り締め、一瞬思いを馳せるように目を閉じる。
「そうだったか……ならばさながら……愛の力が起こした奇跡……とでも呼ぼうかね……」
槍が破壊の右手によって霧散した。
そして迷いなく――血が滴る右手と左手を胸元で重ねる。
「ラナスオル……?」
彼女の身振りを見たシードは戦慄し、震える声を漏らした。
しかしそれは、かつて互いに滅ぼし合ったあの時のような、戦いの高揚などではない。
無限の空虚。完全なる終焉。永遠の静寂――
本能が警鐘を鳴らす。
「やめろ……」
ラナスオルの手の中で、破壊と創造の力が激しくぶつかり合う。
「……やめろ、ラナスオル! その力を使えば、あなたは……」
シードの銀の瞳が大きく見開かれる。
かつて自身を葬った、三位一体の力。その記憶が鮮明に蘇る。
彼は無を練るラナスオルの腕を振り解こうとするが、彼女は首を振った。
彼女の瞳は、かつて幻影の中で彼に微笑みかけたラナスオルと重なり合い、より一層の輝きを宿していた。
「なぜ……」
消え入るような声とともに、シードの腕が力無く滑り落ちた。
もう一度掴もうと手を伸ばしても、それは次第に遠ざかっていくようで、どうしても掴むことができなかった。
「そうだ……シード」
血に濡れた彼女の手がシードの頬に触れる。
その温もりに触れた瞬間、感情という名の理解不能な熱が絡み付き、シードの胸は軋むような痛みを覚えた。
「私には使命があった……神としてこの世界を守ること……でも、それだけじゃなかった」
弱々しい表情の上に、優しく温かい笑みを乗せる。
「君に教えられたのだ……愛するということを」
(愛……? 僕が、彼女に……?)
シードの脳裏で、ラナスオルと過ごした無数の時が駆け巡る。
ぎこちなく互いに支え合った日々、交わした会話、彼女の笑顔、そして涙。
なんでもない日常の記憶。そのすべてが、思い出そうとするとするたびに心を抉る。
ようやく気づいた頃には、彼女を失おうとしていた。
幻のラナスオル、人間のラナスオル、そして彼女――女神ラナスオル。
(僕は……何も理解していなかった……また……失うのか……)
彼の前で消えていった命の記憶が砂のように零れ落ちていく。
シードは、体内で暴れ狂う異形の力と、理性が砕けそうになるのを必死に抑え込んだ。
たとえ、己が完全な「呪い」と化すとしても、この瞬間だけは――彼女に触れたままでいたかった。
雷の神が恐怖に駆られ、後ずさりながら叫ぶ。。
「愚か者め……無を再び生み出すなど……!」
それでも、ラナスオルは最後までシードを見つめていた。
紫色の瞳には恐れも、後悔もない。
彼への無償の愛――それだけだった。
「シード……これで全てを終わらせる……」
破壊、創造、そして「無」――三位一体の力が激しく収束し、ラナスオルの手かの中から漆黒の闇が広がる。
シードは手を伸ばした。
何か言わなければならなかった。
止めなければならなかった。
――しかし、それを言葉にすることはできなかった。
彼女の紫色の瞳が最後に見せた輝きが、居城を覆う光と闇の渦へと溶け込んでいく。