冷酷死霊術師とわがまま女神のリスタート 〜殺し合いの因縁を超えた先の、あまりにも短い幸福〜   作:えびふぉねら

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88話 愛の記憶

 「無」の闇が、ゆっくりと雷の神を侵食していく。

 

 肉体を呑み込み、魂を削り取り、存在そのものを輪廻の外側へ追いやる無慈悲なる力。

 

 無限の空虚。完全なる終焉。永遠の静寂。

 それはあたかも意志を持っているかのように蠢き、蝕み、溶かしていった。

 

 血の混じった雷光が最後の抵抗のごとく弾け飛び、居城の空間に残響を残す。

 だが、もはや無駄な足掻きだった。

 

 闇に捕らわれながら、最高神は深傷を負った身体をどうすることもできず、もがき苦しむ。

 

「小娘がぁ! 覚えておけぇっ!! 神の掟が消えようとも、お前が私情で被造物を愛した罪……そして神を殺した罪は永遠に消えぬ! 永遠にだ!! ふ、ふははは……!!」

 

 怒りと恐怖が無いまぜになった絶叫が、瓦礫と化した居城に虚しくこだまする。

 雷の明滅と無の漆黒が混ざり合い、白と黒の渦を描く。

 

 やがてその声も徐々に掻き消え、身体は霧のように薄れ――最後には何一つ残らなかった。

 

 

   * * *

 

 

 居城に静寂が訪れる。

 

 神々の戦いで砕け散った柱、焼け焦げた石壁、崩れ落ちた天井。

 割れた床には乾いた血痕が広がり、生の気配などもうどこにもない。

 

 聞こえるのは、啜り泣くような微かな風の精霊の囁きだけ。

 

 それは勝利の余韻とは程遠いものだった。

 失われゆくものの重みを突きつけるような、深く痛ましい沈黙。

 

 シードは膝をつき、崩れ落ちたラナスオルをそっと抱き上げる。

 戦いは終わった。しかし、彼の胸を満たすものは空虚と絶望だけだった。

 

「ラナスオル……」

 

 シードは乾いた声で呼びかけた。

 千年を超える時を冷徹に生きたはずの異形のものとは思えないほど弱々しい声音だった。

 

 彼の腕の中で横たわるのは、愛のために命を削り尽くした一人の女神。

 

 ラナスオルのドレスは血と焦げ跡に染まり、肌には無数の傷痕、白い髪も灰にまみれ輝きが失われていた。

 彼女の身体はすでに滅びの段階に入っており、いかなる力をもってしても癒やすことはできなかった。

 

 ラナスオルは覇気のない眼差しでシードを見上げ、血の滲む唇で応える。

 

「心配しなくていい……私は永遠の命を持つ神だ……ほんの少しの間……眠るだけ……」

 

 震える手が宙を彷徨いながら彼の頬に触れた。

 白く細い指先は血の気を失い、残った微かな温もりさえも次第に消えようとしている。

 

「数千年、数万年……どれだけかかっても……私はきっとまた、このラナスの世界に生まれてくる……神の掟のない、本当に自由な世界で……また、君を愛せる……」

 

 彼女の声は徐々に掠れ、途切れがちになっていく。

 呼吸は浅く、瞳から力が消えていく。

 

 それでも、彼女はシードから目を離さなかった。

 

「けれど……私はせっかちだからな……君の答えを……そんなに待てない……」

 

 シードの胸に焼けるような痛みが走った。

 異形の魔力は鎮まっているはずだ。しかし、彼女の言葉の一つ一つが心臓を抉られるように苦しく、唇から微かに息が漏れる。

 

「最期に……君の気持ちを……聞かせてほしい……そうすれば……安心して逝ける……」

 

 頬に触れていたラナスオルの手の温もりが失われていく。

 その灯火が消える前に、彼は「答え」なければならなかった。

 

 シードは目を閉じ、深く息を吐く。

 

「……あなたは、本当に愚かだ」

 

 彼の声は震え、感情を押し殺していた。

 しかし、どれだけ冷静を装っていても、声の端々には抑えきれない痛みが滲み出ていた。

 

「使命だと、自らを追い詰め……掟だと、自らを縛り……それでも最期には、全てを投げ出して愛を選んだ」

 

 何かを確かめるように、彼女の手をそっと頬に押し当てる。

 その温かさが失われることが、彼にとって何よりも耐え難い痛みだった。

 

「ラナスオル……あなたがいなければ、僕はここまで来ることもなかった」

 

 涙が溜まった紫の瞳を見つめる。

 その中に映るのは、かつての幻影でも、人間のラナスオルでもない。

 

 今ここにいる、唯一無二の彼女。

 

「僕は答えを見つけられなかった……でも、あなたがいてくれたことで、少なくともその探求を諦めずにいられた」

 

 彼女の額にそっと唇を落とし、静かに囁いた。

 

「あなたは、僕のすべてだった……」

 

 その言葉は、ラナスオルがずっと聞きたかった答えそのものだった。

 

 彼女はほっとしたように微笑み、シードを見つめる瞳がゆっくりと閉じていく。

 最後に零れた一滴の涙が、彼の指先を温かく濡らした。

 

「次に会う時も、あなたがどんな姿で現れたとしても……僕はきっと、あなたを愛するだろう」

 

 シードは彼女の手をそっと胸元に戻した。

 瞼を閉じ、その震えが完全に止まるまで、彼は彼女を抱き締め続けた。

 

 ラナスオルの身体が光となり、シードの腕の中で消えていくその瞬間まで――。

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