エピソード2/ザ・ゼネラルモーターズ・ストライクス・バック! 作:mosamosa
同作が本作の原作であり、そして「エピソード1」です。
1981年秋。
デトロイト。
ゼネラルモーターズ本社、最上階展望室兼、会議室。
今年就任したばかりの最高経営責任者であるロジャー・スミスは技術部門と研究部門の幹部たちを招集した。
最後に北米マーケティング部門の責任者が着席したのを確認し、ロジャー・スミスは自席から立ち上がった。
デトロイトの街並みを見下ろす窓際へ向かい、幹部たちに背を向ける。
会議室は静まり返った。
「ロジャー」は何を語り始めるのか。
表情を見せられないような、ハードな内容であろう。
「諸君。私は先週末の2日間。つまり一昨日と昨日だ。ゴルフ、バーベキュー、ヨットクルーズを楽しんできたよ。……SCCA会長と一緒に。あちらも私もワイフを同席させてね」
各技術部門の責任者たちと、そしてヴィークルダイナミクス研究部長、エアロダイナミクス研究部長。
唯一、経営側として同席しているのは北米マーケティング責任者。
経営側とも言えなくはないが技術側となっているGMモータースポーツ部門の責任者は、こういう場合の日本人とは異なり首を竦めはしなかった。
「レイオフ」を「クビ」と呼ぶのは人類史上もっとも繁栄している首狩り族たる日本人くらいのもので、アメリカ人はこのような「致命的な形でのレイオフの予感」に対しては違うボディアクションを示す。
この場合には「ロジャー・スミスが振り向きざまに拳銃を抜きモータースポーツ部門責任者に向ける場合」に備えた行動を取る。
つまり。
彼は「ロジャーに先に抜かせてから先に撃つ」ために右手を腰に下ろした。
拳銃を探し、右手が彷徨う。
「スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカの会長が言うにはだ」
誰もが無言で続きを待つ。
「今年から始まった新しいカンナムシリーズは大いに盛り上がった。ポルシェそしてトヨタが常に優勝を争った。そして我々GMからエンジン供給を受けたマクラーレンが1勝した。あの、長い長い直線を持つコースでパワーに任せて勝利をもぎ取った」
誰も言葉を発しなかったが、全員の視線がモータースポーツ部門責任者へと突き刺さった。
そう。
新しいカンナムシリーズの第1シーズンにおいて優勝争いは常にポルシェと、そして。
いわゆる「ブレッド・アンド・バター」カーのメーカー。
つまりは「朝食を食べてから乗って職場へ向かうために使うクルマ」=「ファミリーカー」ばかりをアメリカ市場では売っているメーカー。
モータースポーツに復帰したのは10年ぶりの、そして日本の外でモータースポーツ活動を行うのはさらに長いブランクを経ている「あの」日本のトヨタ!
これが「ポルシェとフェラーリによって新カンナムシリーズが蹂躙され、GMは辛うじて一弾を撃ち返した」ならまだ、市場と株主に対して言い訳もできる。
「相手が強すぎました。来シーズンは何とかします」程度には。
だが、よりによってトヨタ!
もちろん技術と研究の部門長たちも、マーケティング責任者も、そして他ならぬCEOロジャー・スミスも「スポーツカーメーカーがファミリーカーメーカーよりも技術力が上」と言うのは世間の錯覚あるいは誤解に過ぎないと知っている。
だが市場の声と株主の評価は絶対である。
「実はファミリーカーメーカーの方が総合的には上です」「フェラーリやポルシェよりもトヨタの方が技術力は上です」などと言って真面目に耳を貸すのは自動車の研究開発経験者だけだ。
「SCCA会長の言葉を紹介しておこうか。SCCA憲章のひとつ『モータースポーツは誰にでも門を開いている』は絶対である。SCCA会長と言えども異議を唱えることは出来ない」
実際、SCCAはそうしている。
アメリカでのフォーミュラカーレースの過半を統括しているUSACとは時に反目し時に協力するのだが、例えばSCCAが統括するフォーミュラカーレースを見よう。
最も安価なフォーミュラカーレース「フォーミュラVee」は世界一売れた、あの忌々しいフォルクスワーゲン・ビートルのランニングコンポーネンツ……エンジン、トランスミッションそしてディファレンシャルと、前後サスペンションアセンブリを使うシングルシーターかつオープンホイールマシンである。
寸法制限とドライバー保護規定を守りさえすれば自分で作っても良い。
その次に安価なフォーミュラ・フォードはフォード社の1600ccクラスからパワートレイン(エンジン、トランスミッション、ディファレンシャル、ドライブシャフト)を流用すれば、寸法やドライバー保護の規定を守るなら自作しても良い。
同様に「フォーミュラオペル」と言うものもあるがこちらはUSACが管理運営している。
そのUSAC統括下にあるダートオーバルの各クラスも同様に中古車からユニットを流用できる安価なクラスが多数ある。
ラリーやスポーツカーレースも同様である。
アメリカのモータースポーツ中、主に4輪スポーツカーを統括するSCCAは「走るマシンがアメリカ資本の製品か否か」など全く気にしない。
もちろんフォーミュラカーの上位カテゴリおよびオーバル競技を統括しているUSAC、耐久レースを統括しデイトナ24時間やセブリング12時間などを開催しているIMSAも同様である。
走らせるマシンの外見そしてシリーズの名前とは裏腹に「ストック(市販状態」カーであるのは外見以外何もないマシンでのレースを統括しているNASCARが、最も入門から遠いレースばかりを開催している。
しかしNASCARも共通原則「特定チームのみ独占的に使えるパワーユニットやタイヤ」を認めないことだけは同じである。
要するにSCCA憲章は、あるいはアメリカンモータースポーツの統一憲章と言うべきアンリトンルールはアメリカの自動車メーカーの利益より上位にある。
北米におけるスポーツカーレースの最高峰。
ポルシェに蹂躙されて中止され、今年から新規定で再開されたカナディアン・アメリカン・チャレンジカップいわゆるカンナムシリーズも同じく。
「ポルシェに蹂躙されて中止された」のも「毎レース、スタートからゴールまでポルシェ3台によるパレード」になってしまい観客動員が落ち込み、北米各地の主催者たちが「赤字のレースなど開催できない」と次々に手を引いたからに過ぎない。
仮に蹂躙し各レースをパレードとして独走するのがGMやフォード、クライスラーであったとしても。
あるいはカナダの(雪上)自動車メーカーであるボンバルディアであっても。
同様であろう。
実際に、ポルシェがやってくる前に一度。
マクラーレン・シボレーがカンナムシリーズを滅ぼし掛けた。
1シーズン全勝、さらにシーズンを越えて23連勝。
観客が静かに、しかし確実に減っていった。
その時はフェラーリがやってきてレースを盛り上げてくれた。
カンナムシリーズを最終的に滅ぼしたのがたまたまポルシェだった。
それだけである。
公式には。
ドイツ人や日本人たちが聞けば失笑するだろうが、アメリカンもカナディアンも「我々は決して勝負から逃げない」と言う建前は譲らない。
「ビジネスとして成立しないから止める」は口にする。
ここ、北米ではいかなるプロスポーツ主催者も、参戦者もそうするしかないのだ。
スポーツ観戦に金と時間を費やす習慣の持ち主たちは、面白くないスポーツの会場からは去る。
そしてメジャーリーグベースボール……毎年8000万人を動員する世界最大のプロスポーツリーグを筆頭とする北米4大スポーツの観戦に戻る。
何がつまらないのかを言う時間さえ惜しんで去ってゆく。
北米には「見て楽しいスポーツ」が複数あるのだ。
この北米においてメジャーリーグベースボールに勝負を挑めているモータースポーツは、5番目のスポーツ候補に名を連ねているモータースポーツは今のところはインディ500のみ。
インディーカーシリーズを構成するレースの平均視聴者数は50万人に過ぎないが、インディ500に限ってはMLBワールドシリーズかNFLスーパーボウルかと言う視聴者数を毎年記録し、展開によってはその年の「最多視聴者スポーツ試合」の座さえ掴む。
この500マイルレースのスタートからゴールまでの時間に限り、あのメジャーリーグベースボールは1試合も行わない。
インディ500は5月末開催であるからナショナルバスケットボール協会やナショナルアイスホッケーリーグのプレーオフ期間でもあるが、どちらもインディ500に日程を被せることは避ける。
それだけだ。
今のところ「4大スポーツが同日開催を避ける」メジャーな自動車レースは、インディ500だけだ。
北米においてモータースポーツはマイナースポーツなのだ。
「SCCA会長が言うにはだ。このままカンナムシリーズが盛り上がればインディ500さえ超える。そういう話だったよ。視聴率調査に基づけば、今年のあるレースは時間が重なったヤンキース対レッドソックス戦を超えたそうだからね」
居合わせた全員が知っている。
そのレースとは、今年のカンナムシリーズでただ1回、アメリカ勢が。
シボレーエンジン搭載マシンが勝利したあのレースの中盤からだ。
そのレース序盤にはマクラーレン・シボレーの存在を無視したかのようにポルシェとトヨタが激しい首位争いを続けた。
そして、F1ドライバーでもあるリチャード・ホッチバーグ(リヒャルト・ホフベルグ)以下ポルシェ勢が次々にトヨタとの首位争いからエンジンブローやドライバーミスによってリタイアし、惜敗を続けて来たトヨタがついに念願の初優勝を飾るかに思えた中盤、終盤。
静かにその時を伺っていたマクラーレンのドライバーはそのコースの長い長い直線を利して、着実にトヨタを追い上げた。
ここに居並ぶ技術陣、研究陣もその頃にヤンキース対レッドソックス戦からチャンネルをカンナムレースへと戻した。
ここに居る中でそのレースのスタートからゴールまで見たのはモータースポーツ部門責任者だけ。
彼はその展開になってから同僚や部下たちに電話を掛けたのだ。
トヨタ7もマクラーレン・シボレーもピークパワーは同じ1500馬力。
同じくV8ツインターボエンジン。
グッドイヤーが供給しているカンナム用「ランドイーグル」タイヤが耐えうる上限いっぱいのパワーに設定されている。
しかしトヨタは5000cc、DOHC。
シリンダーあたり4バルブ。
さらにセラミックターボ。
ハイテクの塊だ。
対するシボレーエンジンは7100cc、OHV。
シリンダーあたり2バルブ。
昔ながらの耐熱合金、それも第二次世界大戦末期に実用化された実績十分な耐熱合金を用いたターボを装備。
実績ある技術で手堅く仕上げたエンジンだ。
それはトヨタV8よりも遥かに低い回転数でピークトルクを発揮し、滑らかにピークパワーに届く。
もちろんピークパワー回転数もトヨタより遥かに低い。
トヨタのカンナムカーである「トヨタ・セブン」は燃焼室で発生するエネルギーをマシンの加速に使っているのかクランクシャフト回転数を上げるために使っているのか判らない、日本人の設計らしからぬ非効率な加速を行うが、マクラーレン・シボレーは違う。
そう、シボレー・コルベットのような加速を行う。
発生させたエネルギーの過半をクランクシャフト回転数のアップではなくマシンの加速に使う。
効率の良い加速を行う。
世間の評判や印象に反して、オールドスクールのアメリカン大排気量低回転エンジンの方が条件付きで効率が良い。
軽く作れるなら。
そう、シボレーV8のように軽く作れるなら。
クライスラーV8などは全ての回転数領域でシボレーV8を超えるパワーを発揮する。
が、重い。
クライスラーはそんなことを気にする会社ではないしその顧客たちも「重い」なんてことは全く気にしないが。
このコンセプトの極限のひとつとしてプロペラ飛行機のエンジンがあり、別の極限には舶用ディーゼルエンジンがある。
さらに別の極限はアメリカンV8とは逆コンセプトのさらに裏。
ホンダのスーパーカブが代表している「超高回転超小排気量エンジンを敢えて低回転で使う」で、これは信じられないほどの耐久性を示す。
ともあれ。
マクラーレンのドライバーはまだ若いが、豊富なレース経験を持つマクラーレンのピットが立てた作戦は実に効率的で堅実だった。
決して無理をさせず、最終ラップ最終コーナーまでにトヨタに追いつけば良い。
そこから続く長い直線での加速は、どうやってもトヨタ・セブンはマクラーレン・シボレーには勝てない。
加速効率が圧倒的に違う。
そう言う作戦だとそのレースの実況も解説者も何度も口にした。
実際にはそうならなかった。
ポルシェ相手の激しいトップ争いで消耗していたトヨタは、観客の目にはドライバーミスに見えただろうスピン、コースアウト、そしてエンジンストールでリタイアした。
トヨタのドライバーであるセンゴクは止まったマシンに怒りをぶつけるように何度もスターターを回そうとした。
しかし「トヨタ・セブン」はセンゴクが何度スターターボタンを押しても、沈黙したままだった。
実況と解説の困惑した声が思い出せる。
だがここに居並ぶ技術陣と研究陣の目は騙せない。
トヨタがリタイアした真相はエンジンブローだ。
エンジン部門長が翌日、月曜日に部下たちに聞いて回ったところ、誰の意見も同じ。
トヨタが誇るイシカワジマ製のセラミック・ターボが破損したのだ。
センゴクの大げさなゼスチャーはそれを隠すつもりの三流以下の芝居に過ぎない。
「実はあのレース、私も途中から見てね。念のために録画もしていた。だからSCCA会長と週末を過ごす前にスタートからゴールまで見てみた」
ロジャーが背を向け、デトロイトの街並みを見下ろしながら静かな口調でそう言った。
その背中に力がこもるのが見えた。
モータースポーツ部門責任者の右手は警備係に預けたままの拳銃を探すことを諦め、盾にするために隣の空き椅子を掴んだ。
もしこの瞬間にロジャーが振り向いて拳銃を向けるなら?
向けたことを同僚たちが見たのを確認してから椅子を投げつける。
「あのレース。あれだけが、今年のカンナムシリーズでの我々の見せ場だった。他のレースで惨敗する都度、我がゼネラルモーターズの株価はわずかにしかし着実に下がり、今年の北米での売り上げも目標ラインを下方修正した」
株価そして売り上げ。
自動車メーカーにとっての2つの神。
その名をロジャーが口に出した以上、誰も何も言えない。
「だがSCCA会長はまったく気にしないとはっきり言った。彼にとってSCCA憲章はGMの株価や売り上げよりも上位にあると」
モータースポーツ部門責任者の右手が椅子を引き寄せる。
「そして、さらにレースを盛り上げるために。より安上がりに参戦できるレースにするために検討中だと教えてくれた」
ロジャーは振り向かず、右手で合図した。
北米マーケティング責任者が会議机の上に資料を次々に滑らせた。
その薄い資料の表にはまるでフォーミュラカーにスパイダー(幌さえもないオープンカー)スタイルのスポーツカーを真似たカウルを被せたような、異様なマシンの姿があった。
「資料は行き渡ったかな?よろしい。いま諸君が見ているのは日本のフジ・スピードウェイで開催されている、日本におけるスポーツカーレースの最高峰。フジ・グランドチャンピオンレースのマシンだ」
誰にとっても初見、初耳である。
「カウルの中身は中古のフォーミュラ2だったり、日本独自のF2000と言うフォーミュラカーの新車だったりいろいろだが、共通点は参加者にとって安上がりなことと、日本にしか経験者がいないことだ」
「確かに。使いもしないパッセンジャーシートがある今のカンナムマシンより安い。軽い。誰が設計しても今の規定より楽です。我々はそういうものを作ったことがない。そしてトヨタにはその経験を持つスタッフあるいは、取引先チームがある。それだけが問題です」
シャシー開発部門の責任者があっさりと評した。
それにしても。
ロジャーにしては口調がゆっくりとしていて、そして前置きが異常に長い。
その表情に浮かんでいるはずの凄まじい怒りを見ているのは、窓ガラスに落ちたロジャーの影だけだ。
モータースポーツ部門責任者はついに、椅子を盾として構えることに成功した。
次は武器。
ロジャーが振り向いて拳銃を向けたときに使う武器を探す。
「私はSCCA会長に対し一応、警告と抗議を行った。そのグランドチャンピオンレースに出走したことがあるのは日本のレースチームだけ。経験があるのは日本勢だけ。つまりトヨタが有利になると」
判り切ったことをロジャー・スミスは告げた。
「仮に来年からグランドチャンピオン……GCを参考にしたシングルシート・スポーツカーレースにレギュレーション改訂すれば確かに参戦コストが安くなり、参戦チームが増える。ポルシェやトヨタからパワートレインを買ってマシンを自作するチームも現れるだろう。さらに悪い結果さえありうる」
ロジャーは言葉を切った。
「あのホンダも、ダッツン(日産)も、さらにはロータリーエンジンを擁するマツダもGCレースに出走しており、豊富な経験を積んでいるそうだ。彼らの経験を買うチームもあるだろう。さらには日本勢が北米市場で売り上げを伸ばすチャンスと見て続々と参戦してくることさえありうる。そう言ってみたのだが」
「SCCAとしては『パワートレインがどこの国のどのメーカーの製品だろうと知った事ではない。SCCA憲章に従うのみ』でしょうね」そのGMパワートレイン部門の責任者が天を仰ぐアクションと共に応じた。
ガラスの反射を通してロジャーがそれを見たのかどうかは判らない。
モータースポーツ部門責任者の目は今や血走っている。
(武器。何か、武器!)
非情にも、間隔を空けて座っている同僚たちは先手を打っていた。
灰皿であるとか、投げつけや殴打に使えるものをモータースポーツ部門責任者の手が届くところから遠ざけていた。
「ただし。来年のカンナムにそのシングルシーター規定が採用され発表された場合、トヨタは勝ち逃げ出来なくなる」
「それはまあ、『シングルシートのレース専用スポーツカー』なんてレースの経験はポルシェにもないでしょうね」
パワートレイン部長がまたもあっさりと応じた。
「そうだ。トヨタは『自分たちに有利な条件』を与えられる。そこから逃げれば宣伝として逆効果になる。よって、トヨタは来年のカンナムの全レースでの圧勝を期待される。これはSCCA会長の言葉だ」
そして実に意外なことにロジャーは振り向き、一同に笑顔を見せた。
「さて、諸君。勝てるかね?来年のカンナムシリーズに勝てるかね?予算を増やす。人員も増やして良い。来年はエンジンだけでなく、ランニングコンポーネンツ丸ごとを各チームに供給する。最優先はマクラーレン」
「その上にマトモなカウルを被せれば勝てる。そういうランニングコンポーネンツは作れますよ、ロジャー。ただし、勝つのはチームとドライバーの仕事です」
ヴィークルダイナミクス研究部門の責任者が即答した。シャシー開発部門責任者が親指を上げて賛成を示す。
「ミスター・スミス。各チームに売るのはランニングコンポーネンツだけ?その上と『下に』被せるカウルは売らない?」
エアロダイナミクス部長が訊ねた。
「売れるもの、つまり勝てるもの。株価と売り上げに貢献するものなら売る。作れるか?」
「作れます。若いのに作らせますよ、ミスター・スミス」
「ロジャーと呼んでくれよ、いつも言ってるだろう?」
この日、この会議室に初めて笑い声がささやかに広まった。
「ロジャー、新規定が発表される前にトヨタが撤退する可能性は?」
「SCCA会長は『ロード・アンド・トラック』の編集長に頼んだそうだ。誰か日本に、アイチプレフェクチュアに送って『どうか撤退しないでほしい』そうトヨタを説き伏せて欲しいと。そのジャーナリストがフジGC-Rの資料を持ち帰った。それを見てSCCAは新規定を検討開始したとも明かしてくれた」
会議室に今度は苦笑いが広まった。
SCCA憲章に違反するギリギリのところだ。
明らかにゼネラルモーターズがトヨタよりも先に、新規定が定まる前に来季マシンの開発スタートするための小細工。しかも、トヨタに知られても全て偶然だと言い張れる。
「ロジャー、新規定を来年採用することは決定しているのかい?」
いつの間にか武器を探すことを止め、構えていた椅子も床に戻してモータースポーツ部門責任者が聞く。
「まさか。もし決まっているなら、我々とSCCAはアンフェアな方法でトヨタを罠に掛けたことになるじゃないか」
ロジャー・スミスは平然と答え、会議室を爆笑が満たした。
「もちろん新規定がいつから採用されるか。GC-Rを参考にしたマシンの寸法とドライバー保護規定の詳細などはSCCA会長にさえ、まだ判らない。判っていることはSCCA憲章を徹底的に尊重すると言うこと、そのためにフジGC-Rを参考にする、これだけだ」
ロジャー・スミスの視線が突如、鋭くなる。
「諸君。今私が示せるのはこの曖昧な状況だけだ。すまない。この状況で、具体的なことは何もまだ判らない新規定に対応する準備を整え、勝てるエアロパーツと勝てるランニングコンポーネンツを作れるか?株価と売り上げに貢献するものを作れるのか?」
モータースポーツ部門責任者の口が開きかけ、閉じた。
しかし全員が、彼が口に出そうとして止めた言葉を聞き取った。
ゼネラルモーターズ技術陣が「シングルシート・レーシングスポーツカー」の研究案をロジャーに提出した数日後、偶然にも「その案のマシンが何も修正せずに出走できる新規定」がSCCAから発表されるのだ。
さらには偶然は重なる。
その日は「トヨタやポルシェが新規定マシンを来シーズンにギリギリのところで間に合わせることが出来る」日だ。
新規定で行われる来シーズンのカンナムシリーズは今年以上の盛り上がりを見せることだろう。
全レース、最終ラップかその前ラップくらいまで激しい首位争いが続きあるいは静かに追い上げる展開が続く。
レースコースに足を運んだ観衆の眼もチャンネルを合わせた視聴者の眼も釘付けになるレースが作為に依らず続く。
メジャーリーグベースボールが試合日程を考え直すくらいに。
そうなるように、つまりシボレーエンジン搭載マシンばかりが楽勝する事態を避けるために手加減する必要などない。
手加減せずに叩きに行ってもなおポルシェやトヨタが勝利を掴む可能性が高い。それほどの強敵である。
かつて参戦していたフェラーリが再度やってくる可能性もある。
あるいはフランスのルノー、そして我々と同じくアメリカンであるフォードも出て来るかもしれない。
フォーミュラカーあるいはインディーカーの製作経験を活かせるレースになるのだから、フォーミュラ・ワンやインディで強い会社は北米の巨大市場を狙う絶好のチャンスと見るだろう。
しかし、それを口に出すわけに行かない。
それを前もってGMだけが知っているなどと言う、そんなアンフェアな偶然が起きてはならないのだ。
「どんなマシンになるのか」
と言う皆が予想した問いをロジャー・スミスは発しなかった。
「では諸君、それぞれの部門から若いのを割り当ててくれ。予算はその、フジGC-Rマシンの写真裏面にある」
「寄せ集めチームになりますよ、ミスター・スミス」
ヴィークルダイナミクス研究部長が指摘した。
「それは拙いな。よし、ヴィークルダイナミクス。君のところからある程度まで経験を重ねたのを……そうだな。10年後に君の椅子に座っていそうな連中の中で一番元気な奴を割り当ててくれ。それが誰かは知らないし興味もない。だが、諸君。VDが割り当てる誰か。そいつが『ストライクス・バック』の責任者になる。それと」
ロジャー・スミスは珍しく躊躇いを見せた。
「この仕事には関係ない話なんだが。我らがSCCA会長は近いうちに、メジャーリーグベースボールのコミッショナーと会食するそうだ。もしかしたらナショナルフットボールとナショナルバスケットボール、さらにはナショナルアイスホッケーのコミッショナーも同席しての楽しい席になるかもしれない」
再度、会議室を爆笑が満たした。
これではまるで、あれだ。そう、あれだ。
何人かはそう思ったが口にはしなかった。
「ロジャー、いつから『シスの暗黒卿』になったんだい?」
日本人がもしこの場に居れば「エアロダイナミクス部長、空気読め」と言ったことだろうがもちろんそんなことは起きなかった。
「なった覚えはない。それに、諸君。諸君は銀河帝国の幹部じゃないぞ」
モータースポーツ部門責任者が椅子から転げ落ち、身をよじって笑いながら鼻歌を歌い始めた。
「hn,hnh-.hnh-hnh-♪」と「スター・ウォーズ」の「ダースベーダーのマーチ」を彼は歌った。
全員が笑みを浮かべてから決意の硬い表情に変わり、同じ鼻歌を歌いながら次々に会議室を出てゆく。
この時、「ストライクス・バック」が始動した。