黒上采南は生存者でない   作:ソフ

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第8.5話(前編) バイカウツギ

 これはまだ四国に壁があった頃、神樹が四国を守っていた頃のお話。

 

「行ってきます」

 

 少女は学校に行く支度を済ませ、家を出る。

 少女の名前は空木美花。小学六年生だ。

 

「今日のテストも満点よ。ちゃんと勉強してて偉いわね」

 

「いつもプリント運びを手伝ってくれてありがとうね。おかげで助かってるわ」

 

 美花は成績が良く、素行も良好でみんなから優等生扱いされている。今日も一日で何度も先生から褒められた。

 しかしそんな美花には大きな悩みがあった。それは……

 

「みんなも空木さんのことを見習いなさい。彼女は歩く教科書よ!」

 

 いわゆるベタ褒め、過大評価というやつだ。

 美花は元々引っ込み思案でそれ故に自己評価が低く、褒められても嬉しくなるどころか、ストレスに繋がる面倒な性格をしている。

 

「先生、つっきーのことすごい褒めてたね!」

「歩く教科書……なんかかっこいいよね」

「アタシもいい感じの二つ名がほしいな〜。走る算数ドリル、みたいな!」

「体育中にでもみんなに計算問題出しまくってみたら?」

「そうしようかなー」

 

 美花の近くで二人の女子がアホそうな会話をしている。そのうちの一人は名前を千竈七海といい、何故か美花のことを付け回す変な人だ。

 とにかく学校であまり変な持ち上げ方をされたくなかった美花は、二人を止めようと会話に割り込む。

 

「先生が言ってたことなんだけど、忘れて……」

「なんで? かっこいいのに。ねー、七海?」

「かっこいいよ、つっきー!」

「お、お願いだから……」

 

 最終的におかしな呼び名が蔓延することだけは避けられたが、美花がみんなの前で褒められたという記憶は残り続ける。そしてそういったことの積み重ねで、美花はいつの間にかみんなの尊敬の対象になっていた。

 

「おかえり。テストどうだった?」

「はい、これ」

「満点! ずっと満点だなんてすごいわ! これからもこの調子で頑張るのよ?」

「う、うん……」

 

 美花は時々先のことを考える。もし今の評価が崩れてしまったらどうなるのだろうと。

 適切な評価に戻るだけなのに、過大評価の反動で大きく失望されてしまうかもしれない。そしてそうなった時には、自分のようなつまらない人間はもう誰からも相手にされなくなるだろう。そう思うと怖くてたまらない。

 美花はそれだけは避けようと、高すぎる評価に力量以上の努力で必死に食らいついていた。

 

 そんな中、ある日大赦の使いが美花の家を訪れた。

 

「素養のある彼女に、重要な御役目を任せたいのです」

 

 美花としては失望を恐れて必死になっていただけだったのに、いつの間にか自分の知らないところで大赦に認められていたらしい。大赦の見る目には甚だ疑問を感じたが、母は「あなたは我が家の誇りよ!」と舞い上がる。

 強く断れない性格だった美花は、渋々大赦についていくことになった。

 

「空席となった勇者の後継に相応しい者を見極めるため、あなたたち勇者候補生にはここで日々鍛錬を積んでもらいます」

 

 連れてこられたのは大赦の特殊施設。美花はそこで集められた二十人程度の少女たちと、たった一席の勇者の座を巡って競い合うことになる。

 学業に剣術の訓練と、美花はここでも必死に励んでいたが、周りが優秀でいくら頑張っても追いつけない。

 美花はその差を受け入れつつ、せめて振り落とされないようにと陰でも弛まぬ努力を続けた。

 

 それから二度ほど年を跨ぎ、ついに勇者が決定する。

 

「勇者の御役目には、三好さんについてもらうことになりました」

 

 美花は自分が選ばれないことはわかっていた。自分よりも才能があって、自分よりも努力している人が選ばれるのは当然だからだ。

 結果についてはすぐに受け入れたが、ただ一つだけ大きな気がかりがあった。

 

(私、失望されちゃうのかな……)

 

 美花は晴れない気持ちのまま自宅に帰される。

 

「お疲れ様。頑張ったわね」

 

 母は沈み込んでいる美花を慰めるが、美花にはそれが見放される前兆のように感じて気が気でなかった。

 

「今日から私たちのクラスに編入生がやって来ます」

 

 美花は帰されてすぐに地元の中学校に編入する。中学に上がったとはいえ、顔ぶれはほとんど変わらない。

 

「ようこそ我が学校へ、つっきー!」

「美花が戻ってきたことでクラスの格が上がったな」

「つっきー不在の間はアタシが格を守ってたんだから!」

「アンタはむしろ下げてたでしょ。七海が最近変なデモ集団と絡んでるの、噂になってるよ」

「変とは失礼な! あれは立派な社会運動だよ! このイカした鳴り物が目に入らぬか!」

 

 七海は謎に拡声器を取り出し、その場で使ってみせる。

 

「千竈さん……」

「げ! 先生!?」

「少し指導室に行きましょうか。その拡声器は没収よ」

「そ、それだけは最近買ったばかりで……あぁ先生〜!」

 

 七海の奇行はすぐに見つかり、そのまま生徒指導室に連れて行かれてしまった。

 そんな七海はいいとして、どうやら美花を過大評価する傾向はまだ続いているようだ。

 しかし、それは美花の精神的に非常に良くないことだった。

 美花は長期間休学していたが、みんなは休学の理由を知らない。大赦に口止めされて理由を話せない上、持病もなければ引っ越しもなかったので、状況的にただのサボりと思われても仕方ない。

 だからこそ自分より優秀な人たちに囲まれた候補生時代の経験とも相まって、過大評価がこれまでよりも脆く、いつ崩れてもおかしくないように思えて怖くなった。

 

 みんなに見限られたくない。その一心でこれまで以上に身の丈に合わない努力を続けること数か月、大赦の使いが再び美花の家を訪れた。

 

「人類を守る御役目のために、あなたの力が必要となりました」

 

 別に候補生時代も目立っていなかったのになぜまた自分なのだろう。大赦の見る目にはやっぱり疑問を感じたが、母は「凄いじゃない美花、大抜擢よ!」と舞い踊る。

 例のごとく強く断れない性格だった美花は、嫌々大赦についていくことになった。

 

「これからあなたたちには"防人"として我々から与えられた任務を遂行してもらいます」

 

 今度連れてこられたのは大束町のシンボル、ゴールドタワー。そこに集められた少女たちは、伏せられていた壁の外の真実を告げられ、防人としてトヨアシハラ作戦を実行する大赦の駒となる。

 

 美花が割り振られたのは13番の銃剣隊。実力順に番号が振られていることを考えると、全体では真ん中より少し上、銃剣隊16人の中では上から五番目と、ここでもやっぱり実力に見合わない評価をされているように感じる。

 

(頑張るしか……ないよね……)

 

 防人として任務に当たっている間は当然学校を休むことになる。それもまた理由不明の状態で。

 もしここで失敗すれば、今度こそみんなから見捨てられる。今ここで頑張らなければ、今度こそ全て終わりだ。

 

「敵の数が多い! 亜耶が種を植え終わるまでどう護衛すべきか……」

「私が盾の外に出て星屑を一掃します!」

「……わかった。任せたよ、美花!」

 

「みみ美花ちゃん、私はどうすればばばばば……」

「接近戦は私に任せて、あなたは盾の内側から援護射撃をお願い!」

「うんわかった……!」

「一応指揮官は私なんだけど……美花には敵わないな」

 

 美花は人一倍貢献できるよう、必死に敵と戦った。期待に応えられるよう、失望されることのないよう、弱い心を隠して立派な自分を装った。

 無理をしている自覚はあった。でも無理をするしかなかった。なぜならこの過大評価こそが自分に残された最後の存在価値だと思っていたからだ。

 

 しかし無理は自身を蝕む毒となる。美花の心と体は少しずつ、そして確実に追い詰められていた。

 だから運命のあの日、美花は取り返しのつかない過ちを犯してしまった。

 

「はあああああ!!」

 

 美花はその日も護盾隊が展開するシールドをすり抜け、灼熱の大地に張った神樹の根を足場にしながら星屑と直接交戦していた。

 

「くっ……橋頭堡は築き終えたというのに、今日の敵はなかなか帰らせてくれないな」

「あばば……一旦態勢を整えませんか!?」

「そうしようか。おーい美花〜! 戻ってこーい!」

「いえ! 私まだやれます!」

「単独行動は危ないぞ!」

「それでもやるしかないんです! お願いします!」

「どうしちゃったんだ、美花……」

 

 美花は指揮官の命令を無視して単独で敵を倒し続ける。

 しかし、それが良くなかった。

 

「美花ちゃん、危ない!」

「え……がっ!?」

 

 流石に一人では全ての敵に対応しきれず、星屑の突進が直撃してしまう。その衝撃で美花の意識は一瞬飛び、気づけば地面の上に仰向けに転がっていた。

 

(ここは……)

 

 視界の先には遠くからここまで伸びている大量の神樹の根と、その周りを覆う真っ赤な炎が一面に広がっている。どうやら美花はかなりの高さを落下してしまったらしい。

 

(い、急いで戻らないと……!)

 

 このままではみんなに心配と迷惑をかけてしまう。呆れられてしまう。そう思って慌てて立ち上がろうとしたその時だった。地面にまで届いている神樹の根の隙間に一人の少女の姿が見えた。

 

「えっ……?」

 

 予期していない光景に心臓がバクつき、思わず声が漏れ出てしまう。神樹の根は一軒家を包み込むように張っており、その根は玄関前にいた少女に複雑に絡みついている。

 

(た、助けなきゃ……!)

 

 状況が理解できずに頭が真っ白になりかけている中、美花は反射的にそう思った。

 美花は少女のもとにみっともないほど慌てて駆け寄り、根っこの隙間から伸びていた片手を引っ張るが、少女はびくともしない。

 

(早く……早くしないと……!)

 

 上ではみんなを待たせている。焦った美花は自然と引っ張る力が強くなる。あまりの必死さに力加減を忘れてしまうほどに。そして……

 

 ブチィッ!!

 

 根の千切れる豪快な音とともに、少女は救出された。

 

(や、やった……!)

 

 美花は安堵した。しかしそれも束の間、今度は少女の体から大量の血が流れ出した。まるで止まっていた時がいきなり動き出したかのように、血は唐突にそして瞬く間に広がってゆく。

 

「えっ……? う、うそ……」

 

 ただ絡まっているだけだと思っていた根っこは少女の肉体を貫いていた。しかしそれに気づいた時にはもう遅い。

 美花は取り返しのつかないことをしてしまった。

 

「美花……その子は……」

 

 血まみれの少女を抱えて戻ると当然仲間から事情を聞かれるが、美花はうまく説明することができなかった。

 救出された少女は御役目が終わるとすぐに大赦管轄の病院に運ばれ、しばらくしてから美花に容態が伝えられる。

 

「ひとまず命に別状はなく、体内に残っていた神樹様の根も可能な限り取り除きました」

「そうですか……」

「しかし、除去できなかった微細な根は依然として体内に残り続けています。今後血管や臓器に刺さったままの根が枯れるようなことがあれば、体内で大量出血を起こして少女は死に至るでしょう」

「……それってどうにもならないんですか?」

「残念ながら私たちの技術ではどうにもなりません」

「そんな……」

 

 美花の軽率な行動が一人の少女の運命を大きく変えてしまった。その事実はあまりに重く、美花の心の糸は神樹の根とともにぷっつりと切れてしまった。

 その後美花は自分から防人を辞め、自宅の部屋に引きこもるようになる。

 

「美花……学校は?」

 

 母は毎日様子を見に来てくれるが、美花は内心失望されているのだろうと思っていた。

 どうせ学校に行ったって同じだ。みんなから冷たい目で見られるに決まっている。こんな出来損ないの自分にもう居場所なんてないはずだ。美花は学校に通うことすら嫌になり、母と話し合って学校も辞めることにした。

 

「美花。朝ごはん部屋の前に置いとくからね」

 

 学校を辞めてからは家族間の会話も極端に減っていた。

 この日も部屋の前に置かれたお盆を母がいなくなってから静かに手に取る。お盆の上には「美花へ。お母さんは後で買い物に行ってきます。買ってきてほしいものがあればこの裏に書いておいてね」というメッセージカードが添えられていた。

 

(美花……)

 

 美花という名前には「美しい花のように魅力的な人間に育ってほしい」という両親のストレートな願いが込められている。

 思えばそこから美花の過大評価は始まっていた。美しい花だなんてとんだ皮肉だ。いくらみんなが期待する美しい花であろうとしても、枯れてしまえば後に残るのは空っぽで醜い自分だけ。そしてそれこそが自分の本質なんだ。

 美花はカードの裏に「なし。ごちそうさま」とだけ書いて、食べ終えた食器を部屋の前に戻す。"なし"は必要ないという意味だったのだが、後で"梨"が部屋の前に置かれたのはどうでもいい話だ。

 

 それから何日か経ち、徐々に世界から美花という存在が忘れられていくのだろうと思っていたある日、意外な人物が美花の家を訪れた。

 

「つっきー、メリクリ〜!」

 

 家にやって来たのは七海。クリスマスまでまだ半月はあるというのに、頭にサンタ帽のヘアピンまで付けている。

 

「ななみん……? どうして……?」

「いや、学校をやめたって聞いたから心配になって」

「えっ……」

 

 七海は純粋な心配を口にする。そのストレートな言葉はボロボロの美花の心に深く突き刺さる。

 

「何か嫌なことがあったんだったら話してみなよ。七海さんに追い回されて不快でした〜とか。アタシで良ければ話を聞くからさ」

「ななみん……う、うあああああ!!」

 

 とっくに見限られていると思っていた同級生からの温かい言葉に溜まっていた感情が爆発し、目から大粒の涙を流しながら美花は七海に飛びついた。

 

「うおっと!? どうしたのつっきー?」

 

 さすがの七海もこれには驚きの表情を浮かべたが、美花を受け止め、涙が止まるまでそのまま優しく抱き続けた。

 

「なるほどそんなことが……」

 

 しばらくして落ち着いた美花は七海にこれまでのことを一部言葉を濁しながら話した。七海が話の全てを理解したとは思っていないが、人に話すことで美花の気持ちもほんの少しは楽になっていた。

 

「それからその子には会ってないの?」

「うん……」

「それは心配だね」

「…………」

「今どうしてるのかな?」

「わからない……聞いてないし……」

 

 あの少女については救出時に大きな怪我をさせてしまったとだけ話した。

 美花からすれば、あの少女のことは忘れてはいけないけど忘れてしまいたい記憶。その一方で、七海はその少女のことがとても気になっている様子だった。

 

「学校にはもう戻らないの?」

「だってやめちゃったし……」

「じゃあせめて時々会いに来てもいい?」

「いいけど、なんで……?」

「それはつっきーがアタシの観察対象だからだよっ!」

「何……観察対象って……」

 

 それから七海はその言葉のとおり、時々美花に会いに来るようになった。そんな七海の存在が美花の中では救いになっていた。

 家に引きこもる生活はしばらく変わらなかったが、年が明けて約3か月、防人の元隊長が塾を開いたと聞いて美花は久しぶりに外に出る勇気を出した。

 その頃には神樹様は消滅しており、やはり少女のことが気がかりで気持ちは全く晴れていなかったが、その少女、華原小町と会うことになるのはもう少しだけ先のお話だ。




空木美花 → バイカウツギ(梅花空木)
花言葉は「仮面」
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