黒上采南は生存者でない   作:ソフ

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第9.5話(中編) サザンクロス

 優しい風がそっとカーテンを揺らす穏やかな昼下がり。とある夫婦のもとに元気な女の子が産まれた。

 夫婦は初めて見る我が子に涙を流し、「彩り豊かで温かみのある人生に恵まれますように」という願いを込めて「采南」という名前を付ける。

 これはそんな女の子、黒上采南のお話。

 

 

  * * *

 

 

 黒上家はかなり裕福な方だった。家の立地だけは不便極まりなかったが、夫婦ともに大企業勤めでお金に困ることはなかった。

 陽気な父と陰気な母という真逆の二人ではあるものの、夫婦仲も良好。結婚3年目にして念願の第一子を授かり、これからますます幸せな家庭を築いていくのだろうと、近所に住む誰しもがそう思っていた。

 

 しかしそんな幸せは一瞬にして崩壊してしまう。

 

 母は采南を産んで間もなく、重度の産後うつを発症してしまった。

 自分たちが生きていると世間に迷惑をかけてしまうという罪業妄想が激しく、生後間もない采南と心中しようとするまでに至った。幸い心中は未遂で済んだため大事にはならなかったが、その話は近所から職場まで瞬く間に広がり、延々と悪意なくその話を掘り返される毎日に今度は父の方が堪えられなくなった。

 

 最終的に二人は離婚することになったが、父は母と娘を置いて逃げたことに申し訳なさを感じていたため、采南の養育費と母の生活費の倍以上の額を毎月仕送りしてくれていた。

 しかしそれが良くなかったのか、母は仕事を辞めて次第に家に引きこもるようになっていく。父のサポートで采南は問題なく幼稚園、小学校と通えていたが、采南はそんな母のことが大嫌いだった。

 

「ただいまー」

「おかえり。今日の夜ごはんは……」

「友達と遊んでくるね!」

「え……そうなの? でももうこんな時間だし……」

「それじゃ行ってくる!」

 

 采南の帰宅はいつも遅い。家に帰れば嫌いな母と二人きりなのが苦痛で、学校のある日は遅くまで好きでもない勉強をしてみたり、好きでもない先生の手伝いをしてみたりと、家に帰らなくてもいい理由を無意識に探していた。

 しかし学校に残れる時間には限界がある。強制的に返されると、今度は友達と連絡を取り合って帰宅後に日が暮れるまで遊ぶが、それでもその時間にもまた限界がある。

 

「私そろそろ門限だから帰らないと……」

「私もだー。采南んちもそういうのあるよね?」

「あるけどもう少しだけ遊ぼうよ!」

 

 どうしても家に帰りたくない采南はなんとかして粘れないかと足掻く。

 

「でも門限を破るのは……」

「モンゲンは破るためにあるんだよ!」

「そうなの……?」

「だってほら『門限』って漢字で書くと悪そうじゃん!」

「そんなに悪そうか?」

「問う口は無視して聞く耳も持たずに制限をかけるんだよ? まさに悪魔の所業だよ!」

「それって漢字の話なんだよね……?」

 

 采南の言っていることがよく分からなかった二人の友達は頭の上に疑問符を浮かべる。

 

「やっぱり采南は面白いね。でも私のお母さんは怒るとマジで怖いから、悪いけど私は帰らせてもらうね」

「私も。ごめんね采南ちゃん、また今度いっぱい遊ぼ!」

「そ、そっか……じゃあまたね……」

 

 足掻いても無駄。そんなことはわかっているのに、毎度のように足掻いてしまう。それくらいには家に帰ることが嫌で嫌でたまらなかった。

 

「おかえり……」

 

 家に帰るやいなや母の暗い声が采南の鼓膜を鈍く揺らす。采南は小さなため息をつきながら、丁寧にラップに包まれた冷めた夕食に手をつけた。

 

  *

 

「采南、ちょっとお使いに行ってくれる?」

 

 采南は時々母から食材のお使いを頼まれる。それは母が外出する気力のない時によくあることなのだが、采南にとっては家から離れられる上、嫌いな母に反抗できる絶好の機会だった。

 

 母からメモとお金を受け取った采南はまず無駄に時間をかけてスーパーに向かう。そしてそこで買い物をするわけだが、采南は敢えて値引きシールの貼られたものから優先してカートに入れていく。そうすることでお金を節約し、浮いた予算はガムのガチャガチャに使ったり、勝手に自分の財布に入れたりする。

 あとは帰りに公園に寄って、そこで値引きシールをかなり頑張って剥がせば完了だ。

 

「ただいま。買ってきたよー」

 

 帰宅した采南は母にお使いの成果である青果を手渡す。この時お釣りは返さずにレシートを見せるところがポイントだ。レシートには値引きの記録が残されているが、商品には値引きシールが貼られていない。それを見て采南が不正をしていると気づかせれば、母にダメージを与えることができる。これが采南の小さな反抗だ。しかし……

 

「ありがとね。また次も頼むわ」

「えっ……」

 

 母は気づかない。中にはシール剥がしに失敗した商品もあるというのに、全く触れる気配がない。

 毎回律儀にレシートを確認するくせに、気づかないことなんてあり得るのだろうか。それとも気づいた上で無視しているのだろうか。

 

「何か言うことはないの?」

「言うこと……ありがとね」

「それはさっき聞いた! そうじゃなくて!」

「え……他は特に……」

「バ……」

「ば……?」

「バカーー!!」

 

 レシートの違和感に触れてもらえないことに腹を立てた采南は声を張り上げ、家を飛び出した。

 逃亡先はお気に入りの公園。采南はそこに友達を呼び出し、わざわざ来てくれた二人に感謝として買い物で買ったばかりのガムをプレゼントする。

 

「これは……?」

「ガムだよ。スーパーにあるガチャガチャのやつ」

「へぇ。久しぶりに食べるかも」

「ありがとう采南ちゃん!」

 

 友達がガムを噛んでいる間、采南は二人に母の愚痴をこぼし続けた。

 

「采南ちゃんはお母さんのことが嫌いなの?」

「お母さんは私に興味がないんだよ。いつも自分の世界に閉じこもって相手になんかしてもらえない」

 

「要するにお母さんに構ってほしいんでしょ?」

「…………」

「だったらそんな嫌がらせをするんじゃなくて、素直に遊ぼうよ〜って言ってみたら?」

「私もそれがいいと思うな!」

 

「別にお母さんと遊んでも楽しくないし……」

「またまた〜、このツンデレさんめ〜!」

「采南ちゃんカワイイ!」

 

 二人は采南を揶揄うが、おかげで少し気が楽になった。

 采南はこの二人と友達になれて良かったと思いつつ、帰ったら試しに母を遊びに誘ってみようと考えた。

 

「ねぇ、お母さん」

「……何かしら?」

「たまにはどこかお出かけしない? 遊園地とか」

「それがうちにはお金がないのよ……」

 

「じゃあお金のかからないとこは?」

「私なんかよりお友達と行った方が楽しいわよ……」

「いや、そうじゃなくて……」

「こんな私でごめんね……」

「…………」

 

 しばらくして家に帰った采南はそれとなく母を誘ってみたが、ダメだった。母は何かと理由をつけて一緒に出かけることを拒む。それもお金がないだのこんな自分とじゃ楽しめないだのネガティブな理由ばかり。

 

 采南はそんな母に呆れながら、『采南』という名前の漢字は母が考えたものだという話を思い出す。

 何が「彩り豊かな人生に恵まれますように」だ。"采"南の人生の"彩"りは、母によってその半分が奪われているんだ。もちろんこれはただの漢字の話ではない。采南にとって深刻で深刻で腹立たしい話だ。

 

 

  * * *

 

 

 それから何もないまま、ただ時間だけがゆっくりと流れてゆき、2015年の7月30日。後に「7.30天災」と呼ばれる、歴史的な"大災害"が発生した。

 突如として空から降ってきた化け物は例外なく人々の暮らしを一変させ、采南もまた巻き添えを食っていた。

 

「なに……これ……」

 

 自宅のテレビに映し出されたのは空を飛び回る化け物に地を逃げ惑う人々。その背後では燃え盛る真っ赤な炎が家屋を包み込んでいる。

 この世のものとは思えない光景に、采南たちは自宅の隅でただただ震えることしかできなかった。

 

「危ないから外に出ちゃダメよ……」

「う、うん……」

 

 采南は珍しく母に言われたことに従い、家から一歩も出なかった。 

 しかしいつまで家にいればいいのだろう。ただじっとしているだけで、化け物はいなくなるものなのだろうか。

 終わりの見えない不安に押し潰されそうになっていると、そこに希望の光が差し込むかのように、友達からメッセージが届いた。メッセージによると、化け物と戦える人に守ってもらいながら皆で安全な場所に避難するらしい。

 

「明日の朝、みんなで安全なとこに避難するんだって!」

「そう……」

「私たちも一緒に行くから準備しといて!」

 

 友達と一緒。不安でいっぱいの采南にとってこれほど心強いことななかった。友達からの連絡ですっかり安心した采南は、母に一緒に避難することだけ伝えてこの日は自宅で休むことにした。

 翌朝になり、采南は友達に「準備するから少し待ってて!」というメッセージを送ってから母を呼ぶ。

 しかし、母の返答は采南の希望を打ち砕くものだった。

 

「私は行かない……」

「えっ?」

「私はここに残る……」

 

 母は直前になって外に出たくないと言い出した。予想外の事態に采南の胸には焦りと苛立ちが込み上げる。

 

「なんで! 一緒に行こうよ!」

「嫌よ……外が……空が怖い……」

「わけわかんないこと言ってないで早く!!」

 

 采南は母の腕を引っ張るが、母は必死に抵抗する。

 

「私のことは置いてっていいから……」

「なんで……」

 

 母は置いていけと言うが、采南には母を置いていくことができなかった。

 どんなに呼びかけても絶対に逃げようとしない母。次第に采南の中で諦めの感情が強くなり、最終的には母と家に残ることを選んだ。

 

「…………」

「…………」

 

 嫌いな母と二人きり。停電で電気もつかなくなった上に特別会話をすることもなく、ただただ重く苦しい空気だけが家中に満ちている。

 何故自分はこんな母と家に残ることを選んでしまったのだろう。采南が自分の選択に後悔していたその時だった。

 

「すみませーん! 誰かいませんか!」

 

 外から聞き覚えのない少女の声が聞こえてきた。どうやら友達の代わりに親切な誰かが迎えに来たようだ。

 

「誰か呼びに来たみたいだよ?」

「そうね……」

「本当に行かないの?」

「行かない……」

「…………」

 

 これは恐らく一緒に避難できる最後のチャンスだろう。采南はダメ元で説得を試みるが、母はやっぱり外に出たくないようだ。

 かといって母を置いて逃げることにも抵抗がある。ついさっきまで後悔していたというのに、采南はどうしても母を見捨てることができなかった。

 板挟みの状態に采南は耳を塞いで少女が帰るのを待ったが、少女はしつこく扉を叩いて一向に帰る気配がない。

 

「帰って!!」

 

 何度も頭に響く鈍い音がだんだんと不快になってきた采南は、少女を追い返そうと声を荒らげる。すると扉を隔てて少女が話しかけてきた。

 

「お友達が心配してたよ。連絡が取れないって」

「私のことなんかほっといてよ!」

 

「いやそうは言っても……」

「だからほっといてよ!!」

 

 少女は心配の声をかけてくれるが、采南は強い言葉で拒絶する。それが効いたのか少女は諦めて帰っていった。

 采南はこれ以上声をかけられないよう友達に母と一緒に避難するという嘘の連絡を入れる。これでもう采南に手を貸そうとする者は誰もいなくなった。身勝手な母のために自分の首を絞めているような感覚に采南は涙を流しそうになる。

 

 ただでさえ絶望的な状況下に置かれていた采南だったが、それに追い討ちをかけるかのように今度は母に異変が起こった。

 

「空が怖い……」

「カーテン閉めてるんだから空なんて見えないでしょ!」

「まだ……まだ足りない……」

 

 母は異常なまでに空を怖がり、新聞やチラシを家中の窓ガラスに貼り始める。

 

「何してるの! 気持ち悪いからやめてよ!」

「ひぃっ、ああぁっ!」

 

 不気味に感じた采南が貼られた紙を剥がすと、母は奇声をあげてその場に蹲る。明らかに様子がおかしい母に采南は不安を覚えるが、采南にはなす術がなかった。

 しばらくすると母は再び紙を貼り始め、外の光がほとんど届かない空間ができあがる。これだけでも気が狂いそうだったが、それを遥かに上回る"絶望"が采南に降りかかることになる。

 それは采南が一眠りから目覚めた直後のことだった。

 

「お母さん……?」

 

 母がキッチン近くで倒れている。不思議に思った采南が近づくと、母の腹部には包丁が深く刺さっており、そこから大量の血が流れていた。

 

「お母さん!? お母さん!!」

 

 何度も呼びかけるが反応がない。母は死んでいた。

 

「な、なんで……?」

 

 昨日までは生きていた母の無惨な姿。どこから嗅ぎつけたのか死体には既にハエがたかっている。

 見るに堪えなかった采南は包丁を抜いて母の死体を自宅の裏庭に置き、その時に血のついた手を洗面所で洗おうとする。しかし水道が通っていないのか水が流れない。

 手が血で汚れている感覚に母は本当に死んでしまったのだという実感が強くなる。そして遂に采南は発狂した。

 

「う……うぁあああ!!」

 

 母を放っておけないから采南も家に残ったというのに、その母は采南を置いて死んでしまった。友達もとっくに避難しているだろうし、采南の周りにはもう誰もいない。

 こんな救いのない世界で一人ぼっち。その現実を自覚した瞬間、采南は全てがどうでもよくなった。

 

(もういいよ……こんな世界……)

 

 自分が死ねばこの絶望から解放される。采南は母が自殺に使った包丁を持ち、覚悟を決める。

 しかし母の後を追って死のうとしたその時だった。

 

「すみません……ここにまだ誰かいますか!?」

 

 間が悪いことに、数日前に采南たちを呼びに来た少女が帰ってきた。後追い自殺を邪魔されたことに腹を立てた采南は、扉を隔てて少女に怒りをぶつける。

 

「うるさい!!」

「よかった……生きてた……」

「なんで帰ってきたの!」

「私は守れなかったんだ。お前のお友達を……」

「えっ……?」

 

 少女の口から告げられたのは最悪な知らせだった。大好きだった友達も死んだ。それを聞くと尚のこと死んで楽になってしまいたい。しかし、少女はそれを許さない。

 

「だからお願い。せめてお前だけでも守らせてほしい」

「嫌だ……私のことなんかほっといてよ!」

「放っておけない。お前が私の最後の希望なんだ」

 

 少女は何故か采南に執着している。少女の意図が理解できなかった采南はますます怒りの感情が強くなる。

 

「そういや名乗ってなかったな。私は……」

「名前なんか知りたくないよ! いいから帰って!」

「……じゃあこうしよう。基本的に話しかけないが、陰からお前のことを守らせてもらう。それでいいか?」

「いいわけないでしょ! ほっといてって言ってるの!」

「とりあえずお前の分の食料を調達したらまた来るよ」

「な、なんで……」

 

 采南はしつこく拒むが、今度は全く引き下がってもらえない。自殺を阻止された挙句、追い返すことすらできずに、采南は謎の少女に一方的に守られることになった。

 

「家の前に集めてきた非常食と水を置いたから、好きな時に回収するといいよ」

 

 少女はすぐさま采南のために店を巡って非常食やサプリなどを持ってきてくれた。しかも采南がそれらを受け取る時は、お互いに姿が見えないよう遠くに隠れるという謎の気を利かせてくれる。そんな気を利かせるくらいなら放っておいてほしいのだが、それだけはどうしても断られてしまう。

 

「そういや裏で女性の遺体を見かけたんだけど……」

 

 采南が食料を受け取ってからしばらくすると、少女が扉をノックしてから話しかけてきた。少女は采南が移動させた母の死体を発見したようだ。

 別に隠すようなことでもなかったので、采南は少女に母のことを話した。

 

「それであの時逃げようとしなかったのか……」

「なのにお母さんは私を置いていなくなっちゃって……だから私も死んで楽になってしまいたい……お願い……私のことはもう放っておいてよ……」

「ダメだ。お前には生きててほしい。私は何があってもお前のことを守り切るよ」

「…………」

 

 それからも少女は采南の家の周りを化け物の脅威から守ってくれていたが、采南はその少女に対して心を開くことができなかった。

 それもそのはず、少女は仲間を守れなかった分、せめて采南だけでも守りたいという自分の都合を押し付けているだけで、采南の気持ちなんて全く考えていないからだ。

 

 それでも少女は命を賭けて采南を守ってくれた。届けてくれた非常食を回収しようと扉を開けると、少女のものと思われる血痕が地面に残っていたことも度々あった。そこまでされると、采南はもう死にたくても死ぬことができない。少女の存在は采南にとって、未練のないこの世に無理やり縛りつける呪いになっていた。

 何が少女をそこまでさせるのか。采南が少女のことを理解できないまま、年単位の時間が流れていく。そしてそんな日々はある日突然終わりを迎えることになる。

 

 その日は何度も地震が起こっていた。吐き気がするほどの激しい揺れ。

 采南は少しでも安全な場所にいようと、玄関の扉に背中をあてて座り込む。すると同じことをしていたのか、采南の存在に気づいた少女が扉越しに話しかけてきた。

 

「地震大丈夫だった?」

「うん……そっちこそ大丈夫なの?」

「ああ。ただ空の色に異変が起こっている」

「空……?」

 

 少女に言われてふと窓ガラスに貼られた紙の隙間から差し込む光に注目すると、その光は不自然なほど真っ赤に染まっている。

 

「まるで太陽が落ちてきてるみたい。とうとう終わりの時がやってきたのかも」

「私の中ではもうとっくに終わってたよ」

「違いない。でも死ぬ時は一緒だ」

「……そうだね」

「最期に名前を聞いてもいい?」

 

 その言葉を聞き、采南はこれまで顔も名前も知らずに守ってくれていた事実を再認識する。そんなことは普通できるもんじゃない。となると最期くらいは名前を伝えるのが筋だろう。

 そう思った采南は名前を伝えようと口を開く。

 

「私は……」

 

 しかしそこまで口にした次の瞬間、世界は突如として真っ白な光で包まれた。

 

(うっ……!?)

 

 何重にも貼られた紙をすり抜けるほどの強烈な光に采南は言葉を詰まらせ、目を強く閉じる。

 そして次に目を開けた時には部屋にはいつもの暗さが戻っていた。

 

「い……今のはなに!?」

 

 突然の出来事に采南は立ち上がって狼狽える。しかし起こった異変はそれだけではなかった。

 

(あれ……?)

 

 采南は少女に声をかけたつもりだったのだが、返事がない。扉をノックしてもう一度声をかけてみるが、やっぱり反応がない。

 恐る恐る扉を開けてみると、ついさっきまでいたはずの少女が消えていた。しかも少女がいたと思われる場所には不審な血溜まりが残っている。

 

(そんな……どこに行ったの……?)

 

 采南は消えた少女を探そうと、家の近くを歩き回る。しかし少女の姿はどこにも見当たらず、強烈な不安と孤独感が襲ってきた。

 その時、采南は少女の存在がいつの間にか心の支えになっていたことを自覚する。それと同時に、自分はどうしてそんな少女のことを拒絶し続けていたのだろうという、深い罪悪感が胸を締めつけた。

 

 采南は自分が思っている以上に寂しがり屋だった。よく家を留守にしていたのは母の代わりに相手にしてくれる人を探していたからだ。母のことだって心の底から嫌っていたわけではなく、ただ構ってほしいだけだった。だから時々いたずらをして気を引こうとしていた。

 しかし友達に相手にしてくれた感謝の気持ちも、母に構ってほしいというストレートな気持ちも、結局最後まで伝えることができなかった。

 そして少女に対しても、また同じようなことをしてしまっている。

 

(私はなんでいつもこうなんだろ……)

 

 大切な人のいない世界で生きていても仕方ない。でもせめて最期くらいは采南を助けてくれた少女に感謝の言葉を伝えたい。伝えなきゃいけない。そんな気がした。

 

 それから采南は家に残っていた水と非常食を全て持ち出し、少女を探す旅に出る。

 しかし歩いても歩いても誰もいないし何もない。人の姿はもちろん、空を飛び回っていたはずの化け物の姿すらどこにもない。

 

(どこ……どこにいるの……?)

 

 少女を探してひたすら歩き続けたが、遂には力尽き、何もない道端で孤独を抱えながら采南は意識を失った。




黒上采南 → サザンクロス(クロウエア)
花言葉は「遠い思い出」「まだ見ぬ君へ」「願いを叶えて」
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