黒上采南は生存者でない   作:ソフ

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第9.5話(後編) イトスギ

 時代は移ろい、神世紀300年。采南の探していた小町は大赦の神官だったとある女性に保護されることになる。

 その女性は過去に夫と娘を亡くしており、心に空いた大きな穴は、保護の過程で次第に小町への歪んだ慈しみへと姿を変えてゆく。

 これはそんな元大赦神官、糸杉のお話。

 

 

  * * *

 

 

 糸杉家は大赦の中でも家族仲が良いことで知られていた。糸杉には芽依という一人娘がおり、芽依は持ち前の明るさで周りの大人たちからとても可愛がられていた。

 そんな芽依は犬吠埼家の姉妹である風と樹と特に仲が良く、今日も芽依と糸杉は犬吠埼家に遊びにきていた。

 

「みて! ランドセル買ってもらったの!」

 

 芽依が姉妹に対してくるりと背を向けると、背中のランドセルは電灯の光を跳ね返し、眩しいほどのツヤを放つ。

 

「おっ、黄緑! いいねいいね!」

「おねえちゃん……」

 

 樹はピカピカのランドセルに目を奪われたまま、そっと風の服の裾を引く。

 

「ん? 樹もこんな色のランドセルが欲しいの?」

「……ぅん……」

「そっか。お母さんにはアタシから言っとくわね」

 

 樹と芽依は同い年で、来年度から小学校に入学する。そのため、歳の近い子を持つ母同士もまた親しくしていた。

 

「芽依ったら拘りが強くてラン活大変だったのよ」

「うちも風の時は苦労したわ。女子力がどうのって言って展示会まで行ったんだから」

 

「にしても、もう小学生かあ……」

「まだ年長の春よ。感慨に耽るには早くない?」

「だって芽依ったら毎日学校生活の話をするんだもの。樹ちゃんと同じ学校に通えることがよほど嬉しいみたい」

「それは嬉しいわね。あの子恥ずかしがり屋だから、同じクラスになったら仲良くしてあげてね」

 

 糸杉はこの頃讃州市のアパートに在住しており、樹と芽依は学区が一緒なので、同じ学校に通うことが決まっている。二人はお互いにそれをとても楽しみにしていた。

 

「じゃっ、つぎは小学校で会おうねっ! バイバイ!」

「うん……えっ……」

「大丈夫よ樹ちゃん。卒園前にまだまだ会いに来るから」

 

 芽依の浮かれた発言にしっかり訂正を入れ、糸杉は芽依と手を繋いで犬吠埼家を後にする。

 

「ああ、はやく小学生になりたいな!小学生になったらいっぱいお友達つくってぇ、いっぱい勉強してぇ、あとはええっと……」

 

 芽依は帰りの道すがら、ランドセルを弾ませ鼻歌交じりに未来を語る。

 その希望溢れる言葉に感化され、糸杉も芽依の将来に思いを馳せる。芽依はこれからどんな子に成長するのだろう。小学生、中学生と段階を踏んで、最終的には自分よりも立派な子に育つに違いない。

 繋いだ手はまだまだ小さいが、これからも変わらず我が子の成長をそばで見守れるのだと思うと、糸杉はこの上ない幸福感に包まれた。

 

 しかし、そんな幸せはとある一報によって打ち砕かれることになる。

 

「巫女の力が発現した……?」

 

 小学校入学を直前にして、神官から芽依に巫女の力が発現したと告げられる。

 巫女は神樹から神託を受けるという国家の中枢に関わる存在であり、必然的に大赦が隠してきた残酷な世界の真実を知ってしまう。そのため、巫女は大赦の厳しい管理下に置かれることになっている。

 

「つきましては娘さんには今後大赦の特別施設で生活してもらいます」

「待ってください! 芽依は来年から小学生で、徐々に世界が広がり始める段階なんです。そんな大切な時期に閉鎖的な大赦の管理下で生活させるのは、あまりに酷ではないでしょうか」

「ご安心ください。娘さんには敬意を持って優秀な教育係をつけさせます」

「しかし……!」

 

 巫女は一般人との接触が完全に禁止され、外出はおろか、家族と会うことすら制限されてしまう。それが決まりだということは理解していたが、いざ自分の娘がその立場に身を置かれるとなると、親としてはどうしても反発したくなる。

 

「だいじょうぶだよ、お母さん!」

「えっ……?」

「わたしいっぱい勉強して立派になるんだから!」

 

 糸杉は芽依から様々な世界に触れながら成長する機会を奪ってしまうこと、そして何よりも芽依と離れ離れになってしまうことに抵抗があったが、芽依は嫌な顔ひとつせず受け入れる。

 芽依が反発しない以上、糸杉も残酷な運命を受け入れるしかなかった。

 

「安芸よ。よろしくね」

 

 大赦管理下での生活が決まってすぐ、芽依の教育係が挨拶にやってきた。

 事前に聞いていた話によると、安芸先生は二十歳にも満たない新人らしい。それを聞いた時は少し不安だったが、実際に会ってみると、歳のわりには落ち着いた雰囲気と話し方で確かに優秀そうに見える。

 

「よろしくお願いします、おばさん!」

「お、おば……!?」

 

 芽依におばさん呼ばわりされた安芸先生は露骨にショックを受けている。

 

「芽依。安芸さんは私よりずっと歳下なのよ」

「そっか。ごめんなさい、おねえさん」

「お、お姉さん……!!」

 

 芽依にお姉さん呼ばわりされた安芸先生は今度は露骨に嬉しそうにしている。

 真面目さんかと思いきや、お茶目なところもある安芸先生。大赦には変人も多いが、この人なら安心して任せられる気がした。

 

「芽依をよろしくお願いします」

「ええ。任せてください」

「お母さんもおしごと頑張ってね!」

 

 それから離れ離れの生活が始まり、芽依のことは時々安芸先生から聞いていた。

 

「芽依は最近どんな感じかしら?」

「同じ巫女たちと仲良くしていますよ」

「新しいお友達ができたのね。良かった」

「時間さえあればずっとお喋りしてますね」

「そうなの?」

「やっぱり一人だと寂しいんだと思います。今日なんか私がこっそり持ち込んだ旅行誌を見ながらお友達と盛り上がってました」

 

 安芸先生の口から語られる芽依はとても楽しそうにしている。しかしそれと同時に、家族に会えない寂しさや、滅多に出られない外の世界への憧れも感じているようだ。

 そしてその気持ちに応えてあげられないことに、糸杉はどうしようもないもどかしさを感じていた。

 

「芽依がいないと寂しいな」

「ええ……ほんと……」

 

 家に帰れば芽依がいないことに寂しさを感じる毎日。そんな糸杉を夫が気にかけて優しくしてくれる。

 

「なあ、ひとつ提案があるんだが」

「何……?」

「どこか写真でも撮りに行かないか? 気分転換にもなるし、手紙と一緒に送ってやれば芽依も寂しくないだろう」

 

 夫の提案を聞き、糸杉はカメラをぶら下げて夫婦で様々な場所を巡る。そこで撮った記念写真を手紙とともに安芸先生に渡すと、翌日には芽依から感謝の手紙が返ってきた。

 

 その後も手紙でのやり取りは続き、糸杉と夫は芽依に送る写真を撮影するため、多くの観光スポットを巡った。

 手紙でのやり取りのおかげで、お互い会えない寂しさは薄れ、次会えたらどこに行きたいか一緒に楽しく考えるようになる。

 道後温泉に龍河洞にこんぴらさん。色んな場所を見せてあげたい、見たいと思い続けて数年後、遂にその願いを一瞬だけ叶えられる日がやってきた。

 

「バーテックスの侵攻に伴い、瀬戸大橋周辺を定期的に調査する必要が出てきました」

 

 神世紀298年4月。長年落ち着いていたバーテックスの侵攻が再開し、防衛のために三人の勇者が選ばれる。

 瀬戸大橋周辺は大赦にとって特に重要な意味合いを持つ施設が多く、勇者の御役目の舞台と被っていることもあり、異変がないか定期的に調査することになった。

 その中でも瀬戸大橋は祭事担当神官たちが手作業で括り付けた風鈴の点検があり、あまりに数が膨大なため、同じく祭事にも関わる巫女による協力が許された。

 

「当日早く終わればその後はフリーらしい。担当区画は違うが、芽依と同日になるよう調整してもらったから、久々に三人で外出できるかもしれないな」

 

 夫からその話を聞いた糸杉はすぐさま芽依に手紙を書き、教育係の人に渡す。その頃には、安芸先生は勇者のお目付役に選ばれており、芽依の教育係は後任に引き継がれていた。

 

 しばらくして返ってきた手紙には「こんな写真を撮りたい」という言葉とともに家族三人が橋の前で笑っている絵が入っている。

 

「当日はいつものカメラを持っていこうかしら?」

「いや、せっかくだし奮発して新しいのでも買うか!」

 

 糸杉たちの担当は十月中旬。まだまだ先の話だが、二人は久々に芽依に会えると、新しいカメラまで買って浮かれていた。

 

 しかし、浮かれすぎていたのが原因なのか、糸杉は前日になってタチの悪い風邪をひいてしまった。

 

「ごめんなさい……せっかく芽依が楽しみにしてたのに」

「40度超えの熱なら無理はしない方がいい。周りにうつしてもアレだしな」

 

 結局当日になっても熱が下がらず、糸杉は泣く泣く自宅で休むことになった。

 

「それじゃあ行ってくる」

「あれ? 古い方のカメラを持ってくの?」

「お前が行けなくなったからな。代わりに芽依に送らなかった写真をたっぷり見せるつもりだ」

「いいわね、楽しそう……いってらっしゃい」

 

 夫は家族の思い出を鞄に入れて家を出る。糸杉は芽依に会えないことを残念に思ったが、今日というタイミングを逃しても、またいつか会える機会は必ずあるだろうと、この時は当然のようにそう考えていた。しかし……

 

「橋が……崩壊……?」

 

 知らせが届いたのはその日の薄暮のことだった。バーテックスの襲撃。その影響で瀬戸大橋が崩れ落ち、落下した者がいたと言う。

 

「芽依は……!? 芽依は無事なの!?」

「襲撃の予兆は風鈴がいち早く感知します。鈴の音が聞こえてからはすぐさま避難を行いましたが……」

 

 糸杉の必死の問いかけに応じたのは、重く沈んだ声だった。嫌な予感に呼吸が乱れ、息が苦しくなる。言葉の選び方に迷うような、神官の慎重な口調。それがこのあと伝えられる最悪の結論をすべて物語っていた。そして……

 

「あなたの娘さんと旦那さんが行方不明になりました。現在も捜索中ですが、恐らく生きている可能性は……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、糸杉は膝から崩れ落ちた。

 早く小学生になりたい。芽依はそう言いながら無邪気に笑っていた。あの時は当たり前のようにそれが現実になると、そんな芽依をそばでいつまでも見守れると思っていたのに、芽依が巫女に選ばれてから何もかもが奪われた。しかもその先に待っていたのがこんな結末だなんてあまりにやるせない。

 芽依を普通の学校に通わせることも、久々に家族みんなで会うことも実現できなかった自分の不甲斐なさを嘆きながら、糸杉は大切な家族の実質的な訃報に涙を流した。

 

 

  * * *

 

 

「……それでは直近1か月の社会情勢について、私の方からご報告いたします」

 

 糸杉は神官たちの前で手元の調査資料を読み上げる。糸杉は芽依の「おしごと頑張ってね!」という言葉だけを糧に、心を殺して仕事に励んでいた。

 後から聞いた話によると、犬吠埼夫妻も橋の崩落事故で行方不明な上、安芸先生が面倒を見ている勇者の中からも戦死者が出たらしい。どうして自分の周りでだけこれほどの悲劇が起こるのだろう。

 

「……本日は直近の反体制派の動向と今後の対応について……」

 

 家族を亡くした傷が癒えないまま、大赦での仕事をこなすだけの毎日。生きがいのないまま歳を重ね、気づけば2年以上の月日が流れていた。

 

 そしてそんなある日、糸杉にとある命令が下された。その命令は壁の外で救出された華原小町という少女の世話をしてほしいというものだ。

 壁の外でこれまでいないとされていた生存者が見つかった。それは本来であれば驚くべき報せなのだろうが、糸杉の心に湧き上がったのは喜びでも希望でもない。

 

(どうして私が……)

 

 湧きあがるのは唐突な命令への戸惑いと、今も心を縛る深い喪失感だけ。

 糸杉は言われるがまま仕方なく少女が保護されている部屋へと足を運ぶ。すると、部屋の前には三人の神官が立っていた。

 

「どうしてオレがガキの子守りを……!」

 

 どうやら少女の世話役には糸杉の他にも恵本、碓氷、馬締の三人が選ばれているらしく、そのうちの一人である男性神官の馬締が愚痴をこぼしている。

 

「おいおい、こんな凶暴そうなオッサンに任せるとかどう考えても人選ミスじゃないの?」

「ああ、オレもそう思う。なあ恵本。上に『馬締さんは子守りに収まる器じゃない』って伝えてくれないか?」

「別にいいけど、あることないこと口走っちゃっても怒らないでね?」

「ぐっ……」

 

 何やら険悪ムードだが、糸杉は気にせず声をかける。

 

「初めまして。同じ世話役に任命された糸杉よ」

「話は聞いてるさ。みんな中の少女に挨拶を済ませたところだから、糸杉さんも部屋に入るといいよ」

 

 碓氷にそう言われ、糸杉はゆっくり扉を開ける。するとそこには噂の華原小町がベッドの上で身を起こしていた。

 

「今日からあなたのお世話をする糸杉よ。よろしくね」

「……よろしくお願いします」

 

 小町は目を合わせずにぼそりと呟く。事前に聞いた話によると、小町は神樹の根に体を貫かれ、今も体内に残っているいつか枯れる微細な根が原因で余命宣告をされているらしい。

 首元や腕には生々しい瘢痕が残っており、確かにこんな状態では元気元気とはいかないだろう。

 

「あの、炎の下にいたって本当なんですか?」

「信じられないことに本当らしいわね」

「私以外には誰も見つかってないんですか?」

「今のところはね」

「…………」

「…………」

 

 糸杉が質問に答えると、小町はますます視線を落とす。糸杉は小町の悲惨な境遇に同情するが、なんと声をかければ良いのかわからなかった。

 

「どうだい? 心は開いてくれたか?」

「いえ、まったく」

「全滅か。最初に凶暴なオッサンに行かせたのは失敗だったな」

「やっぱりここは私たち女性陣に任せるべきだったのよ」

「いやいや、どう考えても大赦の格好のせいだろ!」

(そういう問題じゃないと思うけど……)

 

 不安の残るメンバーではあるものの、この四人での少女保護任務が始まった。

 

「おはよう、調子はどうかしら?」

「まだ死なないんだなって感じです」

「……その手に持ってるのは?」

「スマホです。今朝碓氷さんからもらいました」

「そう。良かったわね」

 

 保護3日目にして、碓氷は小町に携帯電話を買い与えていた。話を聞くと、どうやら暇つぶし用のゲーム機として渡されたらしい。

 

「おい、何故あいつにスマホなんか持たせたんだ!」

「狭い部屋でじっとしてても暇だろうからね。スマホがあればまず退屈はしないし、オマケに自由に連絡も取れる」

「その"オマケ"で大赦の内部情報を拡散されたらどうするんだ!」

「その時は……その時さ!」

 

 情報漏洩に懸念を示す馬締に、碓氷は無駄にカッコをつけて中身のない反論をする。

 

「え〜、だったら私小町ちゃんと連絡先でも交換しとこうかしら?」

「いいんじゃないか? 俺もスマホを渡す前にこっそりと俺の連絡先入れといたから」

「そこだけ聞くとただの変態みたいだな」

「ちょっと行ってくるわね!」

 

 小町にスマホが与えられたと聞き、恵本は嬉々として小町のもとへ連絡先をもらいに行った。

 

「やった! 園子ちゃんに続いて女の子は二人目よ!」

「な、なに!? お前あの園子様と知り合いなのか!?」

「私は一時期園子ちゃんの面倒も見てたからね」

「ふーん。恵本さん、意外と大物なんだな」

 

 スマホの話から一転して恵本の自慢話が始まる。どうでもいいと思いながらも一応話を聞いていると、恵本が糸杉に話しかけてきた。

 

「糸杉さんも私と連絡先交換しません?」

「私?」

「これも何かの縁ということで!」

 

 恵本は連絡先交換の成功体験を積み重ねたことで変なスイッチが入ったようだ。特に断る理由もなかったので、この日糸杉は恵本と連絡先を交換した。

 

「おはよう、今日の調子はどうかしら?」

「色んな意味で何故生きてるんだろうって感じです」

「……食事置いとくわね」

 

 小町の面倒を見ることになってから一週間。糸杉は今日も仕事の前に食事の配膳を行う。小町は糸杉に感謝してから、出された全粥をちびちびと食べ始める。

 

「……あの、どうかしました?」

「美味しい?」

「まあ重湯と比べたら……ですけど……」

「それだけでお腹はおきそう?」

「おき……?」

「香川の言葉よ。お腹がいっぱいになるって意味」

「は、はあ……」

 

 小町は食事中ずっと自分に注がれ続ける視線に気まずそうにしている。

 初めは乗り気じゃなかった糸杉だが、この頃になると、糸杉は小町に対して親心のようなものを感じるようになっていた。それは娘を亡くした決して癒えることのない心の傷による、紛れもない"依存"そのものである。

 

「あら、糸杉さん。仕事の方は大丈夫なの?」

「……もう少しここに居させて」

「ふふ。そしたら一緒に小町ちゃんを見つめましょ」

「用がないなら放っておいてほしいんですけど……」

 

 現実逃避の感情は、次第に他の神官を顧みなくなるまでに膨れ上がっていく。

 

「あ? なんで糸杉が。今日は担当じゃないはずだが」

「悪いわね、馬締さん。この子に会いたくなっちゃって」

「ハッ。じゃあ今日はもう全部お前に任せてもいいか?」

「いいわよ」

 

 碓氷と恵本は優しく糸杉の乱入を受け入れるだけだが、馬締に限っては糸杉が訪れるやいなや、喜んで全ての業務を押し付け、電光石火の勢いで部屋を出ていく。

 そんな様子を何度も見ていた小町は、不思議そうに糸杉に尋ねる。

 

「どうして私なんかにそんなに構うんですか……?」

「なんだか放っておけなくてね」

「…………」

 

 その後も糸杉の過保護は続き、次に事態が大きく動いたのは、300年にもわたる戦いに終止符が打たれ、壁の外の世界が再び開けてからのことだった。

 その日は珍しく、小町の方から話しかけてきた。

 

「……あの、糸杉さん。外の炎が消えたって本当なんですか?」

「ええ。勇者たちの活躍のおかげでね」

「外の世界って、今どんな感じなんですか?」

「それは恐らくこれから調査するのだと思うけど、気になるの?」

「……無事を確かめたい人がいるんです」

 

 その言葉を聞き、糸杉は小町と初めて会った日も他に生存者がいないか気にしていたことを思い出す。

 

「もしかしてお友達?」

「どうなんでしょうね……ただ……」

「ただ?」

「できれば最期に元気な姿を見られたらなって……」

 

 それは会話の中で飛び出した何気ない一言だった。会いたい人がいる。ただそれだけの話なのに、糸杉には小町の言葉が深く突き刺さった。

 

(芽依……)

 

 芽依も今の小町のように自由を奪われ、真の希望を叶えてあげられないままに命を落とした。

 その悲劇がまた繰り返されようとしている。もうこれ以上後悔はしたくない。今度こそなんとしてでも願いを叶えてあげたい。その瞬間、糸杉の覚悟が決まった。

 

「私が……」

「……はい?」

「私が必ず会わせてあげる」

 

 その後糸杉は早急に壁外調査を開始するよう上層部に訴えるが、「今はそんなことをしている場合ではない」と一蹴されてしまう。

 

「何故でしょう。生存者がいるかもしれないのですよ?」

「今優先すべきは市民の混乱抑制だ。そんな希望的観測に縋っている場合ではない」

 

「ですが調査は少数精鋭で行えば、治安維持と両立できるはずです」

「両立など幻想だ。市民の混乱を鎮めるには、治安維持部隊を最大限動員しなければならない。大赦内部も混乱状態にある現状で、精鋭を外部調査に割く余裕など到底ない」

 

「しかしただ市民を抑制するだけでは、その先にあるのは緩慢な死だけだと思います。神樹様が消滅した今、我々に残された選択肢は外の世界に希望を求める他ないのではないでしょうか」

「……とにかくしばらく壁外調査は行わない。これは既に決まったことなのだ」

 

 糸杉がどれだけ説得しようとも、上層部は考えを曲げるつもりがない。

 これでは埒が明かない。そう思った糸杉は大赦に頼らない別の手段を考える。

 

 ……そして思いついた。糸杉が少し前まで調査をしていた"反体制派"を動かし、自由に壁外に出られるよう大赦に圧力をかける方法を。

 

 思い立ってからの糸杉の行動は早かった。糸杉は新たな活動拠点とする場所のアパートを借り、とあるデモ組織と事前に接触を図る。

 その後計画を碓氷を恵本に伝え、理解を示してもらってから小町と一緒に大赦を離れることにした。

 

「それじゃあ、行くわよ」

「え? 行くってどこに……」

「あなたの会いたい人に会わせるために、やるべきことがあるのよ」

 

 糸杉は困惑する小町の手を引き、二人で病室を抜け出す。

 

「お、おい! どこ行くんだ!」

 

 話を伝えていなかった馬締が追ってくるが、糸杉は小町を背負って逃げ続ける。

 

「あの、別にここまでしなくても……」

「大丈夫。あなたの願いは必ず叶えてあげるから」

「…………」

 

 小町としてはあまり暴走してほしくはないのだが、糸杉は最早聞く耳を持っていなかった。

 

 しばらくしてアパートに到着した二人。部屋に入ると、何も聞かされていなかった小町は糸杉に質問を投げかける。

 

「……ここで何をするつもりなんですか?」

「ここはただの活動拠点よ。私はこれからデモ隊の上に立って壁の外に出られる自由を勝ち取ってみせるわ」

「私はもうすぐ死ぬんですよ? そんな私のために体を張らなくても……」

「私のことなら大丈夫だから。それより、ほら」

 

 糸杉はそう言いながら、小町に寒色のスカーフを手渡す。

 

「これは……?」

「出かける時はこれを首に巻くといいわ。女の子として傷は隠しておきたいでしょ?」

「芽……依……?」

 

 渡されたスカーフをよく見ると、小さく「芽依」と書かれた刺繍が入っていた。

 

「うちの子の名前が入ってるけど許してね」

「そのお子さんはどうしてるんですか……?」

「そうね……あなたには言っておかないとね」

 

 一緒に暮らすことになった以上、ここは流石にと糸杉は小町に芽依のことを話す。

 小町はそこでようやく糸杉が自分に固執する理由を知った。小町としては先のない自分のために無茶はしてほしくないのだが、糸杉の事情を知ると、もうこれ以上強く言うことができなかった。

 

 *

 

 小町はせめてあまり自分に依存させないようにと、部屋を分けさせ、別々での生活が始まった。

 糸杉は大赦にいた頃に得た情報をフル活用して、順調にデモ組織内で信頼される立場へとのぼり詰めていく。

 

 そして大赦への圧力を日に日に強められていたある日、糸杉の携帯に恵本からとある連絡が入った。

 それは非公式の壁外調査で発見された少女が脱走したので、そっちで面倒を見てほしいというものだった。どうやら糸杉の知らないところで、一度小規模な壁外調査が実現していたらしい。

 糸杉は早速小町を部屋に呼び出し、恵本からの頼みを伝えた。

 

「どうして私が……」

「さあね。恵本さんもあまり人のこと放っておけないタイプみたい。悪いけどお願いできる?」

「わ、わかりました……」

 

 恵本からのお願いならと小町は渋々引き受ける。

 この時、二人は知らなかった。その少女は小町が安否を気にしていた黒上采南本人だということを。そして糸杉がその事実を知ったのは、それからしばらく経ってからのことだった。




糸杉 → イトスギ
花言葉は「死」「哀悼」
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