カーテンを閉めきった薄暗いアパートの一室。その閉ざされた空間にベッドの上でうずくまる女性の声が弱々しく響く。
「
* * *
神官との対面を迎えた日の朝、采南と小町はアパートの前で一人の人物を待っていた。
「ふあぁ〜……」
「眠そうだな、采南」
「昨日はあまり寝られなかったから……」
「本当に昼過ぎに寝ちゃうからだ」
小町は采南の行動に呆れながらも、その場で采南の寝癖を直す。
「……これでよしっと」
「えへへ……小町ちゃんは寝ぐせ直し屋さんだね」
「髪を爆発させたまま人と会うわけにはいかないだろ?」
「何もこんなところで直さなくてもいいのに」
「采南が『遅刻しちゃう〜』とか言って、せっかく作った雑炊も食べずに飛び出したんだろ」
「あれ……そうだっけ?」
「まったく……ちょっと道具を片付けてくるからここで待ってて」
小町はぶつくさ言いながら、地面に広げたヘアウォーターとヘアブラシ、コードレスのアイロンとドライヤーを一気に抱えて部屋の中へと入っていく。
しばらくして戻ってきた小町は肩掛けポーチの上からカメラを下げていた。いつものスカーフもきちんと巻いていることもあり、首まわりがかなり渋滞している。
「それで今日はどこに行くの?」
「丸亀城。今日はそこで大赦の主要施設の移設に向けた下見が行われるから、その周辺でデモ活動を行うんだ」
「じゃあ私たちはそこで神官と話をするの?」
「そういうこと。で、そのためにはもう一人欠かせない人物がいるんだけど……」
小町がそこまで口にすると、まるで狙ったかのようなタイミングでその人物がトートバッグを片手に現れた。
「おはよう。今日もいい天気ね」
「あ! その声は!」
聞き覚えのある声に采南はすっかり目を覚ます。それは采南が一昨日会った小町の母を名乗る女性だった。
「なんだ〜、もう一人って小町ちゃんのお母さんだったんだね!」
「今日はよろしくね、采南ちゃん」
「はい! 私に任せまくっちゃってください!」
「ふふっ」
「二人は既に会ってたんだな……」
何やら楽しそうにしている二人に小町は小さくため息をつく。そんな小町に采南は気になっていたことを尋ねた。
「ねーねー、二人はどうして違う部屋で暮らしてるの?」
「……色々と事情があるんだよ」
「もしかして小町ちゃんもお母さんのこと嫌い?」
「違う。そんなんじゃないさ」
小町は何か思うところがありそうにしているが、それ以上のことは話さないまま、三人は歩いて丸亀城へと向かうことにした。
丸亀城までの道中では何気ない会話が交わされる。采南は二人の様子を窺っていたが、二人は別居中でも特別仲が悪いというわけではなさそうだ。ただ一つだけ気になることがあるとすればそれは……
「あなたは采南ちゃんとの生活には慣れた?」
(あなた……?)
「ええ。おかしなやつですけど、楽しくやれてますよ」
(です……ます……? ……おかしなやつ!?!?)
娘をあなたと呼ぶ母と敬語で会話をする娘。采南はここに何か理由がありそうに感じた。
しばらく歩き続けて丸亀城の大手一の門前に到着すると、そこには既にデモの準備に勤しむ集団の姿があった。
「あっ! デモでよく見るやつがあるよ!」
采南は地面に放置されているデモ行進用の横断幕に興味を示す。人目がないのを確認すると、采南は近くに寄ってその横断幕を持ち上げた。
「お、重い……!」
「ターポリン生地が使われてるからな。この重さがデモ集団が背負っている使命の重さなんだってさ」
「えーとなになに……市民の自由を奪う移設に断固反対……大赦は壁の外に出られる権利を解放せよ……」
横断幕の文字を読み上げる采南に小町は説明を加える。
「今回の移設計画は私たち一般人が勝手に四国の外に出ないよう、海の近くに大赦の施設を移して監視を強める狙いがあると考えてるみたいなんだ。今日はそれに対するデモらしいな」
「ふーん……ところであれはないの? メガホン!」
「ないな。デモにも美学があるのか、鳴り物は使わない方針らしい。多分勝手に持ち込むと怒られるぞ」
「メガホン、触ってみたかったな……」
二人で話をしていると、母が二人に寄ってきた。
「もうすぐ神官さんが来られるはずだから、私たちは移動しましょうか」
その言葉を聞いた采南は横断幕をその場に置き、三人は丸亀城西側の駐車場へと回り込む。
そこでしばらく待機していると、黒塗りの車が数台入ってきて、そこから車の色とは対極的に真っ白な装束に包まれた神官たちが現れた。
そのほとんどが三人のことなど見向きもせずに通り過ぎていく中、一人の男性神官が立ち止まって母に声をかける。
「やあやあ、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「お久しぶりです、
その神官は厳かな格好に似つかわしくないほど気さくで、仮面で素顔が見えないこともあり、逆に不気味さが際立っている。
「もしかしてキミが最近壁の外で見つかったとかいう采南ちゃんかな?」
采南の存在に気づいた神官は采南に手を差し出すが、采南は緊張しているのか全く動かない。「任せまくっちゃってください!」と豪語していた今朝の勢いは一体どこにいったのか。
「あれれ、いきなり嫌われちゃったかな?」
「采南」
「いいよいいよ。確か神官に追われたんだろ? だったら一度怖がらせたそいつが悪いさ」
小町は握手に応じない采南を注意するが、神官は笑って受け流す。
「あまりお時間を取らせるわけにはいきませんので、早速例の署名をお渡ししますね」
母はそう口にすると、トートバッグから分厚い紙の束を取り出した。
「あれは?」
「壁の外に出る自由を求める署名をまとめたものだよ」
小町は采南の疑問に答えながら署名を渡す瞬間をカメラに収める。紙の束を受け取った神官はパラパラと中身を確認してから口を開いた。
「いやー、キミも大変だねぇ」
「立場上このくらいはやらないといけませんので」
「ご苦労様。では私はこれで失礼するよ」
「ご協力ありがとうございました」
小町と母は神官に深く頭を下げる。それを見た采南も遅れて頭を下げると、神官は三人に優しく手を振りながら去っていった。
神官が完全に立ち去り、三人が頭を上げると、母はふうっとため息をついてから采南と小町に話しかける。
「さて。それじゃあ私たちは帰りましょうか」
「え! もう終わりなんですか!?」
「ええ。後は帰って今のを機関紙用にまとめるだけよ」
采南は大した出番もないまま一瞬で終わってしまったことに呆気にとられる。
「一体何のために私を連れてきたんですか!」
「それはこの子がどうしてもって言うから……」
「小町ちゃんが……? どういうことなの!」
鋭い眼差しで説明を求める采南に小町は顔を近づけて耳打ちする。
「今のを見せた上で後で話があるんだ。だから説明は少し待ってほしい」
無駄に勿体ぶる小町に采南は顔を顰めるが、ここは大人しくその言葉に従うことにした。
アパートまで戻ってくると、母は機関紙の原稿を書くため、小町からカメラを受け取って部屋に入っていった。
小町と采南も部屋に戻ると、小町は床に座って采南に今日のことを尋ねる。
「さて。采南は丸亀城でのやり取りを見てどう思った?」
「んー……もっとギスギスしてるのかと思ってたから、案外仲良しそうで意外だったよ。ほんとに対立してるの?」
采南は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに二人分注いでから小町の正面に座る。麦茶を受け取った小町は采南に感謝し、一口飲んでから口を開いた。
「対立しているのはホント。ただその中でも私たちだけはちょっと特殊なんだ」
「どういうこと?」
「私の"お母さん"がいただろ? 実は私とあの人は元々大赦にいたんだ」
「えっ……!?」
小町の口から飛び出したのは予想外の事実だった。いきなり明かされる二人の秘密に、采南は手に持った麦茶を溢しそうになるほどの動揺を覚える。
「じゃあ何!? 小町ちゃんたちは大赦が送り込んだスパイだったの!?」
「いや、私たちが今の組織に身を置いているのは全てあの人の独断だ」
「え? 小町ちゃんのお母さんはなんでそんなことを?」
「……全ては私のためなんだ」
「どういうこと?」
「…………」
小町は采南の質問に一瞬の躊躇いを見せる。その時見せたらしくないほど弱々しい表情はどこか哀しみに満ちているようにも感じられた。
そして小町が次に開いた口からはさらに衝撃的な発言が飛び出した。
「……采南。そもそもの話だが、実はあの人は私の本当の親じゃない。あの人の姓は
「……!?」
あまりの衝撃発言に采南の動揺は手に持った麦茶を全てひっくり返しそうになるほどまで膨れ上がる。
「ど、どういうこと……!?」
「あの人には
「ぜんぜん分からないよ!」
混乱している采南に小町は順を追って丁寧に説明する。
「あの人は数年前に瀬戸大橋っていう岡山と香川を結ぶ巨大な橋の崩落事故で娘と夫を亡くしている」
神世紀298年、『瀬戸大橋跡地の合戦』と呼ばれる勇者たちによるバーテックスとの戦いで瀬戸大橋は崩壊した。その時の行方不明者は四名で、そのうちの二人が糸杉の娘と夫である。死者でなく行方不明者ではあるが、普通に考えてもう生きてはいないだろう。
「多分家族を亡くした傷が癒えてなかったんだと思う。あの人は元々私の世話役でもあったんだけど、いつしか私を亡くした娘さんと重ねるようになっていた。そしてあの人は大赦の中でも信頼される立場にあったにも関わらず、こんな私のためだけに大赦を捨てる道を選んだんだ。実に勿体無いことをしてるだろ?」
そこまで言い切ると小町は真剣な眼差しで采南の目をじっと見つめる。あまりの力強さに采南は少したじろいてしまう。
「そこで采南にお願いがあるんだ。あの人……いや、糸杉さんを大赦に戻す手伝いをしてほしい。私はその目的を果たすために采南に近づいたんだ」
「わ、私が!? 私の役目って小町ちゃんの組織に貢献することじゃなかったの?」
「最初に言っただろ? "私の"頼みを聞いてほしいって」
まるでミスリードに嵌められたかのような感覚に采南は唇を尖らせる。一方小町は一通り話してから結論を聞こうと説明を続けた。
「私の作戦はこうだ。まず今日会った神官の碓氷さんに頼んで先に私だけ大赦に戻る。そして私と碓氷さんとで居場所を確保しておくから、采南にはそれを糸杉さんに伝えて、うまいこと大赦に戻るよう誘導してほしいんだ」
この作戦はなかなか大赦に戻りたがらない糸杉を復帰させようとするもので、小町が先に大赦に戻れば、糸杉も仕方なくついてくるだろうという至って単純なものだ。
本当は一人でやるつもりだったのたが、一度大赦を抜けた人間の大赦復帰に関する神官たちとの交渉に時間がかかり、なかなか実現できなかった。
でもそのおかげか作戦に采南が加わったので、一人でやるよりは多少成功確率が上がっていると信じたい。
「それって小町ちゃんも大赦に戻るってこと?」
「まあ一応そういうことになるな……」
「じゃあその後、私はどうすればいいの……?」
「采南は引き続きここで暮らすといいよ。ナナみたいな頼れる仲間もいるし、学業についてもナズナ塾の塾長さんを頼れば色々と相談に乗ってくれるはずから」
「そ、そんな……」
采南は突然つき放された気がして言葉を詰まらせる。
"一人ぼっち"。その言葉が頭をよぎった瞬間、采南の心は息が苦しくなるほどの激しい拒絶で満たされた。
「ね、ねえ……どうしても糸杉さんを大赦に戻さないといけないの……?」
「えっ?」
小町は質問の意図がわからず困惑する。
「だって、糸杉さんはここで暮らすことを望んでるかもしれないよ……?」
「それじゃあダメなんだ」
「どうして……?」
「そ、それは……」
どうしても答えることができないのか、小町は口を結んで目を逸らす。
小町が答えないまま沈黙していると、痺れを切らした采南は立ち上がって部屋を飛び出した。
「お、おい! 采南!」
勢いよく部屋を飛び出した采南は隣の部屋の扉を叩く。するとそこから原稿をまとめていた糸杉が出てきた。
「あら、采南ちゃん。どうかしたの?」
「あなたはもともと大赦にいたんですよね!?」
「いきなりどうしたの?」
「小町ちゃんはあなたを大赦に戻したいと言ってました」
「あの子がそんなことを?」
「はい。でも戻りたくなんかないですよね? ここでずっと幸せに暮らしてたいですよね!?」
もし糸杉がここでの生活を心の底から望んでいれば、小町の計画は破綻するはずだ。采南は糸杉の考えを聞きたかった。
しかし返ってきた答えはあまりに予想外のものだった。
「……何を言ってるのか分からないわね」
「えっ……?」
「悪いけど私は忙しいの。世間話だったらまた今度付き合ってあげるわ」
糸杉は何故か質問に答えようとしない。そんなに都合が悪い話なのだろうか。
「それじゃあ私は作業の続きがあるから」
「ちょっと待ってください……!」
采南は必死に呼び止めようとしたが、糸杉は逃げるようにして扉を閉めてしまった。
采南が絶句していると、部屋から出てきた小町が声をかける。
「今のでわかっただろ。あの人を動かすのは大変なんだ」
「でも反応的に大赦に戻りたくないのかもしれないよ?」
「仮にそうだとしても、それはあくまでも私を思ってのことなんだ。私がいなければここに居続ける理由なんてないはず。そしてそれこそが深刻な問題なんだ」
「わからない……どうしてそこまでして糸杉さんを大赦に復帰させたいの……?」
「こんな私なんかのために大切な人生を棒に振ってほしくない……ただそれだけだよ」
さっきから小町の言葉にはどこか含みがある。糸杉との関係もそうだが、それ以上に小町は何者なのか。采南には小町のことがよくわからなくなっていた。
「小町ちゃんって一体……」
「…………」
采南は小町について尋ねるが、小町は何も答えない。
「全てを語らないまま協力してほしいなんて虫のいいことを言っているのはわかってる。でも頼む。采南の人探しが一段落したら、私の一生のお願いを聞いてくれないか」
小町は采南に対して深々と頭を下げる。
采南はもっと色々聞きたかったが、そこまでされるともうこれ以上話を聞くことも断ることもできなかった。
* * *
丸亀市の一角にあるショッピングモールのフードコート。その隅っこで七海と美花がハンバーガーを食べながら語らっている。
「えっ!? 結局さなりんとは挨拶しただけ!?」
「うん……」
「そんなんじゃお友達増えないよ?」
七海はドリンクに残った氷をカサカサと揺らしながら美花にそう忠告する。
「別にいいよ。私にはななみんがいるから……」
「それじゃあダーメ! これはつっきーにとっても大事なことなんだから!」
そこまで口にすると七海は紙コップを置き、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がる。
「じゃあ次の週末にでもアタシと一緒に会いに行こう!」
「へっ……? わ、私は別に……」
なんとしてでも美花を動かしたい七海は、鞄から拡声器を取り出し、美花に強く働きかける。
「これは確定事項! わかった? わかったよね!? はい3、2、1……!」
「わ、わかった! わかったからそれをしまって!」
「よしっ、決まり〜!」
「そんなぁ……」
采南たちとの接触を避けたがる美花に、七海は強制的に会わせる予定を取り付けた。
"ついに"と言えるほどの話数は重ねてなかった……!
次回、第5話「その想望は極彩色」