小町が血を吐き、碓氷の車で連れていかれた。一体何が起こったのか。状況を把握しきれないまま、夕闇迫る公園で一人采南だけ取り残される。
ふと足元を見ると、小町が倒れた際にポーチから飛び出した小さな木箱が落ちていた。箱には4桁のダイヤル錠がかけられおり、中身は厳重に守られている。
「…………」
今この場で采南にできることは何もない。よくわからないものをよくわからないままに拾い上げた采南は、そのまま重い足取りで小町のアパートに向けて歩き始めた。
*
アパートまで戻ってきた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
采南は七海からもらった合鍵を使って鍵を開け、電気もつけずに小町のベッドに潜り込む。
「…………」
目を閉じることもなければ、涙が流れることもない。そこにあるのは喪失感と孤独感、そして謎の小箱だけ。
(これ……何が入ってるんだろ……)
これだけ厳重なのだからきっと何か大切なものが入っているのだろう。勝手に開けるべきでないのはわかっていたが、何かに縋っていないと心が壊れてしまいそうだった。
采南は真っ暗な室内でソファーに座り、小箱の解錠を試みる。
0001……0002……0003……0004……
番号を1つずつずらし、その度に箱が開くか確かめる。
……0216……0217……0218……0219……
虚無感の強い単純作業だが、時間を忘れさせてくれる感覚が采南には救いになっていた。
……3864……3865……3866……3867……
日付が変わってもひたすらダイヤルを回し続け、ちょうど朝日が昇るタイミングでようやくロックが外れた。
最終的なナンバーは7315。暇になった采南は次にその数字の意味を考える。意味はないかもしれないが、これはただの現実逃避。
しかし奇跡的かつ不幸なことに、さほど時間が経たないうちにとある言葉が采南の頭をよぎってしまった。
(7.30天災……)
それは采南が目覚めたばかりの頃に恵本の口から聞いた言葉。西暦2015年7月30日、采南たち人類の運命が大きく狂わされたあの日を指す言葉だ。
そしてその言葉を意識した瞬間、采南の心はざわめいた。
(小町ちゃん……?)
7.30天災に直結する数字を解錠番号に設定してあるということは、小町と天災に何か繋がりがあることを意味しているにも等しい。小町は一体何者なのだろうか。
とはいえ、それを指した番号だという確証はない。ただの考えすぎの可能性だってあるはずだ。
ざわめく心を抑えながら、采南はゆっくりと箱を開く。するとそこにはガラスの小瓶が入っていた。
(これは……薬……?)
ラベルの貼られてない透き通ったガラスからは様々な形の錠剤が丸見えになっている。昨晩のこととも相まって、心のざわめきが一層強くなる。
とうとう采南は堪えきれなくなり、糸杉から話を聞こうと部屋から飛び出した。
しかし、インターホンを何度鳴らしても反応がない。どうやら糸杉はこんな朝早くから外出しているようだ。
(いない……!! なんで……!?)
糸杉が不在なことで、采南の焦燥感はますます強くなる。居ても立っても居られず、采南はそのまま塾に向かって走り出した。
*
ナズナ塾に入ると、こんな時間でも数人の生徒が勉強をしていた。運のいいことに、その中に美花の姿もある。
「美花ちゃん!!」
「さ、采南ちゃん!? どうしたの?」
鬼気迫る采南の様子に気圧されて、美花は手に持っていたペンを机の上に落としてしまう。
そんなペンを上から叩き潰すように、采南は机に手をついて美花に昨日の出来事を告げる。
「小町ちゃんが……血を吐いて倒れちゃったんだ!」
「え……!?」
采南の言葉に美花は血の気が引き、顔から冷や汗が流れ出る。
「だ、大丈夫なの!?」
「わからない……一緒にいた神官に連れてかれてから連絡がないんだ……」
「……ななみんに連絡する。私たちは一旦ここを出よう」
二人はみんなの邪魔にならないよう外に出て、美花はすぐさま七海に電話をかける。今日は休日なこともあり、七海とはすんなりコンタクトをとることができた。
「今から采南ちゃんの家に行ってもいい? ななみんがそこで話そうって」
「うん……わかった……」
采南と美花でアパートに戻ると、七海は既にソファーに座って待っていた。
「おかえり。詳しい話、聞かせてもらえる?」
七海はいつもと違って真面目な雰囲気が漂っている。髪が若干ボサついているように見えるが、きっと大急ぎで駆けつけてくれたのだろう。
采南は二人に昨日公園で起こったことの全てを話した。
「なるほどね……」
「華原さん……」
「小町ちゃんは何か重い病気に罹ってたりするの?」
「まあそう思っちゃうよね」
小町について真っ先に考えられるのが病気の可能性だ。しかし、七海はそれについて微妙な反応を示している。
「違うの?」
「……厳密にはね、怪我なんだ」
「怪我? どういうこと?」
「…………」
「お願い! 知ってるなら本当のこと話してよ!!」
このタイミングで何故か沈黙する七海に、采南はつい感情が昂ってしまった。
美花は驚いて居心地が悪そうにしているが、七海は全く動じない。
「アタシも話したいよ。でもマッチが意地でも隠してきたのを台無しにしてもいいのかっていう葛藤があってね」
「私、ひとつ心当たりがあるよ」
「心当たり?」
采南は二人に今朝解錠した木箱を見せる。小町が隠したいことといえば、現状思いつく限りではこれしかない。
「これは小町ちゃんが持ってたものなんだけど、鍵の番号は7315だった。私の予想ではこの数字は7.30天災を指してると思うんだ」
「どうやって番号を……まさか総当たりで……?」
「今の私にはそうするしかなかったから……」
「…………」
「小町ちゃんはあの日のことを知ってるの……?」
采南は今朝から感じていた心のざわめきを形にするように、震えた声で七海に問いかける。
今ので覚悟が決まったのか、七海は息を大きく吐いてゆっくりと口を開いた。
「……本当はマッチの口から打ち明けてほしかった。だからそうしたくなるよう、さなりんを誘導してたんだけど、こうなったら仕方ないか」
七海の様子が変わったことを察知し、采南は息を呑む。
そして七海の口からは核心に触れる言葉が飛び出した。
「……マッチはさなりんの探してた勇者その人だよ」
「……!?」
木箱のロックを解除した時点で、一度見えなくなっていた小町の正体が采南の中でぼんやり形づくり始めていた。
しかし、小町が探している勇者とまでは思っていなかった采南は、反射的に否定の感情が湧き上がる。
「そ、そんなわけない……」
「どうしてそう思うの?」
「だって小町ちゃんが本当にあの時の勇者だったなら私は声で気づけてた! 私は声の違いには敏感なんだから!」
「それは……」
「……ここからは私が話すよ」
「美花ちゃん……?」
ここまでずっと黙っていた美花だったが、ここにきていきなり話に入り込もうとする。
「つっきー……本当にいいの?」
「大丈夫。この話は私がしなくちゃ……」
美花は何やら苦しそうな表情をしている。
一体何が飛び出すのかと不安になる采南に、深刻そうな顔で美花を見守る七海。そんな重苦しい空気の中、美花の懺悔が始まった。
「華原さんが今の状態になったのは全部私のせいなんだ」
「えっ……?」
「前にトヨアシハラ作戦の話をしたよね?」
「うん……壁の外に神樹の根を張るって……」
炎に包まれた結界外に神樹の種を落とし、それを発芽させることで人類の生存権を取り戻すトヨアシハラ作戦。
落とされた種は巫女が祝詞を唱えることで、瞬く間に巨大な樹となり、灼熱の大地に緑が蘇る。防人たちはそれを橋頭堡としながら、近畿地方を目指して進軍していた。
「重要なのは壁の外は時が止まっていたかもしれないということ。そして……もしその理がふとした拍子になくなってしまったら、時は再び動き出すということ」
「ま、まさか……」
「私はお役目中に偶然、神樹様の根の隙間に華原さんを見つけて……助けちゃったんだ……」
その瞬間、空気が一気に張り詰める。
それだけ聞くとただの人助けのように感じる。しかしそこには大きな罠が潜んでいた。
「でもそれが良くなかった。華原さんの体には神樹様の根の先端がいくつも貫通していたの。それに気づかず私が無理やり引っ張ったから、華原さんの体内には神樹様の根が残っちゃったんだ」
「そ、そんな……」
「華原さんの声が違うのは、その時に声帯まで傷つけてしまったからだと思う。私があの時何もしなければ、華原さんは無事だったかもしれない。私が慌てて助けようとしたから、深刻な怪我をさせてしまったんだ……」
結局トヨアシハラ作戦は別の事情で中止を余儀なくされ、神樹の苗は回収されたと聞いている。それさえ待つことができていれば、小町は再び炎の下で眠りについたままだったかもしれない。
美花はあの時自分がとった行動をずっと後悔していた。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
美花は今にも涙が溢れそうな声で采南に精一杯の土下座をする。
流石にその様子を見てられなかった七海は美花をフォローする。
「その話に従えば、つっきーがマッチを発見した時点でマッチは既に根っこに貫かれていた。仮にマッチを助けなかったら、神樹様の消滅とともに貫かれた跡まで魔法のように消えてたかもと思ってるのかもしれないけど、そんなことは誰にもわからないよね」
「ななみん……」
「確かにつっきーが関わったことでマッチの運命は大きく変わったよ? でも見捨てるのが正解だったとも限らない。それにつっきーがマッチを助けたことで良い影響を与えた部分も必ずあるはずだよ。まあアタシがこんなこと言っても何の慰めにもならないと思うけど……」
「良い影響……そんなのあるはずないよ……」
七海が美花を慰める中、采南は考え事をしていた。それはもちろん、小町のことだ。
「小町ちゃんはなんでそのことを私に教えてくれなかったんだろ……」
「それがアタシもわからないんだ。マッチもさなりんに会いたがってたはずなのに……」
「小町ちゃんが私に会いたがってた……?」
「アタシは聞いたんだ。『会いたい人がいる』って」
「小町ちゃん……」
「それが紛れもなくさなりんであることは、さなりんと初めて会った瞬間にわかった。だからあの時さなりんもマッチを探していると聞いて、アタシは全てを話したかった。でもあの日、マッチの正体は秘密にするようにって事前にチャットで言われてたんだ」
その言葉を聞き、采南はあの日イネスからの帰り道、小町がずっと歩きスマホをしていたことを思い出す。
あの時は何をそんなに伝えることがあるのかと思っていたが、どうやら七海に口止めしようとしていたらしい。
「お互い会いたがってたのに、せっかく会えたのに、そこで嘘をついてもいいことなんて何もない。マッチだって本当は正直なことを伝えたいはず。そう思ったからアタシはさなりんにつっきーの通う塾を紹介して、間接的に人探しの手助けをしたんだ。そして、自分の知らないところで正体を知られるくらいなら、自分から本当のことを話そうとなるのを待ってたんだ。マッチの件で防人を辞めて、学校にも通えなくなるまで追い詰められた、つっきーの心の整理も兼ねてね」
「そうだったんだね……」
七海は全てを話した。采南は会いたい人を必死に探そうとして、でも見つかりそうになくて、もしその人はもう生きていないと結論づけられて生きる目的を失ってしまったら、自分はどうなってしまうのかといっぱい悩んでいっぱい苦しんだ。そんな中、小町は采南にずっと"嘘"をつき続けていたんだ。
そう思うと小町に対してふつふつと怒りが湧いてきた。
「小町ちゃんは全部わかってて嘘をついてたんだね……」
「「…………」」
「卑怯だよ……!!」
小さな部屋いっぱいに采南の心からの叫びが響く。
「小町ちゃんはいつもそうだった! 望んでもないのに助けるって言い寄って、私はずっと小町ちゃんの都合に振り回されてた! 私のことなんて何も考えてなかったんだ! ほんとにわがままで、身勝手で、卑怯だよ……!!」
采南は積もり積もった感情を一気にぶちまける。七海と美花は采南の叫びをただただ黙って聞くことしかできなかった。
溜め込んでいた怒りを吐き出した采南は、その反動で萎れてしまう。
「ごめん……急に叫んじゃって……」
「気にしないで。負の感情は定期的に吐き出しておかないと。ね、つっきー?」
「う、うん……そうだね……」
「悪いけどしばらくひとりにさせてほしいな……」
「おっけー。でも無理はしないでよ?」
「ありがとう……」
「じゃあアタシたちは帰ろっか」
「うん……私は時々采南ちゃんに会いに来るね」
「…………」
二人は采南の言われた通りに部屋を後にする。
采南はまるで時間が止まったかのように、小町のベッドの上でしばらく蹲り続けていた。
次回、第9話「似たもの同士」
9話の前に8.5話が挟まります(X.5話は過去編だよ)