謎の使命感から彼は競馬史に名を刻むと誓い、過酷なレースの世界へと飛び込んでいく。
やがて勝ち続けたワードコードは惜しまれながらも引退。自分の名前を競馬史に刻み込んだと満足する彼女に次の戦いの舞台は繁殖牝馬として頑張ってくれと馬主に言われるのだった。
野山広大はその日競馬場で最悪の瞬間を迎えた。
雨天のレースを見に行っていた広大は散々なレース結果にため息をつきながら帰る途中だった。そこで雨で濡れる床で運悪く足を滑らせた勢いで観客席の階段へゴロゴロと転がり落ちたのだ。
頭を強打した瞬間、周りで人が大きい声で自分に呼びかけているが彼の意識は闇に飲まれた。そして、次に目覚めた時、彼はもう「野山広大」ではなかった。
『…何だ、この感覚?』
視界が妙に低く、四つの脚が地面を踏みしめている。鼻先からは草の匂いが強く漂い、耳には風と馬たちの嘶きが響いてくる。なんで馬がここにいるのか、競馬場にはいたが観客席まで馬が来るはずがない。
嫌な予感がする彼は、たまたま近くにあった水たまりにおそるおそる覗いてみる…そこに映る自分の姿を驚愕するしかなった。
そこには、栗毛の馬が立っていた。
『は…えっ!?俺…馬になってる!!?』
混乱の中、脳裏に不思議な記憶が流れ込んできた。この馬の名前は「ワードコード」。
零細血統の生まれで、競走馬としての期待はほぼゼロに近い可哀想な牝馬。しかし、彼の中には妙な使命感が湧き上がっていた。
『まさか馬になるなんて…けど、馬になったなら…競走馬として頂点を目指すしかないだろ!』
彼は競馬好きだった。有名なレースならほぼ必ず行っていたし、過去の有名馬のレースを動画サイトで何度も見返したほど。
そんな人間だった頃の競馬知識をフル活用し、ワードコードはレースに挑み始めた。
彼女は生まれ持った血統の限界を超えるかのごとく、驚異的なスピードとスタミナを発揮。デビュー戦から連勝を重ね、驚愕する馬主や調教師や騎手を満足そうに見ながらレースの世界を駆け抜けていく。
いつしか零細のドマイナー馬とバカにしていた競馬ファン達もワードコードを「奇跡の牝馬」と呼ばれるようになった。
並み居る古馬や強力なライバル達と対峙し数々の名勝負を繰り広げ、やがて、彼女はその世代の牝馬最強へ上り詰める。
だが、ワードコードは忘れていた。
牝馬である自分が勝ち続けることの意味を。
競走馬としての栄光が、彼女の人生…いや、「馬生」を予想外の方向へ導くことを。
やがて引退の日が訪れた。
ワードコードは数々のG1レースを制し、日本競馬史に名を刻む名馬として讃えられた。観客の拍手と歓声に包まれながら、ターフを去る瞬間、航大は満足感に浸っていた。
『やったぜ…俺、最高の競走馬になれた!』
しかし、その喜びも束の間。オーナーブリーダーである馬主が、ニヤリと笑みを浮かべて近づいてきた。
「ワード、お前は競走馬として完璧だった。だがな、これからが本番だ。繁殖牝馬として、お前には次世代の名馬を産んでもらうよ…お前の子ども達も絶対に良く走る」
『えっ?…繁殖?』
航大の頭が真っ白になり、人間だった頃の知識が蘇る。
牝馬にとっての引退後とは、つまり「母」としての役割を担うこと。しかも、自分が零細血統であるがゆえに、どんな種牡馬の血でも受け入れられる「万能母体」として重宝される可能性が高いのだ。
呆然としたまま馬房に戻され『冗談だよな…いや、けど…』と思いながら軽い現実逃避をしているとワードコードの近くでスタッフ達が話をしていた。
早くも種付けのスケジュールが決まっている。と零細血統では考えられないほどの日本を代表する有名種牡馬たちの名前がずらりと並んでいると。
「某超良血種牡馬との配合」「新進気鋭の種牡馬との配合」「名門出身産駒との配合」etc.etc.…
…そして、その予定はすでに数年先までびっしりと埋まっていると。
『待て待て待て!俺が母親になるってことか!!? それに種付けってことは…出産もするってことかよ!!?」 』
人間としての理性が悲鳴を上げる中、ワードコードの馬体は本能的に次のステップへと進もうとしていた。
引退後の彼女を待つのは、繁殖牝馬としての過酷な日々と、産駒たちを育てる「母」の役割。そして、やがて彼女は「次世代日本競馬の母」とまで称される伝説へと昇り詰めることになるのだが…
『イヤだ!!前世は童貞だったのに馬のナニなんか入れられたくないぃぃ!!せめて俺より強い雄じゃないと…って違う!!とにかく無理だって!!』
それはかなり先の話である。