そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第十話:夜蛾正道の苦悩③

「はぁ……」

 

 ペットボトルのお茶をぐいっと一気に飲み干した夜蛾は、深く息をついた。

 

 七瀬の呪力が、自分の術式にあれほど強く作用するとは。

 

 呪骸での訓練を通して、七瀬の術式の特性がよくわかったのは収穫だった。

 魂ごと成長させることで、低級呪霊を特級にまで底上げできる。しかも、魂と言い難い呪いにまで効くのだ。

 

 次は、七瀬に呪力を出力させて、その影響範囲を探るつもりだ。

 みぃちゃんは、彼女の呪力をよく好む。だからその反応を利用させてもらうつもりだったが……。

 

「そう上手くいくか……?」

 

 あの呪霊は、七瀬以外の言うことを聞くのか?

 

 もし協力を得られないなら、七瀬に説得させるほうが現実的だろう。

 ただ、何か琴線に触れた瞬間、"あれ"はすぐに術式を展開しようとしてくる。

 それが厄介だ。

 

 幸いなのは、七瀬が止めに入ってくれること。さっきもそのおかげで助かった。

 

「……」

 

 あの呪霊が突然こちらに殺意を向けてきたとき、俺は──少しも動けなかった。

 首筋に刃物を突きつけられたような、背後に死が迫るような……ただならぬ圧。

 一瞬で体に危機が突き刺さった。

 

 もしも七瀬が、以前のようにただ怯えるだけだったなら──。

 

 夜蛾は、首を振った。

 考えるのをやめる。

 あの場面で呪霊を止められるぐらい、七瀬も確かに成長している。そこだけを、今は信じろ。

 

 あとは、機を見て、あの呪霊とコンタクトを取る。

 もうこの際、出力範囲がありえない広さである以外は許容範囲だろう。少々の呪霊くらい、みぃちゃんが全て食らうはずだ。

 恐らく、いつもそうやって切り抜けていただろうから。

 

 

 … … …

 

 夜蛾と七瀬はグラウンドに集合した。

 

 七瀬はどこか気まずそうにしている。恐らく、先ほどの特訓のことを気にしているのだろう。

 呪骸を急に奪い取られてしまっただけでなく、特級呪霊がまた領域を展開しようとした。

 それらを、自分に非があったせいだと思いこんでいる。それが、ひしひしと伝わってきた。

 

「七瀬」

 

 名前を呼ぶと、少し肩を震わせながら視線を持ち上げている。

 

「こういうのは切り替えが大事だ」

「……」

「切り替えろと言われてすぐにできるものではないが、色々と考え込みすぎないほうがいい」

「……はい」

 

 すると、小さく笑った七瀬に、夜蛾も同じように返した。

 

「では、次は七瀬の呪力がどこまで届くかを知る」

 

 夜蛾が説明を始めると、七瀬は表情を引き締めて、真面目に聞いている。

 

「さっきの練習で、七瀬は自分の中に流れる呪力が知覚できるようになったな?」

「えっと……」

 

 小さく視線を彷徨わせてから、言葉を継いだ。

 

「たぶん…?」

「そこは自信を持っていい。知覚できたから手のひらから呪力を出力できるようになったんだ」

「……はい!」

 

 七瀬には、恐らく褒めて伸ばすことが必要だと夜蛾は考えていた。

 

 七瀬の体から濃厚な呪力が溢れだしたとき、彼女はきっと、強い不安や死への恐怖に支配されていたはずだ。

 それを"感じるな"というのは難しい。だが、"薄める"ことはできる。

 不安や恐怖に負けないためには、心の柱──自分を支える自信が必要だ。

 

 だが、七瀬にはその柱がまだない。

 

 恐らく、彼女の自己肯定感が低いせいだろう。

 幼い頃から呪霊が取り憑いたせいで、人と距離を置き、孤立してきた。

 自分を肯定できる機会も、誇れるものも、きっとなかった。

 

 それでも……今日の明け方、泣きながら言った。

 "……みぃちゃんがいないと何もできないけど……私、頑張ってみたいです" 

 今までの危機的状況に、特級呪霊の助けがあったのは事実だ。だが、それだけではない。

 七瀬には、自ら呪力を放ち、術式を働かせた力があった。

 

 それを正しく教えてやらねばならない。

 ……いずれ、必ず。

 

「まず七瀬は、呪力を放出する。自分より遠く離れたところまで届くイメージでやってくれ」

 

 そして、夜蛾はみぃちゃんを見る。

 

「それを、みぃちゃんに感じ取ってもらう。俺と一緒に七瀬から離れるんだ」

 

 名前を呼ばれた呪霊は、相変わらず主人以外には反応を見せない。

 

「……七瀬、悪いが俺の代わりにみぃちゃんに指示してくれるか?」

「あ、はいっ。みぃちゃん、先生の言うこと聞こう?」

『え〜なんでななこちゃから離れるの〜?』

「……私のこと、もっと知るためなんだって」

 

 みぃちゃんはしょぼんと肩を落としている。

 

『そんなのしなくたって、アタシは知ってるよぉ』

 

 その会話を聞きながら、夜蛾は神妙な面持ちだった。

 

 あくびをするように緩んだ口元に、どこか意図的なものを感じた。コイツ──やはり、何かを知っている。そして隠している。

 先ほども、過呪怨霊が元は人間と聞き、ぼんやりとした様子の七瀬をたしなめていた。まるで、悪いことを思い出させないように。

 みぃちゃんへの不信感が強くなる一方だった。

 

「ねえ、お願い」

『……しょうがないなぁ』

 

 最後には諦めて、夜蛾の側にふわりと近寄った。

 

「まずこの距離で呪力を放出してみてくれ」

「はい」

 

 七瀬は目を伏せて、片方の手のひらを上に向けた。彼女の手からじわりと滲み出る呪力。それは波紋のように、円形に広がっていく。

 

『わぁぁ…! すごいねぇ、ななこちゃんの呪力だぁ…!』

 

 嬉々として呪力に寄っていきそうになるのを、夜蛾はみぃちゃんを掴んで制止した。

 手触りはまるで、本物の猫のようだった。

 

 あまりにリアルな実体を伴っており、夜蛾は思わず手を離す。

 

「……ある程度離れたら、手を上げる。次はそれを合図に呪力を放出してくれ」

「わかりました」

 

 七瀬はきゅっと口元を引き締め、少し緊張した様子だった。

 

 夜蛾が歩き出すと、素直に側をついて歩く。

 自分の考えを通すような自我はあるが──これは恐らく、主従の契りだ。やはり、過呪怨霊である線が濃厚か……?

 

 4歩離れたところで立ち止まる。男の歩幅の平均は、約78cmらしい。これならだいたい3m離れたことになるだろう。

 夜蛾は手を上げた。

 

 七瀬は自分の内側に意識を向けている。

 ちらりと見上げるが、みぃちゃんはつまらなさそうに逆立ちになって浮いていた。

 ……幸か不幸か、射程距離はずいぶん短いな。

 

 そして、夜蛾はまだ離れた。呪力どころか、七瀬の声が聞こえないほどの距離まで。

 

『……なんでぇ? もう届いてないよぉ』

「……お前と話がしたかったからだ」

 

 夜蛾はみぃちゃんに向き直る。

 

「七瀬は今、あの術式のせいで、上層部に目をつけられている」

 

 返事がくるかは一か八かだった。

 恐らく選んでいる。判断基準は知らないが、自分にとって何か有益なことには返事をするだろう。

 

「だから高専には仮入学になっているんだ。……それに、難癖つけられて、急に秘匿死刑が決まってもおかしくないような状況だ」

 

 ふよふよ漂うだけの呪霊は返事をしない。声はきっと届いているだろうに。

 

「俺は、担任として、あの子を真っ当な呪術師にしたい。力の使い方を学ばせ、人を助けられるようなそんな存在に」

 

 七瀬の生死に関わるような話題を振っているはず。

 どうすれば興味を引く?

 

 七瀬の力を吸い上げ、どれだけ脅威になろうとも……七瀬をいちばん近くで守れるのは、コイツしかいないんだ。

 気を引かなければならない。

 

「……実現するには、俺と七瀬だけではダメだ。必ずお前の力がいる」

 

 先の尖った耳が、ぴくりと動いた。

 すぅ、とこちらを向く目。縦に裂けた、細長い瞳孔がじっとこちらを見据える。

 

「だからこそ、俺は知らなければならない。七瀬のこと、彼女に取り憑くお前のことを」

 

 そして、その目は何を見てきて、何を覚えているのか。

 

「七瀬の術式により出力された呪力は、呪霊を成長させる。これは、呪力が魂に作用するからだな?」

『……意外と見てるんだねぇ』

 

 返事が来たことで、夜蛾は思わず拳を握りしめてしまった。

 

「それにより魂の質量を濃くするだけでなく、成り損なったものも完璧なものへ成し遂げる。……違うか?」

『へぇ、合ってるよぉ』

 

 にまにま笑うみぃちゃんは、くるんと回転したかと思ったら、夜蛾としっかり向かい合った。

 歩幅2歩分程度の距離。相手の射程圏内であることに違いない。

 

『……まだ何か聞きたそうだねぇ』

「察してもらえて助かる」

 

 夜蛾は声を潜めるように問いかけた。

 

「……お前は、過呪怨霊なのか?」

 

 その瞬間、空気が張り詰める。

 

『……それを聞くために、わざわざ離れた?』

 

 声が低く沈む。

 

 夜蛾はほんのわずかに重心を落とした。逃げられる態勢を整えながら、それでも正面から目を逸らさない。

 ここで視線を外せば、すぐに噛みつかれる。本能が、そう警告していた。

 

 そのとき──みぃちゃんの白目が、静かに引っくり返った。

 ぐるんと現れた瞳がじわりと変色していく。真っ黒だった瞳に、うっすらと金の光が滲む。

 

(……金色?)

 

 色素の薄い瞳が、じっと夜蛾を見つめる。

 

『……白髪で、青い目を持った少年。五条家の六眼持ち──あれに聞けばいいじゃない』

「……!」

 

 コイツ、呪術界のことを知っている──?

 

「……あれですら、お前のことは捉えきれなかった」

『へぇ、ずいぶんと上手く隠れているねぇ。()()は、小さいくせに意外とやるじゃないか』

 

 それは、にぃっと笑う。それは、子どもの悪戯じみたものではなかった。

 目の色が変わっただけなのに……別のもののように感じた。

 

 

『……わかった、()()()あげる』

 

 ……見せる?

 

 夜蛾が不思議に思った瞬間、みぃちゃんは口角を吊り上げながら、ゆっくりと口を開いた。

 開かれたその奥は、どこまでも暗く、深く──まるで、底なしの沼のような異形の穴だった。

 

 その奥にうごめく、無数の()()

 

 それが見えた途端、夜蛾の背筋が凍る。それでも、なんとか身構えた。

 

『入らないと、何も見えないよぉ』

 

 甘く誘うような声は、頭の中に響くようだった。

 夜蛾は舌打ちをしたが──悩む間もなく、闇が迫る。

 

 うごめいているもののひとつが、こちらに手を伸ばす。

 こちらへ、おいで。そう呼ばれているようだった。

 

「──ッ」

 

 反射的に跳ねのけようとしたが、逃げられず、ぬるりと粘つくような闇が、自分の腕を這い上がる。

 

 飲み込まれる。

 

 そう思ったときにはもう、両足は宙を離れていた。

 

 大きな口の中へ引きずり込まれ、喉の奥でざらざらした舌が蠢く感触を感じた。

 

 それ以外にも体中を這う感覚。

 

 ぞわりと肌が栗立つ。肌に何かが這う感触がやまない。

 

 耳元でざわざわと、無数の()()が笑っている。ゲタゲタ、ケタケタと嘲笑っている。

 

 冷たい舌の感触が、首筋を這った。

 息を吸うことも、拒絶することも、もうできなかった。

 

(──くそっ……!)

 

 心の奥底で、夜蛾は叫ぶ。

 

 だが、次の瞬間──世界が裏返るようなめまいと共に、意識は闇へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 ──気付いたとき、夜蛾は見知らぬ場所に立っていた。

 

 乾いた土の匂いが鼻をつく。

 周囲は、どこまでも続く荒れた農地。

 

 ……音がない。

 

 風の気配すらない世界。ただ、空だけが鈍い灰色をして、じっと頭上にのしかかっている。

 周りを見渡すが、あの呪霊の姿は見えない。

 

(……ここは、生得領域か)

 

 瞬間的に悟った。だが、理解したところで、どこにも出口は見えない。

 

 視線を前へ向ければ、ポツンと立つ、朽ちた瓦屋根の平屋。

 無理やり引き寄せられるような、抗えない圧を感じる。

 

(……ここで、アイツは何を見せる気なんだ?)

 

 喉の奥がひりつく。額にじっとりと脂汗が滲んだ。

 

(──行くしか、ない)

 

 重い足を引きずりながら、夜蛾は一歩を踏み出した。

 

 立て付けの悪い引き戸を押し開ける。

 

 ぎぃ、と音がする。

 

 自身の呼吸が浅くなるのがわかった。

 

 その先は土間だった。冷たい空気が頬を撫でる。

 

 靴のまま踏み込む。目線の先、段差の上に畳があった。

 

 その上には、ぐしゃぐしゃに汚れた布団。

 

 そして──。

 

 その上に、誰かが膝を抱えて座っていた。

 

 夜蛾は息を詰めた。それ以上、近寄ることも後ずさることもできずに立ち尽くす。

 こちらに気づいたように、顔を上げる。

 

 ──少女?

 

 ……七瀬に、似ている。特に、目元。

 あどけないのに、どこか影を落とした、あの目だと……思ったのに。

 

 どこかが違った。

 顔にかかる前髪から覗く瞳は、あまりにも深い絶望の色をしている。

 

『やが、せんせい?』

 

 鈴を転がすような、幼い声。

 なのに、そこに宿る響きは、どこか歪んでいる。

 

 夜蛾は咄嗟に答えた。

 

「……ああ、そうだ」

『わたしはね、みぃちゃん』

 

 にっこりと笑った少女は、今やすっかり聞き慣れた名前を口にした。

 

「……みぃちゃん、だと?」

 

 これは、もしかして──過呪怨霊に成る前の姿か?

 

 背筋にぞわりと冷たいものが走る。

 

『うん! そうだよ!』

 

 無邪気に笑う少女は布団から腰を上げ、土間にあった草履を履いた。

 

 夜蛾は身長195cmと長身である。自分の近くに寄ってきた少女は、彼よりもずっと小さかった。パッと見た印象だが、小学生ぐらいだろう。

 

『猫ちゃんに言われて来たの?』

「猫ちゃん……あの呪霊のことか?」

『うん、呪霊…になるのかなぁ? むずかしいことはよくわかんない』

 

 少し首を傾げる姿に、また七瀬が重なった。あの子もわからないことがあると、よくこうしている。

 

「みぃちゃんと、あの猫は別物なのか?」

 

 そのせいで、少し気が緩んだのだろう。夜蛾のほうも少女に近寄る。

 

『うん、そうだよ。わたし頑張ったんだから!』

 

 ピースサインを向ける姿に、夜蛾はほんのわずかに身を引いた。

 

『ななこちゃんを守るために……たくさん、たくさん食べたんだよぉ……』

 

 少女からさっと表情が消え、そんな言葉が続いたから。

 

 夜蛾は全身の血の気が引いた。

 少女の両目からたらりと水分が垂れる。──赤い、まるで血のような。

 

 夜蛾は立ち尽くした。足の裏から根が生えたみたいに動けない。

 

 赤い液体は耳、鼻と、次々に溢れだした。口角を持ち上げて、ただ笑っている。

 

『あぁ……ダメだぁ…』

 

 少女は口元を手で覆う。肩を大きく震わせて、げえっと嘔吐いた。

 指の隙間からも赤色が伝う。

 

(……この子は、もう──)

 

 直感的に理解した。

 この少女は、もう"人間"ではない。

 

『ねぇ、やがせんせい』

 

 ごぷ、と多量の液体を吐きながら、少女は話した。

 

『猫ちゃんの言うこと、ぜーんぶ信じちゃ、ダメだからね』

 

 思わず目を背けそうになっていた夜蛾は、ハッとして目を向ける。

 

『あの子はわたしだけど、わたしじゃない』

「……それは、どういうことだ?」

『力をね、止めきれなかったの』

 

 その言葉に合わせて、周囲の空気が一層重たく淀んだ。

 

『だから猫ちゃんなの』

 

 小さな手が、夜蛾に向かって伸ばされる。

 その指先は、もう人間のものとは思えない、ひび割れた色をしていた。

 

『わたしがしゃべっているようで、しゃべってないの』

 

 これは──警鐘だ。

 

『だから……』

 

 また嘔吐く。そして頭がだらんと後ろへ垂れた。

 小さな肩がぴくりと跳ねる。

 

 少女の口が、ぐにゃりと裂ける。

 

 その中から這い出してきたのは……夜蛾がよく知る、猫の姿をした"異形"だった。

 

『はい、これで終わりぃ〜』

 

 ずるりと這い出たあと、少女の体は抜け殻のように崩れ落ちた。

 

 夜蛾は指一本も動かせなかった。心臓の鼓動が、やけに耳に響く。

 

(これで、何がわかるというのだ…!)

 

 頭ではそう思うのに、喉から出るのは掠れた音だけ。

 

『じゃあ、またねぇ』

 

 ガバッと開けた口にまた飲み込まれる。

 

 体中を這う感覚。耳元でゲタゲタと嘲笑う声。

 

 

 

 ──"わたしを、おもいださせないで"

 

 その中に混じる、確かな訴え。

 

 それを最後に、彼は暗闇の中で気を失った。

 





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