そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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※ 少し痛そうなシーンがあります


第十四話︰呪術実習②

 廃病院の中で、私はすぐにでも腰を抜かしそうになりながら必死に歩く。

 

「みぃちゃんの気配が濃すぎるんだ。少しだけ、みぃちゃんと離れてくれるかい?」

 

 すると、夏油さんがそう言った。

 こんな状況で、頼れそうな人から離れる──正直、嫌だった。だけど、呪霊が倒せないと帰れない。それはもっと嫌だ。

 

 怖くて足がすくむ。だけど……私は、夏油さんを信じることにした。

 

「みぃちゃん、ちょっとだけ、離れてみる……?」

 

 するとみぃちゃんは口角を下げ、『え〜? なんでぇ?』と不満そうな顔をする。

 そのとき、先の尖った耳をぴくぴくと動いた。すぅ、と何かを嗅ぐような音。

 

「君の気配で、他が霞んでるんだ。目標を討伐しないとここから出られないよ」

「……だって。だからお願い」

 

 金色の瞳は僅かな光も反射する。だからぐるんと周りを見回しているのが見えた。

 

『……ちょっとだけだよぉ』

 

 夏油さんに背を向けたみぃちゃんは、やっぱり瞳をあちらへこちらへ向けている。

 思わず首を傾げてしまったけど、何も聞けなかった。何かお化けの存在でも仄めかされたら、もう一歩も動けない気がしたから。

 

 そして、私はみぃちゃんと部屋の隅を目指した。

 

 光が遠ざかる。闇に包まれていく。

 

 覚悟を決めたつもりだったのに、何も見えなくなっていくのはとても怖い。

 

 ざり、ざり、と床を踏む音がよく聞こえる。その度に自分の心臓が跳ねるようだ。

 

 でも──頑張らないと。

 

 そう思って、みぃちゃんを掴み直そうとしたときだった。

 

 

 

 自分の足が、何かに掴まれた。

 

「……わっ」

 

 思わず声が漏れる。

 

 足元が、冷たい。ぐい、と何かが引っ張る感覚──。

 

 咄嗟に足を踏ん張ったけど、足の裏が、ぬるっと滑る感触がした。おかしい。さっきまで乾いた床を踏んでいたはずなのに……。

 

 次の瞬間には、私はどこかにどぷんと落ちた。ずぶずぶと、底なし沼に沈んでいくみたい。

 

 周りは真っ暗闇だった。

 

 重力が感じられず、水の中にいるような妙な浮遊感があった。バタバタと手足を動かしてみても、その場から動けている感じがしない。

 

「みぃちゃん……!」

 

 自分の声は、すぅっと消えていく。

 

 誰もいない。声も、届かない。……怖い。

 そんな風に思った瞬間、またぞくりと寒気が這い上がる。

 

 音もなく、目の前にゆらりと現れたのは──化け物だった。

 

「ひっ……!」

 

 乾いた悲鳴が喉に張り付く。

 

 それは、全身は粘膜のようにヌメり、白くただれた皮膚が骨格に張り付いている。胴体は異様にねじれ、頭部は人間の形を模しているようで、その実、まるで作り物のような歪さを持っていた。

 横へ異様に引き伸ばされた口元からは、牙のような鋭い歯がぎっしりと並ぶ。瞳孔のない目はただ丸く光り、感情の読めない不気味な光沢を湛えている。

 細く長い指はまるで鉤爪のようで、触れたものすべてを切り裂きそうな鋭さ。わずかに動くだけで、骨と肉が軋むような音を立てている。

 

 人間的なパーツを持っているのに、明らかに人ではない。そこにいるだけで空気が冷たく張り詰めるような、呪いの気配が漂う。

 

 そんなものに上から下まで見つめられて、恐怖を感じないわけがなかった。

 

 自分の体から呪力が溢れ出るのがわかる。ダメだと頭の片隅で思ったけど、どうしようもできない。

 

 呪力に触れた瞬間、呪霊の体が小さく震え──一瞬、怯えたようにも見えた。けれど次の瞬間、裂けた口元がにぃ、と大きく歪んだ。

 

 逃げないと──!

 

 

 

 ……でも、どこへ?

 

 足元も、空間も、全部が呪霊に支配されてる気がするのに。

 

 すっと近づいてきた呪霊は、私の肩にぺたりと触れた。

 その瞬間、ぎり、と肩の骨が軋む音がした。鋭い爪が肉に食い込み、皮膚が裂ける感触が走る。

 

「──っ、ぐ……!」

 

 焼けつくような痛みが喉をせき上げ、呻きが漏れた。頭の奥が真っ白になる。熱が込み上げ、涙が自然と溢れた。

 

 血が、流れている。熱いはずなのに、どこか冷たい。

 鼻の奥に、ぬめりと鉄のような匂いが張り付く。吐き気がこみ上げた。

 

 肩を貫く爪の感触とともに、骨にまで届くような鈍い痛みが広がっていく。

 息をするたびに傷口がひくつき、身体が勝手に逃げようと動く。

 だけど、逃げられない──指が、肉の奥に深くめり込み続けている。

 

 筋肉が裂け、腱が引きちぎれるよう。肩から腕にかけてびりびりと痺れが走り、指先が勝手にひくついた。

 まるで、自分の腕じゃないみたいだった。

 

「──い"っ、つ、ぅ……っ!」

 

 叫びは言葉にならない。自分の体から呪力が湧き出る感覚だけが、やけに現実的(リアル)だった。

 それが目の前の呪霊へ吸い込まれていく。力を増幅させていく。

 

 頭が、くらりと揺れた。意識がぼやける。

 

 この前、みぃちゃんに呪力を吸われたときみたいだ。

 

 

 

 ──ああ、ここで死ぬのかも。

 そう思ったら、何故か急に時間が止まったように感じた。

 

 そうして、私はまた、暗闇に呑まれた。

 

 

 

 … … …

 

 夏油は、待合室の中を順に照らした。どこを探しても、七瀬の姿は見つからない。

 

『……あ……あぁ…』

 

 そんなとき、耳の奥をくすぐるような、微かな呻きが聞こえた。そちらをライトで照らすと──光の先に浮かび上がったのは、ぺたりと床に座る特級呪霊の姿だった。

 みぃちゃんはぺたりと床に座り込み、ぼんやりと一点を眺めている。

 

『ななこちゃぁん……遊ぼうよぉ…どこぉ…?』

 

 首が後ろへかくんと折れ、鼻先は真上を向いた。光金色の瞳だけが、光を浴びてぎらりと浮き上がる。

 

『ななこちゃん、どこやったのぉ……?』

 

 みぃちゃんはぐるりと周囲を見回した。

 いつもは緩く持ち上がっていた口角は、真一文字に固く結ばれ、空気を切り裂くような呪力が立ちのぼっている。

 ミシ、ミシ、と骨が軋むような音を立てながら、その体が増大していく。夏油の背丈を超えるほどに。

 

「……七瀬さんは、わからない。でも、どこか領域に連れ込まれた可能性があると思う」

 

 夏油は静かに答えたが、指先には力がこもっていた。

 自分が返事をした途端、ギギギ、と油の切れた人形のような軋みを立てながら、こちらを向いたからだ。その瞳は、すでに焦点を失っている。

 

 ──次の瞬間、耳をつんざくような金切り声と共に、みぃちゃんが跳ねた。

 地を蹴った音すら聞こえない速さで、光の中を駆ける。

 

「──っ!」

 

 夏油は自分の前に呪霊を出しながら、横へ身を引こうとした。

 だが、間に合わない。

 

 みぃちゃんに向かった呪霊は、その口からずるりと湧いて出た闇に飲み込まれていく。

 そして、夏油の胸元に鋭い爪が突き刺さった。ぐしゃりと音がして、懐中電灯が手からはじけ飛ぶ。

 夏油はそのまま床に背中を打ち付けた。自身の両肩にのしかかるのは、鋭い爪を携えた前足。

 懐中電灯はカラカラカラと床を転がりながら、夏油に馬乗りになるみぃちゃんを断片的に照らした。

 

 そして、光は止まり、斜め下からみぃちゃんの顔を持ち上げた。

 

 口が、開いていた。その奥にあったのは、人のそれではない。

 

 剥き出しの牙、ねじれた喉の奥──何かがうごめいている。その一体がずるりと這い出て、夏油に手を伸ばした。

 

 夏油は動けなかった。身をよじろうとも、自分を押さえつける爪が確かな感触を持って突き刺さるだけ。

 

「……いい加減にしろよ」

 

 夏油の声は低く、そして静かだった。

 

 ズズ、と夏油の背後で虚空が裂けるように空間がうねり、禍々しい気配が噴き出す。

 肉と皮膚をねじり合わせたような巨大な塊──まるでミミズのような呪霊が、床を割るような音を立てて這い出した。

 

 丸太のように肥えた胴体がずるりと地を這い、ひとつの"口"が開く。それは口というより、飲み込むためだけに存在する穴のようだった。

 粘膜に覆われた内部には、何重にも重なる螺旋状の牙がぎっしりと並び、呼吸のたびにくちゅりと音を立ててうごめく。

 

 目の前でそれが這い出してきても、みぃちゃんはただ視線を動かすだけ。

 

「七瀬さんを探す方が先だろう?」

 

 夏油の低い声と同時に、その巨体は弾けるように跳ね、みぃちゃんの喉元に喰らいついた。

 

 金色の瞳が、自身に歯を立てる巨体をすっと見据える。だが──その目に、恐怖の色はない。

 

 それどころか、にぃ、と口角を持ち上げた。

 

『アタシに、くれるのぉ?』

 

 みぃちゃんの胴体が、中からぐにゃりと膨張した。かと思えば、中心部に亀裂が走る。

 

 "そこ"が大きく口を開けた。牙も舌も持たないその口から、"あの闇"が湧き出す。

 うねるように伸び、夏油が放った呪霊を這い上がり、覆い尽くしていく。

 

 そして、みぃちゃんは自分の身が裂けるのも気にせずに、巨体を引きずり込んだ。

 

『美味しくなーい』

 

 夏油はごくりと生唾を呑んだ。

 

(なんだ……? あの口や腹から湧いて出る闇は……)

 

 今、何を出そうと、ここの暗さよりも濃い闇にひと飲みにされる。

 自分の身体で戦おうにも、両肩を押さえつける腕は重く、骨がきしむほどの圧力がかかっていた。

 

『お前が、ななこちゃんに指示しなかったら、よかったんだ』

 

 巨体に喰らいつかれ、抉られたはずの喉元。むくむくと、中央から盛り上がっていく。

 内側から膜のような肉がうねりながら広がり、引きちぎられた部位を覆い尽くしていく。

 

 ──再生だ。この呪霊は、反転術式が使える。

 

『そうしたらあの子は、今もアタシの側にいたのに』

 

 厄介なものに目をつけられた──今さらそう思っても、七瀬さんの姿はどこにもない。

 

 

 彼が判断ミスを悔やんだ、そのときだった。

 

 空間が、ゆらりと軋んだ。

 

 空気が一瞬だけ重たくなる。周囲の光が、わずかに歪んで見えた。

 

『……今の、ななこちゃんの声……?』

 

 みぃちゃんが、ぽつりとつぶやく。

 その金色の瞳が、虚空の一点をじっと見つめていた。

 

『……いた……いた、いた、いた、いた!』

 

 みぃちゃんが跳ねた。

 喜びのような、でもどこか狂ったような叫び声を上げ、闇の中を駆け出す。

 

 夏油は、わずかに眉をひそめた。

 しかし、次の瞬間には懐中電灯を拾い上げ、みぃちゃんの後を追っていた。

 

 

 

 ライトで照らされた中を、猫に模した異形が跳ねる。

 

 足音も、呼吸もない。ただ──影が駆ける、という表現がふさわしいほどの速さだった。

 

 ぎしっ、と空間が軋む。

 そのたびに照明が一瞬だけちらつき、みぃちゃんのシルエットが断続的に浮かび上がる。跳ね、よじれ、四つ足の獣のように走り去る姿は、ただの呪霊というにはどこか違和感がある。

 

 パッと見た印象では式神に近い。何から成り上がったのかわからない呪霊と比べ、姿かたちがはっきりしている。

 

「……速いな」

 

 呟く間にも、その背中はあっという間に廊下の奥へと遠ざかっていく。

 夏油は迷わず足を踏み出した。息を乱すことなく、だが確実にペースを上げる。

 

 みぃちゃんは、まるで匂いを辿る獣のように、迷いなく進んでいく。

 右へ、左へ。扉を蹴破り、壁をよじ登り──天井を蹴って、再び地を這う。

 

 そして、空間が徐々に歪んでいく。

 

 ライトがないと辺りが見えなかったはずなのに、明朝のような仄暗さになっていた。

 

 周囲は病院らしさが消え、鉄筋コンクリート造の建物へ作り変わっていく。

 

 ……この先に、何がある?

 

 そう胸の内に問うても、答えはでない。

 

 みぃちゃんは、確かに七瀬さんの存在を感じたから走り出したはずだ。……本当に、七瀬さんがいるのか?

 

 ……ここは、何に成ろうとしているんだ?

 

 

 夏油は目を細めた。懐中電灯の光を揺らしながら、呪霊を使役しつつ、その後をひた走った。

 空間がざらつく。周辺から呪力が濃く立ち込めて、皮膚に刺さるようだった。

 

 

 

 ふと、みぃちゃんの足が止まった。

 

 目の前には、何もない。──けれど、確かに()()

 

 空間が、そこだけ水面のように揺らいでいた。光の届かない廊下の先に、ぼんやりと歪んだ輪郭が浮かんでいる。

 透明な膜。見る角度によって存在がぼやけるそれは、目を凝らすほど奥行きを持ち始めた。

 

 みぃちゃんは一歩、近づく。

 ぺたん、ぺたんと猫の足音のように軽やかに床を踏み──境界の前で立ち止まった。

 

『……ななこちゃん、こっちにいるんだねぇ?』

 

 呟いた瞬間、みぃちゃんの身体が溶けるように膜に触れた。

 ぴちょん。水音とも粘膜のような音ともつかない、柔らかい破裂音がする。

 

 そして、次の瞬間──みぃちゃんは、とぷん、と音もなくその中へ沈んだ。

 

「──!」

 

 夏油は目を見張った。胸中にあったのは一瞬の躊躇い。

 

 だが、それをぐっと堪え、揺らぎの中へ手を差し入れた。まるで水の中ようだった。

 

 そして──中へ。

 

 飛び込んだ。

 

 

 

 重力の感覚も、床の硬さも、すべてが曖昧に引き剝がされていく。

 

 誰にも許されていない場所。

 本来、誰の足も踏み入れてはならない領域。

 

 夏油の視線の先にあったのは、特級呪霊の背中。

 そしてその奥には、呪術高専の制服を着たひとりの少女と、見るからに報告のあった2級では足らない異形だった。

 

 ぬめるような粘膜に覆われた皮膚はただれて骨に張り付き、胴体はねじれ、まともな形を保っていない。

 頭だけが人間の形を真似ているが──あれを人の顔だと認識するには、無理がある。

 

 横に裂けた口には、鋭い歯が隙間なく並んでいた。

 瞳孔のない丸い目が、表情ひとつなくこちらを見つめてくる。中身のない何かに、ただ観察されているような感覚だった。

 

 動いた指先は細く異様に長く、鉤爪のように尖っている。

 ほんのわずかな動きで、骨と肉がきしむ音が響いた。嫌な音だった。

 生き物というより、何かができ損なったようにしか見えない。

 

 そして──七瀬さんを、まるで大切なものでも扱うように……背中に抱え、誰にも触れさせないように隠している。

 

 夏油は悟った。

 呪霊が、人を殺さない──あれは、七瀬さんの呪力が、自分にとって有益だと気づいているはずだ。

 

 七瀬さんは微動だにしない。恐らく気を失っている。

 

『……アタシのななこちゃん、返してよぉ』

 

 重力の感じられない、体の自由が効かない空間の中で、みぃちゃんの体から呪力が漏れ出した。

 

『ここは生得領域だよねぇ……? ここを作る以上の呪力で押せば、消せるかなぁ……!』

 

 その声は、嬉々とした響きを帯びていた。

 

 ──直後。

 

 びり、と空間の膜が震えた。空気が一瞬で凍りつく。

 

 特級呪霊の体から漏れ出した呪力が、まるで水に墨を落としたように濁り、広がる。

 温度が急激に下がったわけではない。けれど、体の芯だけが冷えていくような寒気が、夏油の背筋を這い上がった。

 

 ──音が、消える。

 

 呼吸音も、衣擦れすらも吸い込まれるように止まり、"ぶぅん……"という低く鈍い耳鳴りが空間を満たす。

 

 みぃちゃんの足元に、黒い円がひとつ浮かび上がる。それは模様にも、影にも見えた。けれど、何よりも"穴"に近かった。

 

 そして、そこを起点に、呪力の奔流が逆流するように天井まで駆け上がる。

 空間の内側から、何かが裂けようとしている。生得領域ごと、抉り出そうとする力だった。

 

『……アタシの、ななこちゃん──』

 

 金色の瞳が、笑っていた。

 

『返してって言ってるじゃん』

 

 その声の余韻だけが、空間に残る。何かが、決壊の寸前で静止しているような気がした。

 そして──ピシ、とヒビが入る。

 

 

 

 目の前で起こる出来事に、夏油は言葉が出なかった。

 

 ここが生得領域なら──ただ呪力を力任せに放っただけで壊せるようなものではないはず。

 

「……七瀬さん、君は一体何を成長させたのかな」

 

 絞り出した声は震えている。

 

 

 

 ──次の瞬間、空間が割れた。

 





読んでいただきありがとうございます!
お気に入りや評価、感想までありがとうございます!!

戦闘シーンが苦手すぎて、ああでもない、こうでもないと考えていたらあっという間に1週間……!
時間が経つのが早すぎてビビっています。

追伸※ 誤字報告ありがとうございました!
たまに見かける、凄まじい誤字。それに気づいていない自分が少し怖いです。
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