そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第十五話︰呪術実習③

 ピシ、と音がして、見えない膜に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。

 

 すぐにでも崩れ落ちそうな、脆いガラスの内側に立っているような感覚。

 耳の奥がじんと痛み──次の瞬間、空間が崩壊する。

 重力の軸が歪むような感覚に足元が揺れた。風はないのに、夏油の前髪がふわりと逆立った。

 

 上側からガラガラと崩れ、ガラスの破片のように領域が散らばっていく。

 崩壊の先に現れたのは、廃れた病院内。帳に覆われたこの空間は、生得領域よりもなお陰鬱な暗さを帯びていた。

 

『ななこちゃん!!』

 

 割れていく中、みぃちゃんが飛び出した。

 

 張り詰めた空間を引き裂くように、四足で駆ける音が響く。残響のない異常な世界で、それだけが異質に響いた。

 背に七瀬を隠す異形へ向かって、一直線に駆けた。

 

 夏油は、その背中を見つめた。

 あの呪霊が生得領域を展開できた理由は──七瀬さんの呪力を取り込んだことで、爆発的に成長した結果だ。

 ここに術式は付与されていないが、恐らく1級以上だと見積もっていい。

 だが、あの特級なら……容易く祓うだろう。

 

 そう思ったが──飛びかかった瞬間、みぃちゃんの体が、叩きつけられるように跳ね返された。

 

「──!」

 

 身体が床で弾み、滑った爪が床を削って火花を散らす。

 

『あれぇ……なんかへん…』

 

 みぃちゃんが立ち上がろうとする。けれど、動きが明らかに鈍い。

 夏油は、異変に気づいた。

 

(……呪力の流れが、薄い……?)

 

 そう。みぃちゃんの全身から溢れていた呪力が、明らかに減っている。

 呪力の奔流が、細くなっていた。

 

 立ち上がろうとしたみぃちゃんの脚が、わずかに震える。

 金色の瞳に宿る光は、まだ消えていない。でも、足元の影は心なしか浅くなっていた。

 

『ななこちゃんがくれた呪力……もう、ぜーんぶ使っちゃったぁ……』

 

 ぼそりと漏れた言葉が聞こえた瞬間、夏油は咄嗟に構えた。

 一時的に弱ったとはいえ、特級呪霊を薙ぎ払えるほどの強さを手に入れた奴が、自分を確かに捉えたからだ。

 

 みぃちゃんは、べしゃりとその場に伏せた。

 

「特級レベルなのに呪力切れかい?」

 

 舌をべろんと出したみぃちゃんは、まるで電池が切れた人形のように、静かにまぶたを下ろす。

 

『……あの娘のせいだ』

「……娘?」

『アタシの本当の呪力は、あの娘が封じてるんだよぉ』

 

 夏油は、目の前の呪霊から思わず目を逸らしそうになった。

 どういう意味だ? そう思った瞬間にも、成り損なった、人型に模した呪霊はこちらに飛びかかってくる。

 

『ななこちゃぁん……起きてぇ…』

 

 『みゃおん』と鳴きながら、体がしゅるしゅると小さくなっていく。

 

 領域が崩れ、戻った暗闇の中──夏油は目を凝らしながら、人型の呪霊を見据える。

 相手は咆哮した。ビリビリと響く呪力。通っていないはずの電気が、チカチカと点滅する。

 

(手間取ると、また領域に引きずり込まれるな……)

 

 そして、夏油は人型の呪霊を迎え撃った。

 

 

 

  ──バッ。

 

 人型の呪霊が跳ねた。体の部位は人間に酷似しているはずなのに、明らかに()()。踏み込む動作一つにすら、軋むような肉音と呪力のひずみが混ざっていた。

 

 夏油は右手を上げる。その指先で空間が歪む。ズズ、と押し広がる闇。

 

「──行け」

 

  彼の背後に、巨大な呪霊が現れる。四肢を持たず、喉から蠢く無数の腕を伸ばす異形。這いずるそれは、螺旋状の口から呪毒を撒き散らしながら前へ進む。

 

 だが相手は、怯まない。

 

 人型のそれが地を蹴った瞬間、空気が震えた。

 夏油の呪霊が放つ触手が突き出されるが、呪霊はそれを爪で弾き返す。裂けた肉が床に叩きつけられ、呪毒の痕が床を焦がす。

 

 夏油はさらに片手を掲げ、第二、第三の呪霊を展開する。

 

(数で押せる相手じゃない。だが、囮にはなってもらう)

 

 空中を滑る蛇のような呪骸。口を裂いた魚のような呪霊。音もなく現れたそれらが、三方から人型の呪霊を一瞬のうちに取り囲む。

 夏油はそれらの背後から、小型の呪骸をすり抜けさせる。

 

 ──刺せ。

 

 念じると同時に、小型の呪骸が人型の脇腹へ突き立つ。だが次の瞬間、バチン、と嫌な音とともに呪骸の体が吹き飛ばされた。

 

(……反射的に呪力を収束させて、防いだ……?)

 

 ただの暴走ではない。知性を持って戦っている。

 

 夏油はわずかに目を細めた。

 

「ならば──」

 

 地を這うように、腕の呪霊が一気に伸びる。

 人型の呪霊の足を絡め取った瞬間──今度はその口が開いた。内部で蠢く歯のようなものが、今にも喰らいつこうとしている。

 

 人型がもがいた。その目が、初めて小さく揺れる。

 

 夏油は手を振り下ろした。

 

 ──ガチン、と歯がぶつかり合うような音が響いた。

 

 人型の呪霊は、上空へ脱出している。吸盤でもあるかのように、天井へべたりとくっついた。

 

「全く……勝手に任務の等級を上げられるのも骨が折れるな」

 

 ふぅ、と息を漏らした夏油は、勝機を見出していた。

 相手が成長してすぐでよかった。知能は上がっているが、戦いでの経験値は低い。

 それに、チカチカと電気が断片的に照らすおかげで、相手の動きも追えている。

 

「さっさと片付けよう。あまり遊んでいる時間はない」

 

 瞳孔ない真っ黒な目が、夏油を見下ろした。そこには言葉も意思もない。ただ獲物を見据える目だけが、真っ直ぐに突き刺さってくる。

 

「……高みからの狩りが好きかい? なら──落ちてこいよ」

 

 言葉がわかるのだろう。挑発に乗った呪霊は、天井から真下に落ちてきた。

 

 夏油が指を鳴らす。即座に、真下の床が隆起した。

 あらかじめ仕込んでいた呪霊が、槍のように顎を突き出した。

 

 人型の呪霊は小さく呪力を放ち、自身が落ちる軌道を逸らした。

 

 ──が、予想通り。夏油は、その着地点に向かってすでに動いていた。

 闇から小型の呪霊を取り出す。糸状の体を持つそれを、落下地点の足元に滑らせた。

 

「動きを封じさせてもらうよ」

 

 呪霊が弾けると同時に、地面から粘性の高い黒い糸が噴き出す。人型の両足が床に縫いつけられる。

 

 夏油はその一瞬の隙を逃さない。

 

 ──踏み込む。

 

 上体を沈めて距離を詰めると、左手で人型の肩口を押さえ、右拳を深く叩き込む。

 

 手応えはあった。だが、次の瞬間──

 

「っ……!」

 

 返しの鉤爪が腹を裂きかけた。

 

 咄嗟に呪霊を間に挟み、身を引く。切られたのは袖だけで済んだ。

 

(反応が早い……知性に加えて戦闘本能も発達してきている)

 

 間を取って距離を開く。

 

 ──仕留め損ねた。

 

 だが、ここからが本領だ。

 

 静かに口を開く。

 

「最近、珍しい呪霊を手に入れてね。少し試させてもらっていいかな?」

 

 その言葉と同時に、夏油の背後に現れたのは中型の呪霊。その体は楽器のような空洞を持ち、骨の中を風が吹くように音を響かせる。

 夏油は自分の両耳に指を突っ込んだ。

 

 そして、呪霊が体部を揺らすと、連続した音が鳴る──。

 

 低く、ねじれるような音色。耳を裂くわけではない。だが、呪力を持つものにだけ届く、"異音"だった。

 

 人型の呪霊は、首を傾ける。

 その瞬間──動きが、僅かに()()()

 

 脳への干渉。呪霊の中枢にノイズを走らせ、判断と動作の間に"ズレ"を生ませる。

 

「いいね。敵としてなら厄介だが、自分が使うなら足止めになりそうだ」

 

 夏油は再び距離を詰め、腰を落として構えを取った。

 

「──終わりにしようか」

 

 後方から四肢を持たない呪霊が這い出す。その背には、数十の針状の骨が突き出ていた。

 

 夏油が口元をゆがめる。

 

「私が取り込める程度に弱らせてあげる」

 

 呪霊の体内から射出される、針状の呪力の塊。人型の動きが遅れたその一瞬に、全方向から突き刺さる。

 

 貫かれた肢体から、呪霊特有の黒い粘液が噴き出す。

 

 そして──夏油は手を伸ばした。

 

 

 

 その瞬間、人型の呪霊は自身の両足を尻尾切りのように切り、ある方向へ跳ねた。

 ──七瀬さんか。

 夏油が大して焦らなかったのは、そういう可能性も踏まえて、彼女の側に呪霊を放っておいたからだった。

 

 今に自分の手駒になる。そう思ったとき、七瀬さんの小さな体の陰から顔を出したのは──白い猫だった。

 

 いや、あれは──、

 

『ななこちゃんの呪力、返してねぇ』

 

 間延びした声。

 

 みぃちゃんか、と夏油が認識した途端、それは大きな口を開けて、人型の呪霊を飲み込んだ。

 

『あ〜、ちょっとだけ、戻ってきたかもぉ?』

 

 ぐぅーっと体を伸ばし、ミシミシと体を増大させている。

 

「……人の手柄、総取りはないだろう」

 

 夏油がそう声をかけるも、みぃちゃんは知らぬ顔で七瀬を見下ろす。

 ──いつの間に移動していたんだろう。

 それを聞いても、どうせみぃちゃんはおちゃらけてかわすだけだろう。

 

 瞬いていた電気は音もなく消えた。一瞬にして辺りが見えなくなる。

 

「……七瀬さんを頼んでもいいかな? 視界が悪いし、あの呪霊の領域に引きずり込まれてから現在地がわからない。だから、窓を探す」

 

 夏油は一方的に話した。そして、暗闇に少しずつ慣れてきた目を凝らし、壁側へゆっくりと近づく。

 壁に手を沿わせながら歩き、窓を探した。そして、つるりとした感触にたどり着く。なんの迷いもなくそれを割り破って、外へと身を乗り出した。

 下を見下ろす。運が良かったのか、自分たちが入ってきた正面玄関の真上のようだった。

 

「ここから飛び降りよう」

 

 返事はない。だが、真っ暗闇の中で、布が擦れる音がした。

 

「私が七瀬さんを抱えようか」

『ううん、アタシのななこちゃんだから』

 

 夏油の眼前に、ゆっくりと姿を現したのは、金色の瞳だった。

 仰向けとなって宙に浮かび、腹の上に七瀬を乗せている。まるでゆりかごのようだった。

 

 夏油は何も言わず、外へと飛び降りた。地上に降り立ち、上を見上げると、毛玉がふわふわと漂いながら徐々に降りてくる。

 それを待ってから、待機しているであろう補助監督のほうへ歩きだそうとした──が、歩みを止める。

 

 切れ長の目が見つめたのは、宝物を抱えるように七瀬を離さない呪霊の姿。

 

「……少し、聞いてもいいかい?」

 

 やはり、特級呪霊は答えない。それでも夏油は続けた。

 

「君の力を封印している娘がいると言っていたけど」

『……』

「あれはどういうことかな」

 

 何も聞こえていないかのように、自身の肩のあたりに乗せた、七瀬の頭に擦り寄るばかりだ。

 

「……うちの担任が、君の中で小学生ぐらいの女の子と出会ったらしいね」

 

 その瞬間、先の尖った耳がぴくりと動く。それを夏油は見逃さなかった。

 

「顔が、七瀬さんにとても似ていたとか」

 

 ニタァ、と口角を持ち上げ、ずるりと這い出た舌。夏油は思わず身構える。

 あの舌が見えたとき、いつも厄介なことばかり起こっていたからだ。

 

「その子が封印しているのかい」

『……ちょっと教えたら、ななこちゃんに……何も言わない?』

 

 舌の先が割れていく。すぐにでも反撃できるんだと、警鐘を鳴らされている気がした。

 

「……」

『アタシは、ななこちゃんに何も思い出してほしくない』

 

 珍しく、歯切れの良い言葉だった。

 

「思い出すとどうなる?」

『ななこちゃんが悲しむ』

「……君にデメリットがあるんじゃなくて?」

『それは……わからない。でも、ななこちゃんが悲しかったら、()()()も悲しい』

 

 夏油は妙な違和感を感じた。

 口角を持ち上げ、にやりと笑う姿はいつもと何ら変わりないのに……どこかが違う。そう感じさせる何かがあった。

 

(……ここで欲張ると何も教えてもらえなさそうだな)

 

 そう考えた夏油は、静かに頷く。

 

「……わかった。七瀬さんには話さない」

 

 その返事を聞いたみぃちゃんは、そっと七瀬を見下ろす。そして舌を仕舞った。

 

『力が封印されてるって言ったのは猫ちゃん。やがせんせいが見たのはわたし、みぃちゃん』

「……今、話してるのは?」

『みぃちゃんだよ』

 

 黒い鼻がひくひく動き、何かを感じ取っているように見える。

 

「その……みぃちゃんと猫ちゃんは、いつどっちが話してるのかな?」

『うーん、そのとき力が強いほう』

「明確な見分け方はない?」

『ないんじゃないかなあ。(がわ)はいつも猫ちゃんだし』

「今はどうして出てこれてる?」

『猫ちゃんが呪力をいっぱい使って弱っちいから』

「ああ……なるほどね」

 

 夏油は、夜蛾から聞いたことを思い出しながら少し考えた。

 

 この任務への出発前、夜蛾は自身に起きた出来事を話していた。

 全ては、正体不明の呪霊と任務に出る夏油のためだった。

 

 呪霊の生得領域に取り込まれたときに見たもの──荒れた農村地帯。朽ちた瓦屋根の平屋。その奥で佇んでいた、七瀬さんにそっくりな少女。

 そして、彼女の言葉。

 

 "猫の言うことは、全部信じてはいけない"

 "猫はあの子であり、あの子ではない"

 "力を止めきれなかった"

 "だから猫の姿"

 "自分が話しているようで、そうではない"

 

 夜蛾が代弁した、少女の言葉の真意がなんとなく理解できた気がした。

 

「君は……みぃちゃんは、その猫を取り込んだことがある?」

 

 ぴくりと金色の瞳が瞬く。それだけで、答えは見えた。

 

「みぃちゃんは、七瀬さんの血縁関係かい?」

 

 また、瞬いた。

 

「……じゃあ、君が取り込んだものは何だったのかな」

 

 にぃ、と持ち上がった口角。

 

『それはねぇ、ヒミツだよぉ〜』

 

 間延びした語尾。七瀬を抱えたままくるんと回転し、夏油のほうを見ようともしなくなる。

 

(……()()が、変わったな)

 

 そう察したのはすぐだった。

 

『血のニオイ〜、ななこちゃんだったんだねぇ』

 

 べろりと垂れた舌が、七瀬の肩を這う。そこへ、確かな呪力が流れ込んでいた。

 

(……他者にも効果がある反転術式が使える。そんなものを取り込めたみぃちゃん……)

 

 ──彼女は一体、何を呪い、何を忘れているのか。

 何度そう考えようとも、答えは一向に出てこない。

 

 だが、少し掴めた。

 

 七瀬さんの出自を辿ることは必須。そして、機を見計らって、みぃちゃんから聞き出す。

 これが今、いちばん現実的だ。

 

「……こんな危険な目に遭いながら探して、何が得られるっていうんだか」

 

 思わず呟いてから、胸中をよぎった感情。

 

(……けれど放っておけるほど、鈍感でもない)

 

 夏油は、小さく溜め息をついた。

 

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