そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第十六話︰忘れてほしいこと、思い出してほしいこと

 夏油は呪術高専に帰るため、ふよふよと漂う大きな毛玉──みぃちゃんと一緒に車に戻った。

 いつもなら後ろに乗るところだが……猫の姿をした特級呪霊は、頑なに七瀬を離そうとしない。

 

「……どうしても、離したくないんだね」

『だって、アタシのななこちゃんだもん』

 

 自身の腹の上に乗せた七瀬を、短い前足でむぎゅうと抱き締めている。

 夏油が後部座席のドアを開けると、みぃちゃんはその大きな体をぎゅうぎゅうに押し込んで乗り込んだ。

 

「……」

 

 素直な呪霊だな、と夏油は思う。

 七瀬さんが高専への編入を選んだことを、この呪霊はちゃんと理解している──だからこそ、帰る場所をわかっている。

 

 それは、この呪霊が過呪怨霊ゆえの忠誠なのか──別の意志によるものか。

 

 そう思い切れないのは、この呪霊の中に、明らかにふたつの存在があると気づいてしまったからだ。

 

 彼が助手席に乗り込むと、規則的な寝息が小さく聞こえた。

 

「……噂には聞いてましたけど、すごいですね」

 

 車のエンジンをかけながら、補助監督が言う。夏油は補助監督のほうへ視線をやりながら、シートベルトを締めた。

 

「ほんとにこんな呪霊が言うことを聞くんですか?」

「そうですね。七瀬さん限定だけど」

 

 補助監督の口元が引きつるのも、無理はなかった。後部座席にいる奴からは、強大な圧が絶えず放たれている。

 

 夏油はバックミラーをちらりと見やった。

 

 無垢な寝顔だ。2級呪霊に怯えていた少女とは思えない。だが、怯える方を間違えている。

 それよりもずっと恐ろしい存在が側にいるというのに。

 自身の術式により、少しずつ力を蓄えた存在がずっと近くにいるせいで、感覚がおかしくなっているのだろうか。

 

(……呪術師を志してすぐで、2級呪霊に恐怖心を抱くのは普通か)

 

 夏油の周囲──特に親友が()()なせいと、自身も才能を早々に開花させて1級術師に上り詰めたことから、()()の基準を見失いかけていた。

 

「夏油さんは次の任務もないですし、呪術高専に直帰でいいですか?」

「はい、お願いします」

 

 運転席から聞こえた声に意識を引き戻された夏油は、後ろを見るのをやめた。

 

 

 

 … … …

 

 夏油と、七瀬を抱えたみぃちゃんが高専の門をくぐる頃には、朝の静けさはすっかり消え、太陽が高く昇っていた。

 春から夏へと季節は移ろう。朝夕の寒暖差は大きく、昼間にはもう夏日かと錯覚するほどの陽射しが降り注いだ。

 

 そんな日差しの中、夏油の背後を、みぃちゃんはずっと着いてきた。

 

「先に七瀬さんを寝かせようか」

 

 そう声をかけるも、返事はなかった。廃病院から脱出したときには、あれほど饒舌だったのに。

 

 夏油は振り返り、その姿を見た。

 大きさは、彼の背丈ほどもある。仰向けのまま、その腹にはずっと七瀬が乗せられていた。

 未だ目を覚まさない彼女は、その腹の上で器用に寝返りをうつ。眉間にわずかにシワを寄せ、かすかに呻いた。

 

 夏油は、思考を巡らせた。

 七瀬さんは、何かを忘れている。問いかければ、思い出すかもしれない。だが、みぃちゃんはそれを望まない。

 それに、みぃちゃんはいつも彼女の傍にいる。探りを入れる隙すら、どこにもない。

 

 ──でも。七瀬さんが気を失っている、今だけは。

 この瞬間だけは、問いを差し込む隙があるのかもしれない。

 

「君は今、みぃちゃんなのかい?」

 

 夏油は静かに問いかけた。だが、やはり沈黙が返ってくる。

 

「それとも猫のほう?」

 

 七瀬が寝泊まりする別棟へ向かって、夏油はゆっくりと歩き出す。歩くペースを少し落とすと、みぃちゃんは彼の隣に並んだ。

 夏油がちらりと視線を送ると、みぃちゃんはぴくりと耳を動かした。

 

『……それ聞いて、どうするの〜?』

 

 不意に返事が返ってきた。

 

「……!」

 

 夏油は、思わず目を見開いた。

 ──返事が来るということは、みぃちゃんか?

 

「……みぃちゃんは、七瀬さんが思い出すのを嫌がっていたけど……君は、どう思ってる?」

『う〜ん、アタシは別に、どっちでもいいかなぁ』

 

 ──違う。今は、()()()か。

 猫のほうから返事が来た──夏油は、そこにわずかな驚きを覚えた。

 

「七瀬さんが悲しい思いをしてもいいのかい?」

『別に、悲しくないよぉ。アタシとの出会いを思い出してくれるんだもん』

「……七瀬さんとはいつ出会ったのか、聞いてもいいかな」

『えっと、それはねぇ』

 

 鼻をひくひくと動かした猫は、目をすぅ、と細めた。

 

『ななこちゃんがちっちゃいとき!』

 

 にんまりと持ち上げた口角。小さく開いた口の隙間から鋭い牙と、赤い舌が覗く。

 

「そんな前からの知り合いなんだ」

 

 夏油は努めて冷静を装った。何気ない会話から、手がかりを探る。

 

『そうだよぉ。ななこちゃんの術式がひらいたからねぇ、アタシが見つけてあげたの〜』

 

 術式の開花といえば、五、六歳くらいか。……そんな前から、一緒にいたというのか?

 七瀬さんは当初、自分に取り憑いたのは蝿頭(ようとう)だと言っていた。

 それも、小学校低学年の頃だったはずだ。

 

 思いのほか、返事が返ってくる。

 このまま核心に近づけるかもしれない──そう思いながら、夏油は問いの言葉を慎重に選んだ。

 

「七瀬さんの術式と、君の関係……そういえば──君のことはなんて呼べばいいのかな」

 

 この呪霊の正体を知るために。

 

『アタシのこと、そんなに知りたい?』

 

 ギョロリと動いた金色の瞳は、夏油を捉えた。

 

「……そうだね。知りたいと言ったら、教えてくれる?」

『え〜、どうしよっかなぁ』

 

 ふふん、と鼻で笑ったみぃちゃんは、まるで煙のようにふわりと舞い上がった。

 

『でもね、呼ばれたことなんて、なかったよ?』

「……名前は、なかった?」

『そうだよぉ。みんなが勝手に呼んでる名前はあったけど〜』

「それはなんて?」

 

 高く、高く。互いの声が、聞こえなくなるほどの距離にまで。

 

『アタシはぁ……____』

 

 聞かせる気など、最初からなかったかのように。特級呪霊は、風に乗る霧のようにゆったりと漂い、離れていった。

 そして、目的地の建物の屋上付近にふわりと浮かび、そのまま動かなくなった。

 

「……」

 

 夏油は、それをしばらく見つめた。

 

 

 

「──ご苦労だったな」

 

 急に背後から声がかかる。夜蛾だった。

 夏油が振り返ると、彼はわずかに目を細めた。

 

「七瀬は?」

「上です」

「上……?」

 

 夏油は空へ視線を送る。

 

「ええ、あの毛玉の中です」

 

 夜蛾は夏油の視線を追い、ふわふわと浮かぶ白い塊に気がついた。

 

「……どうしてあんなところに?」

「それはわかりませんが、自分のことを聞かれたくなかったのかもしれませんね」

 

 ふっと笑った夏油は、夜蛾に向き直る。

 

「たくさん報告できそうですよ」

「それは、良い報告なんだろうな」

「……悪い内容じゃないと思っていますけどね」

 

 はぁ、と溜め息をついた夜蛾は、眉間を親指と人差し指で揉む。

 

「七瀬の、任務での様子はどうだった?」

「場所が悪かったかもしれません。廃病院の外から中まで怯えっぱなしで、呪力はだだ漏れ」

「……目標の2級呪霊は?」

「ばっちり強化されていましたよ。予定通り……というより、少し予定以上でしたね」

「はぁ……まあ、そうなる気はしていた」

「恐らくまだ成長途中だったと思いますが、術式の付与されていない生得領域の形成が可能──少なくとも1級以上には成長させていた」

 

 そこで言葉を切った夏油の目には、どこか穏やかさが滲んでいた。

 

「その2級の会得した術式は、空間への干渉が可能だった。そこで問題が起きた──そのせいで、七瀬さんは一度連れ去られたんです」

「……ここまで聞く限り、悪い報告だが?」

「そうですね。その直後、凶暴化したみぃちゃんに襲われましたし」

 

 あっけらかんと言い放ち、少し口角を持ち上げる始末。

 対する夜蛾は空を見上げ、ふわふわと浮かぶ白い毛玉に目を細める。

 

「あの特級呪霊は妙な術式を使う。口の奥には呪霊とも言い難い"闇"を無数に抱えている。"それ"は私の使役する呪霊をいとも簡単に飲み込んでしまった」

 

 夏油はそう言いながら、ゆっくりとまぶたを下ろす。

 脳裏に蘇るのは、懐中電灯に浮かんだ、傷一つ動じない異形の姿──圧倒的な"力"の象徴だった。

 

「フィジカル面でも厄介だ。おまけに──他者にまで効く反転術式も使える」

「……なんだと?」

「ええ。あれがただの呪霊なら、少し笑えませんね」

 

 夜蛾は夏油の言葉を聞きながら、わずかに頷いた。

 

(……夏油の言葉はもっともだ。俺もあの呪霊を初めて見たときから、奇妙な感覚を覚えていた)

 

 見た目は愛嬌がある。語り口も稚拙で、どこか子どもじみている。けれど──あれは、こちらの手の内を見透かすような目をしている。

 

「……まあ、七瀬さんの言うことを聞くうちは、これは脅威ではないでしょう。別に気にしなくていいと思っています」

「ほう」

「それに、七瀬さんが恐怖から他の呪霊を成長させてしまうことも、そこまで問題じゃありません。むしろ、それによってみぃちゃんがさらに強くなるなら、結果的には高専にとっても利がある」

「……なら、何が問題だった?」

 

 今度は夏油が、ふぅと小さく溜め息をついた。

 

「七瀬さんが意識を失うことです」

 

 夜蛾は少しだけ首を傾げる。

 七瀬が気を失うことは、今に始まった話ではないからだ。

 

「先生が、あの猫の腹の中で見たと言っていた女の子。どうやらその子に、本来の呪力を封じられているらしい」

「……だが、あの呪霊は呪力を使えている」

「七瀬さんの呪力を常に吸い取って、蓄えているようです。力任せに生得領域を壊したあと、呪力切れを起こしていました」

 

 夜蛾は、かすかに息を詰めた。

 

「……その少女が、術式で封じているということか?」

「そこまではちょっと。そうかもしれないし、原始的な縛りのようなものかもしれない」

「……いや、恐らく術式だろう。ただの縛りなら、そこまで安定して抑え込めるとは思えない」

 

 夜蛾は、生得領域の中で見せられたものと、少女が言っていた言葉を思い出す。

 

「あの子は、猫の力を封じ切れなかったと言っていた。自分の中に取り込んで、どうこうする術式じゃないかと俺は推測する」

「……さすが、先生ですね」

「腹の中に連れ込まれてなきゃわからなかったさ」

 

 ふ、と笑った夏油は、薄く唇を開いた。

 

「それと、あの呪霊の中には、明らかにふたつの存在があります」

「……少女と、猫か?」

「はい。そのとき表に出てきているほう、どちらとも疎通は図れました」

「いつどちらが話しているかわかるか?」

「本人に直接聞いてみないと、なんとも」

「そうか……」

 

 夜蛾はおもむろに腕を組み、空を睨んだ。

 

「ただ、彼らは相反する意思を持っているように感じました」

「……というと?」

 

 ゆっくりと瞬いてから目つきを和らげ、夜蛾は隣を見る。

 

「腹の中の少女──みぃちゃんは、七瀬さんに思い出してほしくない、悲しませたくないと思っている。……けれど、猫のほうは──」

 

 夏油が思い出すのは、にんまりと口角を持ち上げた、恍惚とした表情。

 

「猫のほうは、違った。ふたりの出会いを思い出してほしいと──まるで、なにかを伝えようとしているようでした」

「片方にとって過去は最悪、もう片方には最高だったのか?」

「そうかもしれませんね」

 

 それを最後に、会話が止んだ。

 

 髪を揺らす程度の風が吹き、夏油の髪を緩やかに舞い上がらせる。

 

 

 

「──それに、繋がるかどうかはわからないが」

 

 夜蛾は前を見たまま言葉を紡いだ。

 

「七瀬には常に()()()()()()()が光っている。あの子には聞けなかった。だから……まわりから少し、情報を集めてみた」

「……」

「あの子の母親──七瀬咲(ななせ さき)。旧姓、藤野咲……彼女は今から10年前に、地方の農村地帯から、ここ東京へ引っ越してきている」

 

 急に七瀬の母親のことが飛び出してきたため、夏油は驚きからほんの少し目を見開いた。

 

「そして、()()し、現在に至っているが……少し妙だったんだ」

「……妙とは?」

「母親は以前住んでいたところから、ここへ住所を移している。だが、七瀬ななこにはそんな履歴がなかった」

「……変ですね」

「そうだろう? だからあの子には悪いが、少し詳しく調べさせてもらった」

 

 それが何を意味するのか、夏油はすぐに正解にたどり着けない。

 

「七瀬ななこは、10年前に戸籍を作っていた」

「……?」

「つまり……出生届が、出されていなかったんだ。あの子は──ずっと、存在しない子どもだった。そしてここへ来て、何かしらの理由で戸籍が必要になり……作った」

 

 理解した瞬間、ぞわりとしたものが夏油の背筋を駆け上がった。

 

「……あの子は、どんな幼少期を過ごしたんだろうな? みぃちゃんが思い出させたくないと思うほどの……」

 

 そこで夏油は思い出す。

 

「そういえば……みぃちゃんに、七瀬さんの血縁関係かと聞いたとき、肯定するように瞬きをしていました」

「……戸籍上、七瀬咲の子どもはひとりだった。だが……無戸籍のまま、誰にも知られない子が、いたとしたら」

 

 夜蛾は静かに口を閉ざす。

 

 夏油は、遠く空を見た。

 

 ──ああやって宝物のように腹の上に抱えたまま、"あれ"は今、何を思っているのだろう。

 

 そして──"あれ"は誰なのだろう。

 

 そこに立ち尽くすふたりからは、なんの答えもでない。

 

 

 

 

 

『──ななこちゃぁん、そろそろ起きないと、ダメだよぉ』

 

 爽やかさのある日差しの中で、穏やかに眠る少女に、みぃちゃんは静かに声をかけた。

 

『あの呪霊に力をあげすぎちゃったんだねえ……ごめんねぇ、次からはこんなことないようにするから、アタシが守ってあげるから』

 

 くるん、くるん、とまるで赤子をあやすゆりかごのように体を揺らしている。

 

『……うーん、でももう、どっちでもいいねぇ』

 

 宙へやっていた視線は、自分の腹の上にいる少女へ向かう。

 

『わたしでも、猫ちゃんでも……ななこちゃんを守れるのなら、もうそれだけで──アタシは、しあわせ』

 

 にんまりと口角を持ち上げる。細められた目の隙間から、太陽の光を反射した金色の瞳がきらきらと輝いていた。

 





遅くなりました〜! すみません!!
これをポチポチしているとき、なんか間違えたのか一度全部デリートしてしまい、3日は心が折れてました。

追伸※ しばらく更新頻度が少し落ちます。詳細は活動報告にて記載してます。
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