第十七話:交錯
目を覚ますと、私はみぃちゃんの腹の上にいた。
雲ひとつない青空が、瞳にじりじりと焼きつく。瞬きをすると、その青がまぶたの裏にまで残った。
地面に降りると、ずしりとした重力を感じた。
ふと、任務のことを思い返す。
廃れた病院。電気も通わない、薄気味悪いあの空間で──私は、ただ呪力を渡しただけ。
味方でもない呪霊を成長させて、それからのことを……きっと、私だけが知らない。
視線は自然と空へ向いた。
『ななこちゃん?』
湿った鼻先で、頬をちょんとつつかれる。
視線を下げると、猫の姿をしたみぃちゃんが地面にちょこんと座っていた。ざり、と砂を踏む音が響く。
『どうしたの? ぼーっとして』
「……ううん、特に理由はないんだけど」
『ふぅん』と相槌を打ったみぃちゃんは、自分の頭を私の手に擦り付けた。思わず笑ってしまいながら、私はその頭を撫でてあげた。
「……戻らないと、いけないんだよね」
それは自分への決意のようで、どこか足枷のように重かった。
『ななこちゃんが、そう思うなら』
にんまりと笑ったみぃちゃんを見つめると、金色の瞳がまっすぐに見返してくれた。その目が、少しだけ心を軽くしてくれる。
「……行こっか」
次に、ざり、と砂を踏んだのは私の方だった。
──任務のあとって、どうしたらいいんだろう?
そう思いながら、私は普段授業を受けている校舎へと足を向けた。夜蛾先生か夏油さんに会えるかもしれない。漠然とそう考えていた。
ふよふよと漂うみぃちゃんは、私の隣をついてきてくれた。
校舎の中は静かだった。廊下を歩くと、自分の足音だけがやけに響いて聞こえた。
そのとき、遠くから誰かの声が聞こえてきた。
自然と、そちらへ向かって歩いていた。声を探るように、壁沿いにそっと近づく。
「つーか、それって連れて行くだけ損じゃね?」
聞こえた声に、どこか聞き覚えがあった。次の瞬間──、
「まあ、祓えない範囲まで成長させられたらね」
どき、と心臓が鳴る。
思わずその場で足を止めた。
「憑いてるもんが強くたって、アイツ自身は並以下だし」
「……悟」
咎めるような声は、自分も知る男の人の名前を呼んだ。
どこか聞き覚えのある声──夏油さんと、悟さんだ。
「しかも本体が気絶したら、お憑きの呪霊も弱るとか……マジで実践には不向き」
それだけで、わかってしまった。
あのふたりが、私の話をしている。
この曲がり角の先での会話に耳を傾けながら、どこかで"聞いてはいけない"と感じていた。
「正直さ──ただのお荷物になっちまうだろ」
──お荷物。
その言葉が、胸の奥に鈍く刺さった。
(……私のこと、だよね…?)
思った瞬間、足元が揺れたような感覚に襲われ、無意識に後ずさった。
「悟、それ以上はやめたほうがいい」
返事なんて、聞きたくない。
私は踵を返し、逃げるように走り出していた。
(だめだ)
思考がまとまらない。ただ、この場にいたくないという感情だけが、自分の背を押した。
膨れ上がる不安。誰かが自分のことを"人間"として見ていないような……そんな恐怖が頭を支配する。
走って、走って──どこまで逃げたのかわからない。
気づけば、人気のない中庭の隅に座り込んでいた。スカートのまま地面に座り込むなんて……と一瞬思ったけど、すぐにどうでもよくなった。
体力のない私は、いつまでも息を切らしていた。
吐く息は弾み、息を吸い込む喉は焼けるように熱い。ヒュ、とかすかに掠れた音がした。
それを落ち着かせようと、思うのに……、
「……っ、う…」
視界が滲む。
見つめた先は、ぼやけてよく見えない。目尻にじわりと熱が孕み、ぼろぼろと雫が落ちていくのはなんとなく目で追えたけど……ぎゅっと閉じたまぶたを、もう開けたくはなかった。
──誰にも見られたくない。そう思っていたはずなのに。
「……泣いてる?」
ふいに、誰かの声が落ちた。
びくんと肩が跳ねる。反射的に顔を隠そうとして、袖で目元をぐいっと拭った。
「ごめんなさい! びっくりしましたよね!!」
慌てたような気配があった。
おそるおそる目線を上げると、そこには知らない男の人が立っていた。
柔らかい黒髪が風に揺れている。サラリとした前髪が自然に眉にかかっていて、真っ直ぐな瞳はどこかあどけなさを残していた。
雰囲気はどこか素朴で、整いすぎていないぶん、話しかけやすさを纏っていた。
目が合ったとき、彼は眉をひそめるでもなく、ただ優しい目で私を見ていた。そして、少し困ったように笑う。
その眼差しに、胸の奥がじわりとあたたかくなった。
「なんかすごい猫が浮いてるなーって思って来てみたら、誰かしゃがみ込んでるし、心配になって!」
その人の言う"すごい猫"が、みぃちゃんのことだとすぐにわかった。
みぃちゃんは私に擦り寄りながら、彼を真っ直ぐに見ていたから。
「えっと……すみません…」
うまく笑えない。
でも、男の人は特に気にした様子もなく、にこりと笑った。そして何も聞かず、少しだけ距離をとったまま、隣に腰を下ろした。
その行動に少し驚いた。私と同じように地面に直接座ってくれるなんて思わなかったから。
「いえ! 僕が勝手に来ただけなんで気にしないでください!」
「……はい」
元気な人だった。
学ランを着ているし、恐らく呪術高専の学生だろう。同じクラスじゃないし、1年生か3年生か……別の学年の人なのかな。
ぐす、と鼻を鳴らしながら、私はまた足元を見つめた。
この人は、きっと優しいんだと思う。
初めて会った私が泣いていたから、少し距離を保ったまま側にいてくれてるんだろう。
──でも。自分の気持ちに余裕がないせいで、どうして放っておいてくれないんだろうと、少し苛ついた。
「近くで見ても、すごい猫ですね!」
男の人の声につられて思わず仰いだ先では、彼は丸っこい目をさらに丸くして、みぃちゃんをじっと見ていた。
「なんか、こう……モフりたくなるけど、絶対にやっちゃいけない気がする……」
「……うーん、どうだろう? みぃちゃんにお願いしたら、させてくれるかもしれないですけど……」
「え!? マジですか!?」
キラキラと瞳を輝かせているのを見て、思わず笑ってしまった。声は小さく、かすれていたけれど、それでも笑えた。
「ちょっとだけ! いいですか?」
すると、みぃちゃんは珍しくすぐに反応を見せた。
『……ちょっとだけだよぉ』
にんまりと口角を上げて、ぐるんと一回転してから、男の人の目の前に漂う。
「うわー! 猫!! ふっかふかのでっかい猫!!」
"ちょっとだけ"と言ったくせに、みぃちゃんに飛びついているのを見て、私はまた笑ってしまう。
──この人に、少しでも苛ついたくせに。
こんな自分、嫌だなあ。
この気持ちも、涙と一緒に流れていけばいいのに。
そう願いながら、私は目元を拭った。
「──そうだ!」
彼はふと思いついたように声を上げた。
「お昼、もう食べました? ていうか、僕、お腹すいちゃって。よかったら一緒にどうですか? 校舎の中ってちょっと息詰まるし、ね」
その言葉に戸惑っていると、彼は言い訳みたいに笑った。
「無理にとは言いませんけど……外の空気吸った方が、少し気が楽になりますよ」
それが、泣いていた自分への気遣いだとわかってしまう。
そんなとき、男の人に撫で回されていたみぃちゃんが『ねぇ』と声を上げた。
『それしたら、ななこちゃん、笑ってくれる?』
自分の心臓が、またどき、と鳴った。
「うん! めちゃくちゃ笑顔になれると思うよ!」
『わぁ! それいいねぇ! お外行こぉ〜!』
パァ、と表情を明るくしたみぃちゃんは、男の人を短い足で掴んだ。
そして、ぐいんと伸びた尻尾が私の体にぐるぐると絡みつく。
『どこ行こう〜? アタシ、こんびにしか知らないなぁ』
「えっ……ちょ、みぃちゃん…!」
みぃちゃんはぶるりと震えた。そして体の中から、ミシミシと音が上がる。背中にコブがふたつ隆起して、勢いよく翼が広がった。
前よりもずっと、鳥の翼らしいきれいな羽。
──デジャヴを感じた。
『でも! ななこちゃんが笑顔になるならどこでもいいよねぇ』
にんまりと持ち上がったままの口角。
男の人は何が起こるのかわかっておらず、きょとんとした顔で私とみぃちゃんを交互に見ている。
『しゅっぱ〜つ!!』
翼が高く持ち上げられた。それが力強く上下した途端、首を持ち上げられないほどの重力が、体を押し潰す。
その次の瞬間──ふわりと宙へ浮かぶ感覚。気づけば私たちは、遥か上空にいた。みぃちゃんに引っ張られて。
視界が一気に開け、屋根の向こうに空が広がる。まるで世界から切り離されたみたいに、静かだった。
その光景に一瞬呆気にとられたが、すぐに思い直す。
「み、みぃちゃん…!」
『ん〜?』
「あれから、練習してないでしょ…!?」
深夜に呪術高専を抜け出して、コンビニに行ったあのとき。みぃちゃんは着地が苦手だったらしく、ぐるぐると空を撹拌しながら、無茶苦茶な重力にさらされた私は吐きそうになった。
今また、みぃちゃんの尻尾に抱えられて──気づけば、宙に浮いている。
『だ〜いじょうぶ、2回目はなんでも上手にできるんだからぁ』
それはどこからの自信だと問いただすことはできなかった。
男の人を抱えたみぃちゃんは、街の方へ向かって、ぐんとスピードを上げたから。
もちろん、一回転するのも忘れずに。
「うわ! すっげー!!」
そんな歓声を聞きながら行われた空の旅は、案の定、過去一で酔った。
… … …
「すごい経験でしたね! あんなの初めてでした!!」
目を輝かせた男の人は、信じられないくらい平然としていた。大きなみぃちゃんの顔に触れて、ほっぺをもにゅもにゅ揉んでいる。
私は自分の胸あたりをさすりながら、その光景を見ていた。
私たちは、人気のない路地に降ろされた。もちろん着地に失敗して、めちゃくちゃに振り回されたあとに。
『う〜ん、やっぱり難しいねぇ』
にんまり笑ったみぃちゃんは、男の人にされるがままだった。
──なんだろう。少し、珍しい気がする。
みぃちゃんは夜蛾先生や夏油さんに話しかけられても、全然反応しないときが多い。
でも、この人にはちゃんと返事するし、よそよそしい感じがなかった。
「……」
……きっと、いい人なんだろうな。
「ここ、どの辺なんでしょうね? 近くにファミレスとかあるかな」
みぃちゃんをひと通り撫で回した男の人は、キョロキョロと周りを見回した。
「とりあえず、あっちの人の多そうなところへ出ましょう!」
彼が指差した方向は、確かに人通りの多そうな道だった。人の列の奥に車が走っているのも見える。
私は頷いてから、歩き出した男の人の後ろを着いて歩いた。
路地を抜けた途端、視界が開けてまぶしい光が差し込んだ。
頬に触れる風がほんの少し涼しくて、どこか遠くで鳥が鳴いている。
「──あ、あそこ、ファミレスじゃないですか?」
彼が指さした先には、ガラス張りの建物が見えていた。昼下がりの陽射しが窓に反射して、店内を明るく照らしている。
中を覗くと、席は半分ほど空いていて、どこかゆったりとした空気が流れていた。
「……入ってみますか?」
そう声をかけると、彼はぱっと表情を明るくした。
「いいんですか!? やったー!」
そんな子どもみたいなリアクションに、つい口元が綻んだ。
──なんでこんなに、自然に笑えてしまうんだろう。
みぃちゃんは尻尾を揺らしながら、私の横をぴょこぴょこと歩いている。
あの重力崩壊のような飛行をしたとは思えないほど、平然とした顔で。
ガラス扉の前で、彼が先にドアを開けてくれた。
「どうぞ、七瀬先輩!」
「あ、ありがとうございま、す……」
お礼を言いながら、入ろうとして……思わず彼の顔を凝視してしまった。
「わ、私の名前……どうして…」
「あ! そうですよね、初対面なのに!」
少し目を見開いた男の人は、私の背中を軽く押して、中に入るように促す。
店内ではすぐに店員さんが案内してくれた。通された先で、戸惑いながら席に座る。
そこは4人掛けのソファー席で、男の人と向かい合うような位置になってしまった。
私の隣には、ソファーの上にちょこんと座るみぃちゃん。なんとなくサイズは少し小さくなっていて、ソファーとテーブルの隙間にこぢんまり収まっていた。
「だって、七瀬先輩って」
その言葉に誘われるよう、前を見る。
「めちゃくちゃ有名人ですよ!」
「えっ…そうなの…!?」
何故だが恥ずかしくなって、顔がぼっと熱を持ったのがわかる。
「珍しい術式を持っていて、すごい特級呪霊が憑いてるって!」
悪気なさそうに言う彼は、ラミネート加工されたメニュー表を手渡してくれた。
受け取りながら、返答に困った。だから曖昧に笑って、手元に視線を落とす。
……でも、それっていい意味?
……本当に?
「……それっていい意味なのかな」
ぽつりと零してから、ハッとして口元を手で覆う。
前髪の隙間からちらりと前を見ると、男の人は少し目を見開いていた。
「ご、ごめんなさい……変なこと、言って…」
慌てて取り繕ったけど、また前は見れなくなってしまう。
「僕は、いい意味だと思ってます!」
──え?
「自分は一般家庭出身で、術師としてもそこそこで、すぐに有名になんてなれなかった。でも! 七瀬先輩は、もうみんなの注目の的です!!」
気づいたときには、私は真っ直ぐに彼を見ていた。きらきらと輝いて見える瞳は、深く、全てを包み込んでくれそうな黒色だった。
「こんなすごい子が言うこと聞くなんて、七瀬先輩すごすぎます!!」
『へぇ〜、お前わかってるねぇ』
にんまりと笑いながら返事をしたのは、みぃちゃんだった。
『そうだよぉ、ななこちゃんはすごいんだよぉ。ずっと、ずーっと……一緒になりたくて、堪らなかったんだからぁ』
白い毛でふわふわの頭をこちらに寄せてきたみぃちゃんは、私の肩へぐりぐりと押し付けている。
「……みぃちゃん、ありがとう」
押し付けられた頭からは、じんわりと温もりが伝わってくる。
呪霊って、なんなんだろう。
ぽつんと思ったのは、それだった。
ちゃんと触れられる。
温かくて、柔らかくて、心臓の鼓動みたいに小さく震えてて。
私に、寄り添ってくれる。
でも、みぃちゃん以外の呪霊は祓わないといけない。
同じ呪霊なのに……人の感情から生み出された存在って、そんなにダメなものなの?
──でも、廃病院で出会った呪霊は私に攻撃してきた。
何が違うと、こうなってしまうの?
「──何か頼みますか? 僕はミックスグリルにしようかな!!」
自分の内側へ閉じこもりそうになっていた意識は、明るい声に引き戻された。
「そうですね……」
メニューを眺めながら、ふと思いついて、そろりと男の人の様子を伺う。
目が合った瞬間、彼はにっこりと笑った。
「そういえば、えっと……」
「はい!」
「名前、なんていうんですか?」
「あ、そうでしたね、僕は灰原雄です!」
大きな口を開け、動揺した素振りを見せたのも一瞬だった。えへへっと笑ったその顔は、どうしようもなく無防備で、つられてこっちまで笑ってしまいそうになる。
「灰原さん」
「えー! 呼び捨てでいいですよ!」
「そ、それはちょっと……じゃあ、灰原くん。私も先輩はやめてもらえたほうが嬉しいかも、です」
「じゃあ、七瀬さん!」
「はい」
「……でも、さん付けのほうが距離広がった感じしません?」
「そう、なのかな」
「そうですよ! せっかくご飯にも来たのに!」
眉を潜めて、「うーん」と唸りながら悩む顔は真剣そのものだった。
「……じゃあ、ななこさん!」
まるで"あだ名を考える感覚"で気軽に口にしたような響きだった。
「ぅ、わ、はいっ……!」
「これからよろしくお願いします!!」
口元がにかっと広がった。目元までくしゃっと笑う癖があるらしい。
灰原くんは、言葉の最後に「えへへ」と笑った。子どもみたいな、どこまでも無邪気で、まるで影というものを知らないような笑い方だった。思わずこちらの気が緩んでしまいそうになる。
……こんな風に笑える人、すごいなあ。
まるで部屋に光が差し込んだみたいに、笑っただけで空気が柔らかくなる。
──たぶんこの人は、泣いている人がいたら、いつだって迷わず駆け寄ってしまうような人なんだろう。
「あ、なに食べるか決まりました?」
「あっ、ごめんね、ちょっと待ってください……」
屈託ない笑顔に気を取られていた私は、慌てて注文するものを決めた。
そして、届いたミックスグリル定食には、ハンバーグやチキンステーキ、ソーセージがどんっと載っていた。
そんなボリューミーなものを、あっという間に食べ終わった灰原くんに、私はただ驚かされるばかりだった。
「はー! 美味しかったですね!」
一緒にファミレスから出たあと、灰原くんは満足げにお腹をさすっていた。
同い年ぐらいの男の子って、こんなに食べるんだ。
……そういえば、この前朝ご飯を一緒に食べた夏油さんも、朝とは思えないほどたくさん食べていた。
「……あ、そっか」
「え? なんですか?」
「ううん、なんでもないよ」
私、お父さんとお母さん以外の人とご飯食べるの、2回目だ。
1度目は夏油さん。そして──今。
だからそんな量を食べられるんだって知らなかったし……道理で妙に緊張したわけだ。
「……うん、美味しかったですね」
胸の奥が少し温かくて、自然と口元が綻んだ。
呪術高専に戻るため、しばらく道を歩いたあと、灰原くんが「あ!」と声を上げた。
「僕、あのファミレスに支給されてる携帯忘れてきたみたいです! 取ってきます!」
「あ、一緒に……」
「いえ! 悪いんで、ななこさんはここで待っててください!!」
言い終わる前に、灰原くんは来た道を走っていってしまった。
ぽつんとひとり取り残され、私は道の端に寄った。
ざわざわとざわめく雑踏の中、私はぼんやりと道行く人を眺めてから──ふと、気づく。
「……みぃちゃん?」
いつも近くに漂っている、みぃちゃんがいない。
「……あれ?」
キョロキョロと周りを見回すけど、白いふわふわの毛玉はどこにも見つけられない。
……なんで、と焦ったその瞬間だった。
「失礼ですが」
私の目の前に、淡いグレーの着物を着た男の人が立ちはだかった。
銀白の髪を短く整えたその人は、年の功を感じさせる風貌だった。顔の輪郭は痩せて引き締まり、眼光は老いを感じさせない鋭さを湛えている。無言のままでも、ただそこに立つだけで周囲の空気が引き締まる──そんな静かな威圧感があった。
彼は続きを言わず、私をじっと見下ろしてくる。
「……えっと…?」
その視線に耐えられず、思わず狼狽えてしまう。
「……貴方は、藤野ななこ様ではありませんか?」
「……えっ?」
聞き慣れない名字だった。
「いえ……私は七瀬です」
「なんと……いや、そんなはず…」
顎に手をやり、「ふむ」と呟いた初老の男性はハッとして呟く。
「母親の名は、咲では?」
「……それは、そうですけど…」
思わず答えてしまったが、それもすぐ後悔した。
こんな見るからに不審な人に、名前を教えちゃいけない。そう思った私は、じり、と後ずさる。
「やはり……! ……なるほど、どうりで見つからないはずだ」
男の人はハァ、と大きく溜め息をついてから、唐突に跪いた。こちらに深く頭を下げるその体勢に、周囲がざわつく。
「ずっと、お探ししておりました」
事態が全く飲み込めない私は、慌てふためくばかり。周りの視線が気になって、額に急に汗をかいてしまう。
「ちょっと……! 困ります……!」
「藤野──いえ、七瀬ななこ様。折り入ってお願いしたいことがございます」
「えっ…と……?」
やおらに顔を上げた男の人は、見たことないぐらいに真剣な顔をして言う。
「貴方様に……藤野家の当主を継いでいただきたく思い、参上致しました」
めちゃくちゃ遅くなってしまいました……すみません。
お気に入りや評価、感想ありがとうございます!
これからもよろしくお願いします!!