そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第十八話:自由の匂い

 私は、うまく理解できなかった。

 

 灰原くんと出会って、気持ちが少し軽くなった。笑うことができた。

 そんな、ファミレスからの帰り道、銀髪の男の人に「藤野ななこ」と呼ばれた。お母さんの名前まで知っている。

 そして言われたのは、「藤野家の当主を継いでほしい」ということ。

 

 その一言で、時が止まったようだった。

 

 私は、理解しようとした。でもその度に脳がブレーキをかけてくる。言葉の意味が、頭のどこにも収まらない。

 心臓の鼓動ばかりが、やけにうるさく響いていた。

 

 胸の奥では、ざわざわと不安が渦を巻く。

 わからない。何を、どう考えればいいのかも。

 

 答えが出ないまま、空気が静けさだけを抱いて、落ちていく。

 

「……とうしゅって、なんですか?」

 

 思わず問い返してしまったけれど、それは時間稼ぎにしかなっていなかった。

 頭が追いつかない。何を言われているのか、わからない。

 

 藤野という名字に心当たりはない。

 なのに、その家を継げだなんて──私は、一体何を頼まれているの?

 

 なんで……どうして、そんな話が突然、私に──。

 

「……驚かせてしまいましたね。ですが、どうか、少しだけ耳を傾けていただけませんか」

 

 男の人はそう前置きすると、まっすぐに私を見つめた。

 

「呪術界には、長きにわたり血で術式を継ぐ家系がございます。中でも、代々術式を守り継いできた名家は、もはや家というより、ひとつの組織と申しても過言ではありません」

 

「その頂点に立つのが、()()──すなわち、家を統べる者です」

 

「当主は、家に伝わる術式や規律を守り、継がせ、必要とあらば判断を下す立場。呪術師としての強さだけでなく、家の名を背負う覚悟が求められます」

 

「もちろん、それは決して名誉や権力のためだけではありません。守るべき者たちがいるのです。呪術界という歪な世界のなかで、ほんの少しでも()()を保つために」

 

 その口調は柔らかいのに、事実のみを淡々と告げられるようだった。

 

「咲様──あなた様の御母堂が、幼きあなた様を連れて姿を消されたのは……あの忌まわしき日より、すでに十年……」

 

「そして今や、あなた様が生まれ持った()は、もはや隠せぬほどに表へ現れている」

 

 その言葉の意味だけは、すぐにわかってしまった。彼の言う"力"は、きっと私の術式のこと。

 でも、どうしてそれを──。

 

「あなた様の()を隠せるうちに摘むべきだったのか、育つべきものだったのか……我々には、判断がつきませんでした。だが、あなた様は()()()()()()とは違う」

 

「その判断を下した弥春様は間違っていなかった……それのなんと素晴らしいことか……! あの家の()が、今なお脈打っているのですね。あの時、絶えたと思われていたはずの術式が……!」

 

 男の人は静かに微笑んだ。

 儀式のように整えられた動き──まるで舞台の上の役者のように、ゆっくりと頭を垂れる。

 けれど、次に顔を上げたとき、その目だけは笑っていなかった。むしろ、熱を帯びた異様な光を孕んでいて……私は、思わず息を呑んだ。

 

()()()だろうと、もう良いのです。あなた様に取り憑く呪霊のおかげで、その力は意のままだ。多少、発展途上ではあると伺っていますが」

 

「だからこそ、お願い申し上げるのです。ななこ様は血の継ぎ手。どうか……この家を継いでいただきたい」

 

 それは命令でも願いでもなく、あらかじめ定められていたような口ぶりだった。

 男の人は深く頭を下げ、静かに黙り込む。

 

 

 ……なに? 十年前? お母さんが「消えた」って、どういうこと──?

 

 何か、とても大切なことを聞かされている気がするのに、身体が拒否している。

 やっぱり、言葉がうまく頭に入ってこない。

 

 

 

 

 

「取り込み中に申し訳ないけれど」

 

 ──声が落ちた。

 

 どこかで聞いたことのある声。低く、柔らかい、それでいてこちらが(すく)むような圧を含んでいる。

 

 咄嗟に振り返ると、そこには──、

 

「……夏油さん」

 

 いつの間にか、夏油さんが私の隣に立っていた。

 瞳の奥には何かを測るような鋭さが宿り、彼はじっと男の人を見据えていた。

 その視線に、男の人は肩をかすかに震わせる。

 

「高専の生徒に、無断で接触しないでもらえますか」

「……これは、藤野家の正式な──」

「関係ありません。ここは高専の管轄だ。君らの家の論理は、ここには通用しません」

 

 静かだが、決して譲らぬ声音だった。

 

 男の人はしばらく唇を噛みしめていたが、やがてすっと立ち上がる。

 

「……では、いずれ改めて。ななこ様、ご機嫌麗しゅう」

 

 言葉を残して、男はひとつも足音を立てずに去っていった。

 その背を見送りながら、私は──呼吸の仕方さえわからなくなっていた。

 

 藤野。

 それはきっと、お母さんの旧姓。

 私が知らなかった、もうひとつの名前。

 

「──大丈夫?」

 

 気がつけば、夏油さんが私の肩にそっと手を置いていた。

 声はとても穏やかだった。でも、さっきまでの鋭さが、まだ声の奥に残っている気がした。

 

「さっきの男……知り合い?」

「……いえ、初めて会いました」

 

 自分でも驚くくらい、小さな声だった。

 声が震えている。

 

「困っているように見えたから間に入ったけど……余計だったかな」

 

 私はわからないまま、ただ頷いた。

 そして、ぐるりと辺りを見回す。

 

 ──いない。あの人はもう、どこにもいない。

 

 ようやく、息が吐き出せた。

 

「ありがとうございます、助かりました……」

「ただならぬ空気感だったよ。男が君の前で跪いていたし、そんなことよくあることじゃないから」

「そうなんです……びっくりして……。何かよくわからないことばっかり言われて、もっとわからなくなっちゃって…」

「へえ、あいつはなんて?」

 

 少し肩の力を抜くように、夏油さんが微笑む。

 

「あ、でも私が聞いてもいいのかな」

「はい、私もなに言われているのかよくわからなかったんですけど……」

 

 私はゆっくりと視線を遠くに向けて、あの男に言われた言葉を思い出す。

 

「藤野家の、当主になってくれって……言われました」

「……藤野家の、当主、ね」

 

 夏油さんは静かにその言葉を繰り返した。

 

 そのとき、遠くから駆けてくる足音が聞こえた。

 

「ななこさーん! ごめんなさい! 戻りましたー!!」

 

 それは、聞き慣れてきた無邪気な声だった。

 笑って駆けてくる灰原くんの姿が目に入った瞬間、私はようやく、穏やかに息を吸い込むことができた。

 

 夏油さんは、彼の姿を見て小さく目を細めた。

 

「……灰原と一緒だったんだ」

 

 ぼそりとそう呟いた声は、風に紛れて遠くへ流れていった。

 

「あれ!? 夏油先輩! どうしたんですか!!」

「七瀬さんが学校を抜け出したから、追いかけて来たんだよ。すごいスピードで飛んでいったね」

「そうなんですよ!! みぃちゃんの力、すごいですね!」

 

 興奮した様子の灰原くんを見ながら、私はハッとした。

 

 そして、周囲を見回す。

 

「……みぃちゃん?」

 

 どこにも──いない。

 

「げ、夏油さん……!」

「うん?」

「その……みぃちゃんがいなくなっちゃったんです…!」

 

 自分でも驚くほど不安げな声が漏れた。胸の奥に残るざわめきだけがやけに鮮明なまま、私は立ち尽くす。

 夏油さんは黙り、私の顔をじっと見つめてから、すぐに周囲を見回した。

 その隣では、灰原くんが目を丸くしてあたふたしている。

 

「え!? 今さっきまでいたのに……!」

 

 そして、同じようにきょろきょろと視線を動かしている。

 

 私ももう一度、ぐるりと見回した。けれど、あの白くてふわふわした姿は、どこにもいなかった。

 

「どっか隠れたのかな……いや、でも、あんな目立つのに……」

 

 灰原くんは、あたりの建物の隙間を覗き込んだり、植え込みの奥を覗いたりしていた。

 

「……すぐに戻るとは限らないけど、探せるだけ探してみよう」

 

 夏油さんはそう言って、ゆっくりと歩き出した。

 私と灰原くんもそれに続くように、三人で町を歩きながら、みぃちゃんの姿を探した。

 

 昼下がりの街は人の気配が多い。でもみぃちゃんの濃い気配が消えてしまうとは思えなかった。

 なのに、空を見上げても、どこからも感じ取れない。

 

 屋根の上も、電柱の影も、公園のベンチの下も、全部見た。

 小さな路地もぐるぐると回った。

 

「……いませんね」

 

 灰原くんが息を切らして呟く。

 

「なんで……どこにもいない……」

 

 焦りが胸の奥でじわじわと広がっていく。

 さっきまで一緒にいたのに。あんなに元気に飛んでたのに。

 

 足がだんだん重くなって、呼吸も浅くなっていく。

 

「大丈夫、落ち着いて」

 

 隣で夏油さんが立ち止まり、私の肩にそっと手を置いた。

 

「きっと、何か理由があるだけだよ」

 

 その言葉に、少しだけ呼吸が戻った気がした。

 

「……でも」

 

 また、声が震える。

 

 ぽつんと思い出したのは──ここへ来るきっかけになった言葉。

 

「私が気絶したら……みぃちゃんも弱くなるんですよね?」

 

 夏油さんは少しだけ眉をひそめた。

 

「じゃあ、私から離れてたら、弱くなってしまいませんか? みぃちゃんは、無事に帰ってこれるの……?」

「……悟の言葉、やっぱり聞こえていたんだね」

 

 静かな口調だった。

 

「そうだろうと思って、探しに来たんだ。灰原が一緒にいてくれて正直助かったよ」

「え! そうなんですか? じゃあよかったです!!」

「でも無断で抜け出したから、きっと怒られるよ」

「……うわ、やばい。ほんとごめんなさい、ななこさん!」

 

 「あちゃー」と呟いた灰原くんは、パンッと顔の前で手のひらを合わせた。

 

「ううん……」

 

 みぃちゃんがいなくなった不安、動揺……いろんな感情が渦巻いて、唇がひきつる。

 

「私、嬉しかったです」

 

 だけど、灰原くんには笑顔を返したかった。

 

「人に慰めてもらって、一緒にご飯を食べて、抜け出して怒られるなんて……初めてだから。みぃちゃんがいなくなっちゃったのはちょっと不安だけど…」

 

 人の温もりに触れられて、嬉しかったこと。それは本当だから。

 

「一旦帰ろうか。みぃちゃんの方から戻ってくるかもしれない」

 

 夏油さんがそう言うと、灰原くんも頷いた。

 

「はい! あの子、すごく甘えん坊でしたし、きっと寂しくなって、ふらっと戻ってきますよ!!」

 

 その楽天的な一言に、思わず小さく笑ってしまった。

 自分の顔が少しだけ緩んだのがわかる。

 

「……はい」

 

 私は、頷いた。

 

 そして三人で混雑する道を、高専へと向かって歩き出した。

 

 ふと見上げた空には、さっきとは違う、橙色の光が差し込んでいる。

 少しだけ、世界が柔らかくなった気がした。

 

 灰原くんが、夏油さんに笑顔で話しかけている。それに小さく笑って、返事をする夏油さん。

 そして、思い出したように振り返る。

 

「あ、そうだ。悟の言ったこと、そんなに気にしなくていいよ。悟は言葉が直接的すぎるから」

 

 私は、小さく頷いた。

 

「そのことも、誤解のないように話したほうがいいと思って。私が間に入るよ」

「五条先輩ってたまに高火力ですよね!」

「そうだね、本人は悪気がないからなんとも言えないんだけど」

 

 ハァ、と息をついた夏油さんは、やれやれといった風に軽く頭を振った。

 

 ──いつだったっけ。

 夏油さんと悟さんは、仲が悪いように見えた。でも、そうじゃなかったのかな。

 

 そんなことを思っている間に、話題が逸れた。

 背の高いふたりの後ろを、私はただついていく。

 

 ざわざわとざわめく人混みの中。

 

 ぐるりと周りを見回す。

 

 何回繰り返しても、いない。

 

 前を見れば、笑顔で会話する、私のクラスメイトと後輩。

 

 声を掛ければ、きっと振り返ってくれる。

 

 私を、その中に迎え入れてくれる。

 

 

 

 ひとりで、歩みを止めた。

 

 ふと、心の中に何かが浮かぶ。

 

 

 

「……普通の、世界だ」

 

 呪霊に取り憑かれていない、世界。

 

 私の──私だけの、世界。

 

 もう二度と戻ってこないと思っていた日常が、ここにある。

 

(……なんで、いなくなったの)

 

 みぃちゃんがいなくなってしまった不安は確かにある。

 でも、僅かな胸の高鳴りに気づいてしまった。

 

 だって……もし、あの子が戻ってこなかったら──。

 

 私は──自由になれるのかもしれない。

 自由。そんなもの、自分とは縁のないものだと思っていた。

 

 

 そんな考えがよぎった自分を、すぐに否定する。

 

 考えるのはやめた。

 

 呪霊を育てる術式がある私は、あの子がいなければ──生きていけないというのに。

 





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