そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第一章:編入
第三話:私の話


 夜蛾正道は、顔をしかめた。

 

 彼は上層部に呼ばれ、ある部屋の中央に立っていた。

 そこは広いはずなのに、妙に息苦しい空間だった。照明の届かない部屋の隅では、影が不気味に揺れている。

 大きな行灯(あんどん)の淡い光に浮かぶ障子戸が、まるで檻のように夜蛾を囲んでいる。いくつも立ち並び、静寂の中で不自然な圧迫感を生んでいた。

 それひとつが開き、奥に座す老人の顔が覗く。

 

「……それは、どういう意味ですか?」

 

 夜蛾は、自身の眉間のシワが深くなるのを感じた。

 七瀬を高専に迎え入れるべき。そう確信していたが──上層部はそう考えてはいない。

 

「意味も何も、七瀬ななこを正式には入学させられない。それだけだ。むしろ、完全秘匿での死刑執行が検討される案件だ」

「その理由を聞いているんです」

 

 老人は、険しい顔をした。そして、どうでもいいことを聞かれたかのように淡々と続ける。

 

「お前は見たんだろう、あの異常な呪霊を」

 

 夜蛾は口をつぐんだ。

 確かに、見た。いや……目の当たりにした。

 

 七瀬ななこに寄り添う特級呪霊。怯える彼女のそばにいるあれは──普通じゃない。

 

「見ましたよ」

「なら、話は早い。あれが彼女の力で成長したのは疑いようもない事実だ」

「……ですが」

「これは言葉で覆せるようなものではない」

 

 老人は冷たく言い放つ。すでに決まったことを伝えるだけのように。

 

「あの術式が制御不能になれば厄介だ」

 

 夜蛾は喉の奥に熱が込み上がるのを感じた。

 議論ではない。これではただの"処刑宣告"だ。

 

 確かに、七瀬の術式は異常だ。自分の知る、呪霊の概念を覆すようなもの。

 呪霊を特級にまで成長させる……しかし、それだけの理由で彼女を排除するのか?

 

「なら、管理すればいいでしょう。呪術師として」

「それができるというのか?」

 

 胸の奥に、抑えようのない怒りがこみ上げる。

 こいつらは最初から、排除する理由を探していただけだ。

 

「あれのやっていることは、呪詛師と大差ない」

 

 夜蛾の拳がギリ、と鳴った。

 ひとりの少女の命が今、天秤にかけられているというのに──。

 

 

 ──先日、夏油に連れられてやってきた七瀬には、あろうことか特級呪霊が憑いていた。

 だがその呪霊は取って食おうとしているわけではなく、友好的な態度を見せている。『ななこちゃぁん』と間延びした声を出して、彼女にすり寄っている。

 

 パッと浮かんだのは、七瀬の術式により主従関係が結ばれているのでは……という仮説だった。

 だが彼女は、特級と並ぶほどの呪術師ではない。ただの一般人に毛が生えた程度だ。

 自分の生徒にもいる"呪霊操術"という術式なら、これを取り込めるほどの力量が必要だが……明らかに劣っている。

 なら、取り憑かれている? それにしては妙な違和感があった。

 

 そして七瀬は言うのだ。

 

『最初は……小さい動物のお化け、みたいだったんです』

 

 それが、時の流れとともに話せるようになったと。

 

 呪霊はその強さや知能などから等級分けされる。

 彼女の言うことを信じるなら、蝿頭(ようとう)から少なくとも二級相当にまで、成長させたということだ。

 ただの、日常生活の中で。

 

 そして、夏油は"それ"を一級だと判断した。

 呪霊は普段、姿かたちを変えることはない。なのに"それ"はぐにゃぐにゃと形態を変える。何かしらの術式が付与されていると踏んだのだ。

 そして、自身が交戦したなかで、もとは一級だった呪霊が、戦いの最中で特級に成り上がったと話す。

 にわかに信じがたい話だった。だが、夏油はそんな嘘を言うような男ではないし、携える瞳は真剣そのものだ。

 

 そのとき、同じように話を聞いていた五条悟が突然動いた。特級呪霊に仕掛け、呪霊は我関せずといった様子で攻撃を避け、浮いているだけ。

 

 状況が一変したのは、あろうことか夏油が七瀬の首を掴んだときだった。

 特級呪霊の気配が変わり、七瀬を助けた。それはまるで、母が子を守るようだった。

 

 そして──五条の放った術式が特級呪霊の身体を裂き、だらりと体勢を崩したせいで七瀬が宙吊りになったとき──、

 

『生きて!!』

 

 彼女は叫んだ。その瞬間、体からとんでもない量の呪力が溢れ出た。それは濃く、オーラのように七瀬と呪霊の体にまとわりつく。

 それを吸収した特級呪霊は、ありえない量の呪力をまとい始めた。

 そして──『領域展開』と。

 誰かに教えられたわけでもなく、手印を結び、力任せに膨大な量の呪力を押し込んで……奴は、生得領域を完成させた。

 その中から出てきた夏油曰く、未完成だったというが……完全になる日はそう遠くないだろう。

 

 それはきっと、生死の境界線に触れた七瀬の術式が、顕現したから。そう思えるような現実を目の当たりにした。

 だから、七瀬が自分の力を制限できるよう、教えを説かなければならない。このままでは、ただの特級呪霊製造機になってしまう。それこそ、処刑の対象になってしまうだろう。

 

 そう考えていた矢先、人伝いに七瀬から『呪術高専に編入したい』と聞いた夜蛾は、それが最良だろうと思った。

 なのに、上層部は煮え切らない返事ばかりを寄越す。それどころか今にも殺してしまおうかという勢いだ。

 

 どうすればこの頭の固い連中を……と、ここでふと思いつく。

 ちょうどいいのが、自分の生徒にいたな、と。

 

「少し、考えていただきたい」

「……何を、今更」

 

 引き出さなければならない。七瀬を管理する理由を。

 

「七瀬に憑く特級呪霊は、"五条悟"の攻撃を凌ぐほどのフィジカルアドバンテージを持ち、呪力量も計り知れない。だが、それは普段、表に出ることはない。……それが唯一、牙を向く瞬間がある。それは何か、わかりますか」

 

 口を閉ざした上層部に、夜蛾は畳み掛ける。

 

「それは、己の主人である、七瀬ななこに危害が及んだときのみ」

 

 これは、紛れもない事実だ。

 

「あの呪霊は、七瀬に危害が及んだ瞬間、急成長を遂げた」

 

 まあ、こちらは自分の生徒の興味本位による事故のせいだが……というのは、心の奥に隠しておく。

 

「あの呪霊の存在は確かに脅威だ。だからこそ、七瀬ななこを処分するのではなく、管理すべきだと私は考えています。………呪術師として」

 

 しん、と冷たい空気が漂う。その張り詰めた中で、夜蛾は最後のひと押しを探した。

 

「……それに、これは私たち呪術師にとって好都合です」

 

 夜蛾は上層部を見渡した。

 

「呪霊操術のような自在な制御はまだ難しいが……"あれ"は守る対象を徹底的に訓練すれば、最強の護衛として機能する」

「……」

「つまり、扱いようによっては、これほど強い盾はない。七瀬は、それが作れる存在です」

 

 キーワードは散らばらせた。

 五条悟はこの呪術界でも異質だ。それを凌ぐほどの存在……それを従えるもの……そして利用価値があるのだ。生かすこと、殺すこと、どちらにメリットがあるか。

 さすがにわかるだろう。

 

 しばらく間が空き、どこからか舌打ちが聞こえる。

 

「……仮入学だ」

 

 開いていた障子戸が閉じる。

 

「扱えないとわかったなら、すぐに処分するのみ」

 

 夜蛾は息をついた。誰かの冷めた視線を感じながら、それでもわずかに口角を上げる。

 

 勝ったのは、こちらだ。

 

 

 … … …

 

「と、いうわけで七瀬! 仮入学だ」

 

 呼び出された先で、夜蛾先生が開口一番そう言った。

 

「親御さんはなんて言ってるんだ?」

「……それが、まだ話せていなくて」

 

 私が"編入したい"と言った日から、呪術高専側では着実に準備が進んでいるようだった。

 あとは自分が親に話すだけなのだが……もっともらしい理由が見つからなかった。

 

 正直に話す? こんなお化けが視えていて、呪術師になります! って?

 そんなこと……信じてもらえるはずがない。

 

「まあ……呪霊や呪術師のことは公にされてないからな。ここは表向き、宗教学校だ。仏教に興味持ったと言ってみるか?」

「うーん……そうですね…」

 

 夜蛾先生は、私にたくさんの書類が入った封筒を渡す。

 

「ここに来るのはいつでもいい。早いほうがいいとは思うが」

「はい……わかりました」

 

 封筒を抱えて立ち上がろうとしたとき、呼び止められた。

 

「夏油からも聞かれたと思うが……七瀬は、本当に誰か人の死に関わったことはないか?」

 

 前を見ると、夜蛾先生は険しい顔をしている。

 

「その呪霊に憑かれた、小学生ぐらいのときに」

 

 そんな顔で聞かれるほど、重要なことなんだろうか?

 だから前よりも丁寧に記憶を辿る。でも、やっぱり思い当たることはない。

 

「……なかったと思います」

 

 そう返事すると、夜蛾先生は「悪いな」と謝ってから目を伏せた。

 

 どうしてそればかりを気にするんだろう?

 そんな疑問を抱えたまま、私は呪術高専を後にした。

 

 

 … … …

 

『ななこちゃんは、あそこの学校に通うのぉ?』

 

 みぃちゃんが私の周りを漂いながら、そう言った。

 

〖かようのぉ〜?〗

 

 それをもう一匹が復唱する。

 ちらりと見た"それ"は、みぃちゃんの時よりも格段に速いスピードで成長していた。

 

 言葉は拙く、人間の言葉とは少し違って聞こえる。なのに、脳では正常に理解できていた。

 呪霊には専用の言語があるのだろうか? それはこうも耳ではおかしく、脳では正常に聞こえるものなんだろうか?

 考えてみるが、答えは出ない。聞くには、私は呪術高専に編入しなければならないだろう。

 

「……うん、通おうと思ってる」

『へぇ、楽しみだねぇ』

 

 みぃちゃんはニタニタ笑いながら、くるんと笑った。

 

 帰路を辿る足取りは重い。手に持つ封筒も、その材質に似つかわしくない重さがある。

 でも歩けば自宅についてしまう。私は、諦めて玄関のノブを掴んだ。

 

「おかえり」

 

 母がいつも通り迎えてくれる。

 

「ただいま」

 

 それを見ながら、私は思わず立ち尽くしてしまった。

 

 母の後ろに──呪霊が、いる。

 

「……どうしたの? 怖い顔して」

「……ううん、なんかゴキブリいたような気がして」

「え〜!? どこ!? 殺虫剤あったかな!?」

 

 慌てふためく母はリビングに消えた。

 新たな呪霊は、そんな母の後ろをついていこうとしている。

 

『やっちゃおうかぁ〜?』

 

 目を細めているみぃちゃんに、私は一回だけ頷いた。

 すると、みぃちゃんはふわふわと漂って扉の陰に消えた。耳を塞ぎたくなるような濁音のあと──惨劇の中で、母は笑っていた。

 

 視えていない。それは、どれほど幸せなことか。

 

「あった、あった! まだそのへんにいる!?」

「うーん……どうだろう」

 

 廊下をくまなく探す母を見ながら、私は切り出す言葉を探していた。

 でも……やっぱり理由は見つからない。

 

「……ねえ、お母さん」

「なあに? ……って顔! 真っ青よ! どうしたの?」

 

 ただわかるのは、このままでは何も変わらないということ。

 

「私……編入したいの」

「……編入? 学校の話?」

「うん」

 

 あらあら、まあまあ。そう呟いた母は、殺虫剤を落としそうになっていた。

 

「ゴキブリよりびっくりしたわ。とりあえずリビングに行こう? 話しないとね」

 

 でもゴキブリの存在も諦めきれなかったらしく、適当に振りまいていた。

 

 

「──で、編入だっけ?」

 

 母は、丁寧にお茶まで入れてくれた。

 

 この時間はいつも、私と母のふたりきり。

 父は夜遅くまで仕事で、母はお昼すぎまでのパートだったから。

 

「どこの高校に行きたいの?」

「……呪術高専ってところ」

「お母さんも詳しくないけど……宗教学校だっけ?」

 

 私はお茶に手を付けることもできず、乾いた喉で唾液をゴクンと飲み込んだ。

 

「そう……何か理由があるの?」

「うん」

「……最近、様子がおかしいのも、そのせい?」

 

 驚いて顔を上げる。母は優しく笑っていた。

 

「たまに、真っ青な顔して帰ってきてるでしょ」

 

 私は何も言えず、頷くこともできなかった。

 

 呪霊が視えるようになってからというもの、私は人に悪影響のありそうなものだけ、みぃちゃんに祓ってもらっていた。

 みぃちゃんは遠慮がなく、場面はグロテスクの一言に尽きる。それはどうしようもないことで、胸の悪さをいつも抱えていた。

 母はそんな私に気づいていたようだ。

 

「……高校ってね、自分で選んで、受験して、進学するもんだよね。だからお母さんは、ななこがそうしたいっていうなら……止めないけど」

「うん……」

「編入したら、マシになるようなことなの?」

「それは……わからない」

「お母さんには話せないこと?」

「話せないというか……理解できないかも」

 

 呪霊とか、呪術師とか。私にも、わからないことが多いのに……説明できる自信はないし、母が受け入れてくれるかもわからなかった。

 

「そう……そうなのね」

「そこは、全寮制なんだって」

「この家も出ていくの?」

「たぶん…そうなると思う」

 

 母は小さく息をついた。目を伏せて、手元を見ている。

 

「じゃあ、これだけ教えてくれる?」

「なに?」

「……ななこは、お化けが見えてるの?」

 

 自分の心臓が、ドキッと高鳴った。

 

「どうして……そう思うの?」

 

 自分の声が、少し震えたのがわかった。

 

 言ってしまったら、どうなるんだろう。

 母は驚くだろうか? 怯える? 拒絶する?

 

 それとも……私が()()()()と思われてしまう?

 

 途端に不安の渦に飲み込まれそうになった私に、母は静かに言う。

 

「ななこは……小学生ぐらいからよく誰もいないところを見て怯えてたのよ」

 

 ああ──母は、気づいていたんだ。

 だったらもう……隠す必要なんて、ないのかもしれない。

 

 すべて話してしまおうか悩んだ。言ってしまえば、少しは楽になるような気がした。

 

「でも、何も話してくれなかったし……無理に聞くのも、()()()()()()()()かもしれないし」

「……思い出す?」

 

 その瞬間、みぃちゃんが母の顔の前にすぅっと現れた。にやりと笑いながら、その口角を持ち上げている。その端から裂けていく。ぶち、ぶち、と確かな音を立てながら、中身が全て見えてしまいそうになるほど──、

 

 私は見ていられなくなって目線を落とした。背中にじっとりと汗をかいている。

 

 "聞くな"

 

 そう言われた気がした。

 

 だから、私は「お化け、見えてる」とだけ言った。

 母は「わかった」とだけ返した。

 

「……ななこのやりたいようにやりなさい」

「……お母さん」

「お父さんには私から先に話しておくね。あの人何時になるかわからないし。……でも、お化けのことは内緒にしておくね」

 

 ふふ、と小さく笑った母は「あの人、幽霊とか苦手だから」と零す。

 

「また、担任の先生の名前がわかったら教えてね」

「うん、また連絡する」

 

 思っていたよりあっさり事態が解決して、私は肩の力が抜けた。椅子に深く沈むかのような重力を感じる。

 きっと、妙な緊張感にずっと晒されていたから。

 

「じゃあ、先にご飯にする? お風呂も沸いてるよ」

「あ……じゃあ、お風呂にする」

「うん、ほら、早く行っておいで」

 

 お節介な母は、私を急かすように「ほら、ほら」と続けた。

 それに思わず笑ってしまいながら、私は脱衣所へ向かう。

 

 

 

 

 

「──ごめんね、お母さんのせいだね」

 

 ぽつりと落ちた言葉は、リビングの静寂にゆっくりと溶けていった。

 まるで、ずっと心の中にずっと閉じ込めていたものを、ようやく吐き出したかのように。

 

 でも、それを聞く人間は、もういなかった。

 ななこの足音はもう、遠ざかっている。

 

 残されたのは、ぬるくなったお茶と、半分ほど残った殺虫剤。

 

「呪術高専って、呪術師の学校よね?」

 

 呪術師──"それ"に関わるものたち。

 

()()()()()……あなたのこと、いつ思い出させてあげたらいい?」

 

 母はそっと目を伏せた。

 それは、決して口にできない問いだった。





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