そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第四話:"普通"の定義

「無理しないでね、いつでも帰っておいで」

 

 母の言葉に背中を押され、私は"東京都立呪術高等専門学校"へ編入した。

 呪術高専は全寮制で、初めて親元を離れての生活。正直、不安がないわけではない。

 

 でも、変えなくちゃいけない。

 

 お化けに搾取された年月を取り戻して、これからの人生を意味あるものにする。

 それをみぃちゃんのせいにしないで、自分の選んだ道を進む。

 たとえ、それが"呪術師"という未知のものだったとしても──。

 

 だから、弱音を吐くわけにはいかない。

 

 

 

 

 

「体力なし! 呪力も微妙! センスゼロ! 唯一の強みはお憑きの呪霊だけ! ……ヤバくない?」

 

 そう。たとえ、クラスメイトにそう言われても──、

 

 半泣きになるわけにはいかないのだ。

 

「しょうがないよ、悟。七瀬さんは今まで非術師として生活してたんだ。急にどうこうなるものじゃない」

 

 夏油さんのフォローにやっぱり泣いてしまいそうになりながら、私はジャージの裾を握った。

 

 

 ──呪術高専の2年生に、私は編入した。クラスはひとつしかなく、クラスメイトは3人。

 五条悟さん、夏油傑さん、家入硝子さん。

 彼らはすでに呪術師としての地位があり、"任務"というものを請け負い、活発に活動しているらしい。

 まだ誰とも親しくないので、これは夜蛾先生情報である。

 

 編入初日。教壇の上に立って3人に挨拶をした。

 三者三様の反応だった。悟さんは興味なさげに頷き、夏油さんは優しく微笑み、家入さんは「へぇ」とだけ呟いた。

 

 そして、呪術師として駆け出しどころか、スタートラインをようやく見つけたような私には、まずは座学からだった。

 

「七瀬も来たことだし、復習を兼ねて基礎から説明する!」

「え〜それ俺も聞かなきゃダメ?」

「お前は人の話を聞くクセをつけるべきだからな!」

「うっわ、ヤガセンまじ勘弁〜」

 

 教壇で授業を始めた夜蛾先生にブーイングが飛ぶ。

 私は笑っていいのかもわからず、机に広げたノートを見つめた。

 

 4人しかいないから、机は4つ横並び。私は夏油さんと悟さんの間だった。

 またとんでもない席順だな……と思った矢先、夜蛾先生は話し出す。

 

「日本国内での怪死者、行方不明者は年平均1万人を超える。そのほとんどが、人の肉体から生まれる負の感情……"呪い"の被害だ。七瀬は初耳だろうが、これは我々、呪術師にとって周知の事実だ」

 

 呪い。

 その言葉を聞いて、すぐに思い浮かぶ光景があった。

 

 ──私が、みぃちゃん以外の呪霊が視えるようになった日。

 女性の肩に乗り、ゲタゲタ気味悪く笑っていたアイツは、確かにその説明に相応しい存在だった。

 

「まあ……中には呪詛師による悪質な事案もあるが、ほとんどは呪霊によるものと思ってもらって構わない」

 

 板書はされず、どこをメモしたらいいかわからなかった。

 だから、私はとりあえず"呪いは危険"とノートに書き込んだ。

 

「呪いに対抗できるのは同じ呪いだけ。そして、ここが呪いを祓うために呪いを学ぶ──東京都立呪術高等専門学校だ」

 

 "呪いに対抗できるのは同じ呪いだけ"

 その言葉が妙に引っかかる。

 

 私にはみぃちゃんしかいない。呪いを祓うには、呪霊であるみぃちゃんに戦ってもらうしかない。

 "呪いには呪いを"──この理屈は理解できた。

 

 でも……あの日、悟さんが放った蒼い光は、呪いとはまるで正反対のものに見えた。

 清らかで、鮮烈で──私の知るどの呪霊とも違っていた。

 

「で、なんで同じ呪いかと言うとだな──、」

 

 夜蛾先生は、私の疑問が見えているかのように続けた。

 

 そして、聞いた内容はこうだ。

 

 1.呪いとは、我々で言う"呪霊"と同義語である。

 

 2.呪霊を祓うには、呪力による術式が効果的である。

 

 3.呪力とは、人の負の感情から生まれる負のエネルギーであり、すべての人間が持っている。

 

 4.呪力とは"電気そのもの"。術式はその電気を使って動く、"家電"のようなもの。

 

 

「……七瀬、大丈夫か?」

「はい……なんとか…」

 

 メモを取りながら、頭の中に聞きなれない単語がぐるぐる回る。

 

 ということは、悟さんの蒼い光は、呪力を使った術式だったってことか?

 なんとなく自分なりに理解できそうになった頃、

 

「大丈夫かよ。これからまだまだあるけど?」

 

 右隣で、悟さんが冷たく言う。

 

「七瀬さん、焦らなくていいよ。慣れるまで時間がかかるものだから」

 

 左隣では、夏油さんが優しく微笑んでくれている。

 

「とりあえず死なないようにしなよ」

 

 少し離れたところから家入さんの声が聞こえた。

 

「コラ! お前ら! 煽るのやめろ!!」

 

 夜蛾先生はこちらを指差して怒っている。

 

「がっ、頑張ります……」

 

 私は消え入りそうな声で言った。

 

 

 … … …

 

 午後からは、体力テストを兼ねた体術の授業だった。

 内容は小学校のスポーツテストと似たようなもの。握力や反復横跳び、立ち幅跳び、長座体前屈、上体起こし、50m走など。

 呪術師として、最低限の身体能力を確認するためらしいけど──。

 

 結果は、悲惨だった。

 

「……え、マジでヤバくない?」

 

 それは、最後の50m走を走りきった直後だった。

 記録用紙を覗き込んだ悟さんが、思わずドン引きした声を漏らす。

 

「運動音痴ってレベルじゃなくない? どうやって生き延びてきたわけ?」

 

 私はゼェハァ息を切らしながら、膝に手をついて項垂れた。

 

 

 体力テストの結果はこうだ。

 握力:13キロ(低すぎて測り直された)

 50m走:10秒台(最後、足がもつれて転びそうになった)

 反復横跳び:途中で足が滑って転倒。測定不能

 立ち幅跳び:跳ぶタイミングを掴めず、その場でぴょこんと跳ねただけ

 上体起こし:腹筋をぷるぷる震わせながらギリギリ10回

 長座体前屈:足首になんとか指が届くレベル(悟さんに「棒か?」とツッコまれる)

 

 すでに筋肉痛の予兆がきていた。

 

「え、えーと……努力は、しました」

「どのへんが?」

「……」

 

 言い返せる言葉はなかった。

 

「運動は少し苦手みたいだね」

 

 夏油さんが、記録用紙を覗き込みながら少し目を見開いたあと、にっこりと微笑んだ。

 その笑顔があまりに優しくて、逆に心に刺さる。

 

「お前、それ笑ってフォローできるのすげーよ……」

「逆に伸びしろしかないって考えればいいんじゃない?」

「……ありがとうございます」

 

 優しい言葉に、少し心が救われたのも束の間……、

 

「いやいやいや! 体力なし! 呪力も微妙! センスゼロ!」

 

 悟さんの容赦ないダメ出しが、心にドスッ、ドスッ、と突き刺さる。

 

「唯一の強みはお憑きの呪霊だけ! ……ヤバくない?」

「しょうがないよ、悟。七瀬さんは今まで非術師として生活してたんだ。急にどうこうなるものじゃない」

「でもさすがにもうちょい何とかならない? こんなの一般人以下じゃん!」

 

 最後の一撃は、アッパーカットのように心へズドン! と深く決まった。

 ジャージの裾をぎゅっと握りしめる。

 

「こんなんじゃ体術も組手も練習するだけ無駄だろ」

 

 ハァ、と溜め息をつかれながら、記録用紙をポイッと手渡される。

 その紙を見つめ、"これってそんなにダメなんだ"と深く落ち込んだ。

 

 ……こんな状態で、私、本当にやっていけるの?

 

「悟、いい加減にしなよ。言葉には限度ってものがある」

「あ? 事実だろ。現実つきつけてやんねーと、伸びるもんも伸びねえよ」

 

 ピリッとした緊張感が走り、ふたりの間に緊迫した空気が流れる。

 私は、思わず後ずさった。

 

 夏油さんも悟さんも身長が高く、顔が整っている。そんな彼らが冷たい目をしてにらみ合い、距離を詰めると……妙な圧があって、私は縮こまってしまいそうだった。

 

 次の瞬間──肌が栗立つような悪寒が走った。

 

「悟はもう少し寄り添ったほうがいいんじゃない?」

「へーへー、偉いねえ、弱い奴に気を使える傑様は」

 

 夏油さんの背後──ほんの少しの闇が広がり、中から何かが覗く。

 

 悟さんの気配が変わる。空気が沈み、視界が歪んだ気がした。生々しい圧が皮膚に張り付くようにのしかかる。

 

 まるで、どぷんと水中に落とされたかのように息ができなくなった。

 

 

 ──もしかして、このふたり、仲悪い……?

 

 

 

 

「──そんな近くで見てたら巻き込まれるだけだよ」

 

 急にぽんっと肩を叩かれる。振り返れば家入さんがいた。

 

「はい、逃げる」

 

 少しだけ腕を引かれ、ぴゅ〜っと走り去る背中を慌てて追った。

 

 

 … … …

 

 私は肩を上下させながら、必死で呼吸を整えていた。

 隣では、家入さんが涼しい顔で煙草に火をつけている。

 ……高校生なのに? そう思ったのは口に出さない。

 

 ここはどこだろう。私はまだ呪術高専の敷地内に詳しくないが、どうやら何かの建物裏らしい。

 私たちは並んで地面に腰を下ろしていた。

 

 自分の呼吸が落ち着いた途端に、しん、とした静けさが降りてくる。

 

 私は、どうしよう、と焦った。

 

 今まで、みぃちゃんのせいで人と深く関わってこなかった。

 だから、こうして同級生とふたりきりになるのは、もう何年ぶりかわからない。

 

 ちらりと隣を見る。

 家入さんの肩にかかるほどのストレートヘアは、ほんのり明るい茶色で、風が吹くと軽やかに揺れていた。

 切れ長の瞳はクールで、どこか気だるげな雰囲気を纏っている。制服をラフに着崩しながらも、その佇まいには自然な華があった。

 そして、煙草をふかす彼女は、無言を気にした様子はない。

 

 ……何を話せばいいんだろう?

 必死に考えるけど話題は何も出てこず、自分の膝を見つめるばかりだ。

 

「……この前より、顔色マシになったんじゃない?」

 

 気の抜けた声で、ぽつりと呟く。

 

 思わず聞き逃しそうになるほど、さりげない一言。なんとか聞き取れたものの、意味がよくわからず首を傾げた。

 私と家入さんは今日が初対面なはず。

 

「ちょっと前、すごい顔色で気失ってたでしょ」

 

 ……ああ。

 

 そのワードで、私が初めて呪術高専に来た日のことだと察する。

 夏油さんと悟さん、みぃちゃん……色んなことが重なって、目を覚ましたあとも続いた恐怖。

 あれは、しばらく忘れられそうにない。

 

「……あ、そういえば…」

「うん」

「夏油さんが、あのとき私の体を見てくれた人がいるって言ってたような……」

「それ、私だね」

「あっ、ありがとうございました……」

 

 あのとき、夏油さんが女性の名前を口にしていたのを思い出す。家入さんのことだったんだ。

 

 家入さんは飄々としていた。

 私の戸惑いも、周りの静けさも、色んなことを気にした様子はない。彼女はただ、ゆっくりと煙を吐き出すだけ。

 

 立ち上がる煙を目で追った。それはゆったりと揺れ、そのうちすぅっと消えていく。

 

 ──まるで、自分の()()()が薄れていくみたいだ。

 

 

 

「……なんか、私、普通ですね」

 

 思わずぽつりと呟いたら、家入さんがこちらを向いた。

 

「え、すごいの憑いてるのに?」

 

 視線が、私の頭の少し上に向いている。きっとそのへんにみぃちゃんがいるんだろう。

 

「あっ、いえ……みぃちゃんのことじゃなくて」

 

 ……きっと、違う。そうじゃない。

 自分でもよくわからず焦りながら、近い言葉を探す。

 

「……今までだったら、私って、変わった存在だったんです」

 

 お化けが視える。そして、自分につきまとっている。そのせいで周囲に影響が出る。

 

 ずっと、"普通じゃない"って思ってた。

 

 でも──、

 ここでは、みぃちゃんが視えるのは当たり前。しかも、それを怖がるどころか誰も気に留めていない。

 

「夜蛾先生から、私の力は少し変わってるって聞いたんですけど……でも、それですごくなったのはみぃちゃんだけで……でも夏油さんも、悟さんも……きっと、家入さんも。すごいですよね」

 

 呪術師として、呪霊を祓うことを()()だとは思わない。

 この場所では、むしろそれが()()なんだ。

 

 だったら、私は──?

 

「ここでなら、私は普通でいられるのかもって、少し思って……」

 

 口に出した瞬間、胸の奥がふっと軽くなった気がした。

 

 だって、初めてだった。

 自分のことを、こんなふうに誰かに話せたのは。

 

 

 

 

 

 ──家入硝子は言葉を飲み込んだ。

 

 七瀬ななこという人は、呪術や呪術師について詳しくない。

 そして自分たちの担任は、かなりふわっとしたイメージで、彼女の特殊性を説明したのだろう。

 だからこそ、まだわかっていない。

 

 ()()()()が普通じゃないということに。

 

 硝子は、七瀬ななこのことをうっすら聞いていた。

 ──呪霊を成長させる術式。

 呪いを祓うことが呪術師の役割であるこの世界で、彼女は呪霊を"育てる"。

 

 そんなこと、今までにありえなかった。

 

 

 硝子は、じっと七瀬を見つめた。

 

 どんな子が編入してくるのだろう。

 そう気にかかった子は、今目の前にしてみると、ごく普通の少女に見える。

 呪術師として未熟。今見えている呪力は薄く、本当に特級呪霊を成長させるのか疑うほど。そして運動能力は低く、接近戦はまず無理。

 

 "一般人以下じゃん!"

 五条の叫びに思わず頷いてしまいそうになるほどだ。

 

 でも。この子は本当に、ただの一般人以下なのか?

 

 その答えは、今も彼女の背後に憑き纏う、特級呪霊の異質さを見れば一目瞭然だ。

 

 ──それを、そっと飲み込む。

 

 

「……ま、いいんじゃない? ()()()()()()()()、普通だよ」

 

 硝子は、そう言って煙を吐き出した。

 

 少しだけ、わざとらしく。

 

 自分の言葉に、嬉しそうに顔を綻ばせるのを見ながら。

 

 

 … … …

 

「……つっ、疲れた〜…」

 

 自室内のベッドに寝転ぶ私は、思わずそう呟いてしまう。

 

 初めての環境。初めてのクラスメイト。初めてばかりの一日だった。

 座学も実技もボロボロで、最後は家入さんと授業をサボってしまう始末。

 

 ……でも、全然嫌じゃなかった。むしろ、今までに感じたことのない充実感があった。

 特別なのはみぃちゃんだけで、自分は全然ダメだと知らされたけど……それでも、少しだけ、自分の居場所が見つかったような気がする、

 

『疲れたの〜?』

 

 ふよふよと漂うみぃちゃんが、ぐいっと伸びをしながらそう言った。

 今は少し人に近い姿だった。私ぐらいの背丈で、顔や手足がある。こうして見ると、本当にただの幽霊みたいだった。

 

「うん、なんだか色々ありすぎて」

 

 今までのことが嘘のように、みぃちゃんと話す。まるで友達のようだった。

 

『ふぇ〜なーんか大変そうだねぇ』

 

 間延びした声を出し、みぃちゃんはくるんと一回転した。

 その側を、ハエのようにもう一匹が飛んでいる。少しずつ、確実に大きくなっていた。

 

「そうだね……とりあえず、私は運動神経最悪ってわかったから、筋トレでもしようかな」

『きんとれ〜? なにやるのぉ?』

「うーん……腹筋、とか?」

『ふっきんってなぁに?』

「えーと……腹筋っていうのは、寝転がって上半身だけ起こす…みたいな……?」

 

 曖昧な説明をしながら、照明を見つめる。

 

 ……なんだろう、少し、

 

「……っ、」

 

 急に込み上がるものを感じた。

 それは、あの諦めていたころの涙とは違う。

 

『わぁ〜、ななこちゃん泣かないでぇ』

 

 すぅっと近寄ってきたみぃちゃんが、私の髪をくしゃっと撫でる。

 少し驚いた。その手が頬に触れた瞬間、ふわっとした柔らかさがあったから。

 まるで本物の人の手に撫でられているようだった。

 

『だいじょうぶだよぉ、アタシがいるよぉ』

 

 そう繰り返すみぃちゃんは、にぃっと笑った。

 

 ……あれ?

 

 みぃちゃんの笑顔は、どこか人間らしく見えた。

 前はもっと……歪んで、気味の悪い笑顔だったのに。

 

「……みぃちゃん、また成長してる?」

『ん〜? どうだろ〜あ、でも今なら"りょういきてんかい"できる気がする〜』

「えーと…"りょういきてんかい"ってあの怖いやつ?」

『えぇ〜怖くないよぉ、ななこちゃん守るやつなの!』

 

 ぷいっと顔を背けたみぃちゃんは、じっと天井を見つめている。

 

『うぅん……なんか、できそうなんだよねぇ……』

 

 みぃちゃんが、ふわりと宙に浮く。

 その周りの空気が、一瞬ぐにゃりと歪んだ気がした。

 

『……ま、いっか〜』

 

 壁と壁の間でぽーんとバウンドするみぃちゃん見て、私は少し笑った。

 

 

 

 ──まだ、何も始まっていない。

 だけどここに来て、自分の存在を再確認した。

 

 みぃちゃんがいる限り、私はここで、()()でいられる。

 

 ──本当に?

 みんながみぃちゃんを視て、()()()()()()と言うのに?

 

 ──違う、そんなの関係ない。

 

 一抹の不安を振り払うように、目を閉じる。

 私は普通でいられるんだ。だから、大丈夫。きっと、大丈夫──、

 

 

 ……だよね?

 

 

 

 そうして私は、呪術師になるための一歩を踏み出した。

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