そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第六話:めくれる

 春の木漏れ日が差し込む午後。

 強くなりはじめた日差しが、季節の変わり目を知らせていた。

 

 夜蛾正道は、呪術高専の敷地内にある石畳に腰を下ろし、肩を落としていた。

 膝に肘を付き、頭を垂れる姿。その背中には、静かに重く沈む悩みが滲んでいた。

 

「……ハァ…」

 

 額に手を当て、深く溜め息をつく。

 

 七瀬ななこに憑く特級呪霊──それは、過呪怨霊かもしれない。

 

 自分だけでなく、夏油さえその可能性を指摘した。

 そのほうが、"みぃちゃん"の存在を合理的に説明できるからだ。

 

 過呪怨霊──それは、特定の人間が死後、呪いによって怨念が呪霊化したもの。

 実際にこの目で見たことはないが、生前の意思を持ち、取り憑いた者に危険が及んだときに顕現すると聞いたことがある。

 

 だから、みぃちゃんは七瀬ななこを守り、それ以外は攻撃しない。

 ──確かに、その説明がいちばん理に適っていた。

 

 そう考える夜蛾だが、最初は夏油の推測を信じそうになった。

 

『七瀬さんの術式は、呪霊操術に近いかもしれない』

 

 この言葉が、"あの異質な特級呪霊を、どう従わせているのか"という疑問を払拭できるものだったから。

 ……でも、本当に? 呪術師としてあまりに未熟な七瀬が、そんなことできるのか?

 

 そんな疑問が残るほど、七瀬は普通で、ごくありふれた一般人だった。

 

 ──ハァ。

 夜蛾は、何度目になるかわからない溜め息をつくと、青く広がる空を見上げた。

 

 呪霊と過呪怨霊の決定的な違い。

 それは、後者が"元は人間"であること。ならば、七瀬は何かしらの形で、人の死に関わっているはずだ。

 

「……なのに、関わったことがない、か」

 

 夏油曰く、七瀬は過呪怨霊に取り憑かれた頃、「誰の死にも関わったことがない」と話していたらしい。

 そして自分からも確認したが、七瀬は否定した。

 だから一度は選択肢から消した。過呪怨霊という存在を。

 

 だが、七瀬は"みぃちゃん"という名前を、過呪怨霊が成長した過程で思い出した。

 なら、忘れているのではないか? 彼女になにかしらの心残りがある、人の死を。

 

 でも──。

 それを思い出させることは、正解なのか?

 

 過呪怨霊を祓うには、基本的に"解呪"──つまり、怨霊そのものを成仏させる必要がある。

 もし、みぃちゃんが本当に過呪怨霊で、七瀬が記憶を取り戻したとき……その先にあるものが和解と成仏だとしたら、残るのは呪霊を育てる術式だけになってしまう。

 

 昨日の、寮が半壊した事件。それは、七瀬に新たに取り憑いていた呪霊が、急成長したあとに暴走したからだった。

 七瀬はみぃちゃん以外の呪霊を扱うことも祓うこともできない。ただ、成長させるだけ。

 その成長が牙を剥いたとき、彼女には止める術がない。

 

 七瀬は、ただ呪い殺されるだけだ。

 

 

「……少し、調べる必要があるな」

 

 過去に、七瀬の術式に類似する力を持ったものはいなかったのか。

 彼女がそんな力を持つことに、何か原因はないか。

 遺伝的な要因はないのか。

 

 それと、指導。

 術式のコントロールは必要不可欠だ。だが、初めて見る術式のコントロールの仕方をどう教えればいいものか……それを知るためにもやはり、もっと知らなければならない。

 

「……と、傑に教えさせてみるか……?」

 

 もし、七瀬が成長した呪霊を扱うことさえできれば、それで済む話だ。

 呪霊を育てるだけでなく、"制御"すること。

 だが、七瀬はそれができない。……なら、呪霊を扱う術を知る者に、教えを請うしかないか。

 

 呪霊を調伏し、取り込む術式──呪霊操術。

 その使い手なら、なにかしら制御のヒントを持っているかもしれない。

 

 ……いや、でも、あれはあくまで調伏ありきの"術式"だ。

 術式そのものが違えば、制御の方法も変わってくるかもしれない。

 

 だが……七瀬は恐らく、"調伏自体はできる"。

 何せ特級レベルが取り憑いているのだから。

 まずは、みぃちゃんを意のままに扱えるようにする。そして、みぃちゃんの力を使って、調伏ができるようになれば……どんな呪霊でも従えられるはず。

 

 つまり、問題は、そんな術式を持ってないということだ。

 

「……面倒なことばっかりだな…」

 

 呪具を格納する呪霊はいる。

 もし、呪霊を格納できる術式があれば……。それが可能な呪霊がいれば、話はすんなりいくのに。

 

 そんな絵空事を思い描きながら、夜蛾はもう一度深く息を吐く。

 

 ──それだけではない。彼が溜め息をつく理由は、あとふたつあった。

 

 過呪怨霊にも、怨念の強さによって力の大小があるらしい。

 そしてその中でも、特に危険度が高いものは"特級過呪怨霊"と呼ばれる。

 

「……あんなもの、どう見ても…」

 

 ぼそりと呟く。

 

 みぃちゃんはどう考えても、"それ"だ。

 最初は呪力の小さな子どものようだったものが、七瀬と共に過ごすことで特級へと成長した。

 しかも領域展開を使いこなせるほどの存在にまで。

 そんな強大な力の存在を、上層部がこのままにしておくか……?

 

 上層部に下手に嘘をついていると、それを突かれたときに分が悪い。

 七瀬はみぃちゃん以外の呪霊を扱えない。彼女に取り憑くものが特級過呪怨霊の可能性がある。それらを、きちんと報告すべきだと頭ではわかっている。

 だが、なんの策もないままそれを伝えたとき、上層部からこちらにとって都合の悪いことを言われたら……そう考えると、すぐに行動できなかった。

 

 そしてもうひとつ。今朝、その上層部に呼び出されたのだ。

 しかも、五条悟と共に。

 

『昨日の寮の爆発は、七瀬ななこが原因ではないのか?』

 

 静かに、そう問われた。

 

 夜蛾は、寮が半壊した原因を「五条悟と夏油傑が突発的に喧嘩をしたからだ」と報告していた。

 それにもかかわらず、こうして五条と共に呼び出されたということは……。

 

 "信じていない"

 

 幸いだったのは、意外にも五条が空気を読んだことだった。

 それのおかげで、上層部は一旦引いた。

 

 だが、もう、時間はない。

 彼女には、自分の力で“何か”を掴んでもらわなければならない。

 

「……ハァ…だから、早く目を覚ませ」

 

 それなのに、当の本人は目を覚まさない。

 

 昨日の夜、七瀬は意識を失ってから未だに眠ったままだった。

 

 まるで、何も知らないまま穏やかに眠る赤子のように。

 

「……」

 

 そうして生きてこれたなら、きっとよかった。

 

 無意識に育て、そして守られているのだとしたら──彼女自身、呪いと共に生きていることになる。

 それがこの世界で、どれだけ受け入れられないことか……これから、教えなければならないのだ。

 

 

 … … …

 

 夏油傑は、静かに廊下を進んでいた。

 角を曲がり、目的の扉の前で足を止める。コンコン、とノックをするが返事はない。

 

 ……まだ目を覚ましていないのか。

 

 ノブに手をかけ、ゆっくりとひねる。

 小さな音を立てて開いた扉の奥を見た瞬間──夏油の動きが止まった。

 

 部屋の奥、薄明かりが差し込む窓の下に、ベッドが置かれている。その上に寝かされているのは七瀬だった。

 

 その足元に、いる。

 

 

 

 昨日、寮が半壊し、呪霊が暴走する起点となった七瀬の部屋はとても寝られるような場所ではなかった。

 そのため、一時的に別の棟の一室に彼女は寝かされていた。

 

 七瀬は相変わらず目を覚まさない。

 みぃちゃんに呪力を吸い取られたあと、日付が変わり、陽が昇り、また沈んでも、ただ静かに呼吸をするだけだった。

 

 夏油は、そんな七瀬の様子を確かめるために部屋を訪れた。

 親切心か、ただの興味本位か──だが、扉を開けた瞬間、足だけでなく思考も止まった。

 

 ベッドの足元には、人が腰掛けていた。

 

 ──違う。それは"人"ではない。

 

 夏油は、足が床に張り付いたように動かなくなる。

 その場に立ち尽くしたまま、考えが遅れる。

 

 肌の質感が妙に生々しい。

 ぬめりと艶を帯びたそれが、月明かりを受けて柔らかく光を反射している。

 まるで、本当に生きた人間の皮膚のようだった。

 

 ──違う、それは"皮膚"じゃない。

 

 夏油は直感的に理解する。ただ似せているだけだ。

 

 人間らしく見えるように、人間の形をしているだけ。

 まるで、何かの真似をしているようだ。

 

 ──あれは、まさか。いや、でも……。

 

 そう悩む夏油は、人を模したものを包む禍々しい呪力……その感触を知っていた。

 

 あれは、みぃちゃんだ。

 

 "みぃちゃん"と呼ばれる呪霊は、何故か姿かたちをよく変える。

 大きな猫のような姿のときもあれば、ただ歪な球体に目と口がついているだけだったり、トカゲのようだったり、時には人に近い容姿のときもあった。

 

 だが、これほどまでに人に近い姿を今までに見たことがあっただろうか?

 

 それが何かわかったはずなのに、夏油はごくりと息をのむ。

 そして、そっと中に入った。

 

 ゆっくりと近づく。みぃちゃんは微動だにしない。

 夏油を見ているようで、視線が定まっていない。その黒目は人のような瞳孔を持っているはずなのに、"それ"は明らかに違った。

 

 ……目の奥がないのだ。

 

 ──人間は、目の奥に"意思"が宿る。

 どんなに人の形をしていようとも、みぃちゃんにはそれがなかった。

 

 夏油の背中を、冷たい指先がなぞるような感覚が走る。

 確かな畏怖がつきまとう。そんなこと……初めてだった。

 

 夏油はゆっくりと息を吸い込んだ。鼓動が一瞬、遅れた気がした。

 

「……七瀬さんは、まだ起きないんだね」

 

 反応は返ってこない。

 

 そっと手のひらをかざす。

 

「……君は、どうして姿を変えられるのかな」

 

 頭部に手を乗せたその瞬間──バチッ! と弾かれた。

 

 やはり、そう簡単に調伏させてはくれないか──、

 夏油はちらりと弾かれた手を見、正面に視線を戻した。

 

 

 

 

 

 ──皮が、めくれている。

 

 みぃちゃんの額に、僅かな亀裂が入っていた。そこから ぺりっ と、乾燥した唇の皮が剥けるように、めくれ上がっている。

 

 ぴり、ぴり、ぴり……

 

 そんな音を立てながら、少しずつ下にめくれ続ける。

 夏油は、視線を外せなかった。全身の血の気が引く感覚がある。

 

 

 剥がれている──最初は、そう思った。

 だが。

 乾燥した表皮が薄くめくれるようなものじゃない。中身から引き剥がされるように、思ったより分厚く抉れていく。

 引き剥がされているのは、皮膚だけじゃない気がした。内側の何かが、ずるりと、這い出てくるような……。

 

 そして眉のあたりまで裂け、次は眼窩へ──、

 

 その下にあるものを見たくない。

 夏油はそう思ったが、視線を外せば最期だと感じさせるような冷たい恐怖が肌を刺す。

 

「……っ!」

 

 目の下は、闇だった。

 

 その暗闇の端から、すぅっ と覗くものがある。

 

 ──"目"だ。人間の、目。

 

 夏油は心臓が凍るような感覚に襲われた。

 それは、ただ見えているのではない。

 

 見ている。

 

 周りをぐるりと見回している。

 

 瞼がないのに、時折まばたきの動作を模倣するように、視線がゆっくりと沈む。

 

 そして、ぎょろりと、その目がこちらを捉えた。

 ただ、真っ直ぐに。

 

 目が合った瞬間、みぃちゃんの口角が微かにひきつる。

 だが、それは笑顔ではなかった。どこか歪で、不自然な形のまま動かない──まるで、"笑う"という動作を知っているだけのよう。

 

 その途端、氷水をぶっかけられたかのような冷たさが背筋を這い上がる。

 口の中が妙に乾き、唾を飲もうとするが、喉が強張って動かない。

 

『それはねぇ……』

 

 間延びした話し方は、確かに聞いたことがある。

 だが、違う。

 その声は低く、喉の奥で呻くようなものだった。

 

 

『 ── ななこちゃんがぁ(ななこチャンがぁ)

      力をくれたからぁ(チカラをくれたからぁ) ── 』

 

 

 二重に聞こえる。

 "内側"から喋っている声が聞こえるよう。

 

 耳で聞いているはずなのに、脳の内側から直接囁かれているような錯覚に陥る。

 

 

 

 

 

 ──コンコン、

 

 背後で扉をノックする音が聞こえる。ハッと我に返ったが、体が一瞬動かなかった。

 ガチャと開く音がする。

 

「……なんだ、傑、来てたのか」

 

 その声が聞こえたとき、自分の体を縛っていた圧が引っ込んだ。

 振り返ると、先生が立っている。

 

「……どうした? 顔色悪いぞ」

「いえ……任務のあとなので疲れているのかもしれません」

 

 パチっと電気をつけた夜蛾は、特に気にした様子もなく、夏油の隣に立つ。

 その頃にはもう、みぃちゃんは"いつも通り"だった。

 

 現実に引き戻された。なのに、手のひらにはまだ冷たい汗が滲んでいる。

 

「まだ起きていないのか……。硝子に見てもらったほうがいいのかもしれないな。呪力が吸われすぎるっていうのもよくわからん」

 

 みぃちゃんはぐっと体を丸めた。バリッと何かが破けるような音がし、ぐにゃぐにゃと姿かたちを変えていく。

 次にぶるっと震えたとき、大きな猫のように変化した。

 

「……傑?」

「……いえ、硝子、呼んできましょうか」

 

 ふわっと漂ったみぃちゃんは、いつものように口角をにぃっと持ち上げる。

 

『大丈夫〜、もうすぐ起きるから〜』

「……お前が力を奪っといてよく言うよ」

 

 ハァ、と溜め息をついた夜蛾は、思い出したように夏油に向き直る。

 

「ちょうど話せてよかったな。傑。明日から、七瀬のことをお前に頼みたい」

「……どうして私なんですか」

「昨日のこともある。七瀬は呪霊を制御しなきゃならん。呪霊操術を使うお前なら、少しわかるんじゃないかと思ってな」

「でも、七瀬さんにはそもそもそういう術式がないんでしょう」

「……そう、そこなんだ。だからとりあえず、自分の身を守れるように、みぃちゃんを確実に使いこなせるようにさせる」

 

 夜蛾は溜め息をつくのが癖になっていた。

 

 頭を抱え、やれやれと視線を外す。

 

 だからこそ、気付いてない。

 

「……使いこなせるような、呪霊か…?」

「それをどうにかするしかないんだよ」

 

 そう、軽く言う夜蛾が、夏油の声が少し震え、口角がひきつったのを、見ているはずがなかった。

 口角がひきつる。それは笑顔のつもりだったのか──本人さえ、もう分からない。




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