そうして私は、呪_師になる   作:みつじ

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第二章:少女の術式
第八話:夜蛾正道の苦悩①


 夜蛾正道は、肩をがくりと落とし、深い溜め息をついた。

 

 ──いない。

 七瀬ななこが、いつの間にか目を覚ましていたのだ。

 

 目が覚めたのは、深夜とも明け方ともつかない、そんな曖昧な時間だった。

 真っ暗な室内でぼんやりしていた意識が覚醒しきる前に、妙な胸騒ぎがした。それに突き動かされるようにして、七瀬が寝かされている別棟に向かった。

 

 ドアをノックしても返事がない。まだ眠っているのかと思い、そっとドアを開けた──が。

 

 目線の先にあるベッドに、少女の姿はなかった。

 

 思わず瞬きをする。

 ……いない。間違いなく、昨日の夜にはいたはずの彼女が。

 

 しかも、部屋の窓が開け放たれている。

 冷たい空気が頬を掠め、嫌な予感が背筋を撫でた。

 

 夜蛾は窓辺に駆け寄る。

 その周囲に微かな残穢(ざんえ)が漂っていた。

 

 七瀬の呪力。

 そして、彼女に常に寄り添う"それ"……未だ正体の掴めない、あの呪霊のものだ。

 

 残穢は窓の外へ続いていた。夜蛾は靴も履かず、窓の外側へ飛び降りる。

 その気配は、夜の空へと淡く溶けていった。

 

「……空を──飛んだ、だと…?」

 

 夜蛾は思わずつぶやいた。

 あり得ない。だが、"あれ"が相手なら……否定しきれなかった。

 

 頭の中で、七瀬が姿を消した理由を考える。

 

 編入して、まだほんの数日。……何かが嫌になったのだろうか。

 数少ないクラスメイト、五条悟は本人に平気で嫌味を言えてしまう奴だし、七瀬をここに誘った夏油傑も無関係とは言い難い。

 何故なら傑は、七瀬が初めて高専を訪れた日に、彼女の首を狙っている。

 結果的に、あの特級クラスの化け物を覚醒させる一因を作った張本人だ。

 

 編入初日の座学は自分が担当したため、あのふたりは特に干渉していなかったが……。

 実技では散々だったらしい。悟がまた、何か言ったと聞いている。

 

 そして、あの事件。

 

 いつの間にか七瀬に憑いていた呪霊の、急成長と暴走。

 悟も傑も手を貸さず、最終的にみぃちゃんが祓ったが、領域展開を発動したあの呪霊が消費した呪力は、尋常ではなかったと推測される。

 体から搾り取られたように消耗したのだろう。意識を失ったのも、当然といえるレベルだ。

 

 ……一般の少女が、いきなりこんな環境に放り込まれる。

 ストレス以外の何物でもないだろう。

 

 しかも、七瀬はあの3人とは違い()()()()()()()

 普通の子だ。この世界は過酷で、すぐに適応できるわけがない。

 

 ここを離れたくなる理由なら、いくらでも思いつく。

 

 ──だが、夜蛾にはまだ、七瀬のことがよくわからない。

 

 もしかしたら……夜中に家を抜け出すような、不良気質の持ち主かもしれない。

 それは、限りなく薄い望みかもしれないが。

 

 探しに行くか。

 あるいは、しばらくここで待つか。

 

 残穢は空中に消えている。つまり、気配を追えない。

 この広い町中を、当てもなく探すのは得策ではない気がした。

 

「……信じて、待ってみるか…?」

 

 七瀬は、最終的に彼女自身の意志で呪術高専への編入を選んだはずだ。

 その決意を尊重してみるのも、一手かもしれない。

 

 ──だが、その猶予はあまり残されていない。

 

 七瀬が特殊体質であるが故に、上層部から目をつけられている。

 もし、彼女が姿を消したと知られれば、あらぬ疑いをかけられる可能性が高い。そして、それなりの処罰を下す絶好の機会を、今度こそ奴らに与えてしまうだろう。

 

「……何が正解なんだ」

 

 夜蛾は、空を睨んだ。

 

 

 

 そして、空が徐々に明るくなってきた頃。

 そんな彼の心配を余所に、七瀬は空から降ってくるように帰ってきた。

 莫大な呪力を帯びた何かが、猛スピードで別棟に近づいたかと思うと、ゆっくりと下降してくる。空気が撹拌され、周囲の気配が波立つ。その中心に彼女の姿があった。

 

 その"何か"は、あのみぃちゃんだった。ふわりと地面に着地したとき、顔面蒼白の七瀬が背中から降りた。

 元いた部屋の外壁に手をついて、今にも吐きそうな顔でよろける彼女に、夜蛾はほとんど反射で駆け寄った。

 

「七瀬!! お前、どこ行ってたんだ!」

 

 思わず大きな声が出て、七瀬はわかりやすく肩を震わせた。こちらをそろりと振り返る顔は焦りを滲ませており、幼い子どものように、どうしていいかわからず戸惑っている。

 

「ずっと寝てたくせに急にいなくなりやがって!」

「す、すみません……どうしてもお腹がすいて…」

 

 俯いた七瀬が呟くように言ったのは、夜蛾の予想していた範疇外の答えだった。

 体の力が抜けそうになりながら、「あれだけ寝てたらそうなるだろう」と返す。

 すると七瀬は、相手の様子を伺うようにそろりと顔を上げた。今さら気づいたが、その手には小さなビニール袋が携えられている。

 

「心配したんだぞ。……戻ってきてくれて、よかった」

 

 口をついて出た言葉は本心だった。

 日が昇りかけているとはいえ、なんの事件にも巻き込まれず戻ってきてよかった。

 きっと、これからのためにも。

 

 安堵と安心。そして気が抜けた夜蛾は、思わず七瀬の頭を撫でた。その途端、彼女は唇を噛み締めて、瞳を潤わせた。

 泣かれる。そう思った夜蛾はパッと手を離した。

 

「……何か、あったのか?」

 

 七瀬はすぐに首を横に振ったが、パチ、と瞬きをした途端にぽろりと涙が溢れる。

 

「……みぃちゃんがいないと何もできないけど……私、頑張ってみたいです」

 

 指先で涙を拭い、声を震わせて言う姿は弱々しい。呪霊を倒すために任務に出るなど、とてもできないほど。

 

 "自身の呪力が呪霊を育てる"

 そんな術式を持ってさえいなければ──。

 

 でも、もう、そう悔やんでやるのも失礼だろう。

 

「何もできないことはない」

「……え?」

 

 パッと顔を上げた七瀬は、目を大きく見開いていた。

 

「呪霊を……みぃちゃんを強くできるのは、お前にしかできないことだ。それ以外にも、きっと……自分にしかできない何かを、見つけられる」

「……」

 

 彼女は返事をしない。だが、きゅっと口元を引き締めている。

 

「だから、それを見つけるために頑張れよ」

 

 彼の言葉を聞いた七瀬は、パチ、パチと大げさに瞬いた。励まされたことに、驚いているようだった。

 だが、次の瞬間には笑った。

 

 ここへ来て初めて見た、屈託ない笑顔だった。

 

 年相応の幼さをどこか残しているが、希望に満ちた綺麗な笑み。

 

『そうだよぉ』

 

 そう返事したのは、みぃちゃんだった。

 大きな猫の姿で、にぃ、と口角を釣り上げて笑っている。黒々とした鼻先を、七瀬の鼻へちょんとくっつけた。

 くすぐったそうに目を細めた彼女は、みぃちゃんにそっと頬を寄せる。

 それに応えるよう、みぃちゃんは七瀬の胸に前足を掛けて、ざり、と額を舐めている。

 

 まるで、信頼し合う伴侶のように。

 

 七瀬は呪霊を育てる。育てられた呪霊が彼女を守り、さらなる力を手にしていく。それにより七瀬の存在も確立されるのだ。

 それは、呪術師を志す者が、自身が祓うべき対象と共生する姿。

 頭では彼らの存在を理解していたが……実際に目の当たりにする異質な光景に、夜蛾は言葉を失った。

 

 そんなとき、みぃちゃんの前足が、七瀬の胸元に、ゆっくりと沈み込んでいく。

 ──ズズ、と音が聞こえそうなほど、静かに。

 ふたつの存在が融合しようとするかのようだった。

 

 七瀬は、自分の体に呪霊が沈んでいるなど気づいていないようで、抵抗せず受け入れている。

 

 

 

 ……これは、一体、何を表している?

 

 夜蛾は必死で考えた。

 

 初めて見る術式を持つ人間。それに取り憑く、特殊な呪霊。

 

 これが、本当に融合だとしたら──?

 

 その融合の先に何があるのか──?

 

 これは、何も知らない七瀬が受け入れていいものなのか──?

 

 

 

「──七瀬」

 

 夜蛾が振り絞るように声をかけると、みぃちゃんがふわりと浮いた。

 こちらに向き直る七瀬の体に、見た目では変わったところはない。ホッと安堵の息を吐く。

 

「はい……?」

 

 特に話す内容を考えていなかった夜蛾は、視線を彷徨わせる。

 

「……その、ずっと気を失ってたんだ。体は大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

 

 ぐぅぅ。腹の音も一緒に返事をし、七瀬は顔を赤くさせた。

 

「す、すみません……! 本当にお腹がすいてて…!」

「そうみたいだな。朝飯をしっかり食べて、今日からある特訓に臨んでほしい」

「特訓、ですか…?」

 

 首を傾げた七瀬は、まだ呪術師の卵のままだ。

 

「まずは、自分の呪力を感じられるようにするべきだ」

 

 ひとつずつ確実に成長し、殻を破ってもらうために、担任としてどう関わるべきか。

 夜蛾は優しく笑ってみせた。

 

 

 … … …

 

 ──08:55。ある一室にて。

 七瀬は制服に着替え、夜蛾と向かい合っていた。

 

「七瀬は、自分の呪力を感じたことはあるか?」

 

 そう聞く夜蛾に、彼女は悩む素振りを見せる。──が、実はあるものに視線を奪われていた。

 それは、夜蛾の腕の中にある人形だった。

 

 一見すると可愛らしいクマのぬいぐるみ。鼻ちょうちんを膨らませて、ぷーぴーと寝息を立てながら寝ている。

 それを起こさぬよう、優しく抱きとめているように見える。

 "ちょっとだけ似合わないかも……"と七瀬は思ってしまったが、口に出さない。

 

 自分の手元に向けられる視線に気がついた夜蛾は、七瀬に見せるよう手を突き出す。

 

「コイツは呪骸(じゅがい)だ」

「……じゅがい?」

「俺が呪いを篭めて作った人形だよ」

 

 七瀬は不思議そうな顔をして、呪骸を見ている。彼女がどこまで理解しているのか……いや、全くわかっていなさそうだなと悟った夜蛾は、どのレベルまで噛み砕いて説明しようか少し考えた。

 

「俺の術式だ。呪いを内包して作り上げると、内部に核を宿した呪骸は、生物ではないものの……呪術師の操作なしで自立するんだ」

 

 この程度でわかるだろうか。

 七瀬は一瞬、首を傾げかけたが、小さい声で「はい」と返事をしている。

 

「そして、この呪骸は一定の呪力を流し続けないと目を覚ます。一定の呪力出力を保つ訓練にちょうどいいと思って持ってきたんだが……」

 

 わからなくても真剣に耳を傾ける姿は、いかにも"普通の子"だ。

 呪術師の卵というには、まだ心許ないほど……。

 

「そもそも七瀬は、自分の呪力を認知できているのかと思ってな」

 

 問われた本人は、自分の手のひらを見つめている。

 

「……たぶん、わかる気がします。みぃちゃんに呪力をあげたとき、体の中に水みたいなのが流れてる感じがして、でも軽くて、空気みたいでもあって……」

「今もその感覚は、自分の中にあるのか?」

「うーん……今はちょっとわかりにくいです。なんとなく…体の奥のほうにあるような…?」

 

 言いながら、七瀬は首を傾げた。

 

「……でも、それが呪力なのかどうかは、正直あんまり自信なくて。なんとなく、これかなって思ってるだけかもしれません」

「まあ、今はわかりにくくて正解かもしれないな」

「……そうなんですか?」

 

 ぱちくりとまばたきをする姿は、特級呪霊を付き従えているとは思えないほど、素直な少女そのもの。

 

「みぃちゃんに呪力を渡したとき、お前はどんな状況だった?」

「……最初は、悟さんの技? を受けて、みぃちゃんが今にも倒れそうで……必死でした」

「どんな気持ちだったんだ?」

「えっと……落ちちゃいそうで怖かったし、死にたくないって思って……そのためには、みぃちゃんに生きてほしかった」

「……そうだな。七瀬はきっと大きな不安や恐怖に満ち溢れていたはずだ」

「……はい」

「呪力の源は負の感情だ。あの時の七瀬の、不安や恐怖を元にして膨大な呪力が生まれた。だから自分でも知覚しやすかったんだろう」

 

 あれは、普通の人間なら、恐怖で気を失っていてもおかしくはないような状況だったと、夜蛾は思い返す。

 

「だが、呪力を使おうとするたび、感情を爆発させるというのは簡単なことではない。そのため皆わずかな感情の火種から、呪力を捻出する訓練をしてるんだ」

「……!」

 

 夜蛾の説明が、すとんと腑に落ちた七瀬は力強く頷いた。

 

「その時の感覚を思い出すんだ。自分の体の奥で流れているものを、体中に巡らせる。そして、手のひらから放出する」

 

 言葉のとおりにするため、七瀬は静かに目をつぶる。そして、自分へと意識を向けた。

 

 

 

 ──どくん、どくん、と一定のリズムで鼓動するのがわかる。

 それよりもっと内側──中心部にわずかに漂うような気配──それを体の中に巡らせて──、

 

 手のひらへ、集めて、放出──。

 

 

 

 七瀬の手のひらから、蒸気が舞い上がるように呪力が溢れだす。

 それに目を輝かせたのは、彼女の傍らで様子を見守っていたみぃちゃんだった。

 吸い寄せられるように、七瀬の手のひらへすり寄っていく。

 

「わっ……! ちょっと、みぃちゃん…!」

 

 湧き出した呪力を嬉しそうに吸い取って、みぃちゃんは恍惚の表情を浮かべた。目を細め、うっとりとした顔つきで七瀬を見つめる。

 

『これはアタシの呪力なの〜』

 

 呪力を可視化して見られた夜蛾は、七瀬が思いの外すんなりと呪力を知覚できたことに驚いていた。

 そして、その呪力に引きつけられる呪霊の様子が気にかかった。

 

「……七瀬は、自分の術式について、何か知っているか?」

「いえ……呪霊のことを知ってる人も、呪術師も周りにいなかったので、何もわからないです」

「そうか……そうだったな」

 

 返事をしながら、夜蛾はまた少し考える。

 

 七瀬の術式は、恐らく自分の呪力を、呪霊を育てられる性質へ変換できるものだろう。

 五条悟が"呪霊を育てる術式"と言っていた。だから間違いないはずだが……これが自身を育てる呪力だと、他の呪霊に気付かれたとき──少し面倒ではないか?

 

 七瀬に取り憑いていた、小さな呪霊。あれは彼女を襲わずに、ずっと側にいた。

 調伏もされていないあれが大人しかった理由は、自身にとって旨味しかない呪力を得たかったためだろう。

 

「……七瀬には、自分の術式について、わかってほしいこととコントロールしてほしいことがある」

 

 その呪力は、一体()()()()()()するんだ?

 

 誰にまで届き、何を変えてしまう?

 

 七瀬は──本当に理解しているのか?

 

 

 

 キョトンとした顔でこちらを見る七瀬から、その答えを聞くのは難しい。

 なら、経験則である程度、補ってやるしかない。

 

「まず、お前の術式がどの範囲まで届くのか知ること。それと、感情が爆発したときに呪力が闇雲に溢れ出ないようにしてほしい」

「……はい」

「それができるようにサポートはする。この呪骸を使った訓練と……そうだな、このあと少し試してみたいことがある」

 

 だが、早急に身に付けてもらわないと困ることだ。

 

 いくらフルオートで守ってくれる呪霊がいるとはいえ……他の呪霊と対峙したとき、無意識で発動した術式がそいつらにも作用したとしたら……。

 恐れていることが、簡単に起きてしまうだろう。

 

 ……そしてそれは、そう遠くない未来に訪れる気がしてならなかった。

 





お気に入りや評価ありがとうございます!
なんだか急にお気に入りしてくださった人が増えてて驚きました……。
なんのおかげかわかりませんが、たくさん読んでもらえてるのかなーって思って嬉しいです!
次の章もよろしくお願いします!
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