新月から満月まではおおむね30日。俺がフィオレッタに会ったのは三日月の頃だったから、これが初めての満月だ。
つまり、魔剣の邪悪でうっとおしいささやき声を抑えるための魔法を実施する時が来たわけだ。
ちなみに下手をすると俺より賢いぽぅちゃんは、フィオレッタの依頼を受けて空に飛び立っていった。魔剣について、先代の知識を借りるための人探しだ。
なにせ相当な自由人らしい。今どこにいるかは弟子であるフィオレッタをして全くわからないのだ。だがぽぅちゃんは先代に育てられた使い魔だ。そのつながりの深さできっと見つけてくれるだろうとのこと。
さて、肝心の魔法だが、朝からずっと作業を始めている。たっぷりと月の光を蓄えた月光樹の樹液を使って鞘を作るのである。
まずはできる限り月光に当てるために、薄い器に樹液を広げている。樹液を温めて柔らかくして、家にある器に広げていくのだ。
鞘になる量の樹液だ。なにせ量が多い。これを広げるのだから、家じゅうの器を動員している。というか器でないものでも、薄く広げられるような形状をしていれば何でもありだ。さすがに食事用の皿を使うわけにはいかないが、俺が適当に切ってきた木材すら利用して樹液を広げている。
そんな俺たちの作業を見下ろすようにして現れたお月さまは、今にも中天へと足を延ばそうとしている。煌々と輝いていて、庭中が青い光に照らされている。
ふと違和感に目を凝らすと、樹脂が柔らかな光を帯びている。月の青い光を吸って、かすかに金の光が樹液の表面に浮かぶ。
「ほらほら、まだまだ残っているよ。気持ちは分かるけどね、今は好奇心をしまっておきたまえ」
確かにまだ作業は残っている。フィオレッタの言うことに素直にうなずき、まだまだ家の中に残っている樹液を取りに行く。
***
「ん、あとは待つだけだよ。東の空が明るくなる直前に、私が魔法をかける。夜の作業はそれで終わり。それまでは、まあお茶でも飲んでいようか」
「ああ。……眠っててもいいぞ。明るくなる前には起こす」
「んー、いやいいよ。それよりもさ、キミの話を聞きたいな。いつも私が話してばかりになっているからね。キミの話が聞きたい」
何かできる話は合っただろうか。魔剣がささやく呪いの言葉がどれだけかとか、そういうことでもいいか?
「そうじゃないよ。でもそうだな、口下手なキミのために、お題の一つでもあった方がいいかな。じゃあ、キミの家族の話を聞かせてよ。時々言ってるだろう? キミのお父さんなら、とか、妹さんみたいだとか。そういう話が私は聞きたいな。大丈夫、少しくらい恥ずかしい話だって、この月夜が隠してくれるさ」
冴え冴えとした月光は、フィオレッタの長いまつ毛を影にできるほどはっきり世界を照らしている。なにが隠してくれるって?
だけど、たまにはいいか。魔剣に関わる話ならしてきたが、俺自身についてはあまり話したこともなかった。それを聞きたいというなら、話そう。まあ、俺の話というよりは、俺の家族の話になるだろうけれど。
「父はとても腕の立つ剣士だった。普段はとぼけた人だったが、いざという時には父ほど頼れる人間はいない」
「キミの剣の腕は父君譲りなのかな?」
「ああ。一度も、一本たりとも取ったことはないが」
「それはすごいねぇ」
そうだ。父はすごいんだ。
「母君はどんな人だったんだい?」
「母は穏やかな人だったな。俺たちが外で庭仕事をしているとな、いつの間にかやってきていて、ニコニコとしてた。仲のいい人たちを見るのが好きだと言ってた」
「ふふ、いい趣味をしているね。私とも気が合うかもしれない」
「……合わないことはないだろうが、むしろフィオレッタは妹との方が気が合いそうに思うが」
「妹さん? そういえばキミはお兄さんだったんだっけ? 見えないな」
「……。まあ、妹は勝ち気でな、俺のこともビシバシ鍛えてくれていた。ああ、庭仕事とか鶏の世話とかだ。母も妹も荒事とは無縁だったからな。でも、俺よりよほど強い人たちだった」
「キミはいい家族に育てられたんだね。良いことだと思うよ」
そういえばフィオレッタの話は色々と聞いているが、家族の話というのは……なかったように思う。
「フィオレッタは……先代と二人暮らしだったか」
「そうだね。あとはぽぅちゃんもいたから、二人と1羽暮らしだったよ。気を遣わせたかな? でも、今日はキミの話だ。さあ、まだまだ夜は長い。もっと話を聞かせてよ」
俺は口下手で、実際うまく話すことはできなかった。でもフィオレッタは、俺の話を理解し、整理してくれたから、だんだんとうまく話せるようになった気がした。
月の光だけが影を作る夜のひと時、穏やかで豊かな時間。ああ、この先も、こんな風に続けばいいのにと、そう思った。
***
魔剣に呪われてから、こんなに穏やかな日々を送ったことはなかった。たった半月の間だったが、ただの村人のように、何でもない畑仕事や雑事で一日を過ごすことが出来ていたのだ。それがどれだけありがたいことか。
魔獣はそこら中にいるから、殺し過ぎて一帯を空っぽにしない限りはフィオレッタも許してくれる。魔剣のささやきが絶えることはないけれど、一時の頃のように俺の意識までしみこんでくるような圧は少なくなった。俺はこの幸福な生活をなくしたくない。それを実現してくれたフィオレッタを殺すのだけは、本当に嫌だ。
欠片でもそうなりそうになったら、俺は俺を許せない。恩人を手にかけるなど、魔獣以下の畜生だ。家族に顔向けできない。だからもし魔剣の声を抑えられなくなったら、俺はこの家を出ていく。そしてこの温かかい日々を胸に、旅を続けることになるだろう。
そんな日が、来てほしくは、ない。
***
「ほらほら、ぼうっとしない。そろそろ始めるからね」
気が付けば月はずいぶんと傾き、もう少しで森に隠れてしまいそうだ。
庭に並べていた樹液──どれもこれも薄く黄金に輝いている──に向けてフィオレッタが手をかざす。そういえばフィオレッタの魔法を見るのは初めてだ。違うな、そもそも魔法をちゃんと見るのが初めてだ。
静かに、フィオレッタの長く美しい白髪がふわりと浮き上がる。そして伸ばした指先に、柔らかな緑の光、新芽の色が灯る。そのまま目の前の樹液に向けて指を振っている。月の光に慣れた俺の目に、その軌跡が残光となって映る。ただの模様のようでもあり、何かの文字のようでもある。躍る光に合わせて樹液の黄金も揺れる。つややかな絹糸のように、緑の光へと、黄金が伸びていく。金と緑が混じり合い、ふっと消えた。気が付けば、月の光だけが残り、緑の光も、黄金の輝きも消えていた。
「ふう、これでよしと」
「……もう、終わりなのか?」
「もっと派手な方が良かった? それなりにわかりやすくしたつもりんだんだけど」
「いや……とても、魔法らしく見えた。……ん? わかりやすくした?」
「初めて魔法を見るっていってただろう? だから見栄えを意識してみた」
「そうか。とても、綺麗だった」
「んふふ、ありがとう」
この後は別にすることはないらしい。朝日が出る前に樹液を回収すれば完了。もう一度温めて鞘の形に直すだけ。別に寝不足のままやらなくてもいい。
「フィオレッタ、先に寝てていいぞ。あとはやっておくから」
「そうはいかない。私の魔法だからね、最後まで面倒を見るのがいい魔女というものだよ」
「そういうものか」
「そういうものさ」
朝の日差しが樹液を照らす前に回収し、改めて家の台所で樹液を温めている。俺が魔剣を駆使して作り上げた鞘の木型も準備万端だ。
手順としては、木型に樹液を流し込み、樹液の中に魔剣を突き刺す。あとは固まるのを待つだけ。ただそのまま突っ込むと魔剣の表面に樹液がくっついて取れなくなりそうなので、魔剣に油をつけた薄手の革を巻きつけておく。これで挿抜もしやすくなるだろう。
正直にいえばさっさと寝たいと思わないでもなかったが、面倒ごとはさっさと済ませるに限る。ドロドロとした樹液が木型に入っていく。思ったよりは粘っこい。魔剣を刺しても倒れずに直立するくらいだ。
「どのくらいで固まるんだ?」
「10分くらいでいいんじゃないかな? まだちょっとだけ柔らかい状態なら引き抜きやすいと思う。そうしたら、最後に私がもう一度魔法をかける。そうしたらひと段落だね」
「木型を割ったりなんだりはあとだな」
「ちょっと、眠いよね。でももう少しだけ頑張ろう」
二人して、魔剣を立てた丸太を覗く。時々揺らして、くっつきすぎないように、固まったかを確かめる。窓からは明るい朝日が差し込んでいて、部屋中を白く染めている。
そんな中、眠さをこらえてフィオレッタが時々舟をこぐ。俺は魔剣のせいで眠らなくても問題がないから、眠ろうと思うまでは眠らなくても平気だ。いや、ふつうの人間に比べればだけど。普通に眠いなと思った時に寝れるのが一番だと思うけれど。
「フィオレッタ、固まったぞ。カチコチだ」
「ん……、じゃあね、うん……。良いんじゃないかなぁ……すごくよく伸びるよ……」
これは、完全に寝ている。寝言だな。魔剣はもう放っておいても平気だろう。完全に固まっているし、油を付けた革のおかげで抜き差しも軽い手ごたえだ。
だから今はフィオレッタの方が大事だ。まあ魔剣が大事だったことなんて一度たりともないのだけれど。
フィオレッタを抱え上げ、彼女の部屋へと運ぶ。見た目通り軽い体はもう少し食べたほうがいいのではと思う。まあ運ぶ分には助かるのだが。普段の凛々しい表情──少なくとも自信満々ではある──とは打って変わってしまりのない寝顔だ。まあ無理はない。フィオレッタはいつも月が上り切る前には休んでいる。今日の様に一晩丸々起きているなど、そうそうないことらしい。
ベッドへとフィオレッタを寝かしつけ、俺も自室に戻る。魔剣は放置、とはいかないので木型である丸太ごと部屋に持って帰る。とにかく邪魔だし、うるさいからあまり自室まで持ち込みたくはないが、さすがに刃物を放置はできない。うんざりしながら部屋の片隅に置いておく。
魔剣によって眠さは無視できるが、それでも眠れるなら寝ておきたい。食事と睡眠は人間らしい生活に必要なものだから、これを怠るとどんどん外れていく。だから寝る。お休みだ。
***
魔剣の刀身を月光樹の樹液が包んでいる。フィオレッタの静寂の魔法によって魔剣の声が遠い。先日猿共を斬ったばかりで、魔剣の欲求がそこまで強くなかったということはある。だが、それでも全く聞こえないということはなかった。
どんなに魔獣を斬っても、どれほどの数を殺しても、魔剣が満足して黙る時間はわずかだ。底が抜けたバケツのように、魔剣の欲望は尽きなかった。どんな時も。
それがどうだ。この寝起きのすばらしさは! いつぐらいぶりだろうか、こんなにぐっすりと眠れたのは。
魔剣というのは本当にはた迷惑なもので、俺が人と話していようが、寝る直前であろうがお構いなしだ。そして人は絶えず話しかけられ続ける環境下で十分な睡眠を得ることはできない。
人間というのは人同士の交流によって生きるものだから、人の声に対して一番耳も脳も反応するようにできているのだ。それが魔剣のクソみたいなささやきであってもだ。
こいつは忌々しいことに、殺せとだけいうのではなく、命を捧げろとか、血をまき散らせとか、殺せって言う表現を変えてくるのだ。おかげでどうしても意味を取ってしまうから、無駄に注意力を裂くことになる。そのくせ魔獣との戦いでは静かに黙っているし、なんなら危険を知らせたりする。普段からそれだけやってろって思うんだが、人ならぬ魔剣だ。文句を言うだけ無駄だ。実際文句を言い続けても無駄だったからそれは分かる。
つまり何が言いたいかというと、延々と睡眠妨害されてきたということ。そして、その妨害から解放されたということ!
「キミにしては起きてくるのが遅いと思ったら、そう言うことだったんだね」
もう昼も回った時間にようやく起きてきた俺をフィオレッタが迎える。まあ昨日は徹夜だったから、多少の寝坊が取り沙汰されることはない。
「それと……、昨日は私を運んでくれたようで、ありがとう。おかげで私も気持ちよく眠ることが出来たよ」
少しだけ顔を赤くして、フィオレッタが礼を言ってくる。意外としっかり者のフィオレッタだ、この手の油断は珍しい。俺としても珍しいものが見れたなと思っていたりする。が、そんなことを言うと拗ねて口をきいてくれなくなりそうだ。年頃の女性は気難しいのだと、妹を例によく知っている。
「ん、大したことじゃない。俺も、フィオレッタのおかげでよく眠れたから、どうってことない」
「いや、重くなかったかなと、思ったりしたりしたんだけれど……、大丈夫だったようだね」
この質問には答えてはならない。俺の第六感(そんなものがあればだが)が警報を鳴らす。ここは流すべきだ。
「いつもより、森の音が聞こえるな」
「そう? ……あまりいつもと変わらない気がするけれど?」
「俺はいつも魔剣のささやきを聞いているから」
ああ……とフィオレッタが可哀そうにと俺を見る。
「キミも苦労しているねぇ……」
「ああ。苦労している」
「……そこで頷くのは、キミらしいというべきか」
別に事実だと思うのだが。