それはこの世界に住む誰かの話。
友人の話。
恋人の話。


いいえ。これはあなたの話。


ああ。
ほら。また。今日も。

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お題:無し

※こちらの文章を書くにあたり、語尾プッチンの省略をお許しくださいプッチン。
※また、こちらのお話はフィクションですプッチン。実在の人物・団体・出来事とは関係ありませんプッチン。
※さらに、こちらのお話はフィクションですプッチン。似たような人物・団体・出来事とは関係ありませんプッチン。
※電車で移動中の際に作成をさせていただきましたため、誤字脱字をお許しくださいプッチン。


私が潰れる音がした。

 

 

 

 

 

【私が潰れる音がした。】

 

 

 

 

 

「俺、この会社辞めようと思うんだ」

 

 

入社10年目の男がいう。

 

 

「他の会社から誘われたんだ。今よりも断然待遇がいいっていうからさ。

……でも、心残りは部下であるお前を置いていくことだなあ。」

 

 

その男は言う。

笑って言う。

自分が辞めた後のことを。

 

知りもしないだろう、今後のことを。

もう今後関わることのないこの会社のことを。

 

私はそんな先輩の言葉の意味がわからず、ただ愛想笑いを浮かべるだけだった。

 

 

 

 

 

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「会社舐めてんの?」

 

ドンっとオフィスに響いたのは机を叩いた音。

 

びくり、と肩を竦めたのは、偉そうに机を叩いている男の前で、小さくなっている女性だ。

提出した書類に不備があったのだろうか。何度もそれを見ては、「はあ」と重くため息をつく男。ぶつぶつと何かをいいながら、とんとんと指で書類を叩いている。

 

「すみません…」

 

その女性は肩を窄め、表情が見えないくらいには顔を俯かせている。またそれをみて男が盛大なため息をついた。

 

「すみませんすみませんって…

何度謝っても間違ってることには変わらないんだよ」

 

また盛大にため息をついた男。女性はただ頭を何度も何度も下げるしかないようだった。

 

 

「まあまあ、課長」

 

 

口を挟んだのは居ても立ってもいられなくなった私。現在進行形で怒られている部下は私のチームの子だった。苦笑いを浮かべて、二人の間に割って入る。

 

「そもそもお前がしっかり指導をしないからこういうことになるんだ」

 

ドン、と机が叩かれたのを見計らい、後ろにいる彼女に席へ戻れ、と手で合図をした。

かつて、私を指導してくれた先輩がそうしてくれたように。幸いにも、上司の怒りの矛先が自分に向かったようで、私は小一時間課長から怒られ続けたがなんとか業務を終えた。

 

 

 

 

 

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「そんな会社早く辞めなよ」

 

「簡単に言うよなあ…」

 

友人とのサシ飲みで言われた言葉。誰もが言う。

 

この現状を、少しでも報告するだけで、誰もが。辞めたい、と口にすることはなかったけれど、愛想笑いを続けているうちにどんどん自分が擦り減っていくように感じた。

 

 

いや、自分が悪いのだ。早く辞めなかった、自分が。

 

 

そう結論付けて、適当に相槌を打つ。だってみんなそう言ってほしそうな顔をしている。

親も。親戚も。友人でさえ。

 

「いつか体を壊すよ」

 

と言われて、その通りだと笑う。

いっそ倒れてしまえば、そのまま仕事を辞めれるのだろうか。風邪でもひけば、と。

 

やたら健康な自分の体を恨む。違う。私は、まだ働きたいのだ。これを洗脳だというのなら、そうなのかもしれない。

 

 

「…俺はお前の葬式には行かないからな」

 

 

いつか、というのはいつ来る話なのだろうか。

 

前に、私がこの会社に入った先輩は、いつか、が来ることを予見して去っていったのだろうか。

辞めていった同期は、後輩は、新人は、派遣は。

 

友人の冗談めいた言葉に笑いながら、まだこうして友人と飲んで笑える時間があることに感謝した。

 

 

 

 

 

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「私…辞めようと思ってるんです」

 

自分の部下からの相談だった。

 

いや、決意は固まっているだろう。毎日毎日あんなに人格否定をされていたら嫌にもなる。モラハラ、と訴えられれば勝てるくらいだ。そうか、と静かに頷いて、缶コーヒーを呷る。

 

「あの……辞めないんですか?」

 

言い澱みながら聞いてきた部下は、心配そうにこちらを見ていただろうか。恐らく、心配しているか、興味本位か、興味もない会話程度か…。こちらも、その言葉をいわれすぎていた。大方の予想はつく。決めてしまったのなら仕方ない。部下の仕事を引き継がねば。

 

 

「そうだね」

 

 

覚悟を決めた部下のなんと勇ましいことか。

 

なんと頼もしいことか。そして、……羨ましいことか。

心の奥底にある燻りを見て見ぬふりをして、笑顔で答える。

 

 

「辞めないよ」

 

 

そう答えれば、もう少し頑張れるような気がした。

 

……部下からの引継ぎはその日一日で終え、上司に報告として伝えた。そのことで一時間ほど怒られ、本日作成予定のプレゼン資料の作成が遅れた。プレゼンチームの同僚にはすまないと思っている。部下は無事、貯めに貯めていた有休を最後に消化するため、二週間後に休みに入った。そのまま仕事も辞められそうで、すんなりと行きそうだ。

 

 

ああ、よかった。

 

 

これでもう口を開けば嫌味しかでてこない上司の顔を見なくていいのだ。せいせいするだろう。片づけられた部下の机を見つめて思う。きっと来週には新しい誰かがそこに座ることになるのだ。

 

 

 

…少しだけ羨ましかったのは、胸の内にしまっておこう。

 

 

 

 

 

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その部下が辞めたのをキッカケに、多くの後輩たちから辞めたいと相談を受けることになった。

 

もはや、同じチームの子ではないのに相談に来ては「引継ぎをお願いします。」と言ってくる始末。

私がなんでもできると思ったら大間違いなのだ。チームリーダーであるだけで、辞めたい後輩たちの代わりではない。

 

 

……代わりではない、はずだ。

 

 

もはや、辞めたい、といった後輩たちを引き留めることなどできず、ただ引継ぎ内容を覚え、次のものが来たら引き継ぐだけ。私の仕事ばかりが目に見えて増えていくようだ。

 

……いや、私の仕事ばかりではないはずだ。きっと長く続く新人が来てくれるはずだ。

 

きっと。

……そう、待って居よう。

 

 

期待せずに。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

期待せずに待つというのは、何かを諦めることと同義なのだろうか。

 

あれから、幾度となく新人が入社し、辞めていった。

耐えられなかったのだろう。

 

上司に。

環境に。

境遇に。

待遇に。

 

去っていった社員たちは賢い。私にはその考えすら及ばない。

 

 

 

いや、違う。

 

 

 

きっと考えたくないのだ。未来が怖いのだろう。

ここを辞めてからのヴィジョンが見えないのが。

 

ここを辞めた後のことを何も考えられない。ただ、ひたすらに食らいつくしかない。慣れてしまったこの仕事に。この空気に。自分だって上司のことなど言えない。辛辣でモラハラ気質な上司にため息をつきたくなるけれど、ナニクソ、と思うことがない。愚痴の一つでも零れれば違うだろうか。いや、何も考えたくないのだ。

 

 

 

ぐしゃり。

 

 

 

とにかく、なるべく辞めないようにと、新人たちの仕事を肩代わりすることが増え、仕事をこなす毎日。ほぼ毎日、会社に泊まり込んだり、近くのビジネスホテルでシャワーを浴びたり。残業時間なんて気にしない。そんなものあってないようなものだから。付けようが付けなかろうが、何も変わらない。ただひたすらに毎日出勤して毎日働いた。

 

部下になる人たちに仕事を教え、できないと言われればできると笑ってみたり、肩代わりしてみたり。部下たちを定時で帰らせることに必死だったのだ。仕事を振りすぎないように。辞めないでくれ、と願いながら。でも、辞めるのは自由だ。だから、言葉には決して出さなかった。期待はしないようにして。でも、願いだけは込めるようにした。

 

そのうち、気が付けば役職が二つほど上がっていた。

 

 

給料は変わらないし、休みも変わらずなかったけれど。

 

 

 

 

 

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部下に慕われているかどうかはもはやわからないくらいには、自分がずっと働いている感覚があった。毎日毎日、寝て起きて仕事をする。休憩時間があっただろうか。夕ご飯の時間に昼ご飯を食べ、深夜によるご飯を食べる生活。しかも、目の前にはいつもパソコン。もう少し心に余裕があったら、何か変わっていただろうか。

 

 

新卒の子たちが挨拶をするときに言う、「趣味は○○です」ということ。

己を形にするもの。

 

 

趣味嗜好。

 

 

今、きっと私には好きなものがない。夢中になるものがない。

いや違う。

 

思い出せない。はるか昔のことだったように。

 

かつて漫画を読んでいた気がする。

大好きな少年漫画の雑誌を買ったのはいつが最後だったろう。会社の下にあるコンビニに、それこそ会社に入ったばかりのころは買いに走っていたような気がする。最後まで読めなかったあの漫画は完結したのだろうか。

 

ふと乗っていた電車で思いだしたのだ。

 

好きな漫画の作者の「待望の新作!」と書かれた文字。

揺れる広告。身体。電車。空気。

 

重い瞼に手をやりながら、目が覚めたのかもしれない。つり革を掴んだまま。

 

 

 

「もう、……だめだ」

 

 

 

死にそうなくらい絶望した声だった。

 

カラカラで、水を含んでいない声帯から発せられたのはそんな言葉だったのだ。もうしばらく友人と連絡をとっていない。笑いながら酒を飲んで、お互いの会社の愚痴をいう友人。あの時、「お前の葬式なんて行かないからな」と笑った友人。もう結婚しただろうか。メッセージのやり取りをしたのはいつだったか。いや、プライベートの携帯電話はどこだったっけ。……自分は仕事をしていないとき、何をしていたんだっけ。何が楽しみだったっけ。何で暇をつぶしていたっけ。もう思い出せないくらい遠い。遥か昔のことのようだ。

 

そういえば、もうしばらく休みをとっていないような気がする。

 

三連休とか、四連休とか。そういうのじゃなく。半休のような休みばかりで。丸一日。まっさらで何もしない。予定もない。会社の携帯も鳴らない。家に帰ってもとんぼ返りしない。

 

ゆっくりお風呂につかって。仕事の二文字を考えない。あるいは、何も考えなくたっていい。時間を無駄にするような。時間に身を任せるような。

 

そんな休みを。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

「今年のゴールデンウィークはしっかり休みをとろうと思っています」

 

グループチームの休みのすり合わせの時に発言した。今まで、若い人たちにゴールデンウィークを譲ってきたし、なんならその間も働いていた。長期休みなんてあってないようなものだったし、あまり気にしたこともなかった。だが、長い休みを取りたかったのだ。自分がなくなりそうだったから。友人と飲んだのはいつが最後だったろう。好きなことを忘れてしまうほど、仕事にしか向かっていない無価値な人生が嫌だった。

 

「え、そうしたら僕たちのゴールデンウィークの休みが取れないじゃないですか」

 

今年4年目の彼が残念そうにいう。長い爪を弄りながら、その隣の彼女もいった。

 

 

 

「まあでも、リーダーさん。毎年ゴールデンウィーク、うちらの代わりに仕事してたし」

 

「それはまあ…そうだけど」

 

 

 

今更そんなことを言い出さないでほしい、という顔をしていると感じるのは妄想力所以だろうか。グループ全員の視線を感じながら、居た堪れない空気に目を伏せる。

 

 

 

「他のチームの人たちと同様に、休みは交代にしましょう。1か月の間で各自それぞれが休みがとれる日程を調整すること。私も休みをとるつもりです」

 

 

 

働き方改革です、と笑っておいたが、何を言い出したのかと思えば、というようなため息が聞こえた。それでも言っておかないことには始まらない。今までの信頼関係が壊れないことを祈りながら、二か月先のゴールデンウィークの休みの予定を書いて提出してほしい、と告げる。考慮はする、と。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

そうして部内全員分のシフト表が完成した。

 

これで部内の休みのルーティンは完璧だと心を落ち着かせ、自分も休みがとれるとやや心が躍り気味になっていた。久しぶりの連休だ。ゴールデンウィークなんて、何年振りの休みだろうか。

 

そして、休日シフト表と人数分の休暇届を上司へ提出しようとした。

 

 

そして。

 

 

そして。

 

 

そして。思わないことじゃなかった。それが当たり前だと思った。

 

 

 

「ゴールデンウィーク?なんでお前休んでるの?」

 

 

 

上司から突かれたのはそこだった。休日シフト表にある自分の名前。そこをトントン、と指で叩かれているのを見て、自分の頭が叩かれているような感覚に陥った。

 

 

 

「俺の代わりは?」

 

 

 

はー、と長いため息の後、発せられた言葉は身も蓋もない。確かに今までは、大きな休みの時は休みを取る上司の代わりを務めてきた。それが当たり前だと思ったからだ。そう、言われてきたからだ。

 

しかし、今年は違う。今年は休みを取りたいんです、と口に出そうとした時だった。

 

 

 

ぐしゃり。

 

 

 

上司に提出した紙が目の前で握りつぶされた。紙がひしゃげ、見るも無残な姿となり果てる。未だ、上司の握った拳の中でつぶされたままの紙をじっと見つめていれば、ぶわっと全身から汗が噴き出した。

 

当たり前だと思っていた。

 

でも、当たり前だと思っていたことに限界を感じて。誰もが「休んでいい」というのだから、休んでいいはずなのに。なのに。自分は間違っていたのだろうか。提出した紙をシュレッダーの機械にかけ、ぽんぽんと上司に肩を叩かれる。

 

 

 

「お前はいつも通り、連休が明けてからの日曜日にでも休みをとれ」

 

 

 

顔を横にした時にちらりと見えた上司のパソコンには、連休旅行の紹介動画がたくさん流れている。自分は、去年と同じように会社に来ればいいだけだ。悪いことなどない。社内に人が少ない、だけだ。ただそれだけ。いいんだ。それでも。いいんだ。いいはずだ。自分が頑張ればいいのだ。上司の代わりに。

 

 

 

気が付いたら、自分の席に戻り、今一度白紙の休日シフト表を打ち出していた。机に積み上げられる紙の束と、色とりどりのファイルを横目に。今一度、部下たちに休日シフト表を書いてくれないかと声をかける。反応は様々だ。

 

私の分の休みを代わりに貰えると喜ぶ者。旅行の予定を伸ばそうとする者。多少の労りを見せる者。優しい言葉をかける者。一度書いたシフトがなくなり、再び書くことに不満を表す者。

 

本当に様々だった。大丈夫だ。問題ない。私が頑張ればいいのだ。これまでもやってきた。やってこれた。

 

そうだ。次の盆休みにまた申請してみよう。

今度こそ、二日くらいの連休がもらえるはずだ。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

あれからなるべく休みを取るために、とやってきたつもりだった。結局あのあと、日曜日に半休を取るといいながら、ほぼ会社で一日を過ごした。次こそは長い休みを取ろう。次こそは多くの休みを取得しよう。考えるのはそのことばかりだった。

 

 

 

仕事をしながら、次の休みを待つ。

 

シフトを作成し、上へと渡す。

 

破り捨てられる、の繰り返し。

 

 

 

その間に新しい部下が入り、辞め、また新しい部下が入る。毎回新人の名前を覚えて、仕事を割り振る。その間に他の部下のフォローにも回らねば。休みがとれないのは自分だけでいいのだ。また辞められてはたまったものではない。私が抱えて仕事を終える。それを繰り返す。

 

そんな。

 

 

 

 

 

そんな日々だ。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

「夏休み?何言ってんの、もう休める期間はすぎただろう。」

 

ぐしゃり。

 

 

 

楽しみに待った盆休み期間が過ぎ、九月に入ろうとした矢先に告げられたのはそんな言葉だった。

近くにあったシュレッダーにかけられる紙の、なんと無残なことか。

取得できなかった夏休みを、今か今かと楽しみにして、上司に「休みたい」と話したのだが。

 

結果は【これ】だ。

 

今回は先に部下たちの休みを取得させたというのに。

 

 

 

「自分は、……休みをいただけないんでしょうか」

 

 

 

絞り出した言葉は、本当に小さな声だった。

上司は、はん、と鼻で笑う。

何とも言えない、弱いものを見るような眼を向け、口元がにやけたまま正面のカレンダーを指さす。

 

 

 

「今月"も"忙しいからな」

 

 

 

ああ。

 

今月も休めそうにない。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

夏も終わり、年末の空気に周りが慌しくなってきた。

毎年、年末年始も仕事をしていたが、今年こそ休みを取りたい。固く心に誓い、年末年始のグループシフト表を作成してから、上司の席へと向かった。

 

さながら、気分は戦場へ向かう兵士の気分だ。

もしくは断頭台へ歩くジャンヌ・ダルクだろうか。

 

 

上機嫌でクリスマスソングを歌う上司がそこにはいた。いままでのことを思うとまた破り捨てられるだろうか、と先に悲しくもなる。

 

いや、負けてばかりではいられないのだ。

 

なんたって、ようやく貰えるかもしれない休み。今まで何度破かれていたとしても、希望はあるはずなのだ。きっと上司の機嫌にも左右されるはすだ。

 

……今は機嫌がよさそうだ。

 

 

 

大丈夫。

 

 

 

何度も言い聞かせて。

ようやく上司を呼び止め、シフト表を渡す。

 

 

 

「冬休み?何言ってるの、会社の管理キーは君も持ってるんだから、君は出るんだよ。」

 

 

 

ぐしゃり。

 

ああ。またか。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

「有休?だめだめ。この日は大切な会議があるだろう。」

 

ぐしゃり。

 

 

 

 

 

「君の代わりはたくさんいる。たくさんいる人間の一人だからこそ、がんばって仕事しないとね。」

 

ぐしゃり。

 

 

 

 

 

「まだ休みなんてこと言ってるの?もう諦めたら?」

 

ぐしゃり。

 

 

 

 

 

提出したはずの書類が握り潰されるたびに何かが頭の中で潰れていく。

早退申請も、休暇届も、盆も暮れも。

10年以上勤めている会社だ。今更、何が潰れていくというのか。気が付いたら、周りの親しい同期たちは辞め、良い上司たちももういない。

 

自分が上司の位置へと駆け上がったのに、やはり上には上がいる。前の上司よりはいいだろうと期待をして、期待をして、期待をして、最後には仕事を押し付けられる。それが私の仕事なのだと割り切り、押し付けられた仕事をこなしていたら、いつの間にかそれが当たり前になっていった。

 

「せめて、部下には負担がないように」

 

耐えきれない、とは思わなかった。私が我慢すれば、いつか報われるはずだと今でも思うからだ。そう、私は今でも思っている。どんなに辛くても、きっと報われるはずなのだ。

 

人生の幸福と不幸は、平等なはずだ。

 

笑いながら生きていれば、きっと幸せはやってくるはずなのだ。もうすぐきっといいことがきてくれるはずなのだ。

 

 

ぐしゃり。

 

 

また、目の前で有休申請書が握り潰された。目の前にいる上司は、私を睨んでいる。はぁぁ、と深いため息はなんだろうか。きっと上司にも思うところはある。

 

 

「君さぁ、仕事舐めてるの?」

 

 

どこをどう捉えたのか、上司は握ったままの私の有休申請書を開いて指でとんとんとはじく。まるで私を品定めするように上から下までじっとりと見た後に、またため息を繰り返す。

 

 

「前にも言ったよね?君より頑張ってる人はたくさんいるんだから、君はもっと頑張らないといけないって。」

 

 

どん。大きく机を殴った音が響く。社内にいる他の会社員たちが動じることはない。日常茶飯事なのだ。いつもどおりの、いつもの光景。大したことなどないのだ。

 

 

「お前が休んだら、誰が仕事すると思ってんだよ。」

 

 

とんとん。これは書類を叩く音。どん。これは机を叩く音。

 

私は。

 

 

 

私はー。

 

 

 

 

 

--------------------------

 

 

 

 

 

どん。

 

 

 

ようやく仕事を終え、帰宅途中だ。今何時だろうか。

 

あたりを見渡せば、街灯がちかちかと揺れているだけ。恐らく深夜だろう。あまり人通りも多くない。もう、体もくたくただ。握り潰された休暇届は、また明日出してみようか。きっと上司もわかってくれるはずだ。今日は虫の居所が悪かったのだ。

 

きっと。

 

そう思っていたら、向こうのほうからパパパーッ!と電車音。ようやく電車に乗れるかと、歩こうとした時だった。

 

 

 

どんっ 

 

 

 

衝突音は何だったか。何にぶつかった音だろうか。やけに、大きい音だった。

 

 

冷静な頭で考える。

 

 

ようやく明るくなったと思ったら、視界がぼやけていて周りが明るいことしかわからない。いつもよりだいぶ目線が下で、私は何かにぶつかったショックで座り込んでいたのだろうか。なんだか体がどうにも動かないように思えた。私の手はどこだったろう。足は。腹は。首は。

 

そして。その、私の目の前にあるその赤黒いそれは。それはなんだろう。私の目と鼻の先にある。

 

 

ぼんやりとした。それは。

 

 

手を伸ばそうとして、伸ばせず。何かを言おうとして、口が開かなかった。

何か大切なもののようだった気がする。

 

私は明日、それを。それを。もう一度。

 

 

 

ぐしゃり。

 

 

 

ああ。

私が潰れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分前の話。

 

 

「きゃー!線路に!人が!!」

 

 

駅構内のホーム。ひしめき合った人々。朝のラッシュ。丁度8時きっかり。誰かの悲鳴と、ザワザワとした人々の声。しかし、それと同時にカシャカシャとシャッター音。

 

ちかちかと光るフラッシュ。早く助けないと、と誰かが言っているうちに、線路向こうのほうからパパパーっ!と電車音。早く逃げろ、と誰かが言った。すげえ、映画みたい、と誰かが言った。

ボタン押す?なんて緊急停止ボタンの前で誰かが言った。なんだ?何の騒ぎだ?誰かが言った。

 

 

時はスローモーションのようで。

 

いや違う。一瞬で。

 

 

どんっという音と共に、ががが、と何かの音。

きっと何かがぶつかったのだ、と車内の人は思っただろう。

 

ひしめき合う人々と。飛び散った何かと。ため息をつく駅員と。チカチカと光るシャッター音と。

 

怒号飛び出す罵詈雑言。

初めて見たと携帯電話。

 

 

 

一瞬の間。

 

 

 

そうしてようやく、動く人々。血生臭いブルーシート。ひたひたと集めるのは人間だったナニカだろうか。

丁度人身事故の現場に鉢合わせた男は、チッと小さく舌打ちをした。女も携帯電話を取り出しては、会社に電話をしている。やや興奮気味に話し出す学生服たち。

 

 

 

……事故現場とはやや離れたホームに、何かが二つ転がっていた。

 

 

 

それは、丸くて人間だったものの一部と、赤く染まった白い紙。白い紙を一部は何か言いたげに見つめている。……いいや、もはや無機質に見つめている。

 

 

 

「こんなところにも欠片があったか」

 

 

 

手慣れた駅員が丸い一部を拾い上げる。この道何十年かのプロなのだろう。若い人たちはそれらを見るだけで吐き気を催すというのに。生々しい肉塊を集めては手持ちのバケツに入れていた。

 

 

 

「「迷惑な奴だな。自殺するやつってのは」」

 

 

 

その言葉を、どこかのオフィスで誰かも言った。

それが潰れてしまった私と関係あるのかないのか。そんなこと、知る由もなかった。

 

だって。もう。

 

 

私は。

 

 

「ん、……なんだ?紙?」

 

 

誰かが足元にあった赤黒いものを見つけた。それは、誰かがずっと握りしめていたもの。それは、ずっと誰かが拘っていたもの。それは、誰かが。

 

 

「まあ、ただのゴミか」

 

 

ぐしゃり。

 

 

 

ああ。

誰かが潰れた音がした。

 

 

 

 

 

【Fin】









(あなたの潰れる音もした。)





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