どこの世界にも馬はいる 作:月陽
「フィロ、あぶない!」
「おわふ!?」
どーん!という衝撃を横から受けて、ふと頭に浮かんだのは、とある馬房の、とある夜のことだ。
あれは秋めいてきた、満月の日だったーーー。
「うおおおん!エテの兄貴ぃ!!」
「……まあた来たのかぁ、ケンくん」
思い返せば、騒がしいことこの上ない馬房だった。隣には爆音いびきおじさん、反対側には壁ドン覗き見おじさん、挙げ句の果てには夜泣き兄ちゃんときた。
「おーよしよし、今日はどうしたんだあ」
「お嬢が、言うこと聞いてくれないんすよお!!」
会話が成立しているようだが、もちろん馬の言葉などわかる人間はいない。相手にはただのいななきに聞こえているだろう。
元々髪型には詳しくないが、きれいにツーブロックに揃えた、騎手にしては背の高いこの兄ちゃんがケンちゃんである。その場のノリで呼び方はちょっと変わるのがミソだ。
「今日も俺、蹴り飛ばされてぇ」
「あー。機嫌悪そうだったもんなあ」
「俺のいうこと聞いてくれないし」
「ケンくんのことは好きだと思うのよ、ただ気分じゃないだけで。でもそんなところがうん、その、かわいい……じゃないのかあ?」
「さっきも、馬房から追い出されたんすよお」
「うんうん、やっぱりお牝馬はこわいよなあ、わかるぜ。妹だからまだ良いけど、その辺の牝馬全員怖えもん」
可哀想に身体中をぼこぼこにされたケンちゃんは、"お嬢"の主戦騎手だが、お気に入りの羽織のようなものかもしれない。
俺の前ではこんなにも情けない兄ちゃんだけど、顔はモデル並みにきれいで、どうやら良いとこのお坊ちゃんらしく品がある。
そんなおきれいな顔を容赦なく引っ叩くのが、お嬢、そう、俺の真っ白な全妹である。
「おれえ……、また兄貴に乗りてぇよお」
「そりゃあ、俺に言われてもなあ」
まだ若いケンちゃんが最初に乗った馬が、何を隠そうこの俺である。元人間なこともあって、俺は駆け出しの騎手に人気ではあるのだが、ある程度したら乗り替わってしまうのだ。
俺ばっかり乗っていると、融通が効かなくなるらしい。だから俺に乗る騎手は固定されてないし、若手から超ベテランまで幅広い。
隣のおっちゃんによると、俺は騎手を全喰いした馬としてネタにされているらしい。まさかの尻軽扱いである。不名誉すぎる。
「お、おーい、ケンくん、寝るなよお」
どうやらケンくんはここの専属騎手になったらしく、お嬢の世話を終わらせると必ず俺の馬房に来て、一通り喋って嘆いて笑って、そして寝る。
側から見ると気でも狂ったのかと思われるだろうけど、本人は気にしていないようだ。
「しょーがねえなあ」
俺にできることは精々、話を聞くことと、清潔な寝藁を掛けてやることだけなのだが。
俺に競馬を教えてもらったからと、馬なのにも関わらず兄貴と呼び、どこに行くにも顔を出してから旅立つのだから、方々でケンちゃんは俺の舎弟扱いである。まあ、本人が嬉しそうな顔をしているから、何も言わないし言えないけども。
「ーーーはっ!!」
ぱっと目が覚めた。どうやら寝ていたらしい。寝た記憶が全くないのだけれど、懐かしい夢を見たのだから寝ていたのだろう。
「ーーー!」
近くから息を呑む声が聞こえて、首をそちらに動かす。そこには1人の青年と、その隣にはなんと……。
「ウワアアア!? オヒンバァー!!」
濃いめの栗色に、金髪のように明るいたてがみを持った馬がいた。それはこの世界では一般的な形をした馬であったが、筋肉質ながらもすらっとしている。
主人に大事にされているだろう毛並みの艶と、首に巻いている花飾りが素敵である。だが、どんなに魅力あふれる牝馬であっても俺にとってはただのトラウマの象徴でしかない。
「だいじょうぶ?ごめんね」
「ア、ダイジョウブナンデ、ゼンゼン、チカ、チカヨラナイデエ」
優雅な足取りで近づいてきた牝馬は、馬が馬にするように顔を擦り付けてきた。ふわりとかおる花の香りが大変素晴らしいが、あと100mぐらい離れて欲しい。
「あ、あのお、お兄さん……?」
「……」
長身で細身のお兄さんであろうその青年は、先ほどから一言も発さない。
黒くすんだ金髪とエメラルドグリーンの瞳を持った彼は、口元には黒い布が当てられており、暗めのグリーンのシャツに、黒い布を巻いていた。
「ああ、このこ、はなせないのよ」
「えっ、あ、ああ、そうなのかあ、」
「わたし、あなたに、ぶつかってしまったの。それで、きぜつしたあなたを、このこが、かんびょうしていたのよ」
「そ、それは、どうも……?」
「このこは、スーエリ、わたしはラゾドラ、あなたは?」
「俺は、フィロだ」
見渡す限りの草原は、意識を飛ばす前と同じところだ。どうやらあの後再び移動をしようと走り出したところを、このラゾドラという馬がぶち当たってきたらしい。
よっこいせと体を起こすと、大分目線が下になった彼女が目を丸くした。
「あなた、ずいぶん、おおきいのね」
「そ、そうみたいなんだ……ヒィ、チカイィ」
ぶるぶると全身を震わせると、じんわりとした痛みが横腹に走る。昔とある淑女にブルドーザーの如く弾き飛ばされた身からすれば、全くもって可愛いものだ。しかも、ちゃんと謝ってくれてるし。
「ねえ、心配だわ。そうだ、わたしたちの家に、来て頂戴。もう夜も遅いし、このあたりは夜になると、ガイコツの魔物がうろつくのよ」
「え、でもお」
「丁度良いじゃないか!お邪魔させてもらおうか、なあフィロ」
おそらくこの馬は、おっとりした心配性タイプだ。こういうタイプは意外と頑固で、案外我が強い。さてどうするかと悩んでいると、聞き馴染んだ声が現れた。
「ま、マーニ」
「ぱったり倒れた時は心配したが、無事で安心したよ!大丈夫かい?」
「め、面目ない……。そっちこそ大丈夫だったか?」
「ははっ!舐めてもらっちゃ困るね。当たる前に避けたさ。ティアもいるからね」
「の、乗り捨てだぁ」
なんということだろう。あれだけ憧れだなんだともてはやした馬を、あっさりと見捨てたらしい。
あっけらかんと笑いながら、俺のどつかれた方の腹をばしばしと叩き、マーニは言った。
「いててて」
「まあ大変。さあこちらへ、スーエリ、よろしいですね?」
くるりと身を返したラゾドラは、無言の青年に顔を向けた。スーエリと呼ばれた彼は、一回頷くとひらりとラゾドラに跨る。
「いきますわよ。ついていらして」
ほんわかとしたお嬢様のような声音とは裏腹に、ラゾドラは荒々しく前掻きを2回した。
すると、首をぐんと前に出し、閃光の如くスタートを切ったのである。
「え?」
「ほう!やるじゃあないか!あたしたちも負けてらんないねえ!」
「は?」
「ぼさっとしてんじゃないよ!さっさと追いかけな!」
「え、うそ、俺、さっきあれだけ……」
これほど呆然という言葉が似合うシーンはないだろう。あっという間に遠のいていく栗毛を、見ていると、いつの間にか上に乗ったマーニがティアを抱えたまま、俺の尻を思いっきり引っ叩いた!
「いってぇえええ!!」
馬の皮膚は人間が思うよりも分厚くできてはいて、鞭で引っ叩かれたくらいではなんともない……らしいのだが、なぜが俺は違った。
すんごい痛いのだ。他の部分は大丈夫でも、鞭が当たる部分はめちゃくちゃ痛い。
ぴゃっと跳ねた勢いのまま、気がつけば走り出していた。馬の性というやつである。大変悲しいことだけど、こればかりは仕方ない。
ラゾドラが向かった方角は、マーニが言っていた森の国の方向だ。もしかしたら彼女を追っていけば、行こうとしていた場所にたどり着くかもしれない。
「それにしてもはっや!!なにあの馬ぁ!」
ラゾドラの走りは、風になびく帯のように真っ直ぐで、上に乗っているスーエリも、ブレることなくしっかりと乗っている。
「くそお、悔しいぞお!」
悠然と俺の前を走るその姿が気に食わないのは、競走馬の性であろうか。
先ほどの逃走劇の反動はまだ残っているが、そんなのでへこたれていたら、多分とっくに死んでいる。
「フィロ、何かいるよ!」
「げ、あれはモルトスだ!単体だと大したことないけど、集まると面倒なんだぁ」
夜になるとどこからともなく集まり、生けるものを見ると襲いかかる魔物ーーーモルトスは、色んな形をしているが総じてガイコツである。
蹴り飛ばせば崩れるが、すぐに再生してまた襲いかかってくるので、非常にうざったい魔物だ。
「ラゾドラが跳ね飛ばしたのが復活してるのか。うーーん、君たちを轢いたのは俺じゃあないぞー!」
脚を止めずとも勢いでぶつかれば、かこんかこんと小気味良い音を立てて崩れるそれに、ボーリングのピンが頭を過ぎる。
「す、すこし、近づいてきた?」
先ほどより栗毛の馬が近くなったような気がして、脚を早めた。だが俺にはゴールの場所がわからないので、ペース配分ができない。
だからラゾドラの様子を伺いながら、ゴールらしきものが見えたタイミングで差し切らなくてはならないのだ。
「あれえ?俺、今何やってるんだ?」
ふと湧いた疑問を口にするも、我に帰ったのはこの一度だけであった。
延々と続くと思われた草原を抜けると、そこは。
「なあ、マーニ。森を抜けた後はどうなると思う?」
「さてね」
「知らないのお?また森が始まるんだ」
ナタルマの森とはまた違った森が、少し離れたところに見えた。ラゾドラはそちらの方に向かっているらしい。
どうやらまた森の中を行かねばならないようだ。
「今度こそ、森林散歩ができるといいんだけど」
必死に脚を動かしながらも、昔に行った、馬友たちとの海外遠征を思い出す。あの時はたしか、テンションぶち上がり過ぎて、大事な忘れ物をした馬友の面倒ばかり見てた気がする。
「……なるほど、フィロ。どうやらここからは慎重にいかないといけないようだ」
「あー、なんか嫌な予感がするぞ!!
油断すると脚にしがみついてくるモルトスを、蹴飛ばしながら進んでいると、不意にマーニが声を潜めながらそういった。