どこの世界にも馬はいる 作:月陽
「それで?こんな森に何の用だよお」
「フィロ、なたるまのもりの話、しらないの?」
「しらなあい……」
地面に鼻先がつきそうなほど首を下げて、しおしおと歩く馬の姿は雄大な馬体似つかわしくないほどだ。差し込む夕日が森の木々に影をつくり、遠くから近くから聞こえる鳥や虫の声が神秘的な森を彩っていた。
「このナタルマの森の奥にはね、聖女さまが、けがれをおとしたいずみがあるのよ」
「へえ……。じゃあここは神聖な場所なんだな」
「そうよ。だから、わたしもそうするの」
この世界では馬の毛色の名称を定められていないので、その馬の色を表わすならば、黒橡(くろつるばみ)、ブルーブラックといった青みを帯びた黒になるだろう。太い脚が地面を踏み締める度に、背中にちょこんと乗った少女がうれしそうに跳ねた。
「……しずかだあ。それに魔物の気配もないんだよなあ。おっかしいぞ」
「ふふ、ねえフィロ。あなたはなんで勇者さまがまものをほろぼさなかったのか、しってる?」
「お!それなら知ってるぞ、オーレンがいってたんだ!
"人間に害をなす魔物のみ討伐せよ"って、どっかの国の王様に命令されたんだろお?」
「むう、……でもね、そのはなしには裏があるのよ!」
「裏あ?人間ってのは面倒だなあ」
「こまる人間がいるのよ、まものがいなくなると」
「ふうん」
「ハンターだって、ギルドだって、まものがいるから成り立つの。
素材屋、武器屋、防具屋……みーんな、まものからとったものを扱っているし」
「でも、今だって、魔物の被害があるんだろ?
オーレンとの旅でも、たっくさん見たぜ」
「……だって、だれも困らないじゃない。だれも困らないから、だれも助けないのよ」
フロレンティアの、彼女の身長よりも長い髪が、フィロの馬体をくすぐる。
いつの間にか綺麗に編まれていた長いたてがみを、フロレンティアは指で撫でた。
「わたしのもとにはたくさんの人間がきたわ。まものにおそわれて住処をすてて逃げてきた人間だっていた。家族をなくした人間もいた。でもね、おとうさま、司祭さまは、みーんな追い返すの」
「……」
「おかねにならないからって。人間は、みんなおかねが好きなのよ……、だから、だから、人間なんてだいっきらい!!」
人間としての価値、つまり人間性を金に換えて、王国に貢献する。フロレンティアのいた教会とは、そういうところであったらしい。珍しい話ではないけれど、少女の嘆きをフィロは良く理解していた。
「まあ、なんだ……。その、俺はうまいことは言えないけど、馬だから、ゆるして……。
その、な、お、おれが走って、一番になるとな、すんごい金が入るんだ。
でっかいコースを走って一番を決める競技で、おれの仕事場はそこだった」
よいしょと首を持ち上げたフィロは、代り映えしない森を見ながら、かつての記憶を口にし始める。
「金額はレースによって変わるし、相手だってまちまちだけどな。おれが一番憶えているのは、随分とまあ派手な場所でのレースだった。おれみたいな馬が出れるレースではなかったけど、何かの間違いがあってなあ、でることになったんだあ」
「……」
フィロの語る言葉に、フロレンティアはただ一心に耳を傾ける。少しでもその馬のことを知りたかったのだ。
「それでなあ、おれ、スタートでやらかしてよ。ゲートってもんがあって、合図と一緒に開くんだけど、思いっきり躓いてなあ。こう脚がぐねっと曲がったんだ。あの時は冷や汗が出たぜ」
それにあの時はこんなに丈夫な脚じゃなかったしなあ、とため息をついたフィロは、明るい声色で続ける。
「それでも!騎手、上に乗ってる人間(あいぼう)がうまくやってくれて、……おれははじめて大舞台で勝ったんだ」
まんまるな瞳にきらきらと星が宿る。ああ、きれいだなとフロレンティアはじいとその瞳を見つめた。
「賞金はともかくはじめて名誉(おん)を、返せたんだ。勝ちきれないおれをずっと手元に置いてくれた人間たちに。だからうれしくって、出迎えてくれたその人たちに駆け寄ったんだあ。そしたらなあ……。もうすごい顔してるんだ。青褪めた顔っていうのかなあ。うれしさとは真逆の顔してた」
「なんで……?」
「"お前、脚、だいじょうぶか!?"って、みんな死にそうな顔でいうんだ。優勝の首飾りだって忘れてんだぜ。おれの体にまとわりついて、離れないんだ。名誉(トロフィー)だって受け取らずに!
───なあ、ティア。お前も、きっとそういう人間なんだ。だから、そういう人間に出会わなきゃだめだ」
「わたしは、」
「何があったかは、馬(おれ)にはわからねえけどさ。
きれいなもん見て、うまいもん食って、いい出会いをするんだ!
世界はいくらでも変えられる。ここまで来たんだ、今更引き返せねえだろ?」
「……うん、でもわたしは……あなたといたい」
「ま、まあ連れ出したのは俺……?だしな、その付き合えるとこまで付き合うぜ」
「いや」
「そ、そういうなよお。俺は馬だし、町に入れない時だってあるんだぞお?」
「外でいいもん。フィロがいるなら野宿だっていい!」
「女の子がそんなこというなよお……」
「なら!フィロが人間になればいいじゃない!」
「イヤドス……。この話に擬人化はNGなんですよお。それにティアは人間嫌いだろお」
「フィロならいい!フィロならなんでもいいの!」
「じゃあ馬でいいんじゃないですかねえ……」
「いーーやーー!」
「イタッ、イタイ……たすけてくれえ、オーレンん」
「だれよそのおとこ!」
「相棒ですう……。それに昔会ってるだろお」
男って言ってるじゃあないか、とフィロが呟く。
フロレンティアはその太い首にぎゅうと腕を回し、これ以上なく密着して抱き着いた。
実は、彼女が我儘を言ったのははじめてだった。むしろ、はじめて自分の言葉を発した気分になっていた。そして、はじめてフロレンティアを想った言葉を聞いたのだ。
「グエエエエエ……シヌウ」
「勝手にどっかいったら、ゆるさないんだから!」
きゅうと絞められて呻きを上げるフィロには、フロレンティアの顔は一切見えていなかった。
「あ、この先よ、フィロ!この先にいずみがあるわ!」
「ウウ……」
夕日の橙色と、夜空の紺色が混ざり合う空のもと、やっとたどり着いた目的地をフロレンティアは指差した。
ほぼ同時刻、とある王国の、とある教会にて。
「あ、ああ……」
贅を尽くした広間に一人の少女が蹲っていた。
まだ幼さを残した少女は、白く丸い頬を赤く染めながら、絶望を宿した瞳でそれを見ていた。
「お、おとう、さ、さま……、お、おかあ、」
一面に敷かれた紺色の絨毯には、金色の緻密な刺繍が施されており、見事な一品であることがわかる。だが、そんな豪奢な絨毯のほぼ中央に広がる、黒がすべてを台無しにしていた。
染み込んだ、異臭を放つそれは、少女の頬についているものと同じである。そして、そこに二人の人間が仰向けに倒れていた。
「な……なんで、」
とある紳士は、職人にオーダーして届いたばかりであった流行りの服とともに無残に裂かれていて、施されていた宝石や装飾品はなくなっていた。同じように、見事な白いレースを赤黒いそれで染め上げた婦人も、ただ苦痛の表情をそのままに沈黙していたのである。
「ああ……。なんで、フ……、フロレンティアあああ……!」
彼女の叫びに応えるように、月が昇り始める。もうすぐ夜が訪れるのだ。
血濡れの部屋で、少女は崩れ落ちた。