天涯地角の隔たり
この日記を見ている誰かへ
これはとある時代に生きた、1人の少女の物語であり
時代の一端であると心して見ておくれ。
きっとこの物語が、繋がるようにと過去のどこかで祈っているよ。
X月XX日
── 顔が何だか暖かい。
その熱に、何だかポカポカとした不思議な感覚にさせられながら重たい瞼を押し上げる。
その熱の元凶は朝の日差しだった。昔なら鬱陶しそうに二度寝するのだが、今は違う。
私はすっとベッドの上を転がり、床に足を付け背伸びをする。
隙間風があるのかゆらゆらと部屋に干した衣服が揺れている。
「今日も良い日になると良いね」
そう、起きたばかりの寝ぼけた頭で考える。
あの日から何年経っただろうか?この硬いベッドも今や懐かしい。来たばかりの頃は嫌気がさして干し草でも引かなければ寝れない程であった。もう、朝までぐっすりと眠れるようになったが。
古いのか建て付けの悪い扉を力一杯に押し、何とか部屋の外へ脱出する。
チラリと後ろを見れば、そのめいっぱいの力に建物自体が根負けしたのか塵の霰が降っていた。それが光を反射してキラキラと部屋を照らしていた。
短いけど長い廊下を歩き、リビングに辿り着く。
その扉の前に立つと、部屋から明かりが漏れていた。
「もう起きれるみたいだね」
ドアの隙間から中を覗いてみると、朝早くなのに台所では勇者が、朝食を作っていた。
きっと未来でも見て、私が起きる時間を把握していたんだろうね。
カタカタ、コトコト愉快な音が鳴る。そんな、生活音が私は好きだよ。心地いい時間だ、朝早くこの音に浸れるというのは格別だ。
「おはよう、今日も元気かい?」
「あぁ勿論だ。また私の顔に皺が増えてしまった事以外はね」
「そう?あんまし変わっていないような気がするけど」
丸くなった肩が、料理で動く度に小さく動く。
「ピュルテは毎日見ているから変化に気が付きにくいんだろう。私は時折しか自分の顔を見ない、だからこそ変化に目ざとく気づけるのだ」
「へぇ、そりゃなんで?自分の顔なんて、水や鏡で嫌になる程見ることになるのに」
「未来視を持ってはいるが、俯瞰して捉えるのと現実を突き付けられるのは別だ」
「…?なにそれ」
「分からなくて良い。それより椅子に座っていてくれ、君に手伝わせる事は無い」
「はーい」
元気良く挨拶をして、どさりと椅子へ乱暴に腰を下ろす。
ご機嫌なのか自分でも気が付かない揺れが生じる。右へ左へ身体を振る。
その拍子に鼻歌なんて漏れ出てきてしまった。
「ふんふふーん」
「どうした、随分とご機嫌だな」
その歌に釣られたのか、勇者は一度手を止め、こちらに話を振る。
「何だかこの日常を愛おしく思ってしまってね」
「それは愛するという行為に気が付けたという事か?」
「…分かってる癖に。口癖なんだよ、そう言えば引き寄せてくれる気がするんだ。惑星が持つ引力みたいに、自然とね」
「随分と楽観的なのだな」
「それぐらいが丁度良いよ。悲観的に動くのはもう飽き飽きだ」
その言葉に満足そうに何度か頷いた後、勇者は調理を再開する。
私はそれを見送って、またご機嫌な鼻歌を呼び寄せる。そうすると空っぽな何かが満たされる気がして、見様見真似でやってみる。人類を真似する事が近道だって、そう直感するから。
「じゃあ、今日も張り切っていこーう」
料理って難しいね、その言葉の隣には不格好な絵が載っていた。
文字ばっかりの日誌に今日は絵が増えた。
Y月YY日
爛々と地上を明るくする太陽の麓で、私は鍬を振っていた。
ざくざくと雪を踏み鳴らすみたいに、土をかき混ぜて耕す。
そんな時ひひんと愛馬が鳴き、その様子を日陰で応援していた事に気が付いた。
それを朝から日が真上に近い今の今まで続けていた。ふぅ、と息が出る。
私は集中していて時間を忘れていたようだね。
「おー、お前は良いね。日陰で現場監督かい?」
「ひひん?ひーひん」
「なんて言ってるか分からないけど弁明とは、人語を理解出来る知性を持っているのは今思えば珍妙だね」
馬と戯れていると、眩しい光が眼に差し込んできた。
しきりに貫く柱を私は鬱陶しくは思わなくて、心地よさを感じている。
「おー、今日はお日様が元気いっぱいだこと」
その暖かさで、抗いがたい眠気が襲ってきて、私の首がかくんと倒れかけた。
いけない、と思い身体を揺すって眠気を飛ばす。
そうして暫く、睡魔と格闘していると勇者が馬小屋の奥からやってきた。
「精が出るな。それに清々しい面構えだ」
「いや、なんだかさ一仕事を終えたような気がして開放感があるんだよね」
「事実、一仕事は終えただろう?」
「魔族だよ、私。この程度じゃ仕事に数えないよ、疲れてないし。いくら弱くなっているとはいえ、ね?」
「熱心な事だ」
「食事は娯楽さ、それの前段階であるここで怠けては味が変わる」
「ほう、随分と人間らしさを持ったものだな?」
「え?そうかな。…でも昔は食事を楽しもうとすらしていなかった気がする」
頭を捻り、過去の記憶探れば事務的な作業として食事過程は処理されていた。
本の虫だった昔は食事よりも読書…だったね。
「そういえば、手紙が来ていた」
「え、誰から?」
「お前を可愛がっていた私の友人からだ」
「げっ、あの人からか…、因みに要件は?」
「今度こちらに寄った時は顔を出せ、との事だ」
「えー、めんどくさいなぁ…行かなくちゃダメ?」
「どちらでも良いが、行ってくれた方が私としては嬉しい」
「はぁ…じゃあ行くよ。今度ね」
家に着くと昼食の準備を始めた。
陽炎が立つ昼、眠っている猫はにゃあと淡い欠伸をして再び夢の世界へと旅立つ。
暖炉ではパチパチと火が
それで、お湯を沸かしながら、私はなんでこんな事をし始めたのか切っ掛けを探る。
前に、勇者が病で床に伏していた時に初めて作った料理が思いのほか好評で、そこから稀に料理番を代わっている。意外とやりがいを感じるんだよね、なんでだろ。昔っから勇者は世話焼きで、私を看てくれていたから恩返し出来て嬉しいのかな?いやでも魔族である私にそんな機能備わってる筈もないし…
ことり、と私の前にマグカップが置かれた。
温められたミルクはもくもくと煙を上げ、私は火傷をしないようふぅふぅと軽く息を吹きかけて冷ます。湯気が収まり掛けたところでゆっくりと飲み始めた。
私が熱いものと格闘していた様子を勇者は声を出し笑った。
「相変わらず、猫舌だな」
「そりゃ、熱いものって不合理だし。冷たい方が良いでしょ…」
「ではグラタン、パンなどは冷めたまま出す方が良いのか?」
「…おー、このミルク美味しいね」
「そして都合が悪くなったら話を逸らす。合理的な魔族だな」
皮肉を言う勇者に、私は口を尖らせ、言い訳をつらつらと並べる。
「水気が多いものに関しては、熱いと直にくるんだ。前に呑んでみろと言われたとき覚悟を決めて嚥下したら舌から喉が炙られたみたいな痛みが襲ってきてそこからトラウマだよ…」
「あの時の様子は愉快であったな」
「笑い事じゃないんだけど…」
はぁ、と溜息をつく私の真ん前で勇者は椅子をぎぃぎぃと笑う時の振動で軋ませる。
その様子に、私は少し尖っている耳を触って何かを誤魔化した。
一頻り笑ったのか、はぁはぁと肩で空気を切る勇者は、すーはーと深呼吸をした。
「明後日、遠くに出掛けようか」
その日はきっと楽しい一日になる。
その一言と共に、勇者と少女の似顔絵が描かれていた。
Y月YZ日
その街には普段ないほどの子供たちの姿があった。
今も、目の前をワイワイと話す子供が歩いて行った。
広場には人だかりがあった。どうやら人形劇が始まるらしい。
その周りを子供たちがわいわいと囲んで始まるのを今か今かと心待ちにしている。
その輪の中心にはフードを被った人が居て、声色から女だと分かる事が唯一の情報であった。
ぱんぱんと手を鳴らし、女の人は話を始めた。
「ちょっと前まで私達の世界には魔王が居て、それのせいで人類はその生活区域を追い込まれていました。
そんなある日、勇者ヒンメルが魔王を討伐しました。
皆が知っているお話はこうだよね?
でも世の中には、知らない裏話があるんだ」
えー、という子供たちの反応を聞いて女の人は嬉しそうにはにかみながら話を続けた。
「昔、昔人類がまだちょっとしかこの世界に居なかった時に生まれたんだ。
何かって?それは魔族だよ。
人類をどんどんと食べていってしまった。
人が叫ぶ、人が泣く。そんなものをアイツらは構いませず、自分の欲望を満たす為にひたすら食べ続けるんだ。
そのせいで人類が窮地に立たされた、もう明日には全滅してしまうかもしれない。
そんな時に現れたのが勇者だ。それは人類にとっての希望で光だ」
ぱっ、っと空を指さし、キラキラと光る太陽を強調する。
「その中でも強かったのは南の勇者って人だ。
あの人は途轍もない力を持っていて、まるで未来が見えているかのようにどんな攻撃でも避けて、当たらなかったんだ」
目を瞑り、過去に思いを馳せる。
まるでその出来事を見てきたかのように、語る言葉には熱が籠っていた。
「彼は、歴史では全然出てこない人だけどそれでも確かな功績を残したんだ。
難攻不落の魔王城を固める七崩賢の三人を討ったんだ。それも経った一年でね。
ある日突然、魔族の勢いが無くなったって話も聞いた事があるけど真実は不明さ。私は南の勇者の強さに恐れをなしたって思ってるけどね」
ふふん、と自信ありげな鼻息を鳴らす。
終いには腰に手を当て、胸を張り始めた。
まるで自身の功績かの様に、それを披露する。
「彼は勇敢だった。もし今も生きていれば、きっと魔族の残党はこの世に残っていなかったかもね。それぐらいの人だったんだよ。
あぁなんでそんな歴史に埋もれるだけの人を知っているのかって?
私は昔その人と会ったことがあってね、色々とあってファンなんだよ」
その声にわーわーと子供たちの声が大きくなる。
あることない事を子供ならではの純粋さゆえに騒ぎ立てた後、その針の筵であった女の人は、しーっと人差し指を口に当てる。それに気が付いた子供たちは、段々と静かになっていき、ぴたりと声が止んだところで、女の人は話を続けた。
「君たちもきっとこれから大人になるにつれて多くの事を経験し、見て行く。それは楽しいことかもしれないし、辛いことかもしれない。
でもそれはきっと波でいう頂点なだけで、いつか波は真ん中に戻り、そして反対に揺れ動く。人生ってそういうもので、その高低差こそ彩りなんだよ」
「えー分かんない」
「難しいよ…!」
「子供だからそれで良いんだよ、いつかきっと分かるからね」
自分のままに行動し、周りを落ち着いて顧みる事を知らない。良い意味でも悪い意味でも、自分の感情にまっすぐな子供の姿は、過去の自分を彷彿とさせる。
今もそうかもしれないけど、あれよりは落ち着きを覚えたと思う。
「お姉さん名前はー?」
「語り部さん、お名前教えて!」
「エレジーって私の事は呼んでよ。
まぁただのしがない語り手だけどね」
彼女は、そう自信満々に言ってのけた後、私の方をちらりと見て一瞬目を大きく見開き、驚きを露わにしたように見えた。
「…気のせいかな」
口では気が付いていないように偽っているが、記憶の中にピンと来た人が居た。
そっか、あの人も新しい道を見つけたんだね。良いね、君たちはそうやっていつでも羽ばたける。何度地に落ちても、また無様に地上で練習をして、空に飛び立つ事になる。これ変わらない、人類の強さだ。
記憶と同じだけど、あの時より何処か綺麗な青色を見て、私はニコリと微笑み、歌う。
「青色のおそらの、そのさきは~きっと幸せが住んでいる
あぁのらりくらり、わたしは旅に出る。ちっぽけなカバンに大きな気持ちを詰めて~
いつもの様に、おそら~のさきに向かうんだ~~♪」
「何の歌だ」
勇者はそのへたっぴな歌に、少し顔を歪めながら原典は何処かと尋ねる。
私はその鬱陶し気な表情に気が付かないまま、嬉しそうに教えてあげる。
「昔どこかで聞いた歌の替え歌さ、あれは山についての歌だったけど山には手が届くだろう?私はそれよりもどんなに上に手を伸ばしたって触れすらできない空の歌が謡いたかった詠いたかった」
「そうか」
勇者は皺の入った口を少し三日月型にして、ぽんぽんと私の頭を感慨深そうに何度か叩いた。
「おや、なんだか良い気分になったね」
「…私の事なのにか?」
「うん、だって君の功績は計り知れないよ。私を連れ出して、遂には魔王討伐までしちゃった」
「…魔王とは知り合いではないのか?」
「んー、まぁ程ほどに?仲良くは無いけど」
「君は不思議だな。魔族らしい絆の無さを持ちつつ、人間らしい他者を慮る気持ちを持っている」
「だって他の魔族も魔王様の指針に従わないし、魔族は皆我が強いからね。それに比べて勇者は…まぁ強いけどマシだね、うん」
厭そうな顔を浮べた私は、ふと思いついた事を言ってみる。
「ねぇ、君はこんな言葉を知っている?」
人類は繋げる。
想いは当然として、歴史も紡ぐんだ。
あの語り部から聞いた話を子供たちの誰かは覚えていて、その人が子供を作ったらその子供も覚えているかもしれない。不確定だけど、でも可能性の芽はあるんだよ。
「ピュルテ、それが分かるのか」
「いや、受け売りさ。だから理解はしてないよ、認識しているだけ。でも使い方は合っているでしょ?」
「…そうだな」
その言葉を最後に会話が途切れた。それを確認した後に勇者は歩き始める。
それに私はいつもより急ぎ足で並び立ち、隣を歩く勇者の顔を見上げる。
年は経ったはずなのに背丈はあの時のままで、私との差は一生埋まらない。
昨日までと同じ立場と目線。自分ではどうしようもない差に私はどうしようもなくて慌てふためく事しか出来ない。
君と話す時、態度は淡白かもしれないけど、内心はとっても喜んでいるんだよ?
話す度に、胸の奥に暖かい何かが滲むんだ。
大きく息を吸い、その溜めた
『白』
それが真っ白に染まったのに気が付き、空を見上げた。
雪が降り始めていた。
冷え切った透明な、仄かにけぶる空気。
雲が空を覆い、空は暗くなる。見上げた空に私は色々な事を想う。
ぼんやりと眺めてると鼻の先に雪の結晶が乗った。
「っ!…つめたい」
その温度にぶるりと肌を震わせると、バサッという音と共に私の視界が真っ暗になった。
一瞬の驚きが過ぎ去った後に、冷静になれば何かの布によって視界が遮られただけだった。
手でその端を持ち、周りの様子を窺うと、その布の正体は先程まで勇者が羽織っていたマントであった。
なんでそんな事を、と疑問を頭の中で反芻した後、やっとの思いで私は言葉を零した。
「これ…」
「あぁ、私には必要ないのでな。ピュルテに貸してあげよう」
「良いの?君も寒いんじゃ…?」
「ハハハッ、誰にものを言っている?私は人類最強の勇者だ。この程度の寒さは痛くも痒くもない。それに弱い魔族にこそそれはお似合いだろう」
「なんだよそれ、酷い謂われようだね」
「ふふっ」
「ハハハッ」
雪で彩られただけの質素な道に二つの笑い声が響く。
離れていた二人の距離はその声が遠ざかると共に近づいていき、一つになった。
さーさーと降る。
風は強くなり、次第に視界が悪くなる。
このまま帰れなくなるかもしれない
その言葉が、薄っぺらい現実感の失せた言葉となって何の脈絡もなく思い浮かんだ。それが顔を撫で上げてくる。
私たちは鬱陶しいそれを、笑い飛ばした。
雪が止んだ時、
最期に残っていたのは、二人分の軌跡だった。
その言葉で日記は記録が途絶えている。
そこから先の二人の歩みはもう観測できない。