鬼をテーマにした短編小説です

1 / 1
鬼哭の村

### **鬼哭の村**

 

#### **一**

 

山奥の寒村「鬼ノ岳村」には、古くから語り継がれる言い伝えがある。

 

> **鬼が哭く夜、人が消える**

 

村の外れに住む老人たちは、夜になると決して家の外へ出ない。もし鬼の哭く声を聞いたなら、決してその音の方を見てはならない——それが、この村での掟だった。

 

ある晩、高校生の**佐久間翔**は、その掟を破った。

 

「おかしいな……」

 

翔は、夜の森に響く不気味な音に気づいた。風の音ではない、獣の鳴き声でもない。それは、どこか人間の嗚咽に似た、悲痛な泣き声だった。

 

村の言い伝えを思い出したが、好奇心には勝てなかった。翔はそっと障子を開け、外を覗いた。

 

——瞬間、全身が凍りついた。

 

闇の中、家の前に“それ”は立っていた。

 

真っ赤な瞳、ざんばら髪、裂けた口から覗く鋭い牙。黒く染まった爪が地面を引っ掻くたびに、土が削れる音が響く。

 

「鬼……?」

 

声にならない言葉が漏れた瞬間、鬼がピクリと動いた。

 

その目が、翔を見つめていた。

 

#### **二**

 

「翔? どうしたの?」

 

隣室から姉の**佐久間美咲**が顔を出した。翔は慌てて障子を閉める。

 

「な、なんでもないよ」

 

美咲はじっと翔を見つめたが、それ以上は何も言わずに部屋へ戻った。

 

しかし、その晩から翔は悪夢にうなされるようになった。夢の中で、鬼が何度も彼の名前を呼ぶ。

 

> **サクマ……サクマ……**

 

耳を裂くような泣き声と共に、血に塗れた手が翔の顔を掴む。その感触があまりにも生々しく、翔は毎晩、汗びっしょりで目を覚ました。

 

そんな日が続くうちに、翔は日に日に衰弱していった。

 

「翔、大丈夫? 顔色悪いよ」

 

美咲が心配そうに覗き込む。

 

「……いや、ちょっと寝不足なだけ」

 

そう答えながらも、翔は気づいていた。このままでは自分は“持っていかれる”と——。

 

#### **三**

 

翔は村の神社に住む巫女、**桐生千尋**を訪ねることにした。

 

「鬼を見た? 本当に?」

 

翔が頷くと、千尋は険しい表情になった。

 

「……それ、本物の鬼よ。あなた、呼ばれてるわね」

 

「呼ばれてる……?」

 

「鬼ノ岳村に伝わる“鬼哭伝説”を知ってる?」

 

翔は首を振る。

 

千尋は静かに語り始めた。

 

——昔、この村にはひとりの**少女**がいた。美しい黒髪と透き通るような白い肌。だが、その美貌ゆえに村人から疎まれ、**人柱**として鬼ノ岳の洞窟に生贄として捧げられた。

 

少女は泣き叫びながら、鬼の住む洞窟へと閉じ込められた。

 

やがて彼女は死に、その怨念は鬼と化し、**自分と同じ孤独な魂を求めて村を彷徨う**ようになった。

 

「鬼は、孤独な者を狙うの。あなたの中の“寂しさ”が鬼を引き寄せたのかもしれない」

 

千尋の言葉に、翔の背筋が寒くなった。

 

#### **四**

 

その夜、翔は再び鬼の哭く声を聞いた。

 

> **サクマ……サクマ……**

 

窓の外には、血に濡れた少女の姿があった。翔は動けないまま、ただその鬼の目を見つめた。

 

——**悲しげな、赤い瞳。**

 

「……お前は、寂しいのか?」

 

翔は、鬼に向かって問いかけた。

 

鬼は一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、涙を流しながら静かに頷いた。

 

翔の胸の奥に、ひどく痛い感覚が広がった。

 

「……俺も、同じだ」

 

翔がそう呟いた瞬間、鬼の姿がふっと薄れ、夜の闇に溶けて消えた。

 

——**鬼は、孤独な魂を求めていただけだったのかもしれない。**

 

それ以来、鬼の哭く声は村から消えた。

 

翔は静かに夜空を見上げた。

 

月の光が、優しく彼を照らしていた。

 

#### **五**

 

鬼の哭く声が消えた夜、翔は不思議な感覚に包まれていた。恐怖ではない。むしろ、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような——**喪失感**だった。

 

それから数日が経った。翔の悪夢はすっかり消え、体調も戻ってきた。姉の美咲や村の人々も、彼が元気を取り戻したことに安心しているようだった。

 

だが、翔には**ひとつの違和感**があった。

 

——あの夜以来、**村の空気が妙に静か**なのだ。

 

夜になると、今まで聞こえていた虫の声や風の音すら消え、まるで何かがこの村から抜け落ちたかのようだった。

 

そして、ある夜。

 

翔はふと、窓の外に**黒い影**が立っていることに気づいた。

 

**鬼……?**

 

いや、違う。

 

それは**人間の姿をしていた**。

 

翔が障子を開けると、その影がゆっくりとこちらを振り向いた。

 

「……美咲?」

 

そこに立っていたのは、姉の美咲だった。

 

「……翔、おかしいと思わない?」

 

「何が?」

 

「鬼が消えたのに、村は何も変わってない。むしろ、もっと静かになった」

 

美咲の言葉に、翔の胸がざわつく。

 

「……それに、翔。あなた、何か**大切なもの**を忘れてる気がしない?」

 

美咲の瞳がじっと翔を見つめる。

 

その瞬間——翔の脳裏に、あの鬼の赤い瞳がフラッシュバックした。

 

> **お前は、寂しいのか?**

 

> **……俺も、同じだ。**

 

あの鬼——いや、あの**少女**は、もういない。

 

なのに、翔の心の奥には未だに彼女の存在が焼き付いていた。

 

「……俺、何か忘れてるのか?」

 

美咲はゆっくりと頷いた。

 

「一緒に、確かめに行こう」

 

#### **六**

 

美咲に連れられ、翔は村外れの森へと向かった。

 

足元に枯葉が積もり、風が吹くたびにざわりと音を立てる。

 

「どこに行くんだ?」

 

「……洞窟」

 

「洞窟って、あの鬼の?」

 

翔の心臓が強く脈打った。

 

——**鬼はもう消えたはず。なのに、なぜ俺たちはそこへ向かっているんだ?**

 

美咲は迷いなく森の奥へ進んでいく。やがて、岩に覆われた**黒い穴**が見えてきた。

 

鬼が封じられていた、あの洞窟だ。

 

翔の足が震えた。

 

「美咲、やっぱりやめよう」

 

「怖い?」

 

「……わからない。でも、これ以上関わっちゃいけない気がする」

 

美咲は翔の手を取った。その指先は**異様なほど冷たかった**。

 

「翔……あなたは、本当に“鬼”が消えたと思ってるの?」

 

「え……?」

 

「私はね、ずっと見てたの。鬼が消えたんじゃない……**翔の中に溶けたのよ**」

 

翔の血の気が引いた。

 

「な……何を言ってるんだよ……?」

 

美咲は静かに翔の胸に手を当てた。

 

「感じるでしょう? 今でも、あの子の声が」

 

翔は耳を澄ませた。

 

——**サクマ……**

 

「っ!!!」

 

確かに聞こえた。微かだが、あの鬼の哭く声が——**自分の内側から響いていた**。

 

#### **七**

 

「どうすればいい……?」

 

翔の声は震えていた。

 

美咲は洞窟の奥を指さした。

 

「このままじゃ、翔は“鬼”になってしまう。だから——この洞窟の奥に行って、“本当のこと”を思い出して」

 

「本当のこと?」

 

「翔が“鬼”と出会う、ずっと前のことよ」

 

翔は戸惑いながらも、一歩、また一歩と洞窟の中へ進んだ。

 

**ザリ……ザリ……**

 

足元の石を踏みしめる音だけが響く。

 

——すると、洞窟の奥に小さな祠があった。

 

それを見た瞬間、翔の脳裏に**ある記憶**が鮮明に蘇った。

 

###

**昔、この村には、ひとりの少女がいた。**

**翔は、その少女と友達だった。**

**だが、村の大人たちは彼女を鬼の生贄として捧げることを決めた。**

**翔はそれを止めようとした。だが——**

###

 

「……嘘だ」

 

翔の膝が崩れた。

 

**あの鬼の正体は、かつて翔が守れなかった少女だった。**

 

「そう……**鬼は最初から、翔のことを知っていたのよ**」

 

美咲の声が静かに響く。

 

翔は震える手で祠に触れた。

 

その瞬間——

 

**視界が、赤く染まった。**

 

#### **八**

 

気づくと翔は、血に濡れた洞窟の中にいた。

 

目の前に、かつての親友——いや、鬼となった少女が立っていた。

 

> **サクマ……思い出してくれたんだね**

 

彼女は微笑んだ。その顔は、昔のままの優しい少女のものだった。

 

「……俺、お前を……」

 

> **もういいの。私はもう、ここにはいられないから**

 

彼女の体が薄れていく。

 

> **さよなら、翔……ありがとう**

 

「待ってくれ!!!」

 

翔が手を伸ばしたが、彼女の姿は霧のように消えてしまった。

 

そして——翔の耳に最後の囁きが届いた。

 

> **もう、泣かないでね……**

 

#### **九**

 

翔が目を覚ますと、朝の光が差し込んでいた。

 

気づけば、美咲が隣で眠っていた。

 

「……夢?」

 

いや、違う。翔の手のひらには、小さな**黒い髪飾り**が残っていた。

 

翔はそれをそっと握りしめた。

 

——**鬼はもういない。だけど、あの子の記憶は、俺の中にずっと残る。**

 

翔は空を見上げ、そっとつぶやいた。

 

「……もう、泣かないよ」

 

そうして、鬼の哭く夜は、二度と訪れなかった。

 

 

#### **十**

 

鬼の哭く夜が消えてから数年が経った。

 

翔は高校を卒業し、都会の大学へと進学した。村を離れるのは少し寂しかったが、あの出来事以来、どこか吹っ切れたような気持ちでもあった。

 

「翔、忘れ物はない?」

 

玄関で美咲が声をかける。

 

「うん、大丈夫」

 

そう答えながら、翔は胸ポケットに**黒い髪飾り**を忍ばせた。あの夜、鬼となった少女が残していったものだ。

 

「それ、まだ持ってるんだね」

 

美咲が髪飾りに目をやる。翔は微笑んだ。

 

「うん、手放せないんだよな」

 

「そう……でも、それでいいのかもね」

 

美咲は優しく微笑んだ。

 

村の伝説は終わった。だが、翔の心の中には、あの鬼の記憶が今でも生き続けている。

 

そして、それは——決して悲しいものではなかった。

 

#### **十一**

 

都会での生活は、思った以上に忙しく、刺激的だった。

 

新しい友人、新しい景色、新しい日常。

 

しかし、翔の心のどこかには、いつも**鬼ノ岳村**の静けさが残っていた。

 

そんなある日。

 

大学の図書館で課題をしていると、不意に背後から声をかけられた。

 

「……佐久間君?」

 

驚いて振り向くと、そこには**どこか懐かしい雰囲気を持った少女**が立っていた。

 

黒髪が肩で揺れ、大きな瞳が翔をじっと見つめている。

 

「え……?」

 

少女は少し首を傾げて微笑んだ。

 

「ごめん、なんだかあなたのこと、知ってる気がして……」

 

翔の胸が、**強く脈打った**。

 

「君……どこかで……」

 

少女は少し考えたあと、照れくさそうに笑った。

 

「ふふっ、不思議ね。初めて会ったはずなのに、すごく懐かしい感じがする」

 

翔は、その笑顔に一瞬、あの**鬼の微笑み**を重ねた。

 

「……俺も、同じだよ」

 

それは、偶然の出会いか、それとも——。

 

翔はそっと胸ポケットの**黒い髪飾り**を握りしめた。

 

遠い村の夜風が、微かに吹いた気がした。

 

——鬼の哭く声は、もう聞こえない。

 

 

 

#### **十二**

 

都会での生活が始まってから数ヶ月が経った。翔は新しい環境にも慣れ、講義やアルバイトに追われる日々を過ごしていた。

 

だが、あの日、図書館で出会った少女——**楓(かえで)**のことが、ずっと心に引っかかっていた。

 

「君のこと、どこかで見た気がする」

 

初対面のはずなのに、彼女の仕草、声、瞳の色までが**どこか懐かしかった**。

 

彼女もまた、不思議そうな顔をしていた。

 

「私も……あなたのことを知っている気がするの」

 

それからというもの、翔と楓は自然と一緒に過ごすことが増えた。

 

昼休みに一緒に食事をしたり、講義が終わった後に図書館で話をしたり。

 

そして、ある日の帰り道——

 

「ねえ、翔くん……あなた、昔どこに住んでた?」

 

楓が何気なく尋ねた。

 

「鬼ノ岳村、っていう田舎の村」

 

翔が答えると、楓の表情がピクリと動いた。

 

「鬼ノ岳……?」

 

「知ってる?」

 

楓は少し考え込むように沈黙した後、小さく首を振った。

 

「ううん……でも、なんだか懐かしい気がするの」

 

翔の心臓が強く脈打った。

 

> **そんなはずはない。楓は都会育ちのはず。なのに、なぜ鬼ノ岳村に“懐かしさ”を感じるんだ?**

 

翔は何かを思い出しそうになった。だが、それは霧の向こう側に隠されているようだった。

 

#### **十三**

 

その夜、翔は**久しぶりに夢を見た**。

 

> **闇の中、誰かが立っている。**

> **長い黒髪、透き通るような白い肌。**

> **そして、赤い瞳——**

 

「……サクマ……」

 

夢の中で、少女が翔の名を呼ぶ。

 

「お前は……」

 

少女は微笑んだ。

 

「……私は、また会えたね」

 

翔は息を呑んだ。

 

「お前は、もう……」

 

> **消えたはずだった。**

> **鬼は、もういないはずだった。**

 

だが、目の前の少女は確かにそこにいた。

 

「サクマ……寂しくない?」

 

その声は、夜風のように優しく、そして悲しかった。

 

翔はゆっくりと首を振った。

 

「……寂しくないよ」

 

少女は少し寂しそうに微笑んだ。

 

「……そう……それなら、よかった」

 

そして、少女の姿は**静かに溶けるように消えていった**。

 

——まるで、最初からそこにはいなかったかのように。

 

#### **十四**

 

翔は、ハッと目を覚ました。

 

心臓が激しく脈打っている。

 

> **あれは夢だったのか? それとも……**

 

額に滲んだ汗を拭いながら、翔は**胸ポケットに手を伸ばした**。

 

そこには、いつも持ち歩いているはずの**黒い髪飾り**がなかった。

 

「……え?」

 

枕元を見ると、そこには**一枚の白い紙**が置かれていた。

 

震える手で紙を開く。

 

そこには、たった一言だけ、こう書かれていた。

 

> **“ありがとう”**

 

翔は、紙をじっと見つめた。

 

やがて、ふっと微笑んだ。

 

「……そっか」

 

彼女は、もう完全に消えたのかもしれない。

 

**今度こそ、本当に。**

 

そして、翔の中に残ったのは、もうあの孤独な哭き声ではなかった。

 

それは、まるで春の風のような——**静かで穏やかな囁き**だった。

 

 

 

#### **十五**

 

楓と出会ってから半年が過ぎた。

 

翔の大学生活は順調で、新しい友人もできた。だが、心のどこかで、ずっと**違和感**を感じていた。

 

**本当に、あの鬼は消えたのか?**

 

彼女が残していった「ありがとう」の言葉。

 

それを受け取ったはずなのに——翔の胸の奥には、まだ**何かが残っている気がした**。

 

そんなある日。

 

楓と二人でカフェにいたとき、ふと彼女が呟いた。

 

「ねえ、翔くん……最近、変な夢を見るの」

 

「変な夢?」

 

楓は少し困ったような表情をした。

 

「暗い洞窟の中に立ってる夢。誰かの声が聞こえるの。でも……目が覚めると、何を言われたのか思い出せないの」

 

翔の手が止まる。

 

「それって……」

 

楓はカップのコーヒーを見つめながら、ぼそりと言った。

 

「私、もしかして、昔どこかで死んだことがあるのかな?」

 

翔の背筋に寒気が走った。

 

楓は冗談めかして笑ったが、翔は笑えなかった。

 

> **そんなはずはない。楓は生きている人間だ。**

> **なのに……なぜ俺たちは、こんなにも深く繋がっているように感じるんだ?**

 

そして、その夜——翔は再び**あの夢**を見た。

 

#### **十六**

 

夢の中、翔は鬼ノ岳村の森を歩いていた。

 

霧が立ち込め、木々がざわめく。

 

——ザリ……ザリ……

 

足音が聞こえる。

 

翔が振り向くと、そこには**楓**が立っていた。

 

「楓……?」

 

彼女はぼんやりと翔を見つめていた。

 

「……翔くん」

 

「どうしてここに?」

 

楓は静かに首を振った。

 

「わからない。でも……この場所、知ってる」

 

翔の心臓が強く脈打った。

 

> **まさか、楓は——**

 

その時、霧の向こうから別の声が響いた。

 

> **「サクマ……」**

 

翔の全身が凍りついた。

 

> **「……また、会えたね」**

 

霧の中から現れたのは、**あの鬼だった。**

 

赤い瞳が、翔をじっと見つめていた。

 

「……お前は、もう消えたはずじゃ……?」

 

鬼はゆっくりと微笑んだ。

 

「……私は、消えたよ」

 

「じゃあ……」

 

「でも、私は“いる”んだよ」

 

「……何を言ってるんだ?」

 

鬼は翔ではなく、楓の方を見た。

 

「私とあなたは、一度離れた。でも……また出会った」

 

翔はハッと楓を振り返った。

 

「まさか……」

 

楓はただ、じっと鬼を見つめていた。

 

そして、彼女の口から出たのは——

 

> **「……私、あなたを知ってる気がする」**

 

翔の世界が揺れた。

 

> **——楓は、生まれ変わりなのか?**

 

鬼は、静かに微笑んだ。

 

「“あの時”の約束、覚えてる?」

 

翔の心臓が激しく鼓動する。

 

> **「……もう、泣かないでね」**

 

翔の口が震えた。

 

「お前は……」

 

鬼は、ふっと微笑み、そしてゆっくりと消えていった。

 

翔は息を呑んだ。

 

隣で、楓がぼんやりと呟いた。

 

「……私、ここに来たことがある気がする」

 

翔は、静かに楓の手を取った。

 

「……もしかしたら、本当にそうなのかもしれない」

 

楓は翔を見つめ、優しく微笑んだ。

 

その笑顔は——かつて翔が知っていた、**鬼だった少女の笑顔と同じだった**。

 

#### **十七**

 

翌朝、翔は胸ポケットを探った。

 

いつものように、そこには**黒い髪飾りがあるはずだった**。

 

しかし——

 

「……ない?」

 

翔の手は、空を掴んだ。

 

その瞬間、彼は理解した。

 

——もう、鬼はどこにもいない。

 

もう、泣き声は聞こえない。

 

翔は静かに目を閉じ、微笑んだ。

 

「ありがとう」

 

その囁きは、朝の風に溶けていった。

 

 

#### **十八**

 

楓と出会ってから一年が経った。

 

翔の大学生活は充実していたが、心の奥ではまだ**確かめなければならないこと**が残っていた。

 

> **楓は本当に、あの鬼の生まれ変わりなのか?**

 

彼女が見た洞窟の夢。

鬼が残した「ありがとう」の言葉。

そして、翔の胸から消えた**黒い髪飾り**。

 

全てが、ひとつの答えに向かっている気がした。

 

そんなある日、楓がふと呟いた。

 

「ねえ、翔くん……**私たち、一度だけ鬼ノ岳村に行ってみない?**」

 

翔の心臓が跳ねた。

 

「……なんで?」

 

楓は少し困ったように笑った。

 

「うまく説明できないんだけど……そこに行けば、何かを思い出せる気がするの」

 

翔は黙って彼女の瞳を見つめた。

 

> **それはきっと、“運命”だ。**

 

翔は静かに頷いた。

 

「……わかった。一緒に行こう」

 

#### **十九**

 

数日後、翔と楓は村へ向かった。

 

バスに揺られ、山道を抜け、懐かしい景色が広がる。

 

村の空気は、あの頃と変わらず静かだった。

 

美咲が出迎えてくれた。

 

「翔、おかえり……そちらの方は?」

 

「楓だよ。大学の友達」

 

美咲は楓を見つめ、少し驚いたように目を見開いた。

 

「……はじめまして。でも、なんだか……**あなたのこと、知っている気がする**」

 

楓は微笑んだ。

 

「私も……ここに来たことがある気がするんです」

 

翔は息を呑んだ。

 

——**やはり、そうなのか?**

 

美咲は少し考え込んだ後、静かに言った。

 

「……翔、夜になったら**あの場所へ行きなさい**」

 

翔の胸がざわつく。

 

「……洞窟、か?」

 

美咲は黙って頷いた。

 

#### **二十**

 

夜。

 

翔と楓は、鬼が封じられていた洞窟の前に立っていた。

 

闇の中、冷たい風が吹き抜ける。

 

「……行こう」

 

翔が足を踏み入れると、楓も静かについてきた。

 

洞窟の中はひんやりとしていた。

 

そして、奥へ進むと——

 

**そこに、ひとつの小さな祠があった。**

 

翔の記憶が蘇る。

 

——あの夜、鬼が消えた場所。

 

楓が、祠を見つめる。

 

「……私、ここを知ってる」

 

「……やっぱり……」

 

楓は静かに目を閉じ、口を開いた。

 

「**私、ずっと孤独だった。ずっと誰かを探していた……でも、それが誰なのか、わからなかった**」

 

翔の心臓が激しく脈打つ。

 

「……楓」

 

楓がゆっくりと翔の方を向いた。

 

「私が、誰か……思い出せた気がする」

 

翔は息を呑んだ。

 

そして、楓の瞳の奥に——

 

**一瞬だけ、あの鬼の赤い瞳が揺らめいた。**

 

#### **二十一**

 

その瞬間、洞窟全体が静寂に包まれた。

 

——風が止まり、音が消えた。

 

楓が、微笑んだ。

 

「翔くん……」

 

「……ああ」

 

二人の間に、言葉では表せない感情が流れる。

 

翔はゆっくりと楓の手を取った。

 

「……もう、寂しくないよな?」

 

楓は静かに頷いた。

 

「うん……もう、大丈夫」

 

**その瞬間、翔の胸の中で何かが解放された。**

 

> **鬼の哭く声は、もうどこにもない。**

> **ただ、静かな夜が広がっている。**

 

楓がそっと囁く。

 

「翔くん、ありがとう」

 

翔は微笑み、夜空を見上げた。

 

そして、確信した。

 

——鬼はもういない。

 

だが、彼女はずっと**翔の中に生き続ける**。

 

風がそっと吹いた。

 

まるで、最後の別れを告げるかのように。

 

 

#### **二十二**

 

翔と楓が洞窟を訪れたあの日から、村の空気はどこか変わった気がした。

 

それまでの静寂が和らぎ、まるで重く垂れ込めていた霧が晴れたようだった。

 

「……何かが終わったんだな」

 

翔は村の神社の前で、ぼんやりと夜空を見上げていた。

 

楓も隣に立っていた。

 

「私……この村のこと、もっと知りたい」

 

「……俺も」

 

鬼の伝説。村の歴史。そして、楓と翔を繋ぐ不思議な縁。

 

**すべてが終わったはずなのに、まだ何かが残っている気がした。**

 

そして、その夜——翔は**再び夢を見た**。

 

#### **二十三**

 

夢の中。

 

翔は、どこか知らない場所に立っていた。

 

夜の森。木々がざわめき、遠くで川の音が聞こえる。

 

足元には、なぜか**無数の白い花**が咲いていた。

 

「ここは……?」

 

ふと、前を見る。

 

そこに、**ひとりの少女**が立っていた。

 

長い黒髪、透き通るような白い肌——**だが、彼女は鬼ではなかった。**

 

ゆっくりと振り向いたその顔は——**楓だった。**

 

「楓……?」

 

しかし、楓は翔を見ても何も言わない。

 

ただ、じっと翔を見つめていた。

 

「……楓?」

 

翔がもう一歩踏み出した、その瞬間——

 

> **ザリ……**

 

足元の白い花が、一瞬で**黒く枯れた**。

 

そして、楓の影がゆっくりと長く伸び、翔の足元に絡みつく。

 

「——っ!」

 

翔は息を呑んだ。

 

楓の顔が、ゆっくりと歪んでいく。

 

そして、彼女の口から出た言葉は——

 

> **「……まだ、終わってないよ」**

 

翔の心臓が止まりそうになった。

 

「何が……終わってないんだ?」

 

楓の顔は、次第に“別のもの”に変わっていく。

 

瞳が深い赤に染まり、口元がゆっくりと裂けていく。

 

翔は全身が凍りつくのを感じた。

 

それは——

 

> **鬼だった。**

 

#### **二十四**

 

翔は目を覚ました。

 

額には冷たい汗が滲んでいた。

 

隣で眠る楓の顔を確認する。

 

——普通のままだった。

 

「夢……なのか?」

 

翔は震える手で額を押さえた。

 

**いや、違う。あれは、ただの夢じゃない。**

 

鬼は言った。

 

**「まだ、終わってないよ」**

 

では、本当に終わるのは——**いつなのか?**

 

翔は、もう一度夜空を見上げた。

 

**夜はまだ、深かった。**

 

 

#### **二十五**

 

翌朝、翔はぼんやりとした頭のまま、神社の境内を歩いていた。

 

> **「まだ、終わってないよ」**

 

昨夜の夢の言葉が耳から離れない。

 

**あれは、本当にただの夢だったのか?**

 

鬼は消えたはずだった。

楓は普通の人間として生きているはずだった。

 

しかし、翔の胸の奥には、まだ**何かが取り残されている**ような感覚があった。

 

「翔?」

 

ふと、美咲の声がした。

 

振り向くと、彼女が不安そうな顔でこちらを見つめていた。

 

「どうしたの?」

 

「……いや、なんでもないよ」

 

そう答えたが、美咲は納得していないようだった。

 

しばらく沈黙が続いた後、美咲が静かに口を開いた。

 

「ねえ、翔……**楓さん、本当に“人間”なの?**」

 

翔は息を呑んだ。

 

「……どういう意味だ?」

 

美咲は神社の境内を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。

 

「昨夜、村の外れで妙なものを見たの」

 

「妙なもの?」

 

「……楓さんが、一人で立っていたのよ」

 

「それの何が?」

 

「——**宙に浮かんでいたの**」

 

翔の心臓が凍りついた。

 

「……冗談、だろ?」

 

「私も目を疑った。でも、確かに彼女は地面に足をつけていなかったの」

 

「……」

 

「まるで……**影のように、ふわりと浮いていた**」

 

翔は何も言えなかった。

 

> **もし、それが本当なら——**

> **楓は、本当に“生まれ変わり”なのか? それとも……**

 

翔の胸の奥で、静かに何かが囁く。

 

> **「まだ、終わってないよ」**

 

翔はギュッと拳を握った。

 

「……楓に、話してみるよ」

 

美咲は静かに頷いた。

 

#### **二十六**

 

その夜、翔は楓を呼び出した。

 

場所は、鬼が封じられていた**洞窟の前**。

 

夜の空気はひどく冷たく、二人の間に妙な緊張が漂っていた。

 

「翔くん……こんな夜にどうしたの?」

 

楓の声は、いつもと変わらない優しいものだった。

 

だが、翔はその瞳の奥に**何か違うもの**を感じた。

 

「……楓、聞きたいことがある」

 

「うん?」

 

翔は深呼吸し、静かに問いかけた。

 

「お前、本当に……人間か?」

 

楓の表情が、ピタリと固まった。

 

沈黙。

 

風が吹き、木々がざわめく。

 

やがて、楓はふっと微笑んだ。

 

**「……どうして、そう思うの?」**

 

翔は、美咲が見たことを話した。

 

楓が宙に浮かんでいたこと。

彼女が「鬼の洞窟」を知っていたこと。

そして、翔が昨夜見た**夢の中の鬼**のこと。

 

すべてを話し終えると、楓は静かに目を伏せた。

 

そして——

 

**ゆっくりと、彼女の身体が宙に浮いた。**

 

「——っ!!」

 

翔の目が大きく見開かれる。

 

「やっぱり……俺は、間違ってなかったんだな」

 

楓は静かに翔を見下ろし、微笑んだ。

 

「……翔くん、怖い?」

 

「……わからない。でも、お前が何者なのかを知りたい」

 

楓はゆっくりと降り立ち、翔の頬にそっと手を当てた。

 

「……私は、あなたのことをずっと探していたの」

 

「……」

 

「でも……私は、あなたと一緒にいちゃいけないのかもしれない」

 

翔は思わず楓の手を握った。

 

「そんなの、俺が決める」

 

楓の瞳が、揺れる。

 

「俺は……お前を手放したくない」

 

その言葉に、楓の頬を涙が伝った。

 

**そして、その涙は、黒く滲んでいた。**

 

#### **二十七**

 

> **鬼は、完全には消えていなかった。**

 

> **彼女は、楓という名前で生まれ変わったのではなく、“残された影”としてこの世に存在していた。**

 

> **人ではなく、鬼でもなく——ただ、翔のそばにいるために。**

 

翔は、楓の手を強く握った。

 

「……俺は、お前をまたひとりにはしない」

 

楓は涙を流しながら微笑んだ。

 

そして——

 

**彼女の身体が、ゆっくりと光に包まれていった。**

 

翔は驚いたが、手を離さなかった。

 

「翔くん……ありがとう」

 

「待ってくれ……!」

 

楓の姿が次第に薄れていく。

 

> **「さよなら……」**

 

「嫌だ……!」

 

翔は手を伸ばすが——

 

**——そこには、もう誰もいなかった。**

 

風が吹いた。

 

静かな、夜の風が。

 

#### **二十八**

 

翌朝、翔は目を覚ました。

 

全てが、夢だったかのように感じた。

 

だが、机の上には**一本の黒い髪飾り**が置かれていた。

 

「……楓」

 

彼女の名前を呼んだが、もう返事はなかった。

 

翔は、ゆっくりと髪飾りを握りしめた。

 

> **鬼は、もういない。**

> **楓も、もういない。**

 

だけど——

 

「……ずっと、一緒だ」

 

翔は空を見上げた。

 

青空の向こうに、彼女の微笑みが見えた気がした。

 

> **鬼の哭く夜は、もう来ない。**

> **だが、翔の心の中には、いつまでも“彼女の影”が生き続けるだろう。**

 

風がそっと吹いた。

 

まるで、彼女の最後の囁きのように——。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。