夢が墜ちる日   作:はまっち

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黄昏(たそ-がれ)――

《古くは「たそかれ」。「誰 (た) そ彼 (かれ) は」と、人の見分けがつきにくい時分の意》
1.夕方の薄暗い時。夕暮れ。
2.盛りを過ぎて終わりに近づこうとするころ。


黄昏(たそがれ)

 ────2022年、2月25日。

 ウクライナ・キエフ州ゴストメル アントノフ国際空港北方上空

 

 

「全員。よく聞きなさい」

 若い女の『よく通る声』が、轟音とどろく大型軍用輸送機の中──その広い貨物室に所狭しと並んだ3台の空挺歩兵戦闘車の中にまでしみわたる。

 その中の一台から真新しいロシア製の迷彩服に胸甲をつけた少女がひょっこり顔を出し、機械で出来た右腕を振るいながら、電灯一つない機内で何事かを叫んでいた。

 

(わたくし)たちの主目的はウクライナ軍所属、第374非化学戦旅団の打破! それ以上でもそれ以下でもなくてよ!!」

 

 ────ウクライナ上空を真っ直ぐ、国境を越えて飛んでゆくIL-76(ロシア軍の大型輸送機)。小銃と砲で武装した、特殊部隊かと疑わんばかりの重装備の少女たち。

 その行く末が黒土(チェルノーゼム)に覆われた泥沼であることを、今やだれもが知っている。

 

「そもそも私たち儀体化狙撃兵とは全ロシア革命人士の前衛としてシベリアの黒煙とウラルの鉄とを友として育てられたんですのよ。敬愛すべき革命家同志が討ち果たされ、赤旗が三色旗に変わろうとも、私たち前衛士卒の階級的役割は一切、未来永劫変わることはありませんわ。当然我らがサヴィェーツキ、ウクライナ人民の同志たちをむやみやたらと手にかけることも大統領閣下の頭の悪い反米反ナチプロパガンダの口車にほいほいと載せられることも許しませんわ。それより重要なのは私たち革命烈士が……」

「エリザヴェータ! それ以上は結構だ! ただ敵を倒してさっさと逃げ帰れって言や良いだけなのに……くどくどくどくどとお小言が過ぎるんだよ!!」

 

 “曹長”の階級章をつけた少女の長々とした演説を、また別の車両から顔を出した別の少女が止める。がつんと戦闘車両の装甲板に拳を撃ち付けた瞬間、ボンと小さな爆発のような音がする。

 その音に乗せられたのか、他の車両からもそうだそうだとうち頷く声が響き渡った。

 エリザヴェータと呼ばれた少女は顔をソ連国旗の如く真っ赤にしながら、如何にも憤慨したと言った様子で機械の腕を振り回す。

 

「んなっ……! ヴォスィムナッツァーチェヴァ・アリサ・サユーセヴナ!! 貴方ね、頭が軽いんですわ!! 軽くてバカが良いのは同志ブレジネフの時代までですのよ!? あのハゲ頭と同じくら……じゃなかった、東ドイツ帰りの大統領閣下と同じくらいじゃありませんくて!?」

「はっ、ようやくボロを出したな優等生。それじゃアタシもアンタも皆まとめて逮捕か? 罪状は何になるんだ、なぁ『法務官』のテレサさんよぉ!?」

 鼻で笑う。アリサの言葉に同意するように、同じ車両から冷静沈着とした女の声がする。

「国家元首侮辱罪が2年と国家機密漏洩罪が20年。しめて懲役22年ですね」

「だってよ! 22年もブタ箱なら戦争も終わってるだろうさ!」

 

 豪快に笑い飛ばしたアリサに、それぞれの車両の中から鳴り響く笑い声。くすくすと大小さまざまな声を正確に聞き分ける自らの生まれ持った霊体器官にちっと舌打ちしつつ、エリザヴェータは後頭部に埋め込まれた呪具をフル稼働させて返した。

 

「ふっ……ふっるいソビエトロシア的ジョーク(アネクドート)ですこと! 感性までジャガイモとザワークラウトの煮込み(死んだおばあちゃん)みたいですのね!」

「なんだリーザ。お前も東ドイツ趣味(オスタルギー)か? 大変結構、モスクワ休暇のついでにクレムリンの赤い壁に絵でも描いてやろうじゃねえか」

「いいえ結構! 死に至る愛の中どころか、気色悪すぎて本当に死ぬ絵になるじゃありませんの!!」

日本人(ヤポーニェツ)にゃウケるだろうさ。反ナチにイカれた心の無いハゲオヤジとアカに被れたアタマの無い小娘のキスなんざ、兄弟同士のキス以上に感動的で煽情的だね」

 

 幾つもの諧謔。収容所三個分程度には慣れ親しんだ冗談の応酬に疲れ果てたかの如く、エリザヴェータは小さく溜息を零す。

 大型輸送機の低いエンジンの音だけが、一瞬の静寂を彩っていく。

 

「……兄弟は選べませんものね。孤児になりたいと今ほど思ったことはありませんわ、アリサ・サユーセヴナ」

「30年ほど遅いぜ、エリザヴェータ・サユーセヴナ」

 

 こつん。二人の間を裂くように、小さく拳が打ち付けられる。何の呪具でも拡張されていない、エンジンの重低音で掻き消えそうな声がする。

 大きな砲塔を備え付けた空挺戦闘車(BMD-4)のハッチから、気弱そうな妙齢の女性が顔を覗かせた。

 

「……こほん。リザンカ、アリェーンカ。姉妹喧嘩はほどほどにしなさいね?」

「わ、わかってますわよアレクサンドラ・イリュムジーノヴァ少尉……私だって革命士卒の一員、この程度で理性的で弁証的な止揚を怠ったりは……」

 

 ロシア軍の軍服に身を包んだ妙齢の女──イリュムジーノヴァ少尉は不安げな視線をエリザヴェータとアリサに向ける。恰も教師が生徒に諭すようにして。

 

「貴女達にとっては日常でも、ここは戦場。しかも武装もなにもない大きな輸送機の中。レーダーが見つけても、テレグラムで話題の亡霊さんが見つけても、コクピットの中は対空ミサイルのアラートでいっぱいになるのよ……そうなれば、哀れな6人の軍人さんは死ぬ。貴女達だって──」

「サーシャ先生。アタシたちは儀体化狙撃兵だぜ。ソ連が崩壊したって死ぬことはなかった、チェチェンにもクリミアにも行ったことはないけど、シベリアでは少なくとも死ななかった。もとよりこの程度の高さ、『空挺兵』のイリーナじゃなくたって死ぬどころか骨折すらも出来やしねえ…………ま、頭でっかちの『指揮官』サマはどうかわかんねえがな」

「アリェーンカ」

 小さく釘をさすように呟かれた言葉を聞いてか聞かずか。アリサは小さく首を振って、両手を上げる。

「……わーったよ。命を大事に、一歩だって二歩だって下がってよし。これで良いだろ」

 

 リーザもいいよなと向き直った顔を真っ向から見つめ、頷き。その他29人の同志たちも同意見であることを確認。鶴の一声とばかりに意思を統一した少女たちを前に、少尉は小さく呟いた。

 

「……本当に大丈夫? もし嫌なら、今からだって嫌だって言っていいのよ……?」

「サーシャ少尉。アンタはアタシたちの先生なんだ。どーんと構えておけって」

「そうですわ。指揮だの監督だの訓練だのなんだの、そういう雑務は(わたくし)とニーナとカチューシャに任せておいてくださいまし。そうじゃなくたってその他29人もいるんですのよ。私たちならだいたいなんでも出来ますわ」

 

 ふっと顔をほころばせ、薄い胸を張る。

 そうしてシベリアの霜よりも冷たく声色を落とし、『よく通る声』で以てイリュムジーノフ少尉に耳打ちした。

 

「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチを殺すことだって、ウラジーミル・アレクサンドロヴィチを殺すことだって。西側諸国(G7)の主導者を皆殺しにだって出来ますのよ。…………サーシャ先生、貴方が望んでくださるなら」

 

 少尉は一瞬だけ苦々しく首を振った後、泣き出しそうな顔で、話の主題を元に戻す。

「……。────それじゃあカーチェンカ、ニーナチカ。作戦を説明してくれる?」

 はい、と別の歩兵戦闘車から二人の少女が顔を出す。軍曹の階級章をつけた、うちの一人は到底戦場に出る事すら考えられない初等学校(シュコーラ)の生徒のような幼さの少女が自信満々に息を吸う。

「ちょ、ちょっと!?」

 エリザヴェータはコミカルに慌てふためきながら、恰も学校の先生のように場を取り仕切るイリュムジーノフ少尉に抗弁した。

 

「ちょっとサーシャ少尉!? リザンカの四文字が聞こえなくてよ!? 作戦指揮と言えばでおなじみの(わたくし)、『指揮官』の霊体器官を組み込まれれしこの(わたくし)! 四間飛車のエリザヴェータ・サユーセヴナ・シャスチェヴァをお忘れでして!?」

「ねえリーザぁ。前はツノ銀中飛車じゃなかった?」

 幼い少女にツッコミを入れられたエリザヴェータは、再び顔を真っ赤にしながら機械の腕で装甲車の外板を叩く。

「ええいおだまりおだまり! ちょっとニーナ・サユーセヴナ! 私を差し置いて作戦説明なんて許しませんわよ!!」

「そう言われてもなぁ。ニーナ、大好きなサーシャせんせいに頼られるの久しぶりだしぃ?」

 ふふん、と鼻で笑ったニーナ。エリザヴェータの怒りを更に増幅させるには十分すぎるもの。わなわなと拳を振るわせながら「トゥリチャーチドーヴァ・ニーナ・サユーセヴナ」と呟いた。

「こ……こんの東ドイツ生まれ(ニェーメッツ)! 私の方がもっともっと、貴方たち東ドイツ人の1700万倍好きに決まっているでしょう!?」

「ミシンに打ち付けて殺したいほどってことじゃーん?」

「敬愛する小隊指導者同志をホーネッカーなんぞと一緒にしないでくださります!? そもそも(わたくし)は──」

 

 軍用輸送機の機内で喚き散らす『指揮官』エリザヴェータに辟易したかのように、軍曹の階級章をつけた髪の長いメガネの少女が溜息混じりに手を上げる。

 

「……はあ。では私、『訓練幹部』エカチェリーナ・サユーセヴナ・ドーヴァーツァーチアジーナ軍曹より作戦の説明を致します」

「ドーヴァーツァーチアジーナ・エカチェリーナ・サユーセヴナぁっ!!」

 瞬間。エリザヴェータの怒号が飛ぶ。『訓練幹部』……部隊の教育を担当する天賦の才覚(式法)を組み込まれたエカチェリーナは、全く歯牙にもかけずどこ吹く風で淡々と説明を続けていく。

「……現在アントノフ空港周辺ではロシア連邦軍第37独立親衛自動車化狙撃旅団の一部部隊が一時的占領を行っていますが、ウクライナ国家親衛隊第4即応旅団が集結中……まあ十中八九、早晩撃退されるでしょう」

「ふざけるんじゃありませんわよこのアマ(スーカ・ブリャーチ)っ!! 私を無視してるんじゃありませんわ!!!」

 怒鳴り声と到底放送してはいけない罵倒を繰り出しながら喚く少女を尻目に、アリサは同じ装甲戦闘車のハッチから顔を出すエカチェリーナに尋ねる。

「おい、先に降下した空挺軍の同志たちはどうした? 死んだのか?」

「第31独立親衛空挺旅団は昨日壊滅が確認されました。参謀本部は一刻も早い戦線撹乱を願っているようです──が」

「なんとか言ったらどうですの卑劣者(スヴィーニャ)! 私をシカトするなんてありえませんわっ!!」

うるさい、黙ってよ(ハルツ・マウル)!」

「ニーナチカ! あなたも反動分子(トロッキスト)のつもりですのね! くたばりなさい(クチョールト)、フリッツ混ざりのファシストめ!!」

 ……ドイツ語とロシア語の罵倒が飛び交う騒がしい機内。頭に血が上った少女の、到底『指揮官』とは思えない痴態。

 わあわあと甲高くもモスクワの町中で叫ぶと喧嘩どころでは済まされない罵倒とスラングの羅列を前にして、アリサたちは鬱陶しげに片耳をふさいだ。

「そもそも! 空挺軍(クビンカ)屈指の精鋭で、無数の呪具(クラデニェッツ)の置換改造手術を受けて、さらには形作られた(うまれた)ときから最優秀の革命士卒である(わたくし)たちに、今更こんな児戯みたいな作戦の説明なんて──」

「シャスチェヴァ・エリザヴェータ・サユーセヴナ」

 

 ピリ、と。空気が張り詰める音がする。唾をのむ感触が喉の奥から棘を刺す。

 少なくとも、エリザヴェータには。重く冷たく、出来の悪い生徒を説教するような声色で叱呼された少女には、そのように感じられた。

 少女たちの若く黄色い声ではない、声変りを経た妙齢の女の優しい──そうして今ではその欠片も見当たらない声。

 その主を伏し目がちに見つめるエリザヴェータは、小隊長である少尉の階級章を肩に飾った女性の軍服を目にとめる。

 

「あのね、リザンカ……いえ、ヴェトーチカ? 人の話はちゃんと、大人しく聞きましょう。ね?」

 

 イリュムジーノフ少尉の口から敢えて放たれるは、普通の愛称(リザンカ)ではなく幼児向けの愛称(ヴェトーチカ)。ただのそれだけで、これまでの怒りもどこへやら。青ざめて泣き出しそうになりながらしゅんと肩を縮こまらせて頭を下げる。

「…………わかりましたわ。ごめんなさい、サーシャ先生」

 

 先生。軍人には全く似つかわしくない呼び方をされたイリュムジーノフ少尉は、小さく頷いて再び『訓練幹部』エカチェリーナへとマイクを渡すかのように手を差し伸べる。

 エカチェリーナはこほんと小さく咳払いして、話のレールを元に戻した。

「まとめると。ロシア空挺部隊の代わりに私たちが出張ることになった、ということです。通常部隊はともかく、私達儀体化狙撃兵小隊を倒しうる最大戦力にして、ウクライナ所属の“連邦少女”を除く軍隊組織で……最も大きな障害になるのが──」

「……ウクライナ軍の祓魔──いいえ、境界戦部隊、第374非化学戦旅団。というわけね…………?」

 こくり。頷く。

 ソ連軍から脈々と続く軍系祓魔組織──いいや、「縁起や祭具や術式すらも全面戦争の兵器として運用する」という思想を以て編成された狂気の部隊の名を挙げる。

 

「そういうことです、サーシャ少尉。旧ソ連軍の極秘部隊に由来する非化学戦旅団の得意技は、“戦場で死亡し、破壊されたことで受肉型界異となってしまったモノの使役”。

 両軍合わせて死にたてほやほやの兵士たちで満ちたゴストメルは、今や敵兵と界異の楽園。今この瞬間にもウクライナ軍に戦時動員された縁起によって戦力補充が為されつつある…………と」

 

 それは恰も、屍を操る死霊術師(ネクロマンサー)であるかのように。

 祓魔術のことなど知りもしない一般人と兵士たちを皆殺しにして、なお有り余る穢れと怨念とを軍事兵器に作り替えながら前進を続けるためだけの、かつて構想された赤き大海嘯の最先鋒部隊(スピアヘッド)

 

 自分たちとは全く異なる……しかし国家と思想を守るためだけに数千人規模で実戦配備された旧ソ連軍の遺産を想い、同じく国家の狂気によって形作られたほんの30人程度の少女たちは皆一様に小さくため息をついた。

 

「昔は一緒に肩を並べて西ドイツに侵攻する訓練をしたのに……まっさか、アタシたちと真っ向からやり合うことになるなんてなぁ……」

「友人は選べても兄弟は選べない、ってヤツだね。昔は東ドイツ(ファーターラント)、今じゃウクライナってだけで」

「……どこも、今でも変わらないのね」

 

 イリュムジーノフ少尉の祈りのようなか細い声をかき消すように、軍用輸送機の機内にブザーの爆音が響き渡る。

 降下地点が──彼女らが身を挺するべき戦場が近づいたという証だ。

 

 旅客機と異なり外を見る事すら出来ない軍用輸送機の真下はきっと、死と憎悪が渦巻く戦地であるのだろう。

 エカチェリーナは自らのヘルメットの紐をしっかりと締めつつ、相も変わらず平坦な声色で訓話を纏めた。

 

「私達儀体化狙撃兵小隊の主任務はただ一つ。敵非化学戦旅団(界異使い)の戦闘能力を完全に破壊する事──」

 

 

 そうして。

 

 

「────そのために何の罪もないウクライナ軍兵士たちを鏖殺して、彼らを最前線へ引きずり出すことです」

 

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