運命はおまえに微笑む【完結済】   作:yoshiko

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第一章 ファム・ファタールは五日目に去る
月曜日


 アジーム家従者として今後一切の人生を捧げることと引き換えに得た、一年余りの放浪の旅を、ジャミルは存分に楽しんでいた。氷の洞窟、炎噴く山々、太陽の落ちない夜、そんなあちこちの風景を旅してきた今、ジャミルが拠点にしているのは熱砂の国と交流の歴史も深い、ある市場の町だった。この町には太陽の恵みがよく降り注ぎ、その恩恵を受けて色とりどりの野菜や果物が収穫まもなく売りに出される。母校でケーキ作りが好きだったあの先輩なら飛びつこうものだろう。ジャミルが旅の終わりにこの街を選んだのは、気候のせいか陽気でお節介とも言えるほど親切な人々が多かったのを気に入ったからでもあったし、久方ぶりに従者としての目利きの冴えを取り戻すためでもあった。屋敷に戻れば調理の仕事も待っているのだ。

 小さなテントが立ち並ぶ朝の市場、その一角の大きなボウルのような籠に放り込まれた赤、青、黄色の野菜と果実を手に取りながら、背後を通り過ぎていく人の波にもみくちゃにされていたジャミルは、数年ぶりに聞く彼女の声を寸分違わず聞き取った。先輩、と自分を呼ぶ声。振り返った先にいたのは、波を逆行するように掻き分けて走り寄る監督生の姿だった。驚愕のあまり手の中の果実を取りこぼしたのは、思わぬ再会に衝撃を受けたからではない。彼女の隣に、もっと違う所に行きたいと言わんばかりの不満をありありと表情に滲ませた中年の男が立っていたからだった。

 

「その男は」

 

 監督生は、ああ、と面白くも無さそうに返事をした。苛立たしげに舌打ちする隣の男を宥めすかすその姿は、貞淑な妻のようにも見えて、その実、聞き分けのない犬に言い聞かせるような言葉尻の冷たさもある。男はそのことに気付いていない。

 

「親切な人、ですよ」

 

 その言葉がとどめとなって、俺は口八丁手八丁で監督生を丸め込むと、あっという間にこの町で契約していたウィークリーマンションに彼女を転がり込ませた。男は、野菜と一緒にあの市場へ置いてきた。テントの店主が買わないのか、と怒鳴る声を背中に、俺は彼女の手を取っていた。「いつも、こんな事を」問いただしても、彼女はわざとらしく凪いだ目を細めて笑うだけで、何も言わなかった。

 

 監督生は、元の世界に帰れなかった。あの学園にいた者たちにとっては周知の事実だ。

正確に言えば、元の世界に帰る方法自体は見つかった。だがそれは失われて久しいものであり、時間が経てばたつほど、誰かが奔走すればするほどに、最早どうにもならないのだという事実だけが残酷に浮き彫りとなるだけだった。

 学園の卒業を控え、監督生にはある問題が残った。それは、誰が彼女の後ろ盾になるのかということ。親もいない、兄弟もいない、学友たちとは親交を深めたとはいえ彼らにこの世界のどことも繋がりのない糸の切れた風船のような彼女を守るだけの力はない。『生徒だから』という理由で彼女に一定の庇護を与えることが出来た学園は、卒業とともにその大義名分と力を失ってしまう。さあどうする、となった所で、不意に現れたのが彼女を娶りたいと申し出た、熱砂の国の豪商の一人だ。アジーム家とも肩を並べる商家のその男は、確かに庇護を約束した。彼女の今後一切の人生を男に掌握されるという条件付きでだ。

 監督生は、条件を飲んだ。仕方のない事だと、ばかに凪いだ表情で微笑んだ。そこにあったのは、鍵の開いた檻に入っていく人間の姿だ。その姿が妙にカンに障って、以来、ジャミルは自然と監督生との接点を無くしていった。本当にどうしようも、抗いようもない事だと、考えれば考えるほど理解してしまうがゆえの苛立ちだった。ジャミル自身、とうとうアジームとの関係を経つ事は出来なかったからだ。

 だから、彼女をひと時の家に連れ込むなんていうばかな真似したのもほんの気まぐれで、あと僅かで終わる真の意味で自由な時間が齎した一時的なセンチメンタルのせいで。そう自分に言い聞かせはしたものの、ベッドに行かないならどこへとでも言いたげに居処無さげな彼女の姿が見るに見ていられず、ジャミルは手早く作った料理を彼女にすっかり食べさせてしまうと、暖かい湯を張ったバスタブを用意して、ベッドを譲ってしまうと自分はさっさと別室のソファに寝転がってしまった。はっと気付いた時には従者癖が戻っている自分に辟易し、しかし、「こんなに安心して眠る夜、ひさしぶり」小さく呟いた彼女の言葉に胸がべしゃんこに潰される気持ちになりながら、寝室の扉を閉めた。

 寝る前、ジャミルは彼女のマジカメアカウントを開いた。能天気な祝福の言葉たちがつらつらと向けられ続けている。あの豪商の男と、彼女の結婚の日が近づいていた。それが、月曜日のこと。

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