幕間①
白状すれば。異世界から来た女を最初の妻に迎えたのは、趣味を兼ねていたものの、ほとんど慈善事業のようなものだった。
男は生まれながらに、自分は他者よりも強大である側の人間だと気づいていた。別にそれは彼が特別聡かったわけではない。ただ周囲が彼と彼の一家をそのように扱うものだから、物心つく時分には、他者とは命じられる人間であり、自己とは命じる側の人間であると、彼はある種正しく現実を認識していた。
彼の生家は、かのアジームと並ぶ熱砂の国の大富豪、その一角である。彼らが手を取り合えさえすれば、国庫を優に上回るとの噂はさすがに行き過ぎてはいたが、真には迫っていた。財産とは、わかりやすく権力なのである。この国の政治にすら大いに噛んでいる彼ら富豪たち、なかでもその当主、そしてその後継たる長子たちには、ある社会的義務が科せられていた。
多くの女を愛し、多くの子を残し、家の断絶と後釜を狙う者たちによる骨肉の争いを阻止する事。もちろん、たとえ多くの子供達を残したところで、大なり小なりの争いがある事は否定しない。彼ら子供たちにはどうしたって暗殺の危険が付き纏う。それでも、富豪たちはより多くの家族をもうけるのだ。子も、後継者の指名もなく、この世を去った過去の大富豪たち。その後釜をめぐり流された多くの血が、その凄惨さが、彼ら富豪の当主たちに必然、責任を果たさせる。それが熱砂の国という場所だった。
男も御多分に漏れず、日々を暗殺の危機に晒されながらも、その義務を果たすべき立場にまで成長した。ただひとつ問題だったのは、彼が奇妙なものを好むという点だった。黒瑪瑙のように輝く髪も、朝摘みの薔薇の香油で飾りつけた肢体も、人魚も逃げ出す絶世の歌声も、彼は寵愛こそするが義務の域を抜け出しはしない。ただ美しいものは、真に彼を虜にすることは無かった。そんなある日、彼は遂に、その噂に辿り着く。
ある学校が、この世のものではない、別の世界から来た娘を生徒として匿っているのだという。ここではあり得ない知識を知り、誰も知らない常識を語るその娘には、なんと魔力自体が備わっていないのだという。男は娘に興味を惹かれた。そうこうしている間に、彼女の卒業を待って、結婚の約束まで取り付けてしまった。
慌てたのは彼の一族である。
よりにもよって、最初の妻にこの世ならざる女を選んでしまうとは。とはいえ、最終的には家族が折れた。男は娘自身へ虜になったのではない。娘のような人間はこの世界のどこにもあり得ぬ、その希少性にこそ価値を見出しているのだと、一族の誰もが理解していたからだ。それは、男自身も理解している所だった。どこにも後ろ盾を持たない異世界の女を娶るなど、易も無ければ殆ど慈善事業でさえあることを、男はよくよく理解していた。陰謀渦巻く熱砂の国の大豪邸、それも最初の妻ともなれば、下手をすれば輿入れ後いつまで命があるか分からないことも。そこまで理解していてなお、彼が平然と娘を妻に迎え入れられる心境だったのは結局のところ、彼にとって彼女は、針で打たれた蝶のような、極上ではあるがあくまで標本の域を出ない女でしかなかったからである。
言葉にせずとも、彼女はその事をよくよく理解しているようだった。男から彼女への最初の印象は、聡い娘だな、ということだった。輿入れ前にと彼女が望んだのは、一人で諸国を漫遊することだった。もちろん男はこれを快諾した。最後となる自由の身を好きに満喫して来いという意味であったし、娘もそれは承知のうえのようだった。
旅の終わり、娘は着の身着のままといった風体で、ある日ふらりと男の元に帰ってきた。雷が降るような、酷い嵐の翌日だった。夜も更けた頃、男の寝室にひとりやって来た娘に「もう良かったのか」と聞くと、娘はうっそりと微笑んで一枚、また一枚と服を脱ぎ落としながら男の近寄り、その傍に裸で寝そべった。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかった」
そう語った男に、娘は涙を流さなかった。悲嘆にさえ暮れなかった。ただ、ここではないどこかへ魂が寄せられているような夢現な様子で、「ユウ、と言います」そう語った。
幾度かの夜を経て、娘の腹はすぐに膨らみ始めた。
生まれた赤ん坊は、艶やかな黒髪と、切れ長の理知的な瞳が印象的な男児だった。
赤子は、娘たっての強い希望で、彼女の世界で「美しい人」を指す名がつけられた。