その恋の季節は、終わったはずだった

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ニゲラ

 

 

 

 

 

 

 ――それは終わったはずの、恋でした。

 

 

 

 

 

 

「姫さん、いるかい?」

 

「と、トレーナーさん……どうしましたか?確か今日トレーニングはお休みと聞きましたが……」

 

「ん、いやこの前の脚の診察結果出たからさ。出来れば話がしたいと思って……ダメだったかな?」

 

「い、いえっダメだなんてそんなっ。私の体の事ですし……それに、トレーナーさんとご一緒出来るなら……嬉しい、ですから」

 

「そうかい?そりゃ有り難い、あんまり無理せずゆっくりおいで」

 

 私のトレーナーさんはとても優しい人。

 まだ担当の方が付いていなかった頃の選抜レースでも中々勝ちに恵まれなかった私の手を引いてくれて、ずっと2人でどんな時も頑張ってきた。

 デビューしてからも勝ちに恵まれなかったのに見捨てずにいてくれた、どれだけ苦しくて、私が泣き言を言ってしまっても、周りから何を言われたとしても傍にいてくれた。

 だから諦めずに頑張ろうと思えた……4年目の夏に差し掛かる今もまだ、勝ちは殆ど無いけれど。

 

「……あの、それで……わ、私の脚の方は」

 

「結論から言うと、大事には至ってなかった。でも軽度の靭帯炎症が見つかった」

 

「やっぱり……」

 

「ほんの少しの違和感でも話してくれてありがとう、姫さん」

 

「い、いえっ。私はただ、トレーナーさんのご迷惑になりたくなかっただけで……」

 

 今は、少し前に走った宝塚記念の後からあった脚の違和感、それの診断結果を受け取っていた。

 結果は案の定と言うべきか、靭帯炎症。

 秋には春に続いて天皇賞への出走が決まっていたけれど、これでは出られそうにない。

 

「ううん、それが有難いのさ……とはいえ、仕方ないけど念の為に秋の天皇賞は出走回避した方が良さそうだ。ごめんな」

 

「そんなっ、トレーナーさんが謝る事では……」

 

 謝らせてしまった、大切な人に。

 ここまで16戦も走って重賞の一つも取れない不甲斐ない私が悪いのに、期待に応えられていない私が悪いのに……大好きな人を笑顔にしたくて、唯一自分が笑顔にさせられるのが勝利だけだったのに。

 

 ――この人の隣にいられる時間は、もう少ないというのに。

 

「…………さん?姫さん?大丈夫か?」

 

「え?あ、いえ、その……」

 

「もしかして脚だけじゃなくて体調も良くなかったりするか?宝塚記念走ったばかりだし無理だけはしちゃダメだからな?」

 

「だ、大丈夫ですっ。体調はわ、悪くないですっ」

 

「そ、そうか?なら良いけど……」

 

 そればかりか、そんな事に気を取られていたせいでまたトレーナーさんを心配させてしまった、本当にこんな自分が嫌いで仕方ない。

 もっと強ければ、せめてもう少し幸せだったかもしれないのに。

 

「……秋、走れないのが不甲斐なくて」

 

「気にするな……とは言わない。でもこれで終わりじゃない。年明けには復帰レースを構想してるんだ」

 

「そうなんですか?」

「ああ。君の走りは衰えちゃいない、まだまだ君が諦めない限り俺だって全力で君の隣を歩ませてもらうからな?」

 

 せめてこの人の記憶に一生残るくらいの走りさえ出来れば、きっとそれだけで……諦められたかもしれないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 私は元々、走るのがそんなに上手い訳じゃなかった。

 何よりもそんなに目立つ存在でもなかった上にネガティブで、そんな自分が何よりも嫌いだった。

 それでもいつの日か見たGIレースで輝くウマ娘の姿を見て、夢を見た。自分を変えたいと願った。

 

 努力を惜しんだ日なんて無かった、それくらい努力を重ねた。

 知識も、量も、ケアも、何もかも必死に学んで天才達に必死に縋り付いて、中央トレセンへ入学して。

 

 ……そこで私は運命の出会いを果たした。

 

「君、良かったら俺のスカウトを受けてみないかい?」

「いやなに、君の走りに一目惚れしてしまったんだよ。不利な位置取りからあそこまで上がって来られる末脚と根性、個人的に好みでさ」

「まだ俺は新人だから、どれだけ上手く出来るか分からない」

「何なら俺より上手いトレーナーなんて沢山いるだろうさ」

「でも、それでも俺は君と共に歩みたい。……ダメかな?」

 

 選抜レースに勝った訳でもないウマ娘の走りに一目惚れした、なんて言って手を差し伸べるその姿は救い以外の何ものでも無かった。

 やっとスタートラインに立てる、そう感じる事が出来た。

 何より、その真摯な熱意にグッと惹き寄せられて。

 

「これからよろしく、カレンブーケドール」

 

「は、はいっトレーナーさんっ」

 

 その時から私は、トレーナーさんの事を……

 

「よーし、今日も自己ベスト更新だ!偉いぞカレンブーケドール!」

 

「あ、ありがとうございますっ」

 

 いつも私に寄り添ってくださって

 

「うーん」

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、カレンブーケドールって言うのも何だか距離感があると思ってなあ……呼び方変えてみたいんだけどどう?」

 

 ちょっとした事も真剣に考えていて

 

「……と、トレーナーさんがそう言ってくださるなら、その……私も、嬉しい……です」

 

「お、そう?んじゃ……そうだな、『姫さん』とかどう?」

 

「ひ、姫……?」

 

「あーいや、なんというかキミって上品でひたむきだからさ。何となくお姫様って感じがして……さ、流石に突拍子も無かったか」

 

 ちょっとお茶目で

 

「わ……私は良いと思います……!」

 

「そう?」

 

「その、あの、えっと……トレーナーさんがそう思って下さっているなら……嬉しい……ですから」

 

「ありがとう。んじゃあ……姫さん、これからはこの呼び方でよろしくな」

 

「はいっ」

 

 優しくて、笑顔が眩しくて。

 そんな人に、恋をしてしまって。

 

 幸せだった。

 こんなにも私の事を考えてくれる人がトレーナーで、好きな人で。

 

 

 

 

 ……運命の出会い、そう思ったはずだった。

 

 

 

 

 

「あれ?誰その子?アンタの教え子?かわいいね〜」

 

「そそ、紹介するよ姫さん」

 

 でもそれは

 

「コイツ、俺の彼女なんだ。ちょっと馴れ馴れしいけど良い奴だから……良かったら仲良くしてやってくれないかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……『君が諦めない限り俺だって全力で君の隣を歩ませてもらう』、私その言葉に何度も助けられて来たんですよ?でも……じゃあ、もしも、もしも私が『諦める』そう言ったら……」

 

 放課後、誰もいない教室には夕陽が差し込む。

 窓の奥、グラウンドからは喧騒が聞こえるけれど今の自分には何も関係無いと自嘲気味の笑みが零れる。

 

「――もう、諦めたって……トレーナーさんは許してくれますよね?」

 

 自分自身の期待と努力に報いる走りが出来ないのであれば。

 トレーナーさんの期待と努力に報いる走りが出来ないのであれば。

 もう、自分には何も無い。

 

『16戦2勝』それが現実だった。

 重賞戦線では何度も手が届くくらいの位置まで来た、後一歩、もう少しでそこに私がいられる……だけどただの一度足りともそこに辿り着く事は叶わなかった。

 

 この前の宝塚記念だってそうだった、あと少し、もう少しで届きそうな……それでいて、やっぱり。

 

 ちょっとした怪我のはずだった。

 年内回避すれば年明けには復帰をして、また走れる身体になって、ちゃんと休めばその程度の怪我で済む。

 

「弱いなあ、私」

 

 たったそれだけの事で、私の心は走れなくなっていた。

 

 ああ、きっと……逃げる為の理由を探していたんだと、今なら分かる。

 逃げるだけの理由が無かったから今まで走っていただけなんだと、そう理解してしまえば崩れるのは早かった。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさいトレーナーさん……何もかも弱くて……期待に応えられなくて、たったこれだけの事で逃げてしまって……」

 

 もう隣にいたいなんて思わないから。

 だから、逃げる事を許してください。

 

 

 夕陽が落ちる。

 もうそこに、私はいなかった。




2話か3話で終わると思う

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