はがない性転換-僕は友達が少ないアナザーワールド- 作:トッシー00
今から数年前。
私立鶯山高校。県下トップクラスの進学校、その学校に通う一人の少年がいた。
少年の名は羽瀬川隼人。後に結婚し、小鷹と小鳩の父親になる男。
この時の彼は、考古学者を夢見て勉学と青春に勤しむ学生だった。
彼はとにかく人望が厚く、そして友人の多い人間だった。
クラスメート同士が喧嘩をした際には、絶妙なタイミングで割って入り、仲裁したこともあった。
そして何より、当時学園始まって以来の秀才と謳われていた柏崎天馬の唯一の友人、後に親友とまで認められるほどの仲を築き上げるほど。彼の人柄の良さは誰もが認めていた。
そんな彼が、数年後実の子供に対してあのような過ちを起こすとは、当時本人は愚か誰もが思ってもいなかったことだろう。 だが、その許されないであろう過ちを犯してしまった原因の一端は、彼の過去に刻まれた苦い記憶にあった。
そう、最も愛する者を、幸せにすることができなかった悲しき男。
愛しき者を守るという約束を、果たすことができなかった哀れな男。
そして今男は、その過去と……過ちに向き合う。
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隼人と彼女の出会いは、ある日の隼人のこんな発言がきっかけだった。
「なんかこう、青春してぇな。青春」
「お前はいきなり何を言い出す」
そんな隼人の咄嗟の言葉に、天馬はジト目で答えた。
彼らの通う学校は男子校。故に女子との恋沙汰などは無縁に等しいものだった。
恋愛をしたいなら共学に行けば良いものだが、隼人には考古学者になるためこの学校で推薦枠を取らなくてはならない。
恋より夢を選んだ隼人、それも一つの立派な選択だろう。それは天馬も認めていた。
「だが一生一度の高校生活。恋の一つ二つなくては精神的に参るわやっぱ。中学の友達に頼んで合コンとか開いてもらうかなー」
そう青春への憧れに胸を躍らせる隼人。
それを聞いても反応の薄い天馬に、隼人は話題を振る。
「お前さんだってそう思うだろザキよぉ?」
「悪いが俺には許嫁がいるのでな。他の女にうつつを抜かしている暇はない」
「んだよノリ悪いなぁ。ってことはお前さんには女の知り合いはいないのか?」
つまらないことを言う天馬に、そう軽いノリで尋ねる隼人。
すると、次の天馬の口から意外な返答が返ってきた。
「……いるぞ」
「だよなぁ。そんなこったろうと思ったよ。お前みたいに女に興味ありませんみたいな型物真面目野郎に女の知り合いなんて……いるのぉぉぉ!?」
「うるさい、耳元で叫ぶな」
キレのあるノリツッコミをする隼人。
一方耳元で叫ばれた天馬は迷惑そうに耳を押さえ苦い顔をする。
思わず率直に答えてしまったが、めんどくさいことになりそうだと今になって言ったことを後悔した。
だが時すでに遅し。隼人は喰らいつくように天馬に迫る。
「どこの学校の娘だ!?」
「……聖クロニカ学園」
「聖クロニカぁ!? お前そこってここらじゃ有名のお嬢様学校じゃねぇか! なんでお前みたいな型物真面目野郎にそんなお嬢様学校の知り合いがいるんだよ!?」
「その型物真面目野郎というのはやめろ。なんでって、聖クロニカ学園の理事長は俺の父親だからだ」
すごい食いついてくる上に変に馬鹿にされ、天馬は迷惑そうにそう説明する。
聖クロニカ学園の創始者は柏崎家の曽祖父で、歴代柏崎家の当主が理事長の座を受け継ぐようになっている。
天馬は素直にその将来を受け入れ、理事長になることがほぼ決まっている。
そのため何度か学園を訪れる機会があり、学校の生徒とはそれなりの繋がりがある。
そしてその知り合いとは、イギリスからの留学生であり、留学生でありながら生徒会長に選ばれるほどの超エリートお嬢様。
ただその活気あふれる性格はお嬢様というには品が薄く、天馬自身はあまり会いたいとは思っていなかった。
「ま、一応話はしておいてやる」
「おぉ! 流石持つべきは友という奴だ! 頼むぜ親友!!」
「調子の良い奴め……」
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時はあの日。
夏休み、夜空が小鷹の家に泊まりに来た日に遡る。
「……すまなかったな。こんな話を聞かせてしまって」
「あぁ。正直怒るのも馬鹿らしい。俺にはあんたを殴りとばすだけの理由があるかもしれない。けど……それでも何も解決しねぇ。小鷹の傷が癒えるわけでもねぇ」
その日、夜空は隼人に小鷹の過去の全てを聞いた。
過去のいじめがきっかけで、小鷹が怪力を身に付けたこと。そしてその怪力によってどれほどの悲しい過去を過ごしてきたか。
そんな彼女を、娘を、父親である隼人が何もしてやれなかったこと。そんな父親でさえも、彼女は一切攻めていないことを。
小鷹が心の底では自分に助けを求めておきながら、それをけして表には出さないこと。
瞳の光を失ってまでも、彼女は全てを抱え込み。忌むべき怪力を憎みながらも、それに依存し力を手放せないこと。
その全てを夜空は知った。知った上で、途方もない虚無感を覚える。不安を覚える。
そんな彼女を救うことができるのか。長きに渡り願い続けてきた、大切な親友の幸せが、この先現実になるのだろうかと。
「こんな父親失格同然の男が言うのもあれだが、お前さんには……お前さんならば……小鷹を救えると信じている。小鷹を守りきれると、信じているんだ」
「そうやって、全て他人任せにして逃げるのか? あんたはまた逃げだすのか? 確かにもうあんたには小鷹は救えないかもしれない、けど……そうやって向き合おうともしないで、ただ綺麗事並べて逃げ出して」
「…………」
「何の罰も課せられず。ただ改心すれば、事実を認めればなにやっても許されるのか? 許されて満足して……ふざけるな」
夜空の口から発せられる言葉の数々には、彼の小鷹を想う気持ち――それらの重みが込められている。
それだけ、小鷹と夜空の間にある"親友"という糸が、硬く……ちょっとやそっとでは千切れない程に強固なものだからだ。
だからこそ夜空はぶちまける。相手が親友の父親であっても、それが間違っているならばただ抱く心のままにぶちまける。
そんな夜空に対し、隼人は少し黙った後……そっと口を開き、語りだした。
「……俺にもかつては、守りたい女がいた」
「あん?」
「幸せにしようって、心に決めた女がいた。その女は小鷹と同じで、小さいころに他者から疎外されていた。悲しい過去が原因で、心に傷を負っていた。そんな彼女に俺は……心から愛してやろうって決めた」
そう隼人が語る過去は、かつて開いた合コンで出会った少女との出会い。
その少女との日常の中で知った、少女の生い立ちと悲しい過去。
それらを思い知った上で、それでも幸せにしようと愛した隼人の過去だった。
「アイリ・アーロン。今は亡き……俺の妻だ」
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隼人が合コンの話をしてから、三日後の日曜日。
隼人と天馬は待ち合わせの喫茶店に、かれこれ約束の時間の一時間前に到着していた。
元々合コンには興味もない天馬とは違って、昨日からソワソワしていた隼人は喫茶店のトイレで何度も自分の格好を確認していた。
普段のラフな格好とは違いバシッと決めていたのもあってか、完全に怪しい男になっている。
「あぁ~緊張してきた。大丈夫かな俺マジでびしっと決まってるかなぁ? なぁザキぃ? どう思う?」
「いい加減落ちつけ馬鹿が。もう何度その質問俺にしてるつもりだ。いい加減聞き飽きた」
「んだよ冷たい奴だな。イケメンのお前はいいよな、黙っていてもモテるからそういうの気にしなくて」
「そういうのを気にしすぎるのも良くはないぞ。それに、お前だってそれなりにイケてる……ぞ」
「おいおい、男からのアプローチなんてうれしくもなんともねぇよ。ひょっとしてザキ、おめぇってそっち系の趣味あったりすんのか? うっわぁちょっと見方変わるぜおい~」
「……殺すぞ」
珍しく褒めたつもりが変な疑惑を持たされてキレかける天馬。
隼人が言うように天馬は本当に気にしていないかというと、実はそんなことはなく、意外と天馬自身も緊張していた。
知り合いとはいえ女の子と一緒にお茶をするというのは、天馬としては初めての事であった。
そんな会話をしている事一時間。待ち合わせに遅れること数分、ようやく彼女がやってきた。
「お待たせ! 遅れちゃってごめん!」
快活な声と共に現れ、勢いよくお辞儀をする彼女。
そんな彼女に対し、隼人は余計な心配をさせないよう振舞う。
「い、いやいや! こっちもついさっきほど来たばっかりですから! ほらザキもお辞儀しろお辞儀! 紳士たるものお辞儀!!」
「ぐっ! 無理やり上から手で押さえつけるな!!」
そう天馬に無理やりお辞儀をさせる隼人。
この合コンの場に現れた彼女――名はノエル・レッドフィールドと言い、歳は十八歳。
セミショートの金髪がよく似合う碧眼の女性。
その美貌。そして聞いていた通り巨乳であり、男性二人は目のやり場に困っている。
「いや~。この子が今日になってやっぱり行かないとか言いだすから、説得するのに時間がかかっちゃってね~」
そう言いながら、天馬の向かい席に座るノエル。
「この子?」
そう尋ねると、ノエルが入口の方にいる少女に手招きをする。
すると、ちょくちょく怯えながらこちらへやってくる。
ノエルと同じく金髪碧眼の白人で、可憐という言葉がぴったりな、気の弱そうな少女だった。
幼い見た目から見てとれる歳とか、少女を飾るその服装だとか、色々と印象を抱く所は多い。
だがそれら以上に二人の印象に残ったのは、彼女が左目につけている……眼帯だった。
どうしてこの場で眼帯をつけているのか、怪我でもしているならば仕方がないだろう。
そういった諸事情が絡んでくる以上、あまりジロジロ見るべきではない。
そんな少女は恐る恐る、ノエル達の席へと近づき、そしてちょこんと座った。
そう、この子が後に隼人と結婚し、小鷹と小鳩の母となる女性だった。
「この子はアイリ・アーロン。私の一つ下の後輩で、ペガちゃんとは同学年になるかな? 一応合コンだし、男女の数は合わせた方がいいと思って」
「別に合コンでは……。というかそのペガちゃんというのはやめてくれ」
そう言いかけ、ついでにその呼ばれ方が嫌だったので名前の方も訂正する。
だがこちら側に配慮してくれた以上、その気配りには感謝を持って接した方がいいだろう。
そう思い天馬は、この合コンを改めて受け入れた。だがあだ名の方は断固として受け入れなかった。
「ま、色々とお膳立てをしてくれて助かったよレッドフィールドくん。隼人、この方がノエル・レッドフィールドと言ってな……」
「あ……あ……」
ノエルの方を紹介する天馬。だが隼人が目を向けていたのはノエルではなく隣のアイリの方だった。
現れたアイリを見ては、なにやら口を半開きにして固まっている。
その頬も、見てわかるように赤く染まっている。
「ア……アイリさん……ですか?」
「……そっち?」
隣でその様子を見ていた天馬がそう呟いた。
先日の会話からてっきり隼人は胸の大きな女性が好きだと思っていたが、いざ合コンになって隼人はアイリに興味を示した。
その様子を見て、他人が一目惚れをする瞬間というのは実にわかりやすいものだ。と天馬は心の底で思ったという。
「ちょいとペガちゃん。耳貸せよ耳」
「お前までペガちゃん言うな!!」
さりげなく隼人まで天馬をペガちゃん呼ばわり。
ただでさえ本名を呼ばれるのでさえ嫌なのに、そんなあだ名を決定されては非常に困る。
だがその訂正が行きとどかない程、隼人の気分は実にハイな状態であった。
「巨乳の姉ちゃんの方もいいけどよぉ。あの小さい子ガチで可愛くないか?」
「ま、まぁ確かに可憐で可愛いな。というかお前そういう系の女性が好きだったのか?」
「別にそういうわけじゃないけどよ。なんつうかあの"眼帯"、眼帯がいいのよ。わかるかザキよぉ? あの眼帯の良さが」
「すまん、わからん」
そうヒソヒソと話す隼人と天馬。
相手側にはそれが聞こえているのか聞こえていないのか、だがアイリがピクリと反応している辺り丸聞こえなのだろう。
「ごほん! いやその……素敵な眼帯ですね!!」
本当に言っちゃったよ、と隣で天馬が呆れる。
もし相手が怪我かなんかでつけていたのなら失礼以外の他でもない。
それでアイリが怒って合コンが台無しにでもなったらどうするつもりなのかと、天馬が顔をしかめる。
するとそんな心配をよそに、なにやらアイリは恥ずかしそうにもじもじとしながら、隼人の褒め言葉に対してこう答えた。
「あ……ありが……とう」
それは場を和ますために無理した感謝ではない、素直になれないが嬉しそうに言う……心からのありがとうだった。
そう顔を赤らめる彼女に、さらに隼人の心は鷲掴みにされる。
「ちょ……。ペガ様ちょっと……」
「ペガをやめろペガを!」
隼人はさらに気持ちを上擦らせ、またも天馬の襟を掴んで口を耳元へ。
「俺。あの子と結婚したい」
「早いわ……。というか女子とのお茶の最中に失礼だろうが」
「いや、もう決めたわ。結婚しよ」
「核心を決意するな。いいからもう少し話を弾ませてからにしろ」
そうヒソヒソ話して、二人はなんでもないですと言って元に戻る。
今度は聞かれていなかったようだ。というか聞かれていたらそれはそれでまずいのだが。
「ははは。面白い人たちだねアイリ~」
「う……うん」
どうやら相手側はこの状況を楽しんでくれているようだ。
それを見て安心し、四人は改めて合コンの続きを再開する。
「その、眼帯の件はすまない。こいつデリカシーのかけらもないやつだから」
「べ、別に……気にしてません。それに……その……」
天馬が隼人の代わりにそう謝ると、アイリは戸惑ったように声を上ずらせる。
そんなアイリの困った様子を見て、隣の隼人が軽く天馬をにらんだ。
「おいザキよぉ。アイリさん困ってんじゃねぇか。お前の方がよっぽどデリカシーないっつうの」
「なっ!? 貴様人が代わりに謝ったというのに……」
そう軽い喧嘩になりそうなところを、ノエルが彼女の眼帯の件について説明をする。
「あぁそんな気にしなくてもいいよ。この子三国志にハマっててその影響で眼帯つけてるだけだから」
「三国志……。あ~はいはい、"夏侯惇"ね」
その話を聞いた隼人は、隻眼という要素ですぐにアイリがモチーフにしている武将を夏侯惇だと推察した。
隼人は過去に三国志の漫画を読んでいたことがあり、それなりの知識がある。
それを聞いたアイリは、ぴくりと反応した。
「三国志、好きなの?」
「え? は、はいそれなりには!」
アイリの興味を惹けたと、隼人は手ごたえを感じ思わず笑みがこぼれる。
そんな隼人に対し、天馬がぼそりと呟いた。
「お前図書室で読んでた時わけわからんとか文句言ってただろうずくっ!」
「はっはっは! いやぁ柏崎くんと一緒に図書室で朝まで三国志生討論とかやってたくらい一時期ハマってましてねぇ~」
いらんことを言う天馬を無理やり黙らせて、隼人は話を続けた。
「えぇと、好きな勢力とかありますか?」
「そうですね~。劉備とか劉備とか、あと劉備ですね~」
「劉備は勢力じゃなくて武将だって……」
アイリの質問ににわか丸出しで答える隼人に、呆れながらそう呟く天馬。
その後天馬の助けを借りながら、三国志の話題で盛り上がる。
なにやら後半、合コンは半分三国志の雑談会みたいになっていたが、四人はそれなりにこの合コンを楽しんでいた。
それぞれ自己紹介をしたり、学校での出来事を話したり。それぞれが自身の話題を持ちよっていた。あと三国志とか。
そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ、一時間ほどした所で合コンはお開きとなった。
ノエルとアイリと別れ、帰り道、隼人は浮かれた様子で天馬とこんな会話を繰り広げていた。
「いやぁ。アイリさんかわゆいな~。あはは」
「俺はてっきりノエルさんを選ぶと思っていたんだが、これは予想外だった。本当にあっちでいいのか? あそこまで距離を縮めておいて今更あれだが……」
アイリをベタ褒めし、心惹かれる隼人に天馬は本気で心配した様子でたずねる。
それでも隼人の心は変わらず、帰り道ではアイリの名前を数える限りでは三十回は連呼していた。
「確かにノエルさんは胸が大きいし美しい。けど俺は……アイリさんがいい」
「……そうか。彼女には失礼なことをした。気にしてなければいいのだが」
ノエルの性格からして隼人の事を失礼と嫌ってはいないだろうが、一応心配する天馬。
だが、こう親友の心からの笑顔を久しぶりに見たような気がした。
この先、なんのぶれもなくこの男が、あのアイリと恋中になるのだろうか。
否、そうなるならそうなってほしかった。そう、天馬はいつしか心から思っていた。
自分には許嫁がいるからわからないが、男が女性に恋をする、それはきっと素晴らしいことなのだろう。
ならばそれを応援するのが、見守るのが友の役目なのだと、この時天馬は思ったのだという。
「……隼人」
「どした?」
「……がんばれ」
「……え? 今ちょっとありえない一言が聞こえた気がするぞ。もう一度言ってくれ天馬!」
「な、なんでもない! それと名前で呼ぶなぁぁぁ!!」
こうして、その数ヶ月後。
四人は何度も時間を作っては会い続けるうちに……隼人とアイリは付き合うことになった。
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隼人とアイリが付き合いだしてから更に数ヶ月後。
この時には天馬とノエルも付き添うことが無くなり、二人だけの時間が多くなっていった。
二人はより一層惹かれ合い、いつしか二人の将来の事まで考えるようになっていた。
そんなある日、突如アイリがこんなことを言いだした。
「ねぇ隼人くん。その……私の事好きですか?」
「え? なんだよアイリさん。好きにきまってるじゃねぇかよ」
「……そっか」
なにやらそう聞くアイリの言葉が、とても乏しく、寂しいように思えた。
いったいどうしたというのか、どうしてこんな状況で、こんなにも彼女は弱弱しく……震えているのか。
「アイリさん? どうしたんだよいったい」
「……隼人君。今から私……あなたに"あるもの"を見せる。私としては……この先何を見ても、私を愛していてほしい」
そう願いを請うアイリ。
いったいなにを見せるつもりなのか、そしてその願いの深みにあるものはなんなのか。
隼人はこの時、まだアイリのことを何も知らなかった。知ったつもりでしかなかった。
そう思い知らされたのは、このあとアイリが……今までけして外すことのなかった"眼帯"を……外した瞬間だった。
「な……なにを……」
そう戸惑う隼人の傍で、アイリは頑なに付け続けていた眼帯に手をやる。
そして、初めてアイリは、今まで見せることのなかった左目を隼人に見せる。
いったい何があるのか、そう隼人は軽い気持ちで思っていた。
だが……その彼女の左目を見た瞬間。隼人の背筋は凍りついた。
「これが……私の"左目"」
「……え?」
そのアイリの左目。
アイリがいつも見せていた右目は、イギリス人特有の綺麗な碧眼。
ならばとうぜん左目も、碧眼なのが普通だろう。
だが、違った。
そのアイリの左目は、綺麗な右の碧とは打って変って。
それは……禍々しいほどの"紅色"だった。
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「ある日アイリは……自分の紅い左目を俺に見せてきた」
そこまでの過去を、隼人は夜空に語った。
右と左の目の色が違うアイリ。世間的には虹彩異色症というのだろう。
今では"オッドアイ"という名称で広まっているが、当時の彼らにはその名称が存在していなかった。
故にアイリは、ずっとその左の紅眼に悩まされ続けていた。
今でこそカラコンで誤魔化せるが、当時そういったものは高価であまり手のつけられない代物だった。
そしてそれを聞いた夜空は、一つの答えにたどり着く。
なにせ夜空自身も、その紅色を見たことがあるからだ。
「……"小鷹"と、同じ」
「そう。普段は俺と同じ黒だが、小鷹も時より目が紅くなる。それを初めて見た時、アイリの遺伝だと確信した。彼女を苦しめていた呪いが、小鷹の中に残っているのだと」
小鷹は感情の高ぶりによって、目の色が変色することがある。
そしてそれは彼女の力となって形作られる。
アイリの場合は生まれつき左目が紅色で、怪力というわけではなかったが、それによって小さいころから"悪魔の子"と呼ばれ友達が少なかったという。
最初に会った時の彼女の人見知りは、過去の出来事によるものだった。この時、隼人はそれを感じ取ったのだという。
「ノエルさんはそれを知っていたみたいで、外国にいる知り合いを紹介してくれたり配慮してくれたらしいが。残念なことに解決はできなかったようだ」
そういった隼人の過去を聞いたうえで、改めて夜空の中で疑問が浮かぶ。
怒りが浮かび上がる。ならばなぜ、なぜ……。
「だったら、なんで……」
「夜空?」
「なんであんたは、小鷹の苦しみに気づいてあげられなかったんだ? どうしてこんな過ちを繰り返してしまったんだ? なんでだ……なんで……」
今の夜空には、そう問うことしかできなかった。
隼人は普通とは異なり疎外されていたアイリを愛し、幸せにすると決めた。
だからこそ、隼人が小鷹にした仕打ちが理解できなかった。
もしもっと優しくしてあげていたら、小鷹は怪力を生み出すこともなく、禍々しい瞳も浮かべることもなかったのに。
なぜ、その原因を隼人が作らなければならなかったのか。そう疑問に思いながら、夜空は身体を震わせた。
「……それは、俺が彼女を幸せにできなかったからだ」
「なんだそれ? 答えになってねぇぞ」
「だからこそあの時の俺は、絶望に打ちひしがれていた。残された子供達、愛する者を失った悲しみ。表では平然を振舞っていたが、俺は……彼女を殺したこの日常が憎かった」
それは、ただの言い訳に過ぎない。
そんなことを言った所で、誰も彼を許してはくれないだろう。
誰も納得はしてくれないだろう。誰も満足はしてくれないだろう。
だが隼人は語る。己の間違いをただ、向かい合っている赤の他人である少年に語る。
「小鳩は、アイリに似すぎていた。あいつが浮かばせるアイリの面影は、俺を狂わせるほどに可憐で、愛おしくて」
「……」
「そして小鷹は……"俺に似すぎていた"んだ。だからアイリの面影を傷つけたあいつを……俺は、本気で攻めてしまった」
「……」
「だが時期がまずかった。あの時あの瞬間、俺があいつを攻めてしまったおかげで。あいつに味方がいなくなって……俺は……第二のアイリを、アイリの裏を生み出してしまった」
「……」
それが、隼人が小鷹を救えなくなった理由だった。
たかが言い訳だろう。たかが戯言だろう。
だがそれでも、夜空はそれで納得するしかなかった。納得せざるを得なかった。
人は過去をやり直せない。人が見据えるのは明日と未来だけ。過去を思い返しても、死んだ人間も生き返らない。起こした過ちは否定できない。
だからこそ、夜空は悔しかった。ただ悔しくて、小鷹に対し、この父親に対し何もできない自分がただ……ちっぽけに他ならなかった。
「それが……アイリを愛した俺への最大の"罰"だ。この俺への"ペナルティ"は、愛した者の苦しみを解き放つどころか、愛した者が残した小さな存在に、同じ苦しみを与える役目を担ったこと。それをただ受け入れ、ずっとこの先永遠に、向き合っていかなければならないことなんだ」
隼人は最終的に、そう結論を口にした。
小鷹に対する虐待の代償は、彼が過去に抱いていた想いの否定。それを自分自身がしてしまったこと。
罪を犯すと同時に刻みつけられた罰は、永遠に彼から消えることはない。
「夜空。こんな情けない大人の姿を、見せてしまって本当にすまなかったな」
「……終わらせるな」
「え?」
「それで、終わらせんじゃねぇ。だったら俺が全部変えてやる」
そう言って、夜空は立ちあがる。
そして、己に交わした誓いの言葉を、彼は目の前にある間違いに向かって言い放つ。
「あんたは間違いだらけだ。だけど一つだけ間違っていないことがある。あんたは……愛した女を本気で幸せにしようとした。そうだろ?」
「……ああ。あいつと……あいつと築き上げた家族を、俺は本気で幸せにするつもりだった。いや……するつもりだ」
「ふん、それで充分だ。今はただ……それで充分ですよ。だったら俺がかならず小鷹を救って見せますから、約束しますから……」
「夜空……」
「だから……俺と一つ約束してもらえませんか? もし俺が、小鷹を救うことができたなら……その時は……」
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十月某日。
「はい、もしもし羽瀬川ですけれども」
『よ~。小鷹久しぶりだな~』
この日、小鷹の家にかかってきたのは父からの電話だった。
普段は小鷹の方からかけることが多いのだが、今日は珍しく父親からかかってきた。
「あぁ父さん。久しぶり」
『元気してたか? つっても、夏休みに会ったばかりか』
あの夏休み、父親は珍しく家に帰ってきた。
今まで海外に出張しっぱなしだっただけに、かなり珍しいことだった。
最も、彼が夏休みに家に帰ったことには、重大な意味があったのだが。
「元気だよ。あ、そうだ……。実はね」
『あぁ。怪力……無くなったみたいだな』
「え?」
今小鷹が言おうとしていたことを、隼人に先に言われてしまった。
どうして知っているのだろうか。答えはすぐにわかった。
『夜空に聞いたんだよ。もう小鷹は暴れて物壊したりしないんで安心してくださいってな』
「あいつ、いつのまに父さんとアドレスを交換したんだか……。まぁその、正確には完全に無くなったわけじゃなく、収まっただけなんだけどね」
『そっか。まぁそれでもお前が光を見て進んでいけるなら、きっとこの先怪力も完全に無くなるさ』
そう他人事のように、隼人は言う。
『……なぁ小鷹』
「うん? どうしたの?」
『……本当に、すまなかった』
突如、隼人が小鷹に対して謝りだした。
「え? なにが?」
『十年前。俺のせいでお前は散々な過去を送る羽目になってしまった。そしてそのことに対して俺は、何もしてやれずにいた』
「い、いやそんな……。別に気にしてないって」
『謝るだけじゃ済まないくらいのことをしたって理解している。けど、今の俺には謝ることしかできない! だから何度でも頭を下げさせてくれ!』
「いやだから! そんな親子同士なんだし……お願いだから、やめてよ」
その小鷹のお願いは、しつこいからやめてくれというわけじゃない。
こんな自分のせいで、父親が頭を下げる姿を思い浮かべたくなかったからだ。
確かに小鷹の人生を狂わせたのはこのクズな父親のせいかもしれない。だけど小鷹にとっては掛け替えのない父親なのだ。
母親がいなくなってしまった以上。唯一親と呼べる大切な存在なのだ。だからこそ、そんな彼に謝ってほしくなかった。
『……本当に、すまない』
「まったく。それに皇帝のおかげで怪力だって無くなったんだし、結果良ければ全て良し……じゃない?」
『小鷹。お前は……本当にそれでいいのか?』
「いいんだよ。父さんだって、母さんがいなくなって辛かったんでしょ? 不安だったんでしょ?」
『…………』
「それにね父さん。確かにこの世には許されない罪はあるかもしれない。拭いきれない罰があるかもしれない。けど、それを抱え続けることが、必ずしも正しいことじゃないんだよ?」
そう、小鷹は今思うことを、電話越しの父親に語りだした。
「許されない罪があるように、"許されるべき罪"もある。わたしだってこの怪力に依存したくさんのものを傷つけてきた。元をたどれば父さんが原因かもしれないけど、それは紛れもない私自身の罪で、私が力に溺れたが故の代償なんだよ」
『…………』
「でも、わたしは許されたんだ。夜空と出会って、星奈と出会って、わたしに与えられた禍々しい力と向き合ってくれる人たちと出会って。わたしは……罪と罰の柵から抜け出すことができた」
『…………』
「もしかしたらわたしは、そうやって罪意識を感じて罰を受け入れていた方が楽なんじゃないかと、そう思っていたかもね。父さんは……そう思っているの?」
その小鷹の質問に、隼人は言葉を震わせながら、絞り出すように答えた。
『俺は……俺……は……。許されたい。俺がやってしまった過ちを……誰かに認めてもらいたいって、だけどそれが情けなくて。ただ……情けなくて』
「だったら。わたしが父さんを許すよ。わたしだけじゃない。小鳩も母さんも、みんなが父さんを許してあげる。それで……いいんじゃない?」
そう、小鷹が優しく言葉をかける。
小鷹の許しに、隼人が子供のように泣きじゃくった。
その情けも、許しも、あるがままに受け入れた。
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「約束?」
「あぁ。俺が小鷹を救うことができたら、あなたは……小鷹に許されてほしい。自分の弱さを全て打ち明けて……情けない姿を晒してでも、なんとしてでも許してもらってほしい」
「……それは」
「約束ですよ"お義父さん"。いつまでもこんなクソガキに説教されてないで、いつまでも父親がああだのこうだの何だの言ってないで。"一人の男"として……許しをもらってきてこいよ」
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それが……。
羽瀬川隼人に課せられた……本当の罰の形だった。
一人のクソガキと、愛する娘が与える。
たった一つの……罰の形。
『小鷹……俺は、お前を愛している。この先も、ずっと、永遠に! 愛し続けてるからな!! 我が娘よ!!』
「父さん……」
そう涙声で叫び、隼人は恥ずかしさ余って電話をがちゃりと切った。
その後、数分の沈黙が小鷹を包み込む。目からは知らぬ間に、小さな雫が流れ落ちる。
音もない、ただ優しさと愛しさに包まれた空間に、少女は幸せの形を思い浮かべる。
一人の男の叫びから充分すぎるほどに伝わった。親の愛の形。
小鷹はそれを胸に抱き寄せて、一人部屋へと戻っていった。
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――数年前。
羽瀬川アイリが、事故に合う数日前の話。
「隼人くん」
妻が夫の名前を呼ぶ。
傍らにはまだ小さな子供達。
円満で幸せな夫婦が、一つ屋根の下で暮らしている。
「どうした? アイリ」
そう尋ねる隼人。
それにアイリは、優しくほほ笑み言葉を返す。
「この幸せ、いつまでも続くといいね」
「……あぁ。本当にな」
「今となっては。この紅い左目に生まれてきて、わたしはよかったと思っているわ」
「え?」
「だって。大好きな人が好きって言ってくれた紅い色だもん」
「アイリ……」
そう会話をし、寄り添う幸せな夫婦はいた。
後に様々な困難が待ち受けるだろう。後に父と娘は互いに互いの過ちと対面するだろう。
だがそんなことも知らずに、幸せな父と母は、悲劇すら知らぬ幻の未来を……。
幸せの道筋を……嘘偽りのない笑顔で語り合う。
ただ傍に信じてくれる人がいる限り。人は幸せに向かって進んでいけるのだと……。
五人目は羽瀬川隼人です。感想欄にて最も反響の大きかったキャラクターです。
それ故にこのストーリーは、私なりに限りを尽くして考え、そしてこのキャラに対しての答えを出しきったつもりです。
ひょっとしたらこれでもまだ納得がいかない人もいるかもしれません。満足行かない人もいるかもしれません。
それでも私は、自信を持ってこのストーリーをみなさんに送ります。感想、評価の方お待ちしております。それでは~。