鴎、誕生日おめでとう
――考えていた。
春風が吹き付ける、船の後甲板に立って、俺はひとり、考えていた。
空と海。
同じ碧と白の組み合わせなのに。
海だけを、怖いと思ってしまうのは何故だろう。
大きな船だから、揺れたって落ちてしまう心配はないというのに。
ユメガサメレバ アワニナル
爪先が示す方、船のスクリューが立てた航跡の泡が、俺にそんな言葉を発してきた気がした。
そして、思考の靄が晴れる。
そうか。
空には、亡くなった人が思い出と一緒にいる気がするのに。
海に浮かべた思い出は、泡と消えてしまう気がするからか。
「……おとーさん、どうしたの?」
「むごっほ」
「へんなせき~」
「ドクドクちゃんが楽しんでくれるかなぁって、考えてた」
「ちがう! ドクドクじゃなくてロクロクちゃん! ちゃんとおぼえて!」
「あ、ごめんごめん」
憤懣やる方ないという表情で、娘はぷいと横を向くと、髪に飾ったドクロマークのアクセサリーをいじっていた。
「いいのか? プンプンしてる子はひげ猫団に入れないんだぞ?」
「わーっ!? ごめんなさいごめんなさいおこりませんっ」
「そう言ってる間に、ほら、見えてきたぞ島が」
「わぁっ、たのしみ~!」
俺は、娘の手を取り、行く手に近づく緑の固まりを眺める。
島がある。
鍵を探し、洞窟を抜け……海賊船の入り江に向かう。島全体をめぐるようなアトラクション。
鴎と。俺と。島の仲間と。本が繋いでくれた大勢の仲間が。夢を紡いで完成した島だ。
夢が始まったあの頃。俺たちが携帯できるのは本と、白黒画面のゲーム機だけだった。
それが今、手にするものは地球の裏側とも電話出来るスマホになって。
声だけでなく、お金だって七つの海を超えて集まってきた。
クラウドファンディング・ひげ猫団。それが、夢を叶えたものの名前だ。
作りかけのまま途絶えていた夢は、大人になったひげ猫団員たちによって、次の世代に手渡せる「形」になった。
「ひげ猫団の冒険、好きか?」
「だいすき! おとーさんがいっぱいよんでくれるから!」
「はは……」
「タカもカモメもだーいすきだよ!」
「うんうん、お父さんもな、カモメって子が好きだったんだ」
「へー! ママとどっちが好き?」
「う~ん、ママに会う前だからな。ママと同じぐらいかな」
「じゃあ、おとーさんの『おし』だね!」
「むごっほ。そ、そうだな。推しって言っていいかもしれない」
笑った。確かにそうだ。
こんな年になっても、わざわざ誕生日当日を選び、海を超えて島に行く。
ついそんなことをしたくなる彼女は、確かに俺にとって、推し、と言えるのかもしれない。
鷺さんも、意図して決めたんだろう。
鴎とカモメの誕生日は、一緒だった。
「そうそう、今日行くひげ猫団の海賊船、昔、お父さんも作ったんだぞ」
「それ、もうなんかいもなんかいもきいたー!」
またむくれてそっぽを向いた娘が、次の瞬間、小さな指で天色の春空を指差す。
長い長い、船のような、いや島のような、広い雲。
その前を横切る、一羽の鳥を。
「かもめさん!」
鴎か。海猫か。
いや、鴎だ。今日は鴎に決まってる。
どうだ、鴎。
お前はいま、この世界を楽しく飛べているか?
女性の声のアナウンスが、まもなく鳥白島漁港に到着します、と懐かしい地名を告げた。
「よーし、じゃ行くか。降りたらスーツケースに乗れ。ビューンってゲートまで押していくからな」
「わーい!」
「待って」
そこに、割り込む声がした。
「そこはきょう誕生日の私が優先だよね、羽依里?」
「やめとけ。スーちゃんがぶっ壊れて泣くのは鴎、お前の方だぞ」
「むぅ。羽依里おとーさんはいけずぅですなぁ」
「自分の子とそんな権利を取り合うんじゃない」
「なら私をおんぶ! そしたら前は空くからスーちゃん押せるでしょ?」
「お前なぁ……」
「おとーさんおかーさん、はやくー! みんなならんでるよーっ!」
「だってさ。まずは行こうか、鴎」
「うんっ。今日はめいっぱい楽しもうね、羽依里!」
伸ばされた手をとり、俺は、心に帆を張る。
そうさ、鴎。
お前と過ごしたあの夏は、もう決して、夢と消えたりはしないんだ。
当初は、原作鴎ルートの設定に沿って、ちょっとビターな感じに書いてましたが……お祝いの日に悲しい話は似合わないと思い直し、夢のある形にしてます。