なお、初出は2006年のお話なのですが、現世では果たして何人が読んでくれるんでしょう……w
閉じたまぶたを貫く、真夏の真っ白な光。
でも、瞳を刺激したのはほんの一瞬だった。たちまち暖かな闇が覆いかぶさり、僕をまた穏やかな心地に戻してくれる。
雪さんの、膝枕の上。
さしかけてくれた影は、彼女のシルエット。髪をくしけずっていく風は、この愛しい人の細い指先だ。
ふたりだけの、一日。
――きょうは何を、しようかな。
「ねえ、雪さん」
「なんですか、透矢さん」
「しりとり、しようよ」
「はい」
待っていましたとばかりに、雪さんが手を合わせる。
「それじゃ雪から行きますよ、ゆ、き」
「き、す」
ぱっと体を起こして雪さんの白い頬に、なめるような口づけをひとつ。
「もう、透矢さんたら……」
頬が染まっていく様子を見上げているだけで、今日がきてよかったなと心から思う。
なんて贅沢な一日なんだろう。
「雪さんの番だよ」
「はい」
唇が触れたところを、いつくしむようになでると、その手は下へ。
なでなで…。
僕の髪と顔をひとしきりなでると、雪さんはさらにその下……木の根元から何かを取り上げた。
「す、な」
さー。
僕にかからないよう、離れたところで落としたのだろう。
細かい砂の音だけが、僕の元には届いた。
すな。
おと。
なら、思いつくのは……。
「……なみ」
少しだけ、目を閉じる。
目を閉じると、草を渡る風の音は、潮騒のようだ。
草いきれは、さっきの砂の一振りで、白い浜辺の匂いへ変わっていく。
白い鳥が、青さの境へ向かって、飛んでいく。自分のつがいと、一緒に、どこまでも。
うみ。
すでに僕のからだは、波打ち際へと飛んでいた。
「っ……」
と、潮風に混じって、かすかにうめきが聞こえた。
顔にかかる雪さんの息が早くなっているのを感じる。僕に添えられた手のひらも、もう、うっすら汗がにじんで。
――そうだった、雪さんは、海が苦手だっけ。
なのにわざわざ、僕に付き合ってここまで来てくれて……。
ここは、ご主人様である僕が、少しでも早く彼女を救ってあげるべきだろう。
「みるく」
体を起こし、大きな赤いリボンの合間へ、頭をぽすんと落とす。
「透矢さん、雪の番でしたよ」
「待ちきれなくて言っちゃったよ」
言いながら、顔を左右に擦り付ける。
目の前のボタンを外せばもっといいんだろうけれど、それすらも不精したくなって。
僕は黒い生地の上からそれと思しき場所へ、吸い付いた。
「もう。雪のおっぱいからはミルクは出ないって、何度も言ってますのに」
「いいんだ、それでも」
吸い付きたい場所に当たりをつけ、舌でじんわり濡らしていく。
男には絶対に手に入れられない、二つのふくらみ。押し付けられた重みにさえ、弾んで、包み込んで、暖めてくれる。
邪魔な布切れの上からでも、どうしてこんなに気持ちいんだろう?
そんな僕の額に、雪さんは人差し指を当てると、めっと押して。
「く、ち」
ちょん。
持ち上げられた間抜けな顔の、節操なしの唇をつついた。
「残念」
「ふふ。雪ならいつでも好きな時に透矢さんにさしあげますけれど……でもいまは、もう少し続けませんか?」
言い出したのが僕なんだから、もっともな話だ。
「うん、続けよう。ち、だよね」
「ち、ですよ、透矢さん」
赤みがかった目に見つめられながら、僕は次の言葉を捜す。
チューインガム、チョコレート、ちりめんじゃこ、チーズ……。
食べ損なってしまった反動なのか、頭に浮かんでくるのは、食べ物ばかり。
我ながら、センスの無い頭の中身が、情けない。
ん?
いや、あったじゃないか今の言葉の中に。実に素敵なかたまりが。
「ちず」
その瞬間、ぶわっと、くすんだクリーム色の地図が現われる。
いちめんの野原のまん中に、大きな木がいっぽんだけ書かれている。
敷き詰められたユキノハナの真ん中に1本だけ樹が立つ、この世界の地図が。
「それなら……ずっく」
どこから取り出したのか、目の前にいる人の両手には、2人分のぴかぴかの靴。
「透矢さん、続きはお散歩しながらしませんか」
僕は散歩に誘われた犬のように立ち上がって、雪さんの手を取った。
空はさんさんと、夏の日差し。
あれだけ高い空から照らされていて、人並みに暑さも感じるのに、不思議と汗も出ないし、喉も渇かない。
雪さんの感覚って、なるほど、こんな感じだったんだ。
いつも、僕の面倒を見ることが楽しいって言ってくれる雪さんだけど。
いつでもこんな気持ちでいられたなら、確かにどれだけ人の世話をしたって、喜びいっぱいでいられるに違いない。
「く。くーる」
おっとっと。
あまり考えずに喋っていた僕は、しりとりを熱くなる方向に進めてしまった。
「……るびー」
ほらきた。
雪さんほどの人でも、このお約束への誘惑には逆らえないらしい。言いながら、先の展開を読んで苦笑している。
「じゃあ、雪さんも期待してるみたいだし……びーる」
「るう。カレールーの、るう」
「うーる」
「る。るあー」
「あーる」
「わ」とか「る」の応酬。
人間には、悪気は無くとも、ついやってしまう悪徳がある。
困った顔なんて見せられたら、どうしようかとおろおろしてしまうだろうに。それでも時折、そうせずにはおれなくなる。
それは、相手を愛しているから。どんな表情さえも、自分のものにしておきたいって考えてしまうからというのは、言いすぎだろうか?
「もう透矢さん、る、ばっかりで雪を困らせるつもりですね……るーと」
「とーる」
そうは言っていても。
……まったく、この人はずるい。
瀬能透矢が、最愛の人からこんな表情を向けられて、平然としてなんかいられないことを、わかりきってやるんだから。
「……ぐらす。とーるぐらす、雪さん」
何にも変えがたい、この笑顔が見たいってことを、わかりきって側にいるのだから。
「すとー、る」
「……」
「透矢さん、る、ですよ?」
まじりっけなし。まったく変わらない笑顔。
やっぱり、雪さんはずるい。
「やられたな。追い詰めて多分だけ、自分が辛くなっちゃったよ」
「雪は負けず嫌いなんですよ。このときばかりは、ご主人様が相手でも」
「なら、僕も覚悟しなきゃね。うーん、まだ、あったっけか……」
「ありますよ。ほら、こうやってコマのようにまわしながら……」
言いながら右手で蛇口を捻るようなしぐさ。
あわせて左で何かを投げ入れるようなしぐさをしてみせる。
「……るーれっと、か」
「ええ」
こんなやさしく、物知りなところまで、ずるい。
「……と。とーく」
「く、も」
「もうふ」
通る風が涼しくなってきたと思ったら、もう夕暮れだった。
僕の言葉でどこからとも無く現われた毛布。それに包まって、僕たちは遊び続ける。
オレンジ色の全く飾り気の無い一枚。もちろん、ふたりぴったり身を寄せ合って。
ふたりきりの家族で、ご主人様とメイドで、生涯の恋人同士の、僕と雪さんは、片時も、離れてはいけないから。
「……ふ、ゆ」
夜になると、また、真っ白い雪が舞った。
ちっとも寒くないのに、このかたまりだけはいつも不思議に冷たくて。いったい、どこからやってくるんだろうって考える。
ひとつも同じ形をしていない、天使の落とし物だと、雪さんから僕は教わった。
降るたびに生まれてくる、命たち。結晶になって落ちてきては、また空へと帰り、いつまでもこの世界を回り続ける。
白い花も、白い結晶も。
全部、僕の隣にいる、この人のために世界が作ってくれたもの。
世界? ううん、違う。
僕と雪さん二人だけなんだから、僕が作ったんじゃなければ、これを作ったのも……。
「……ゆきさん」
「あ、透矢さんの負けですよ」
「え?」
「ふゆ、ゆきさん。んがついたから、透矢さんの負けです」
「違うって。今は雪さんを呼んだだけだよ」
「ご主人様、負け惜しみはいけませんよ。勝ったからには、雪のお願い事、ひとつきいてもらいますからね」
「そんな約束したっけか?」
「……」
「わかった。雪さんのしたいことって、何?」
「ふふ、透矢さんの大きな腕で、雪を後ろからすっぽり包んで欲しいんです」
ちょっと胸をなでおろしながら、僕は雪さんの後ろに回りこんだ。
樹を背にして、座りこんで足を広げ……。
……一日見続けた顔が見えなくなった不安を打ち消すように、急に強く、強く抱きしめた。
「きゃ」
ぱりっとして、少し堅めなメイド服の生地の感触が、回した腕に伝わる。
僕にいっぺんの心の曇りも無く仕えてくれる、愛する人のしるし。
そこからは、触れられそうなやわらかさの雪さんの匂いがする。
「ごめんね、驚かせちゃって」
「どうしたんです、透矢さん」
「怖くなっちゃって。雪さんの顔が、ちょっとでも見えなくなっちゃったことが」
「大丈夫ですよ、透矢さん」
雪さんは、抱きしめた僕の手を抱きかかえる。
「雪は……雪はもう、瀬能雪ですから」
ああ、やっぱり――もうなにもいらない。
この人しか、いらない。
何度だって、思おう。
雪さんが僕だけのために生きるように、僕はこの人のためだけに、生きていこう、って。
「……雪さん」
「なんですか、透矢さん」
「もういっかい……しようか?」
「ええ」
そしてまたキスから、僕と雪さんは再び営みを始める。
ふたりだけのこの世界で。
それは、ある晴れた日の、マヨイガ。
※コンセプトは「お前らいちゃつくならどっか行ってやってくれ」「じゃマヨイガで」(爆)