20XX年 8月 銀座事件当日
空気はまだ硝煙と血の匂いに満ちていた。
銀座の街並みはかつての華やかさを失い、瓦礫と悲鳴の残響が漂う戦場と化していた。
陸上自衛隊のとある一小隊は、帝国軍の侵攻を食い止めた後、捕らえた敵兵の一部を警察に引き渡すまでの間監視する任務に就いていた。隊員たちは疲弊し、言葉少なに命令を遂行していたが、その中でも一人の自衛官——佐藤1等陸士の瞳には、抑えきれぬ感情が渦巻いていた。
佐藤はまだ22歳の若手だった。訓練では優秀だったが、今回の銀座事件が初めての大きな実戦だった。(無論これは他の隊員にも言える話ではあるが)
出動命令が下った後、道中で彼らが見た光景はあまりにも残酷だった。
帝国兵に蹂躙され、命を奪われた民間人たちの無残な姿。
斧で頭をかち割られたサラリーマン、首を刎ねられ団子のように槍で串刺しにされ晒された若いカップル、手を繋いだまま焼け死んだ夫婦と思しき焼死体。血痕だけが残された乳母車。
なかでも、路傍に横たわる一人の女子高生の遺体が彼の心を抉った。制服は引き裂かれ、血と泥にまみれた柔らかな肌が曝されていた。
恐らくまだ生きてる間に帝国兵に辱められた挙句、殺されてしまったのだろう。
その顔はまだ幼さを残し、とても可愛らしい少女だった。
彼女の手には小さなキーホルダー——
ハート型のチャームが握られていた。きっと両親から深い愛情を注がれ育ったのだろう。そのささやかな持ち物が、彼女がどれほど大切にされていたかを物語っていた。
若い彼女には未来があったはずだ。家族と笑い合い、友と語り合い、そして恋を知る人生が。
それが彼の目の前にいる『ゴミども』によって、永遠に奪われてしまったのだ。
それにもかかわらずこいつらはきっとこの後政府の意向によって『捕虜』として扱われる。
『人道』の名の下に、暖かい食事と安眠できる寝床が与えられ、死の心配のない環境に置かれるのだろう。
佐藤には、そのあまりにも理不尽すぎる現実を受け入れる事が出来なかった。
監視場所は、銀座近くの工事現場だった。新しい高層ビルが建設されるこの予定地には、コンクリートの柱が無造作に立ち並び、資材が散乱していた。スペースを確保するには十分で、捕虜となった帝国兵たちは地面に座らされていた。鎧で固めた彼らの異世界の装束が瓦礫の中で妙に場違いに見えた。佐藤は小銃を握り、じっと彼らを見つめていた。怒りが胸の奥で燃え上がり、若さゆえの衝動が理性の糸を焼き切らんばかりだった。
その時、彼の目の前に座っていた一人の帝国兵が血と埃にまみれた顔を上げた。若い男だった。
「なに見てんだ貴様・・・」
思わず佐藤が出した声、それはとても静かだが、とてつもない殺意のこもった声だった。
帝国兵は震えたままだったが、やがてニタリとぎこちなく笑みを浮かべる。おそらく命乞いの愛想笑いのつもりだったのだろうか、自分達が大勢の無抵抗な弱者を嬲り殺しにしたという罪悪感のカケラもないゲスな笑顔。
それを見た瞬間、佐藤の脳裏にフラッシュバックが襲った。あの女子高生の遺体。彼女の虚ろな瞳。
この後彼女の亡骸と対面した両親は、愛娘の名を叫びながら大声で嘆き悲しむことになるだろう。
あの子はきっと恐怖の中で泣き叫びながらも、必死に助けを呼んでいたのかもしれない。
彼女を無理やり犯し、殺したのはこいつらだ。こいつらの仲間だ。こいつらが——。
その時、佐藤の中で何かが切れた。
『貴様らが…!!!』
次の瞬間、彼の手は小銃のセレクターをフルオートに切り替えていた。
「佐藤!?よせ!!」
共に監視していたもう一人の同僚が佐藤を制止するもすでに遅かった。
佐藤の雄叫と共に乾いた銃声が工事現場に響き渡り、捕虜たちの体が次々と跳ね、血飛沫がコンクリートの地面を染めた。
やがて弾倉が空になるが佐藤はそれでもなお引き金を引き続ける。空撃ちの乾いた音が虚しく響いた。
「佐藤!? なにやってるんだよ!?やめろ佐藤! やめるんだ!!」
仲間たちが駆け寄り、彼を後ろから押さえつけ小銃を取り上げた。
混乱の中小隊長が素早く前に出て、力を込めて佐藤の顔面を殴りつけ、そしてその胸倉を掴んだ。
「おい佐藤!!貴様・・・貴様自分が一体何をやらかしたか解って……!」
怒りに震える声で言いかけた隊長は、佐藤の顔を見て言葉を止めた。
そこには、涙でぐしゃぐしゃになった表情があった。目からは止めどなく涙が溢れ、鼻水が混じり、怒りと悲しみが剥き出しになったその顔は歪んでいた。
「佐藤、お前…」
隊長はその姿に一瞬言葉を失い、思わず手を離した。佐藤は力尽きたように膝をつき、嗚咽と共に叫びが溢れ出した。
「やつらが、やつらが・・・みんな殺したんだ! みんなを・・・あの子も!!」
両手で顔を覆い、俯いて大声で泣く佐藤。
若さゆえの正義感と無力感が、彼を衝動的な狂気に駆り立てたのだ。
その後、この一件は上層部に報告された。当然こんな事は表沙汰にはできない。
後の公式記録にはこう記されている。
『監視中の"逮捕者"の内の1名が隠し持っていた刃物で監視に当たっていた隊員に襲い掛かったため、反射的に発砲。襲撃を企てた当該一名を含めた"逮捕者"7名は全員死亡。当該隊員は襲撃を受けた事による精神的ストレスにより職務継続不能と判断、現在療養中』
そしてあの時そこに居合わせた自衛官全員に箝口令が敷かれた。
真相は闇に葬られることになったのだ。
だが同僚も上官もわかっていた。何が佐藤に引き金を引かせたのかを。
あの戦場で見たもの、あの怒り、あの絶望は一人の優しかった青年の心を壊すのには十分すぎた。
あの時一歩間違えれば自分たちだって同じことをしていたのかもしれない、そんな恐れを自らに抱いていた彼らには誰も佐藤を糾弾する事など出来なかった。
後日
佐藤は今、静かな療養施設にいる。窓の外を見つめながら、彼は時折あの少女の笑顔を想像する。彼女が生きていれば見せたかもしれない笑顔を。そして、静かに拳を握り潰すのだ。まだ若く、未熟な彼にとって、あの事件は心に消えない傷を残していた。
ある日、施設の共用室でテレビが点いていた。ニュースはアルヌスの丘での攻防戦を報じていた。銀座事件の直後、異世界の門を越えて進出した自衛隊が陣取った丘を、帝国に従属する衛星国家が攻めようとした初期の戦闘。敵は剣と槍、馬で武装した中世的な軍勢だったが、当然のことながら自衛隊の近代兵器——機関銃、戦車、榴弾砲——にはまるで歯が立たず、壊滅的な打撃を受けた。
周囲の療養者やスタッフは「やったぞ!」「ざまあみろ!」と戦勝ムードに沸いていた。
だが、佐藤の表情はうつろなままだった。焦点の定まらない瞳で画面を見つめ、彼は心の中で呟いた。
「まだだ、まだ足りない」
あの日見た銀座の凄惨な光景や少女の遺体が脳裏にちらつき、そして彼自身の手で地獄へ送ってやった帝国兵の汚い笑みが重なる。近代兵器でどれだけ敵を倒そうと、佐藤にとっては「あの娘を殺したやつら」がまだのうのうと生きているように感じられた。あの日の怒りと憎しみは消えず、彼の眼光は衰えるどころか、静かな炎を宿したままだった。そして、最後にぼそっと呟いた。
「皆殺しだ、ひとり残らず」
(3月24日追記)ひょっとしたらスピンオフで、JKが助かった世界線のエピソードも書くかもしれません