その中に“アムロ・レイ”という少年がいるという実感は、神谷悠にとってあまりにも現実離れしていた。
だが、目の前で交錯する閃光と沈黙の中で、否応なく“命の消える音”を感じ取っていく――
静かに臨界へ向かう想いの、その先へ。
艦内に再び警報が鳴り響いたのは、艦橋当直が交代して間もない時間だった。
緊張の糸が緩みかけたその隙を、ジオンは逃さなかった。
「前方に敵艦発見! 距離、急速に接近中!」
ブリッジ内の空気が一瞬で張り詰める。ミライが操舵に身を乗り出し、ブライトは即座に指示を飛ばした。
「各部署、戦闘配置! 全モビルスーツ、発進準備!」
索敵補助席に着いた神谷悠は、咄嗟にコンソールに指を走らせた。
隣で状況報告を読み上げるフラウの声が、どこか震えて聞こえたのは、錯覚ではなかった。
「赤マーカー確認。敵MS、三機……機種不明!」
「これ以上、追いつかせるな……!」
ブライトの声が響く。彼の目は鋭く、だがその奥には焦りと責任が同居していた。
「アムロ、出られるか!」
《出ます。すぐ行きます》
無線越しのアムロの声は、落ち着いているようで、やはりどこか硬い。
まるで“平常”を演じているような声色だった。
格納庫カメラに映るガンダムのハンガー移動――
それを、神谷は目を逸らせずに見つめた。
(……“これ”が、あの人が乗って戦うモビルスーツ)
機械が動いているはずなのに、そこに“人が入っている”ことを想像すると、胃の奥が冷たくなる。
あの中で、誰かが息をして、戦って、そして――殺している。
神谷は思い出す。
「怖くない」と言ったアムロの言葉の裏側には、きっと“見えていないもの”がある。
だからこそ、その背中が、何よりも恐ろしかった。
「発進準備完了。ガンダム、カタパルトへ」
《了解》
スピーカー越しに響いたその短い返答の直後、ガンダムが重力を感じさせない速度で発進する。
機体が宇宙に解き放たれる瞬間、ブリッジ内の誰もが無言になった。
……空気が凍ったようだった。
艦の振動すら遠ざかり、モニターの向こうで加速する機体の軌跡だけが、残像のように残る。
神谷は、震えていた。
目に見えてではない。指先も声も静かに動いている。だが、内側が、凍りついたように震えていた。
(あの中に、人が……アムロが、入ってる)
当たり前のことのはずなのに、それを“今この目で見た”瞬間、現実が牙を剥いて迫ってきた。
(あんなもんが、人を殺すんや……人が、人を)
神谷は、モニターに映る敵影にも目をやった。
赤く点滅する反応。無機質な識別記号。そこに“顔”はない。“名前”も、“命”も、見えない。
それでも、間違いなく“誰か”が乗っている。
あの向こうには、アムロと同じように操縦桿を握っている人間がいて、
アムロは、それを今から撃つ。斬る。壊す。
そして――殺す。
(わかってへんのや、アムロは……)
目の前で聞いた。
「怖いって、何が?」と、彼は言った。
それは、殺すことへの実感が、彼の中にまだ“ない”証だった。
(けど、殺してるんや。知らんままに、平気な顔で)
そのことが、恐ろしかった。
アムロが化け物だと言いたいわけじゃない。
ただ――“気づかないまま人を殺してしまえる”という事実そのものが、ぞっとするほど現実だった。
自分も、いずれそこに立つのだろうか?
コクピットに乗り、敵を狙い、トリガーを引く日が来るのだろうか?
その時、自分は“殺した”と気づけるのか――
それとも、自分もまた、気づかずに誰かを“消す”だけになるのか。
「……」
神谷は視線を落とし、震える両手をそっと膝に重ねた。
ブリッジの中に戻った静寂が、彼の胸の内だけを激しく揺らしていた。
「ガンダム、敵機と交戦開始。交戦距離、近距離に移行」
通信士の声が緊張を帯びて響く。モニターには、交差する赤と青の光点が明滅していた。
神谷悠は索敵補助の端末に向き合いながら、その様子を必死に目で追っていた。
アムロのモニター視界が一部中継されている。
その映像には、ザクと思しき機体がフレームの端をかすめ、すぐにビームが閃く。
爆発。破片。何かが、弾けて消える。
神谷の心臓が一瞬だけ跳ねた。
「……撃ったんか。ほんまに、撃ったんか……」
無意識に呟いていた。
画面の中に“人間”はいない。血も叫び声もない。
だが確かに、“何かが”終わった。
《敵機一機、撃破……もう一機……!》
アムロの声は落ち着いていた。まるでゲームの実況のように、機械的に状況を報告していた。
だが、神谷にはわかった。
その声の奥には、必死に“何も考えまいとする”気配があった。
(考えたら、止まるから――)
以前アムロがそう言っていたのを、神谷は思い出す。
「怖いのは、アムロがそのことに気づく日かもしれないね」
フラウの低い声が、すぐ隣から届いた。
彼女はモニターから目を逸らさずに、まるで独り言のように続けた。
「今は、きっと“敵”っていう記号を撃ってるだけ。でも、いつか――」
その言葉の続きを、神谷は口にしなかった。
かわりに、神谷は自分の心臓の音を感じていた。
ドク、ドク、と、耳の奥に響いていた。
“誰も死んでいないような戦場”のなかで、自分だけが“生きてる”と気づかされるような鼓動。
(……俺も、あそこに出たら、“同じようになる”んやろか)
見えないものを、見えないまま殺す。
それが“普通”になっていく。
そんな場所に、自分はこれから足を踏み入れるのだ。
神谷は無意識に、自分の手を膝の上でぎゅっと握った。
その手が、いつか“トリガーを引く”ためのものになるのかと思うと、
今はまだ、血が引くような冷たさしかなかった。
「ガンダム、第二波との交戦に入ります!」
通信士の報告が重く響き、ホワイトベースのブリッジ内は再びざわめきに包まれた。
モニターには、新たに現れた複数の反応が接近する軌跡を描いている。
「敵、3機編隊。ガンダム、包囲されかけています!」
ブライトは即座に指示を飛ばす。
「ミライ、航路変更。できるだけ地球重力圏へ近づけ! 降下タイミングを逃すな!」
「了解、推力調整に入ります!」
艦全体が小さく震えた。
ジオン艦からの攻撃が船体の近くで炸裂し、振動が装甲越しにブリッジを揺らす。
「うっ……!」
咄嗟にコンソールに手をついて体を支えた神谷は、歯を食いしばった。
その揺れの中に、ほんのかすかな“重力の歪み”を感じる。
地球が近い。大気圏突入が目前に迫っている。
それは、目に見える変化ではなかったが――体が、肌が、耳の奥が、その変化を敏感に察知していた。
(ほんまに……降りていくんやな、俺ら)
自分の意思で“地球に行く”のではない。
この艦は、戦争という流れに押し流されて、ただ“落ちていく”のだ。
アムロのモニターが再び切り替わる。
ガンダムがスラスターを吹かしてザクの攻撃をかわし、空間を駆けるように旋回する。
機体の動きは洗練されていた。
怖いほどに――正確で、そして“美しかった”。
けれど、その美しさの裏に、確かに“誰かの命”が潰されていた。
「これが……戦争、なんか」
呟いた神谷の声は、誰にも届かなかった。
それでも、自分の中で臨界点が近づいているのを感じていた。
今までは、見ているだけだった。
けれど、このままでは、自分も“その中に”入っていく。
その事実が、神谷の心の奥を、じわじわと焦がし始めていた。
艦内がわずかに重くなる。
ブリッジの壁やコンソールの端々が、じんわりと“地球の引力”を感じさせ始めていた。
「大気圏突入まで、あと一分!」
通信士の声に、全員の意識がモニターへ集中する。
アムロのガンダムは既に先行し、推力とシールドを使って降下準備に入っていた。
《ブースター分離、シールド展開。降下モードに移行》
アムロの声は、まるで“作業”をしているかのように落ち着いていた。
けれど神谷の目には、その沈黙の中に無数の“叫び”が潜んでいるように思えた。
「……なあ、アムロ。ほんまに、落ちてくんやな……あんたも、俺らも」
神谷は、端末に向き直り、グラフィック化された地球の青を見つめた。
かつて“知っていた”地球とは違う。
けれど、それでも何かが――胸の奥の何かが、強く引かれていくのを感じていた。
「艦姿勢、安定しています。突入コース、問題なし!」
ミライの声が鋭く響く。艦が小さく振動した。
外壁にうっすらと熱が走るような感覚が伝わってくる。
「このまま……降りて、いくんですね」
フラウが小さく呟いたその声が、神谷の胸の中に染み込んだ。
“降下”――それは、ただの航路の変化ではない。
この艦が、乗員たちが、戦争という現実へ“本格的に入っていく”ということだった。
そのとき、神谷はふと振り返り、整備区画の方向を見やった。
(ジム……)
白く無骨な量産機――だが、自分が初めて“兵器の中にいた”という感覚を知った場所。
あの機体の中にもう一度座ったら、自分は――
(俺も、あそこに立ちたいんや。立って、目ぇそらさずに、生きたいんや)
それは、決意というにはあまりに細く、かすかなものだった。
けれど、確かに、心の奥から生まれた願いだった。
外の空間が灼ける。
船体が熱に包まれ、視界に赤い光が走る。
ホワイトベースと、神谷悠を乗せたこの艦は――
今まさに、“空の向こう側”へと堕ちていこうとしていた。
見えない敵、見えない死。
ガンダムの戦いを“観測する者”として見つめていた神谷の中で、言葉にならない何かが確かに動き始めました。
彼が感じた違和感、恐怖、焦燥は、そのまま“人が兵器を操る”という矛盾の象徴でもあります。
次に彼が見る地球は、もう“知っていた場所”ではない――。
【次回予告】
降下完了。地上へ。
だが、そこに待ち受けていたのは、“歓迎”ではなく“追撃”だった。
降り立った地で、神谷は再びアムロの背中を見る。
そして、その戦場の只中で、自らもひとつの選択を迫られていく。
次回、『空を這う影(原作:黒い三連星・前編)』――
新たな戦いの火蓋が、地上で切られる。