翌日。アビドスの焼け付くような日差しが、ひび割れたアスファルトを容赦なく照らしつけていた。
セリカはいつも通りの制服姿に、実用性だけを重視した大きめのバッグを肩にかけ、駅へと続く一本道を早足で歩いていた。昨日の今日だ。あの規格外の「先生」と名乗る青年――エルキドゥのことが、どうしても頭から離れない。
「なんなのよ、もう……。神様に作られた兵器だか何だか知らないけど、あんな胡散臭い人、簡単に信じられるわけないじゃない……」
ブツブツと文句を溢しながら角を曲がった、その瞬間だった。
「やあ、おはよう、セリカ。奇遇だね」
「ひゃあっ!?」
セリカが声の方を見ると目の前の街灯の上に、エルキドゥが立っていた。風もないのに、その美しい長い髪がさらりと揺れる。
セリカは思い切り飛び退き、目を見開く。
「な、ななな、何でここにいるのよ!? というか、どんなところに立ってるの!?」
「こんな朝早くからどこへ行くんだい? 今日は学校へ行く日ではないのかい?」
エルキドゥはセリカのツッコミをスルーしながら街灯を飛び降り、音もなくセリカの前に着地すると、小首を傾げ、純粋な疑問を投げかける。その曇りのない瞳が、セリカにはどうにも調子を狂わされる原因だった。セリカはツンと顔を背け、フンと鼻を鳴らす。
「ふん、今日は自由登校の日よ! 学校に行かなくてもいいの! それに……私がどこに行こうが、何をしに行こうが、先生にはいっっさい関係ないでしょ!」
まくしたてるように言い放つと、セリカはエルキドゥの横をすり抜け、さらに足早に歩き出した。
「関わらないで」という明確な拒絶。普通の大人であれば、ここで引き下がるか、あるいは少し困った顔をするはずだった。
だが、エルキドゥは普通の人間ではない。
彼にとって「生徒が一人で無理をしている」という事実こそが重要であり、その頑なな態度すらも、守るべき愛おしい人間の営みの一部だったのだ。
「なるほど、関係ない、か。でも、放っておくわけにはいかないからね」
エルキドゥは小さく呟くと、音もなく彼女の追跡を開始した。
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セリカは数分後背後に気配を感じ、一度振り返った。
(……あれ? いない。諦めて帰ったのかしら)
少しだけホッとして、再び前を向いて歩き出す。シャッターが下りた商店街を通り抜けようとした、その時だった。
「……セリカ、水分補給はこまめにした方がいいよ。砂漠の風は水分を奪うからね」
「うわあああ!?」
声がしたのは、すぐ横の古いコンクリートの壁からだった。
よく見ると、壁の質感や色に完全に溶け込むようにして、エルキドゥが立っていた。衣服の繊維から肌の質感まで、周囲の背景に見事に同化していたのだ。セリカが驚愕の声を上げると、その擬態がスルスルと解け、元の美しい青年の姿に戻る。
「な、ななな、何それ!? 壁に化けてたの!? 忍者か何かなの!?」
「いや、大地の泥で構成された僕の体は、周囲の自然環境に同化するくらいは造作もないことなんだ。気配を消すにはこれが一番効率が良くてね」
「効率とかそういう問題じゃないわよ! ストーカー!! 変質者!!」
セリカの怒号が響き渡る。彼女は顔を真っ赤にして、今度は猛ダッシュで走り出した。これなら付いてこられないだろう、そう踏んだのだ。
だが、エルキドゥの「追跡」はセリカの想像の斜め上をいっていた。
ダッシュして数分、息を切らせて立ち止まったセリカに影がさし、セリカが上空を見上げると――そこには、重力を完全に無視して、地上から数メートルの高さをふわりと浮遊しながら、優雅に付いてくるエルキドゥの姿があった。
「走ると余計に体力を消耗するよ。目的地があるなら、僕が抱えて飛んでいこうか?」
上空から降ってきたあまりにも的外れで親切な提案に、セリカの堪忍袋の緒が完全にぶち切れた。
「上を飛ぶなーーーーーー!!! 怒るのを通り越して、もう意味が分からないわよ!!」
地面を強く踏み鳴らし、セリカは髪を逆立てんばかりの勢いでエルキドゥを指差した。
「壁に混ざるな! 空を飛ぶな! 普通に歩け!! というか、追ってくるなーーーー!!」
顔を真っ赤にして走り去るセリカを見て、エルキドゥは宙に浮いたまま、困ったように眉を下げて「おや、また怒らせてしまったね……」と頬を掻くのだった。
ーーーーーー
「・・・・と、いうことがあったんだ」
「いや〜先生?それはセリカちゃんじゃなくても、逃げちゃうんじゃないかなぁ〜〜」
対策委員会の部室。経緯を説明したエルキドゥにホシノはソファに深く腰掛け、クジラのクッションを抱きかかえながら、のんびりとした調子で苦笑いを浮かべた。
エルキドゥの常識外れな追跡劇を聞かされていた他のメンバーも、それぞれの反応を示している。
「……それは、客観的に見て不審者、あるいはストーカーの挙動」
シロコ淡々と感想を述べ、アヤネもメガネを押し上げながら深くため息をついた。
「そうです。セリカちゃんは人一倍警戒心が強いんですから、そんな風に追いかけ回したら逆効果ですよ、先生」
「そうかい? 彼女が一人で何かを背負い込んでいるように見えたから、手助けをと思ったのだけれど……人間の感情を推し量るのは、やはりまだ少し難しいね」
エルキドゥは困ったように微笑みながら、自らの美しい緑の髪を指先で弄った。
「まぁまぁ、先生もセリカちゃんのことが心配だったんですよね?」
ノノミが優しくフォローを入れる中、エルキドゥは本題を切り出す。
「ところで、彼女はあの後、どこへ向かったか心当たりはないかい? 学校ではないと言っていたけれど」
ホシノはパチパチと瞬きをすると、少しだけ視線を泳がせてから、悪戯っぽく笑った。
「ん〜、セリカちゃんが平日の昼間から行く場所、しかも制服のまま大きめのバッグを持って、となると……あそこしかないよねぇ。ほら、都市部の端っこにある、あのお店だよ」
「お店?」
「はい。セリカちゃん、実はアルバイトをしてるんです。アビドスの借金を少しでも返すために、一生懸命働いてるんですよ」
アヤネが教えると、シロコが言葉を継いだ。
「『柴関ラーメン』。セリカの現在のバイト先。あそこのラーメンは美味しい」
「せっかくですし、今からみんなで食べに行きませんか?」
「おお、いいね。セリカちゃんのバイト代に貢献しに行こうか〜」
「うん、ではみんなで行こうか
エルキドゥは嬉しそうに微笑むと、今度は壁に溶け込むことも空を飛ぶこともなく、ごく普通に部室のドアを開けて歩いて行った。
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アビドス自治区の片隅、寂れた都市部の中で、ぽつんと暖簾を掲げている「柴関ラーメン」。
「いらっしゃいませー!」
厨房から響く威勢の良い声。そこには、エプロンと三角巾を身につけ、額に汗を浮かべながらテキパキと働くセリカの姿があった。
お昼時を過ぎ、客足も落ち着いた店内で、セリカはふぅと息を吐いて一息つく。
(……流石にあの変質者先生も、ここまで追っては来ないわよね。本当に何なのよ一体……)
今朝の怒涛のやり取りを思い出して、未だに少し顔が熱くなる。
その時、店の入り口の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。
「いらっしゃい……って、げぇっ!?」
セリカは持っていたダスターを落としそうになった。
暖簾をくぐって入ってきたのは、白い衣服をまとった、この世の者とは思えないほど美しい青年――エルキドゥだった。
「やあ、セリカ。今度は普通に歩いてやってきたよ。ここが君のもう一つの戦場というわけだね」
エルキドゥは店の雰囲気を珍しそうに見回し、その後ろからホシノ達が入店してくる。
「セリカちゃ〜ん、五人のお客さんが入店だよ〜案内よろしくね〜」
「な、ななな……なんで先輩達までここに来るのよーっ!?」
セリカの絶叫が、こぢんまりとした「柴関ラーメン」の店内に響き渡った。
「えへへ、セリカちゃんのバイト姿を見に来ちゃいました~」
「セリカ、ラーメン一杯。チャーシュー多めで」
「こら、シロコちゃん、ちゃんと注文の順番を待ちましょうね。……セリカちゃん、お仕事お疲れ様です」
ノノミが楽しそうに手を振り、シロコは当然のようにテーブル席へ直行し、アヤネが苦笑しながらフォローを入れる。
そしてホシノは「うへ~、やっぱりお店の中は涼しくて最高だねぇ」と、テーブル席のソファーにふにゃりと体を預けていた。
そんな賑やかな面々の中で、エルキドゥは一人、興味深そうに店内をくまなく見回している。
木製のカウンター、煮込まれたスープから立ち上る湯気、そして壁に貼られた手書きのメニュー。
「ふむ……『バイト』というものは話には聞いていたけれど、実際に見るのは初めてだな。自分の時間を差し出して対価を得る……人間らしい、とても健気で素晴らしい営みだね」
「なっ……! 変な言い方しないでよ! 借金返すために働いてるだけなんだから!」
顔を真っ赤にしたセリカは、ズカズカとエルキドゥに詰め寄ると、その胸元を指差した。
「というか! なんでアンタまで一緒になって入ってきてるのよ! 普通に歩いてきたからって許されると思ったら大間違いなんだからね!」
「おや、ダメだったかい? 追跡するのではなく、客として君の店を訪れるのは問題ないと思ったのだけれど……」
エルキドゥは困ったように首を傾げ、その澄んだ瞳でじっとセリカを見つめた。
その純粋すぎる視線に毒気を抜かれたのか、セリカは「うぐっ……」と言葉を詰まらせ、悔しそうに髪を掻きむしる。
「くっ……! お客さんとして来られたら、追い返せないじゃないのよ……!」
「へい、いらっしゃい! 対策委員会のみんなじゃないか!」
厨房の奥から、丼を手にした柴犬の店主――柴大将が顔を出した。
「セリカちゃん、そんなとこで立ち話してないで、お客様をご案内しなきゃダメだぞ。……おや、そちらの男前さんは初めて見る顔だな?」
「あ、大将! こいつは……じゃなくて、この人は……」
セリカが説明に迷っていると、エルキドゥは優しく微笑み、すっと頭を下げた。
「初めまして、大将。僕はエルキドゥ。彼女たちの『先生』として、ここへ着任した者だよ。素晴らしい香りのスープだね、大地の恵みが凝縮されているのがよく分かる」
「おお! 先生さんかい! いやあ、話には聞いてたが、風流で礼儀正しいお兄さんだな! ささ、空いてるテーブル席へどうぞ!」
大将の機嫌の良さに、セリカは「大将まであっさり毒されてるし……」と肩を落とした。
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全員がテーブル席につき、それぞれ注文を済ませる。
エルキドゥは運ばれてきた「特製醤油ラーメン」をじっと見つめていた。湯気とともに漂う濃厚な香りに、その美しい瞳を無自覚に輝かせている。
「これが『ラーメン』か……。水と麦、そして動物と野菜の命を煮詰めたスープ……まさに人間の知恵の結晶だね」
「うへ~、先生、講釈垂れてると麺が伸びちゃうよ~? いただきます」
ホシノが麺をすすると、他のメンバーも一斉に箸を動かし始めた。
エルキドゥも倣って箸を取り、器用に麺を持ち上げて口に運ぶ。
「……! ほう……これは素晴らしいね。体の奥底から力が湧いてくるようだ。なるほど、君たちがこれを好む理由が分かったよ」
「……ふん、当たり前でしょ。うちの大将のラーメンは一級品なんだから」
トレイを持って横に立っていたセリカは、エルキドゥが心底美味しそうに食べているのを見て、少しだけ誇らしげに胸を張った。だが、すぐに咳払いをして表情を引き締める。
「……言っておくけど、ラーメンを食べ終わったらサッサと帰ってよね。私、まだシフト残ってるんだから」
「もちろん、邪魔をするつもりはないよ」
エルキドゥは箸を置き、まっすぐセリカを見上げた。
「ただ……セリカ。君がこの街のために、そして仲間のために一人で泥を被り、こうして努力している姿は、とても気高く、美しいと思う」
「なっ……!?」
唐突でストレートな称賛に、セリカの顔が瞬時にゆでダコのように真っ赤になる。
「な、何言っちゃってんのよバカ!! 恥ずかしいこと堂々と言わないでよっ!」
「おや、事実を口にしただけなのだが……また怒らせてしまったかい?」
「怒るわよ! もう、変質者! ストーカー! 天然たらし!!」
セリカはパタパタと顔を扇ぎながら、逃げるように厨房へと引っ込んでしまった。
その様子を見ていたホシノたちが、ニヤニヤと楽しそうに笑っている。
「いやぁ~、セリカちゃん、完全にペース乱されっぱなしだねぇ」
「ふふ、でも……先生が来てくれてから、セリカちゃんもどこか楽しそうです」
「ん。ツンデレ」
「ツンデレ……? それはどういう意味かい、シロコ?」
エルキドゥが首をかしげると、アヤネが「気にしなくていいですよ、先生」と苦笑いした。
窓の外では、アビドスの厳しい日差しが相変わらず砂漠を照らし続けていたが、店内に流れる空気は、どこか温かく、賑やかな熱気に包まれていた。
「さて、スープも最後まで頂こうか。セリカが働くこの店の味を、僕の体に刻み込むためにね」
エルキドゥは嬉しそうに微笑みながら、再び丼を持ち上げるのだった。
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