にぼし蔵さん、誤字報告ありがとうございます。
自治立高校トリニティ総合学園、その正門前に数人の従者を控えさせた少女が立っていた。
「椅子を用意させましょうか?」
「いいえ、お構い無く。何時間もかけて態々ゲヘナから来てくださるお客様を待つのに、私が数分間も待てずに座っていては心象も良くないでしょう」
白が基調となっているトリニティにおいて唯一黒の制服を着用する治安維持部隊……『正義実現委員会』の剣先ツルギの言葉を軽く流した少女、桐藤ナギサは正門から真っ直ぐに続く道路を眺めた。
「それよりも、貴女も……今は良いですが、せめて初対面くらいはきちんと姿勢を正して下さいね」
「……はい」
普段は常在戦場の心構えかあるいは新調する金が惜しいか、実戦によって汚れほつれた制服を常用しているツルギだが、今はキチンとアイロンを掛けられノリの効いた制服を窮屈そうに着ている。
その背筋は普段から猫のように丸まってしまっているが、ナギサの柔らかな叱咤にそれをピシッと伸ばし……そしてまた数秒後にはくにゃんと丸まってしまった。
それを横目で見て掠れるような溜息を吐いたナギサ。その溜息を敏感に感じ取って再び背筋に力を込めたツルギには視線をやらず、自身の背後の建物に目を向ける。
トリニティ学園本校舎、そのテラスにある一角……トリニティ総合学園の生徒会たるティーパーティーの会合のためにある三人掛けのテーブル。
テラスからは下を見られるが、
「……」
その頭部の主も、そこを普段から使っているのだからどこの席に座れば相手に見えて、どこに座れば見えないのかは良く知っている。
つまり、今そこにいるのは観察ではなく威嚇だろうか。幼い頃から見知った少女の一挙手一投足に穿った見方をしなければならない事を憂いて、ナギサは二度溜息を吐く。
その溜息を聞いて三度緩んでいた背筋を正したツルギの耳元に取り付けられたインカムから、『客人』の到着が知らせられた。
「あと数分で到着とのことです」
「分かりました。皆さんも、トリニティの名に恥じない態度を心がけて下さいね」
ナギサとツルギの背後に控える十人ほどの生徒からの返事はピタリと統一されたもの。
そこから客人の到着まで、ツルギの背筋が緩むことは一度とて無かった。
鏡面のようになるまで磨き抜かれた、水垢の一つさえ存在しない黒いボディに、陽光を受けて光り輝く各所のメッキ。
大きすぎるエンジンルームで作られる暴力的な馬力は、僅かな揺れも無くホワイトリボンのタイヤを回す。
ゲヘナのアホどもが運転しているとは思えない程にゆったりとしたスピードで正義実現委員会の運転するバイクに護送されてきたそのリムジンは、ウィンカーを焚いて一度大通りの端に寄り、そこからタイヤを大きく回し、丁度ナギサの五メートル程手前にその側面を晒すように停車した。
一切の切り返しを行わない完璧な停車を決めたリムジンの運転席から降り立ったのは、長い黒髪をシニヨンに纏めたメイド。
キヴォトスにおいて普段着にするにはナンセンスともされるような*1、全く戦闘向きではない長くゆったりとしたスリットすらも無い踝丈のスカートに、シミ一つ無い純白のエプロン。
先端にかけて赤くなる二本の大角に、アンダーリムの眼鏡を掛けた彼女の腰にはトリニティ人とは違う皮膜の羽根が巻き付いており……更に、その中心、尾骶骨の辺りからは見る限りナギサの太腿と同サイズの太さがある尻尾が揺れていた。
トリニティ人とは全く違う、ゲヘナ学園の特徴を色濃く持つメイド。
しかしそんな彼女は、世間一般的なゲヘナ人のイメージとは全く違う瀟洒な立ち振る舞いでナギサ達に一つ礼をした後、リムジンのドアを恭しく開いた。
そこからでてきたのは、小柄な少女。
その少女を見た瞬間……その少女に見られた瞬間、その場に居たナギサ以下全てのトリニティ生徒に脳幹から脊椎全てを貫通するような電流が迸った。
背後から息を呑んだり悲鳴を押し殺すような微かな音が響く中、ナギサは己の背筋に溢れ出す冷や汗を感じながらも笑顔を崩さない事に腐心した。
(……これが『あの』、ゲヘナ学園風紀委員長。噂に違わぬ、と言いたいところですが……やはり噂など宛てにできませんね)
キヴォトス人は人によって翼があったり無かったりと個々の差異が大きい為、多くの学園では校章等重要部以外の制服の全面改造が認められている。
恐らくはゲヘナもそうなのだろう。
色気はあるが純然な事実として同年代の平均に比べ極端に薄い肢体の凹凸が分かる程にピッチリと身体に沿った縫製の衣服は、トリニティが情報として把握している通常の風紀委員制服とは違いブレザーではなく詰襟に近い紫の上着。
そして圧倒的にタイトなスカートは少し身を屈めれば内側が見えてしまいそうなほどの、一体股下何センチなのかと問いたくなる程の激ミニ。
そしてデニールの低い紫の光沢が妖しい色気を醸すニーハイソックスに、これまた細く美しい脚のラインに一分の隙も無く完璧に合わせた形状の、金具やベルトが全体的に多めにあしらわれた重厚な革の編み上げロングブーツ。
……全体的に見て、メイドとは違い実に
ガチ、とヒナのロングブーツの底に打ち込まれた金属鋲と石畳がかち合う音。
キチンと手入れをされているのであろう。ボリュームの多い白髪は傷みやすい癖毛であるにも関わらずキラキラと陽光に煌めいており、メイドよりも薄く細長い皮膜翼には関節部に良く磨き抜かれた金色のアクセサリーが光っていた。
ナギサはほんの一瞬、ちらりと横のツルギを見る。
ツルギの口元は、突如目の前に湧き出た強者に対する溢れる程の暴力欲求にビクリビクリと歪に吊り上がりかけるのを必死に押さえつけている様子だった。
一瞬では見えなかったが、きっと己の銃を割れんばかりに握りしめているのだろうと、ナギサには分かった。
ガツッ、ガツッ、とローファーやヒールを履く者が多いトリニティでは聞かない硬質な音を響かせ、背後にメイドを伴いたったの五メートルをゆっくりと歩み寄ってきた少女は、ナギサに向かって手を差し出した。
ふんわりと香る爽やかなシトラスの香りが漂ってくるのを感じながら、自らも手を差し出し、キュッと小さな掌を握り込む。
「……ゲヘナ学園風紀委員長。三年の空崎ヒナよ。今回は実り多い会談になること、期待するわ」
生白い肌に薄く施された化粧っ気のある幼さの中に美しさが共存したかんばせと、その艶のある口元に浮かぶ穏やかな笑み。そして爪の先まで宝石のようにピカピカに磨き抜かれた手を流れるように視界に収め、ナギサは完璧な笑みを形作る。
「ようこそ、空崎さん。私はトリニティ総合学園における所謂生徒会組織『ティーパーティー』において代表を務めております、三年の桐藤ナギサと申します。こちらは我が学園における風紀委員と同じ立ち位置の組織、『正義実現委員会』の委員長、同じく三年の剣先ツルギです」
「初めまして。剣先です……ゲヘナ学園の治安維持部隊の長とお会いできて、光栄です」
「こちらこそ光栄よ。宜しく、剣先さん」
ニコリと笑顔を浮かべるナギサに、泰然とした態度を崩さないヒナ。そして、感情を表に出さないように努めているツルギ。
(…………ああ)
目の前の空崎ヒナは、トリニティで言われる所謂一般的なゲヘナ人とは違うのだろう。礼儀を弁え、己を律し、こちらに合わせてくれている。
彼女の性格は十分にトリニティでもやっていける程に調和と平穏を重んじる性格だとこの数度のやり取りだけで察することが出来た。
……だが、彼女の性格が如何にトリニティと相性が良かろうとも。
彼女の纏う空気が、目線が、声が、気配が。
年がら年中不良との戦闘に明け暮れている、研ぎ澄まされきった彼女の持つ『絶対強者』としての総てが、コチラをビリビリと刺激してやまない。
(ある意味で、私が今までに触れ合ってきた中で最も『ゲヘナ的』ですらある)
エデン条約締結のために、ナギサもこれまで万魔殿のメンバーを始めとした幾人ものゲヘナ人と接してきた。
嫌味も言われた。意地悪もされた。腹に据えかねる出来事があったのも一度や二度ではない。「これがゲヘナか……」と溜息を吐いた事は数え切れぬ程。
だが、ゲヘナとトリニティの関係というのは本来そうではない。
誤解を恐れず有り体に言えば、ゲヘナにとってトリニティなど『どうでもいい』のだ。
ゲヘナはトリニティに迷惑を掛けようなどと思っていない。ただ、自分達がやりたいようにやっているだけだ。しかし、トリニティはゲヘナがやる事の多くを我慢出来ない。故にゲヘナを酷く嫌い、ゲヘナも『何故か嫌われているから』結果的にトリニティを嫌いになっている。
その事を踏まえて考えれば……その圧倒的な強者としての存在感だけで……つまりは、
(しかし、彼女を拒むようではエデン条約など夢のまた夢です)
そう決意を新たにした彼女は、握手していた手を解いて本校舎を指し示した。
「では、こちらへ。長旅で疲れていらっしゃるでしょう。客室にご案内しますわ。まずは一休みして頂いて、その後に昼食会を予定しております」
「ありがとう」
そうして、ヒナを客間に案内した後、廊下を歩きながらツルギに尋ねる。
「どう思いますか?」
「……少なくとも、これまでと比較して友好的な態度ではあったかと思います……ケヒッ」
「その震えと笑顔を止めなさい」
何かキマっているかのようにブルブルと震える手を見ながらカクカクと首を震わせて凄まじい笑顔を浮かべているツルギだが、実際にキマっているのは戦闘欲求である。
「あの、エデン条約のデモンストレーションの一環として模擬戦とか……」
「エデン条約締結が確実となった暁にはそんなこともあるでしょうね」
「……ふふっ、ふふふふっ」
「せめてヒナさんと別の棟に移ってから高笑って下さいね……」
しかし困ったな、とナギサは一人顎に指を置く。
元々はヒナ滞在中の身の回りの世話を正義実現委員会に任せようと思っていたのだが、どうにもヒナの迫力があり過ぎてうまくいかなそうだ。
ヒナの圧にまず負けないレベルの生徒ならばツルギと副委員長のハスミだが、元よりハスミはゲヘナに対しあまり良い印象を持っておらず、それなりに上手くやれるはずのツルギは闘争欲求と理性に板挟みにされ挙動不審を起こしている。
(……こんな時、ヒフミさんが居れば)
ナギサの数少ない心許せる友人、阿慈谷ヒフミ。
彼女であればヒナに対しても物怖じせずに接する事が出来るだろうが、今現在彼女は失踪中である。
……というよりも、キヴォトスの闇そのものであるスラム街、ブラックマーケットに出掛けた事が判明している。ちなみにこれまでも同様の事は何度か起きており、その例に倣うならばあと数日は音沙汰が無いことだろう。
(ヒフミさん、貴女は一体何をしているのですか……?)
心許せていた筈の友人が何時の間にか闇に染まっているのかもしれない。それを考えるだけでナギサは胃の奥がズーンと奈落に落ちていくような感覚を覚える。
「……ともかく、世話役が誰一人居ないのは問題ですね。最悪は私が世話役をする事になりますか……」
「……そ、それは大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫とは言い切れませんね……ツルギさん、
「うぇへぇ!? えっいや……きょ、きょきょ今日は別の棟から双眼鏡で一挙手一投足を観察して、明日は同じ棟で気配を感じながら生活……三日目には隣の部屋であの研ぎ澄まされた空気に体を慣らして、四日目なら……きっと……」
「そんなに」
あまりにも遠い道程に思わず額を押さえてしまうナギサ。それを見たツルギは丸まった背中を更に丸めて「ごめんなさい……一度ちゃんと戦えば収まると思うのですが……」と俯いた。
ちなみにヒナの滞在期間は三日である。
「取り敢えず
「……そうですね。私からもシスターフッドに人材の派遣を願いましょう。サクラコさんに借りを作るのは後が怖いですが……言っている場合では無いでしょう」
「やっほ、ナギちゃん」
ナギサ達が降りようとしていた階段の、一つ上の踊り場。
そこに立っていた少女に視線を向け、ナギサは固くなりかける口調を意図して和らげる。
「ああ、ミカさん。おはようございます」
「うん、おはよー。でもって、おつかれさま〜」
「……ありがとうございます。ですがまだまだ、これからですよ」
ミカからの労いにニコリと笑って返答するナギサに、トントンと階段を降りながら話を続けるミカ。
「いやー、上から見てたけど、本当にゲヘナ人って頭から角生えてるんだねー。アレ痛くないのかな? 寝るときはうつ伏せなのかな」
「さて、どうでしょうね。気になるなら聞いてみては如何ですか?」
ナギサとしてはちょっとした牽制のつもり。
しかし、ミカは「そーしよっかなー」と乗り気な様子を見せており、逆にナギサ自身がたじろぐ結果となった。
「……どうしたんですか? ミカさんらしくもない」
「え? そーかな。だって遠目から見た感じだけどさ、そりゃ角はあったけどなんか全体的にゲヘナ感無いっていうか……結構普通じゃなかった? 私ゲヘナの風紀委員長ってもっと大怪獣みたいな子が出てくると思ってたよ」
いや。
遠くから見ようが近くから見ようが、何をどう見ても大怪獣だろう、あの少女は。
そんな言葉を心に留め、代わりに溜息を吐くナギサ。
「……今だけ、ミカさんが羨ましいです」
「何それ、私が能天気だって言いたいわけ?」
不服そうに形の良い眉をしかめるミカだが、別段ナギサは嫌味を言った訳ではない。本当に羨ましかったのだ。
その能天気さが、ではない。
ミカと言いツルギと言い、ベクトルは違えどもあのヒナを前にして物怖じしないだけの強さが、である。
「まあ、ともあれ空崎さんに悪印象が無いに越した事はありません。では私はまだ用事がありますのでここで」
「うん、またね〜って、あ゛」
上の階に行くナギサと入れ替わりに階段を降りようとしたミカの喉から絞り出すような不吉な音が鳴る。
それを不審に思ったナギサが階下を覗き見ると、そこには二人の人間が居た。
一人は正義実現委員会の委員。小柄な身体を大きくブルブルと震わせて、両手を胸の前で組んで半べそをかいている。
そしてもう一人は、普通なら二人がかりで運びそうな巨大なクーラーボックスを両手と尻尾で三つ抱えている、涼しい笑顔を浮かべたヒナのメイドであった。
「…………あー」
そう言えばヒナを案内するのに精一杯で、リムジンを学校の駐機場に止めに行ったメイドの事を忘れていた、と止まりかけたナギサの脳が動作不良を起こしつつもどうにか導き出す。
それから脳の動作を無理矢理に高速化させこの階段でした会話を一から全て洗い直すが、ミカも含めて若干のトゲはあったものの決定的な亀裂が走るような事は何も言っていない。大丈夫な筈だと何度も確認する。
「……空崎さんの、従者の方ですね。えっと、お名前は……」
「ええ、改めましてこの度はお招き頂いた事、主人に代わり礼を致します。それと私の事はお気になさらず、『空崎のメイド』とお呼び下さい……それとこちら、つまらない物ではありますが主人の命で手土産を持参しておりますので、どうか皆様でお召し上がり下さいませ」
にこやかな笑顔でそう言ったメイドが巨大なクーラーボックスを開けると、中には飾り気のない白い陶器の器がギッチリと詰め込まれていた。
「まぁ! ありがとうございます……こちらは?」
「ゲヘナの特産品、温泉プリンでございます。残り二つのボックスはマンゴープリンとバナナクリームプリンとなっております……ゲヘナは活火山帯にある自治区故、地熱による熱帯植物の栽培や温泉由来のナトリウムを豊富に含んだ
「へー、美味しそ〜」
この緊迫感の元凶のくせに呑気なことを言うミカの尻を後ろ手につねりながら、ナギサは深々と礼をする。
「空崎さんのご厚意に感謝します。皆で分けて頂きますね」
「主人には『喜んで頂けた』とお伝えしておきます」
互いに礼をして、話を区切る。
もう涙のダムが崩壊寸前になっている己の部下を見兼ねたツルギが「失礼」とほんの少しメイドから体を背けてモモトークを使い連絡を入れ、溢れる暴力欲求を責任感で捩じ伏せて「では此処からは私が冷蔵庫のある調理室と空崎さんのお部屋までご案内します」とメイドからクーラーボックスを受け取る。
ツルギの厚意に素直に全ての箱を手渡したメイドは、少し屈んでべそをかいている正実委員に目線を合わせ、しっかりと頭を下げた。
「えっ……」
「此処までの御案内、誠に感謝します。こちら、失礼かとも考えたのですが、私のほんの気持ちと思い受け取って下さいませ」
そう言って委員の掌に二つの可愛らしいリボンを巻かれた、親指の先ほどの小さなクッキーを詰め合わせた袋を載せると、もう一度ニコリと笑ってから立ち上がり、その場の皆に頭を下げた後にツルギへと向き直った。
それに軽く頷いて三つの巨大クーラーボックスを重ねて抱え直し、完全に目の前が見えない状態とは思えない程にしっかりした足取りでメイドを先導するツルギ。
その場に残されたミカとナギサがハンカチを取り出して正実委員の濡れた顔を拭ったり背中を擦ったりしてあげていると、ほんの数分後には階下より正実副委員長の羽川ハスミが慌てず騒がず落ち着いた超光速歩きでスッ飛んで来た。
「御二方! 一体何があったのですか!? ウチのツルギから『すぐ此処に来い』と連絡があったのですが!」
「あ、ハスミちゃん。大丈夫だよ〜、ちょっとこの子が取り乱しちゃっただけ。ね?」
「ええ。何も問題は起きていませんよ。ただ、慣れない業務で緊張の糸が切れてしまっただけです」
そう少しばかり苦笑いしながら言う二人と、涙の跡が残るながらもブンブンと首肯する部下にハスミは安堵の息を吐いた。
「はぁあぁぁ……全く、驚かせて……」
「ご……ごめんなさい、その……」
「いえ、無事ならば何よりです。今はゲヘナの重鎮が此処に居るのですから、貴女も下手に粗相をして問題にならないように。迎えの場に居たのですから貴女も感じたでしょう? あの凄まじい威圧感を」
「へぅ」
「私は護送用のバイクに乗っていましたから真正面からあの圧を受けたわけではありませんが、それでも全身が総毛立つような心地でしたよ」
普段より冷静沈着を是とする彼女が恐怖を堪えるような顔をした事で、ミカもようやっと何やらあのゲヘナからやって来た少女はとんでもないらしい事が分かってくる。
「ねぇ、あの子ってもしかしてヤバいの?」
「大多数の者にとっては、そうですね」
「追い返した方が良いんじゃない?」
「そういう訳にはいきません……ところでミカさん、本当に彼女と話してみたいなら空崎さんにお願いしてお時間を作って頂きますが?」
「え? 冗談に決まってんじゃん」
ナギサの提案に、真顔で「何言ってんの?」と返すミカ。
そんな彼女の頑なさに、ナギサは溜息を吐いて返答とした。
コンコン、と最上級の客室に響くノック。窓の外の美しい庭園を眺めていたヒナはその身を翻し、ドアを開ける。
「あら」
「失礼します、お嬢様」
そこに居たのは己のメイドであった。
普段ならばノックどころか音も立てずにいつの間にやら室内に
黒い制服に黒い長髪、丸まった背。その姿勢からか隈が強調される鋭い目つき。
「剣先さん」
「恐縮ながら、お嬢様の客室まで案内して頂きました」
「そう。迷惑を掛けたようね」
「……いえ」
心中を抑えるように、そして僅かに困惑したような空気を滲ませつつもそう返してくるツルギ。そんなツルギが少し地面に目を向けた瞬間を見計らい、ヒナはメイドに一瞬の目配せをした。
「どうでしょう剣先様、まだ昼食会まで時間もある事ですし、貴女様さえ宜しければお嬢様とお茶会など」
「えっそっ……空崎さんがお疲れではないのなら……」
チラリチラリと視線を彷徨わせながらそう言うツルギの、その目の中に確かな興味を感じ取ったヒナはニコリと笑って半身を下げた。
「違う学校の、同じ立場の人間として是非情報共有したいわね。一杯だけ、良いかしら? ……安心して、ゲヘナはトリニティ程紅茶が普及してはいないけれど、それでも私のメイドの紅茶は美味しいから」
透き通るような赤い茶を注がれたティーカップを傾け、互いに一口。
湿った唇を先に開いたのは、ヒナだった。
「さっきは、ごめんなさいね」
「……何のことでしょう」
「勿論出会い頭よ。威嚇したでしょう? ……あ、敬語じゃなくて結構よ。同じような立場なんだから」
ヒナの言葉に、あぁとだけ言ったツルギはもう一度紅茶に口を付ける。
確かに今のヒナからはあの時のような威圧感を感じない。今の彼女なら、角を隠せば町中だって歩けるだろう。今ツルギが困惑しているのも、雰囲気の落差が原因だ。
「言い訳をするようだけど、ゲヘナではまず一番最初に力関係をハッキリ示さないと実力を弁えられない連中が早まったことをするのよ。だからついつい、ね。まさかあんなにも怖がられるとは思わなかったの」
暴力の
尚、このクッキーはメイドの持参品(手作り)である。
「私からも謝罪致します剣先様。如何せんヒナお嬢様は人の姿をした大怪獣でございまして」
「余計な事を言わなくて良いの」
「この間などお茶を邪魔された怒りでスケバン様を一睨みしたところ、視線が強過ぎたせいで泡を拭いてあわや救急医学部を呼ぶ騒ぎに……」
「二度は無いわよ」
「……とまぁ、ご覧の通りでございまして」
少し凄みを見せたヒナにビインッ!! と跳ねるように背筋を仰け反らせたツルギを見てヒナは居た堪れない顔をし、メイドは涼しい顔で頭を下げた。
「驚かせてしまい申し訳ございません、ですが先の事はゲヘナの環境ゆえの問題でありお嬢様に悪気が無かった事はお分かり頂きたいのです……どうぞ、非難はこのような手段しか取ることの叶わなかった不出来なメイドのみに抑えて頂けると幸いです」
普段からしてらしくない挑発じみた行為も全てはヒナに対する理解を深めてもらう為。
深々と頭を下げるメイドと非常に気まずそうなヒナに、ツルギは軽く首を振る。
「いや! 怒るような事は無い……というよりも、正直感心した」
「……感心される覚えは無いけれど」
「いやその、私は威嚇や威圧よりも先に手が出てしまって、どうにも……一度戦いを前にすると理性的に力を振るうという事が難しくて」
「あら、パニック……ではないわね。そんな人間が上には上がれない……となると、戦闘の影響力とか周囲への被害が大きすぎるとか?」
こくこく、とヒナの言葉に何度も頷く。
本当に解決したいのは
いや、自分が闘争欲求を我慢しなくて良い事を考えればそれが一番良いまである。
ところでこれって対外的に言っていいやつなのかしらん? と心の中の己(天使ツルギ)が首を傾げているが、同時にこんな機会滅多にないんだから正実の評判の為にも恥を気にせず問題の解決を図るべきでしょうと別の己(こちらも天使ツルギ)が唆してくる。
ちなみに、黒い翼の悪魔ツルギは心の隅っこの方に座り込み、緊張するから帰りたいとボヤいている。
結果として、ツルギは最初多少矯正していた猫背を更に丸めた前のめりになりながら、カップを片手にヒナの話に齧りついていた。
「そうね、自己解決はある程度試しているだろうし……」
「お嬢様も風紀委員長になりたての頃は酷かったですね。新調して威力の増した突撃機関銃の一撃がビルを大きく抉りドミノ崩し的に周辺三棟が崩れ落ち、その日はゲヘナ生ではない私まで動員して一日救助を……」
「主人の命よ、黙りなさい」
「御主人様の命により黙ります」
ちょっと個人的に親近感を抱きすぎて全然笑えない話を流し、粉砂糖をまぶされた丸いクッキーを摘む。
「そういうのはね、力を集中するのが肝要よ」
「集中する?」
「そう。自分の中の力を銃弾に乗せる時、敢えて弾の勢いを落として対象に力の全てが伝わるようなイメージ……言葉にし辛いわね」
「いや、多分分かる。いつもは引き金を絞る時にキュッとしているのをグギュッってして相手に当たる時にボワッてする感じか?」
丸いクッキーを銃弾に見立て、キュッ、グギュッ、ボワッをそれぞれ全身を使った身振り手振りのジェスチャーで伝えるツルギにヒナは感心したように頷く。
「あぁ、そうそう、そんな感じ。流石は正義実現委員会の委員長ね」
「いや……私なんてそんな……空崎さんの方が余程」
「このやり方は体力の節約にもなるから、騒ぎの数も規模も多すぎて私が出突っ張りなゲヘナではこうしなくちゃどうにもならなかっただけ。貴女は私と同じ立場でもその力を思いっきり解放するやり方で学園の治安を守ってるのだから、個人としても組織としても貴女は私よりも上よ」
そう苦笑しながら、ヒナは紅茶を飲む。話の一段落を悟ったツルギもまた、手に持っていたクッキーを食べる。
粉砂糖のシュワッと溶ける感覚と、ホロリと崩れるクッキー生地の中に粗く混ぜ込まれたアーモンドの香ばしさ。
サクサクと一つ食べ終わったツルギは香り立つ紅茶を飲み、少し笑んだ。
「美味しい……これは、メイドさんが?」
「ええ。美味しいですって」
「勿体無いお言葉です」
ヒナの話題振りを発言許可と受け取ったメイドが、恭しく頭を下げてツルギに返礼する。
「あの、空崎さん」
「ヒナ、で良いわよ」
「……ヒナさん」
「ええ、なぁに?」
中身が少なくなったカップを摘みながらニコリと穏やかに笑うヒナに、ツルギは意を決して問う。
「……この度の、エデン条約の事をどう思っているのか、お聞きしても宜しいか?」
「……」
ここに来て、茶を飲み始めてから初めて止まる会話。
その会話の隙間にメイドが互いの空になったカップを回収するところを何となしに見つめていたヒナは、それが終わると同時に口を開いた。
「……私達の多くにとって、トリニティはいけ好かない金持ちのお嬢様よ。相手を何の苦労もしていない甘ったれだと思ってる……きっとトリニティも、私達への印象は良くないものでしょうね。ガサツな角つきとか呼ばれてるかしら?」
「はぁ……まあ」
呼ばれていない、とは言えないツルギは曖昧な相槌をするに留まる。
トリニティはゲヘナを疎んでいるし、ゲヘナはトリニティを見下している。幾ら美辞麗句で飾ろうとも、それが両校の関係性の真実だ。
「きっと、今こうやって下に置かない対応をされている私も、此処から去った後には色んな子達に『怖かった』、『嫌だった』、『気持ち悪かった』と言われるでしょうね」
トリニティへの直接的な悪口とも取れる台詞。
しかしツルギはそれに腹を立てることも無く、うつむき加減で紅茶を飲むのみ。
ヒナの悪口は言われる。絶対言われる。という確信を当然口にはできないツルギは気不味そうにカップを置き、クッキーをモソ……と食べる。
このとても美味しいクッキーとて、ゲヘナ人が作ったと言われれば手を付けない生徒は居るだろう。
ツルギはこの立場に至るまでに見たものと、この立場から見えるものの両側の視点からそれを理解していた。
だからこそ、「意地悪な言い方したわね」と穏やかに笑うヒナに対しても反感を持つこと無く、チラリと上目遣いに見るに留まった。
「きっと、距離のあるウチはそれで良い。私達も貴女達も、互いの悪感情を抑えてほんの一時の交流くらいはできるでしょう?」
「まぁ、はい」
ヒナに対する対応のように、一時『権力』による押さえつけで、或いは『暴力』による支配で。互いに表面上愛想良くは振る舞えるだろう。
だが、それには限界がある。
「今はそれで良い。『怖
「……世界が、狭く」
「交通機関、通信手段。技術の進歩によって人のテリトリーは加速度的に広がる。でも世界の大きさは変わらない。五年後か、十年後か。それは分からないけれど、いずれ両校のテリトリーが重なる日が……『
移動手段や情報ツールの発達につれて人の認識範囲は広がる。
そして、いつかは来る。何処に行っても『嫌な奴ら』と言えない世界が。何処にでも誰かの耳が、目がある世界が。
「その時に私達の仲が今のままであれば……戦争しか無いわ。互いに互いを受け入れられないどちらかが滅ぶまで続く絶滅戦争」
それは、為政者としてヒナより優れているマコトが唯一政治面で明確にヒナに劣る部分。
己の人生の向こう、遥か未来への展望。
「────それを止める為に、私は
未来への、あまりにも遠い道への一歩を踏み出す為の覚悟。
それを……
「一個人として、素晴らしい考え方と思う……ええと、ヒナさん」
「何かしら?」
「……その。私の事も、ツルギと呼んでほしい。あと敬称も必要無い……」
「……良いの?」
「……あー、その。公的な場では違くて、その……つまり……友達になりたい……って感じで……して……一環として……エデン条約……あ、いや嫌々ってわけじゃなくて」
それはツルギの歩み寄り。
互いに犬猿の仲である二つの学園の、武力を統括する二人が、互いに手を結んだ瞬間であった。
「……ええ、宜しく、ツルギ。私も呼び捨てで構わないわ」
「ええ……よろしくお願いします、ヒナ」
椅子から立ち上がってツルギの横に立ち、差し出されたヒナの生白い小さな手。
その手にツルギがおっかなびっくり己の手を重ね、ここに二人ぽっちの小さなエデン条約が成った。
「ふふ。まさかトリニティに来て友達が増えるなんて思ってなかった」
「う、ウェヘヒ……わ、私も……」
その平和の象徴のような光景を、ただメイドのみが視界に収めていた。
「御主人様、ツルギ様。せっかく友誼を結ばれた事ですし……どうでしょう? もう一杯だけ」
「ツルギ、時間は?」
「ありま……あ、いや。ある……その、ヒナ」
慣れない発音につっかえながらも己の名を呼んだツルギに、ヒナは柔らかく微笑んだ。
「じゃ、淹れて頂戴……とびっきりのやつをね」
「誠に失礼ながらお嬢様、私の紅茶は常に
「あぁ……あぁ?待て、何で知ってる?」
目を見開いたツルギを見てドッキリ大成功とばかりにドヤ顔をするメイドの尻を、ヒナは己の翼で引っ叩いた。
メイドとツヤツヤのヒナを求めてやって来た読者に全力全開のツルギを叩きつける事で脳が混乱しメイドとか良いからもっとツルギをよこせと言わせる。
これがメンタリズムです。