独立0特務隊の特務艦『ヤマト』が漆黒の太平洋を音もなく滑るように進み始めてから、数日が経過していた。
第一ブリッジのオペレーター席で、通信士が突如として息を呑んだ。
――ピピピッ!
「――艦長!極秘暗号回線にて、オーブ本国より緊急入電です!」
「どうした、何があった」
「L3コロニー……中立国オーブの管轄である『ヘリオポリス』が、ザフト軍のモビルスーツ部隊による急襲を受け……崩壊しました」
「なんだと……っ!? 住民たちの安否は!」
「ウズミ代表が迅速に手配した避難用民間シャトルおよび脱出艇により、ヘリオポリスの住民やモルゲンレーテ社の技術者、その家族たちのほとんどは無事に脱出、救出された模様です! 現在、順次オーブ本国へと帰還航路を取っています!」
「そうか……。人命が無事だったことだけは救いだな。だが、ザフトめ。宇宙の同胞のみならず、中立の理念すらも完全に踏みにじるか」
ブリッジ内に動揺の波が広がった。
そして、その報は居住区のシャル・アスハの元にも届けられた。
「ヘリオポリスが消えた……? そもそも、あそこには多くの人たち公共が暮らしていたはずだ……!」
客室のモニターに映し出される、無残に両断された宇宙コロニーの映像。そして画面のテロップに流れる『避難住民の大半は無事救出、オーブ本国へ帰還中』という報道。シャルはその場に立ち尽くし、自身の身体が小刻みに震えるのを止められなかった。衛星そのものを破壊するザフトの狂気に恐怖しつつも、多くの命が救われたという事実に、彼女は東京での父の最期を思い出し、複雑に胸を締め付けられていた。
「お姉様……」
妹のシェルがそっとシャルの手を握る。シェルもまた、その小さな胸を不安に騒がせていたが、日本の皇女としての気品は失っていなかった。
世界中で燃え広がる不条理な火。その火花は、確実に彼女たちが目指すオーブ本国へも迫りつつあった。
数日後、ヤマトは一切の戦闘に見舞われることなく、無事に中立国オーブ連合首長国の領海へと滑り込んだ。ヤラファス島の秘密軍事ドックへと着艦。
――ガシャァン!
アスハ姉妹は行政首長官邸へと誘導された。広大な執務室の奥で待っていたのは、オーブの精神的支柱――ウズミ・ナラ・アスハであった。
「シャル、シェル……よくぞ無事で帰ってきてくれた」
「ウズミ伯父様……!」
シャルは一歩前へ進み出ると、日本の皇女としての気品と威厳をその身に纏って深々と頭を下げた。
「アスハ代表、お久しぶりでございます。このオーブの地に再び迎え入れていただいたこと、心より感謝申し上げます。日本の皇族として、代表の変わらぬお心遣いに深く御礼申し上げます」
「形式張った挨拶は良い、シャル。お前たちは我が大切な家族だ。東京での大公殿下の悲劇は……本当に悔やんでも悔やみきれん。だが、こうしてお前たちが生きて辿り着いたことこそが未来への最大の希望だ」
ウズミはシャルとシェルの顔を順に見つめ、力強く頷いた。シャルは静かに目を伏せると、すでにヤマトの艦内でシェルと共に涙を流し、受け入れた過酷な事実をウズミへと毅然とした声で報告した。
「ウズミ伯父様。……私たちのために長年尽くしてくれたハゴットは、カオシュンから私たちを逃がすため、自ら囮となってあの空で散りました。最期まで、日本の未来を、オーブの未来を繋げと……」
「そうか……ハゴットが。大公殿下に続き、あの忠臣までが逝ったか……」
ウズミは痛ましく目を閉じ、苦渋の表情で拳を固く握りしめた。隣に立つシェルも、すでに流し尽くしたはずの涙を再び瞳に浮かべ、シャルはその妹の小さな肩をそっと引き寄せ、姉妹で寄り添い合った。ウズミは深く息を吐き、亡き大公とハゴットの忠義を胸に刻み込むように黙祷を捧げた。
そして、ウズミの厳格な視線は、部屋の片隅に控えていた一人の少年に向けられた。同じくオーブ国防軍の制服を纏った蓮である。
「パイロット、蓮。……また、お前に苦い任務を背負わせてしまったな」
「……」
蓮は無言のまま、短く一礼した。
二人は初対面ではない。数か月前、ザフトの不条理な攻撃によって同じオーブ国防軍の神代遥の艦が撃沈された、あの悲劇の事件の直後から、蓮とウズミ代表は深く知り合っていた。
「カオシュンでの地獄から、私の家族を、日本の最後の光を繋ぎ止めてくれたのは、お前の冷徹なまでの最適解のおかげだ。一人の伯父として、そして遥の遺志を共に背負う者として、心より礼を言う。感謝する。……一度下がって、身体を休めるが良い」
「……はっ」
――カチャ
蓮は音もなく執務室を退室していった。ウズミは再び姉妹を見つめ、厳かにこれからの処遇を告げた。
「シャル、シェル。この大戦が終結するその時まで、お前たちはオーブの庇護の元に亡命という形でここに留まるが良い。誰も、お前たちを脅かすことはさせん」
ウズミの宣言を受け、亡命の手続きのためシェルが先に官邸のスタッフと共に部屋を出ていく。しかし、ウズミはシャルだけをその場に残した。
広大な執務室に、ウズミとシャルの二人だけが残された。
「……シャル。お前、ヤマトの艦内で神代から何か聞いたな。あの格納庫でお前が蓮を叩いたことも、すでに私の元へ報告が入っている」
「叩いて当然だ! あいつはハゴットの……爺の最期の覚悟を『最適解』だなんて冷酷な言い訳で片付け、見捨てていったのだ!」
「彼がどのような地獄を経てあのオーディンの操縦席に座っているか、お前はまだその真実の半分も知らん。シャル、よく聞きなさい」
ウズミは静かに語り始めた。
「蓮は元々、プラント生まれのコーディネイターだ。だが、あの忌まわしき『血のバレンタイン』が起きた。ユニウスセブンは崩壊し、蓮の家族は全員が核の炎に巻かれ、消え去ったのだ。突然すべてを奪われた彼は、地球連合への激しい憎悪を胸に、我がオーブの軍へと志願した。そこで彼は同じオーブ軍人だった神代遥と出会い、二人はいつしか深く愛し合い、少しの間だけ恋人となった」
「だが、数か月前、東アジアの日本における人道的救出活動の最中、遥の率いる支援艦はザフトの理不尽な急襲を受けた。……遥は攻撃を受け、撃沈される最後の瞬間まで船に残り、散っていった。蓮は護衛機のコクピットから、自らの家族を殺したはずの地球連合ではなく、自らと同じ同胞であるはずのザフトの手によって、遥が艦と共に海の底へ沈んでいくその瞬間を、目の前で見届けることしかできなかったのだ」
「あの日、全てを失い立ち尽くしていた蓮に、この私がオーブの最高機密であるあの機体――『オーディン』を託した。遥の願った理不尽な戦争のない未来、その誓いを果たすための力としてな。それでも彼が感情を排し、冷徹な『計算』だけで動き続けるのはな、シャル……感情に溺れれば最適解を見失い、二度とあの日と同じように、自分の手の届く範囲の命を奪われてしまうからだ。彼があの日、ハゴット殿の囮行動を受け入れたのは、お前を確実に生かすため、己の心を殺して選んだ唯一の最適解だ。お前たちが生きていること自体が、彼が繋ぎ止めた、遥の願った平和への意志そのものなのだ」
シャルの息が止まった。さらにウズミは手元の端末を操作し、現在の日本のデータを画面に映し出した。
「そして、お前たちが気に病んでいる戦後の、今の日本のことだ」
「日本が……私たちの故郷が、どうなっているというのだ」
「ザフトの急襲と連合の応戦によって主要都市は壊滅し、自治権は実質的に機能停止している。皇族の生き残りはお前たち二人だけ。だがな、シャル。日本の民の全てが死に絶えたわけではない。残された人々は今も、焼け野原の中で互いに手を引き合い、復興への道を必死に模索している。オーブも人道支援の物資を送り続けている。彼らが求めているのは、復讐の血の雨ではない。戦後の日本が再び平和な自治を取り戻し、誰もが怯えずに暮らせる『戦後の未来』だ。蓮が、復興遺族たちが命を懸けてお前たちを救い出したのは、滅びゆく日本を復讐の炎で焼き尽くすためではない。お前たちという『光』を守り、戦後の日本に真の平和を還すためだ。分かっているな」
明かされた蓮の壮絶な過去、あるいは戦後の日本の現実。自分が格納庫で彼に見舞った平手打ちの理不尽さと、自身の行動の幼さを突きつけられ、シャルはただ声を失って震えることしかできなかった。
数週間の時が流れた。
蓮は一人、オーブの軍事墓地へ赴いていた。ヤラファス島の小高い丘の上に位置するその場所からは、世界の戦火が嘘のように、オーブの青く穏やかな海が一望できた。吹き抜ける潮風が、墓所を包む静寂を優しく揺らしている。
その最奥、蓮は独立0特務隊の指揮官である神代宗一郎艦長と共に、ある真新しい慰霊碑の前に立ち尽くしていた。日本での救出活動中にザフト軍の無慈悲な急襲によって沈められた、あの高潔な艦の乗組員たちの名が刻まれた石碑だ。その並びの最上段には、宗一郎の実の妹であり、蓮の元恋人であった女性の名前が刻まれていた。
――神代 遥。
蓮は静かに歩み寄ると、抱えていた白くて可憐な花束を、冷たい慰霊碑の前へとそっとたむけた。カサリ、と擦れる花の音が、耳の奥であ日の轟音へと変色していく。
「……一瞬たりとも、忘れたことはないな」
隣に立つ神代艦長が、深く刻まれた眉間の皺をなぞりながら、絞り出すように呟いた。軍帽を胸に当て、石碑を見つめるその瞳には、一人の兄としての深い落涙の情が滲んでいた。
「お前をオーディンに乗せ、再び戦火の渦へ送り出す私を、遥は空で怒っているかもしれん」
「……そんなことはありません」
蓮は無言のまま、ただ慰霊碑を見つめ続けた。目を閉じれば、通信越しに「全員退艦!」と叫び続けながら、爆炎と共に海の底へ沈んでいった遥の最期が鮮明に蘇る。
拳を固く握りしめる。奇跡も、もしもも存在しない。感情に溺れれば最適解を見失い、また命が零れ落ちてしまう。だからこそ感情を殺して機械になると決めた。だが、石碑に触れる指先の冷たさは、彼の胸の奥にある火を、より一層激しく燃え上がらせる。
「二度と……奪わせない。あなたの遺した、この世界を」
感情を排したはずの唇から、生々しい人間の執念が零れ落ちる。それを見届けた神代艦長は、静かに軍帽を被り直し、表情を硬質な軍人のそれへと戻した。二人は亡き遥の墓前に最後の敬礼を捧げると、静かに丘を後にした。
それからさらに数日後、ヤマトの第一ブリッジに張り詰めた緊張感が走った。
コズミック・イラ(C.E.71年)2月13日。地球連合軍の最新鋭艦『アークエンジェル』がザフトの追撃を逃れ、地球のアフリカ砂漠地帯へと降下したという情報を、独立0特務隊の軍情報部が完全に捕捉した。
神代艦長に呼び出された蓮は、ブリッジの指揮官席の前へと直立不動で歩み寄った。
「時が来たぞ、蓮。……本国より最高特務命令が下った」
「アークエンジェルが、地球へ」
「ああ。そしてその艦内に、行方不明となっていた我がオーブの令嬢、カガリ・ユラ・アスハが乗船している。代表は表立って連合の艦と接触するわけにはいかん。お前は、代表から直々に託されたあの『オーディン』を用い、単機でアークエンジェルへと接触。カガリ様を極秘裏にオーブ本国へと連れ戻せ」
「……了解。最適解を遂行します」
蓮は短く答え、即座にカタパルトデッキへと向かった。
ハンガーへと到着し、青と白のシャープな機体――ウズミ代表から自らに平和への標として託されたオーディンのコクピットへと乗り込もうとした、その時だった。
「待て、蓮!」
長い金髪をなびかせ、オーブ軍のパイロットスーツを隙なく身に纏ったシャル・アスハが走ってきた。
「シャルさん……? ここは軍の重要機密エリアだ。民間人は立ち入るべきではない」
蓮はハッチに手をかけたまま、感情のない声で告げた。だが、シャルはその不遜とも取れる態度を鋭く睨み据えつつ、その瞳に強い、揺るぎない決意を宿して蓮を真っ直ぐに見つめた。
「分かっている。だが、私も行く。カガリを連れ戻す任務、私をその機体に乗せろ!」
「却下する。この任務は単機での潜入行動だ。民間人を同乗させるなど、リスクが増えるだけで最適解から最も遠い」
「言い訳するな! お前の言う通り、リスクなのは分かっている。だが、カガリは私の大切な従姉妹だ! 日本で、カオシュンで、私は大切な人たちに守られて、みんなを失って、ただ泣くことしかできなかった……! そんな私を、シェルは『軽蔑する』と言った。アスハ代表からも、お前の過去はすべて聞いた。お前がどんな想いで、あの人から託された機体に乗っているかもな。戦後の日本がどんな未来を目指しているかもだ! だから……もう私は、ただ守られて、誰かが傷つくのを部屋で待っているだけの存在になりたくない!」
シャルの言葉は、かつての格納庫での理不尽な叫びとは完全に違っていた。ぶっきらぼうで容赦のない、しかし凛とした圧倒的な気高さを宿した命令口調。
「カガリは無鉄砲だ。オーブの軍人が突然現れても、意地を張って言うことを聞かないかもしれない。だが、身内である私が一緒に行けば、絶対に説得できる! 私は、カガリを救うための『鍵』になれるはずだ。分かっているな、蓮!」
「断る」
蓮はシャルの気迫に満ちた言葉を、冷たんの一言で切り捨てた。
「カガリ様の説得成功率の上昇という不確定要素を考慮しても、民間人を戦闘機動の激しいオーディンに同乗させるリスクを相殺することはできない。俺の出す最適解に、お前の同行は含まれない。速やかに退艦しろ」
「――待ちなさい、蓮少尉。その同行、私が許可したものだ」
その時、ハンガーの統合通信スピーカーからウズミ・ナラ・アスハ代表の直接の通信が轟いた。蓮は動きを止め、無言でスピーカーを見上げる。
『代表……。なぜシャルさんの同行を認めるのですか。リスクしかありません』
『カガリの頑固さは私が誰よりも知っている。カガリをアークエンジェルから確実に引き剥がすには、身内であるシャルの言葉が絶対に必要なのだ。これは戦術的なリスクではない。任務を成功に導くための、戦略的な最適解なのだよ』
『……了解しました、代表。……班長、複座型への可変を』
――ウィィン、ガシャン!
蓮の指示を受け、作業用のキャットウォークから見ていた整備兵たちが即座にコックピットへと群がり、シート内部のアタッチメントを高速で組み替えていく。オーディンのコックピットはモジュール構造になっており、数分と経たず、狭いコックピット後方にシャル用の後席シートが完璧に展開された。
蓮は冷徹な瞳をシャルへと向けた。
何より――目の前の少女の瞳に宿る光が、かつて「最後まで諦めない」と言って散っていった遥の姿と、一瞬だけ重なったのも事実だった。
「G(重力加速)の衝撃に耐えられるか」
/「なめるな。私は日本の皇女だ。この程度の衝撃、どうということはない」
シャルは不敵に、勝気な笑みを浮かべてみせた。その顔には、かつての絶望の影は消え失せていた。
「……シートベルトは確実に締めろ。途中で泣き言を言っても、俺は降ろさない」
蓮はそれだけを告げると、シャルに先に乗るよう顎で促した。シャルは小さく頷き、複座型となったオーディンの後席へと滑り込む。続いて蓮が操縦席に深く腰掛け、ハッチが重々しい音を立てて完全に閉鎖された。
――プシューッ!
『――こちら格納庫、オーディン、全システムオールグリーン。特務命令を受け、出撃する』
――ガシャッ!
「行くぞ」
――バシュゥン!
――ガシャ、グォン!
カタパルトから強烈な勢いで射出されたオーディンは、空中で滑らかにレバーを操作され、無駄のない無言の動作で鋭利なフライトモードへと移行した。
青と白の閃光となったオーディンは、オーブの美しい海を背に、激動のアークエンジェルが待つ不協和音の空へと向かって、猛然と舞い上がるのだった。
ご愛読いただきありがとうございます。3話も直ぐに投稿しますので、しばらくお待ちいただければ幸いです。では、次回もお楽しみに