見渡す限りの無慈悲な蒼と、それを覆い尽くす底冷えするような雲海。
独立0特務隊の絶対的な拠点である、火山列島オーブ本島・ヤラファス島の秘密軍事ドックを音もなく発ってから、すでに二日の歳月が経過していた。
地球連合軍とプラントの軍事組織ザフトによる大戦の火花は、宇宙から地上へ、あるいはこの広大な海原へと確実に燃え広がっている。最新鋭可変モビルスーツ『オーディン』は、機体表面に施された特殊コロイド装甲による超高度なステルス・モードを維持したまま、海面を滑るような超低空の滑空飛行――フライトモードを維持し、不協和音の満ちるインド洋からオーブ近海へと続く上空をただ寡黙に進んでいた。
「……蓮」
――シュー(シート間通信接続音)
張り詰めた鉄の沈黙を切り裂いたのは、拡張された後席シートから響く、シャルの声だった。
体に完璧に適合したオーブ軍のパイロットスーツを隙なく身に纏ったシャルは、二日間に及ぶ断続的な巡航G(重力加速)に耐え続けている。だが、その横顔にかつてカオシュン空港で泣き叫んでいたひ弱な避難民の面影は完全に霧散していた。
不遜でぶっきらぼう、しかし、その奥に日本の皇女としての気高き覚悟を宿した、有無を言わせぬ命令口調。シャルは前席で操縦桿を握る蓮の、冷徹なまでに微動だにしない背中をメインモニター越しに見つめていた。
「何だ」
操縦桿を握る蓮の返答は、やはり一切の感情の起伏を排した、物理法則の塊のような一言だけであった。視線はコンソールの警告インジケーターの数値からミリ単位すら動かない。
「気になっていたことがある。お前と、ウズミ伯父様のことだ」
「……」
「行政首長官邸を離れる前、伯父様はお前にこのオーディンを直々に託したと言っていた。お前たちは、あの神代遥艦長を失った不条理な事件の後に知り合ったのだろう? その経緯を、詳しく私に話しなさい」
シャルの鋭い追及が狭い機内に響く。だが、蓮の手指は操縦桿のホールドを僅かに変えただけで、再び無機質な沈黙へと戻ろうとした。
「任務に関係のない私情だ。作戦行動中における不要な会話は、生存確率を低下させる。答える必要性を認めない。今は索敵網の警戒に集中しろ」
「言い訳するな! 分かっているはずだ、これは私にとっても必要なことだ。お前がどんな覚悟でこの機体に乗っているのか……それを知ることも、この狭い座席に命を預けて同乗した私の権利だ。分かっているな、蓮。話しなさい」
シャルは一歩も引き下がらなかった。
亡命の手続きが完了したあの日、ウズミ代表から二人きりの執務室で諭された、蓮の壮絶な過去。血のバレンタインで全てを失い、さらに恋人であった遥をもザフトに奪われたという、あまりにも重すぎる十字架。
あるいは、この『オーディン』という異質な試作型モビルスーツが内包する真の意味。それを自らの血肉として受け入れ、これから接触するであろうカガリを引き戻すための絶対的な『鍵』にするという、彼女なりの痛切な、あるいは冷徹なまでの決意であった。
「(……。)」
蓮は、マルチモニターの端で激しく瞬くオート・パイロットの巡航ロックを最小限の動きで切り替えると、小さく、誰にも聞こえないほどの吐息を漏らした。
ここで拒絶したところで、この勝気で頑固な日本の皇女が、インド洋を飛び越えるまでの間、問いを止めることはないと脳内の計算が瞬時に弾き出していたからだ。感情を殺した前席のパイロットは、コンソールの淡い青光にその陰鬱な表情を隠したまま、極めて低い声で静かに語り始めた。
「……遥を失った、あの日直後の話だ。お前たちがヤマトの中で神代艦長から聞いた、あの地獄のすぐ後のことだ」
数か月前。
ザフト軍による「地球連合軍との誤認」という、あまりにも一方的で理不尽な急襲を受け、最愛の恋人であり上官でもあった神代遥の支援艦が、海の底へと轟沈していった、あの最悪の事件。
護衛機のコクピットの中で、ただ沈みゆく炎の残像を網膜に焼き付けることしかできなかった蓮は、オーブ本国へ帰還した後、自らの魂の半分をあの海へ置いてきたかのような、生ける屍と化していた。
元々はプラント生まれのコーディネイターでありながら、地球連合の核によって家族を奪われ、今度は同胞であるはずのザフトによって最愛の人を奪われた。世界そのものを呪い、すべてを破壊する復讐鬼になっても、誰も彼を責められなかったはずだ。蓮は、基地の片隅に与えられた無機質な私室のベッドの上で、ただ天井の灯りを見つめて硬直していた。
その部屋の、薄汚れた鉄の扉を叩く者がいた。
――トントン
「……入れ」
蓮が寝返りすら打たずに応じると、プシューという減圧音と共に扉が開いた。そこに立っていたのは、軍の護衛はおろか、ただの一人の側近すら伴わない、オーブ連合首長国の精神的支柱――最高権力者のウズミ・ナラ・アスハその人であった。
――カチャ
最高指導者の突然の臨席に、蓮の身体が一瞬だけ強張った。しかし、立ち上がって敬礼を捧げる気力すら、今の彼には残されていなかった。
「代表……なぜ、このような底辺の私室に、お一人で」
「蓮。お前は今、遥を救えなかった己の無力を呪っているか。それとも、この世界すべてを焼き尽くすための、血に飢えた復讐鬼になるか」
ウズミの声は、官邸で見せるような政治家のそれではなく、一人の不器用な大人としての、重く、悲痛な響きを帯びていた。蓮は濁った瞳のまま、首を横に振った。
「……俺には、もう何もありません。守るべき家族も、戻るべき故郷も、愛してくれる人も。何一つ、残されていない。ザフトを憎むことも、連合を呪うことも、もう疲れました。俺の中には、何も無い」
抜け殻の言葉。だが、その刹那だった。
ウズミは寝そべる蓮の元へ大股で歩み寄ると、その屈強な両手で、少年の細いパイロットスーツの胸元を、痛いほどの力でガシリと掴み、強引に引き起こしたのだ。
「ならば、その行き場のない、世界への不条理に対する怒りと執念を、私に、このオーブに預けろ!」
「っ……!?」
「蓮、私は公式記録には一切残らない、我が代表直轄の非公式隠密部隊――『独立0特務隊』を結成する。艦長には、遥の実の兄であり、お前と同じ痛みを背負った神代宗一郎を据える。これは、世界中でこれから巻き起こるであろう理不尽な火の粉から、零れ落ちそうな無辜の命を、文字通り命を懸けて繋ぎ止めるための盾だ。お前のその『もう二度と、手の届く範囲の命を奪せない』という、狂気とも言える執念こそが、この不戦の部隊には絶対に必要なのだ」
国の最高権力者がある一人の傷ついたコーディネイターの少年に向かって、その獅子の如き身体を震わせながら、魂をぶつけるように言葉を紡いでいた。
「お前が、感情を失わねば精神が壊れて生きられぬと言うなら、冷徹な機械になっても構わん。だが、その刃のような計算の脳内で、世界の理不尽に抗ってみせろ。遥がその命に代えても守ろうとした、この世界の未来の光を、私と共に繋ぎ止めてくれ。頼む、蓮」
「……」
掴まれた胸元から、ウズミの手の熱が、あるいは国家の重みと平和への狂おしいほどの執念が、蓮の凍りついていた心臓へと直接流れ込んできた。
復讐のためではない。世界を呪うためでもない。ただ――あの日、あの空で、自分の手の届く場所から大切な人が消え去っていった、あの絶望を、もう二度と繰り返さないために。
「……了解しました、代表。俺のこの命、独立0特務隊へ提出します。あなたの言う、最適解のために」
蓮がその青白い唇から明確な誓いを口にした瞬間、ウズミは初めてその峻厳な表情を和らげ、少年の肩を力強く叩いた。
「よく言った。付いて来い、蓮。お前に、遥の遺志を背負うにふさわしい、我がオーブが秘匿せし『真の最深部』を見せてやろう」
ウズミ代表が直々に蓮を案内したのは、行政首長官邸の地下深く、島を形成する強固な火山脈の岩盤を極秘裏に数百メートルも掘り進めた、一般のオーブ国防軍兵士すらその存在を知らない最高機密の地下巨大要塞――通称『バンカー』であった。
――ウィィィン……ガシャン!
幾重もの生体認証と電子プロテクトが解除され、巨大な電磁隔壁が重々しい音を立てて左右へと開いていく。その広大な闇の空間の奥底へ、突如として数十基の高出力ハロゲンライトが眩いばかりの一斉照射を行った。
――パッ、パッ、パッ、パァァァンッ!
凄まじい光の洪水の中に浮かび上がったのは、現在オーブ軍が主力量産機として開発を進めているアストレイなどの直線的なフレームとは、明らかに一線を画する、極めてシャープで有機的、かつ威圧的なシルエットを持つモビルスーツであった。
青と白の、洗練された、しかしどこか禍々しいほどの戦闘能力を予感させる装甲。
「これが……」
蓮は初めて、その冷徹な瞳を驚愕と共に微かに見開いた。
他国が主導する兵器開発計画の枠組みとは一切の関わりを持たない。中立の国指を守るため、オーブが持てる独自の先進技術のすべてを結集し、極秘裏に試作・開発を進めていた純オーブ製の可変機であった。
「我がオーブが独自に試作開発していた可変モビルスーツ――『オーディン』だ」
ウズミ代表の声が、広大なバンカーのコンクリート壁に反響し、厳かに響き渡った。飛行形態へと姿を変え、戦場を支配するために生み出された孤高の結晶。
その圧倒的な存在感を放つ鉄の巨体を見つめる蓮の隣で、ウズミは少年の細い肩を、大きな手で、壊れそうなほど力強くガシリと掴んだ。
「これより、この機体をお前に託す。蓮、お前のその双肩で、この歪んだ世界の運命を、平和へと導く真の最適解を導き出して見せろ。遥の遺したオーディンと共に、飛べ」
「……了解」
蓮は無言のまま、己の新しい肉体、新しい半身となるべき青と白の鋭利な装甲を、ただ真っ直ぐに見つめ返していた。あの日、自らの手のひらから零れ落ちた世界を、この鉄の手首で今度こそ掴み取るために。
「……それが、私がウズミ代表からあの機体を直接託された、全ての経緯だ」
――フゥゥゥン……
蓮が過去の話を終えるとほぼ同時に、オーディンのコクピット内には再び、インド洋の冷たい静寂が戻ってきた。
後席のシャルは、パイロットスーツの中で完全に言葉を失っていた。蓮が背負う絶望のあまりの深さ、あるいはウズミ伯父様が自ら彼の部屋へ赴き、肩を掴んでまで託した平和への狂おしいほどの執念。オーディンという機体は、ただ敵を殺すための兵器ではない。不条理な大戦に抗い、命を繋ぎ止めるための、オーブの、あるいは蓮の魂そのものなのだ。
「分かった……。お前たちの覚悟の重さ、確かに私のこの胸に受け取ったぞ、蓮」
シャルは手袋に包まれた両手を、自らの膝の上で白くなるほど固く握りしめた。
もう、ただ泣くだけの、滅びし国の皇女ではない。自分もまた、その凄まじい誓いの一部として、カガリを泥沼の戦火から引きずり戻すための絶対的な『鍵』になるのだと、暗雲立ち込める空の先を見つめて、その瞳に烈しい闘志を宿した。
目的のアークエンジェルを見つけるため、オーディンはさらに速度を上げ、インド洋からオーブ近海へと続く複雑な海域へと確実に接近していく。
その、刹那であった。
――ピピピピピピピピピピピピピッ!!!(索敵アラート音)
前席の蓮のマルチモニターが、突如として不気味な赤色の熱源反応を複数捉え、激しく明滅し始めた。コックピット全体に赤色の警告ライトが不気味に回り始める。
「敵襲か、蓮! ステルスを破られたか!」
シャルが鋭く声を張り上げ、シートベルトを締め直す。しかし、操縦桿を握る蓮の両手の動きは、驚くほどに冷静で、かつ超高速であった。コンソールの入力を書き換え、索敵レーダーの長距離データを再演算する。
「……違う。計算が合わない。奴らの索敵周波数、およびレーダーの照射角度は、俺たちを捉えていない」
「何だと……? ターゲットは我らではないというのか!」
「ああ。この熱源パターンと長距離戦闘の余波、間違いない。……俺たちが捜索していた地球連合軍の最新鋭艦『アークエンジェル』だ。さらに、情報にあった地球連合軍の最新鋭モビルスーツの熱源パターンも感知した。無人島での激戦を終え、行方不明だったカガリ様を無事に回収した連合艦が、オーブ本国へと向かう国境直前の境界海域において、ザフトの主力部隊による烈しい空襲を受けている。これより、戦闘のある区域へと向かう」
画面を流れる非情な長距離戦闘データ。蓮がコンソールを叩いてスロットルを僅かに傾けると、オーディンの変針データが即座に戦空へとロックされた。雲海の切れ目、白波が烈しく逆巻くはるか眼下の水平線上に、巨大な白き艦のシルエットが浮かび上がった。
「視認した。……あれが、アークエンジェルか」
後席のシャルが息を呑み、マルチモニターの光学映像を睨み据える。翼を広げたような独特の双胴の形状。間違いない。カガリが身を寄せている、連合の不沈艦だった。
「ザフトの空中戦仕様モビルスーツ『ディン』の大規模な編隊だ。オーブ領海の手前で待ち伏せ、アークエンジェルを国境直前で海の底へ叩き落とす構えだ」
「そんな……! あと少しでオーブだというのに、カガリたちが、国境の目の前で撃沈されようとしているというのか!」
「情報にあった連合の最新鋭モビルスーツ――『ストライクガンダム』も、エネルギー残量がリミットまで低下している。対空陣地も次々と破壊され、高度を維持できていない。強行介入する。シャル、衝撃に備えろ。ここからは未体験のGがかかる」
「なめるなと言ったはずだ! 奴らにオーブの、日本の意地を教え込んでやれ! 行け、蓮!!」
――ガシャァン!(自動巡航システム・強制ロック解除音)
蓮は無言のまま、スロットルのレバーを最大出力へと叩き込んだ。
主翼の超高出力バーニアが眩いばかりの光の尾を引き、青と白の閃光となったオーディンは、凄まじい加速Gで二人の身体を座席へと押し付けながら、遥かなる激動の領海境界線の戦場へと向かって、雲海を突き破り猛然と急降下を開始した。
オーブ領海直前の荒れ狂う海上の戦場では、絶対的な絶望がアークエンジェルを包み込もうとしていた。
無人島での激動の一夜を経て、ようやく平和の国オーブへと必死に針路を向ける艦を、待ち受けていたザフトの空中戦部隊が、容赦のない波状攻撃で追い詰めていく。
上空を不気味に旋回する数機の『ディン』が、その巨体から重突撃機銃や対空ガトリング砲を容赦なく掃射し、アークエンジェルの対空陣地を次々と沈黙させていた。
「――左舷被弾! 本艦の傾斜を戻して、早く!」
爆鳴が響き渡るアークエンジェルのブリッジで、マリュー・ラミアス艦長が激しい振動に身を揺らしながら必死に叫んでいた。だが、状況は悪化の一途を辿る。
「駄目です艦長! 敵空中戦部隊の圧力が強すぎます、対空防御が追いつきません!」
CICのオペレーター席からナタル・バジルール少尉が、鉄の規律を保ちながらも切迫した声を張り上げる。そして、迫り来るディンの編隊を捕捉し続け、鋭く叫んだ。
『――ゴットフリート、バリアント、撃てッ!!』
――ズガァァァァンッッ!!!
――ドボォォンッ!!!
アークエンジェルの巨体から、凄まじいビーム光条と実弾が夜空へと撃ち出される。しかし、空中での高速機動を誇るディンの編隊は、その砲火を巧みに掻い潜りながら、さらに包囲網を縮めていく。
「くそっ、空中からの猛攻にバッテリーが持たない……!」
キラ・ヤマトの乗るエールストライクガンダムは、エールパックの推力を駆使して空中戦でディンの編隊を必死に退けていたものの、数による圧倒的な不利とエネルギー消費の限界を覆えず、フェイズシフト装甲のカラーが薄れゆく絶望的な警告の中で海面スレスレに高度を落としていた。
「おい、キラ! バッテリー切れ寸前だぞ、これ以上は無理だ!」
「分かってます、フラガ少尉! でも、アークエンジェルをやらせるわけには……っ!」
大気圏内戦闘機スカイグラスパーを縦横無尽に操り、ストライクを必死に援護していたムゥ・ラ・フラガも、機体の数箇所を被弾し、激しい黒煙を噴き上げながら高度を維持するのが精一杯だった。
ディンの編隊が牙を剥き、無防備となった連合の最新鋭機を取り囲んでトドメの一斉掃射を浴びせようと、パイロットたちが嘲笑と共に引き金に指をかける。
『墜ちろ、連合のモビルスーツがァ!』
「危ない,キラ――ッ!!」
アークエンジェルのブリッジでは、何もできずにモニターを凝視するしかなかったカガリ・ユラ・アスハが、その引き裂かれそうな胸中から絶叫を上げていた。マリュー艦長も、ナタル少尉も、迫る死の予感にただ奥歯を噛み締めることしかできない。
だが、その絶対的な死の瞬間に、天の彼方――雲海の裂け目から放たれた超高エネルギーの光条が、海洋の絶望を文字通り一刀両断した。
――キュビィィィンッ!!!
『な、何だあぁぁぁッ!? どこからの砲撃だ!』
空中を旋回していたザフトのディンのパイロットが驚愕の声を上げる。情報にあったモビルスーツ、ストライクを仕留めようと完全に背後を取っていたディンの胸部コクピットへ、上空から放たれた超高出力のビームがピンポイントで直撃。ディンは一切の爆鳴をあげる暇すらなく、空中で跡形もなく消滅した。
水煙の向こうから、大気を引き裂く鋭い風切り音と共に、信じられない速度で海面スレスレを滑空してくる一つの影。
「な、何だあの機体は……っ!? 僕たちの仲間……じゃないよね!?」
死線を紙一重で救われたキラ・ヤマトが、ハリスの光学モニターに映し出された青と白のモビルスーツの機体フレームを凝視し、驚愕に声を震わせた。その直線的でシャープな装甲、背面のウェポンマウント、そして圧倒的な存在感――それは、自らが操縦するストライクの設計思想に、どこか酷似しているように思えたからだ。
「おいおい、冗談だろ……!? 連合の新型でもなけりゃ、ザフトのディンでもねえ……!」
上空で被弾しながら黒煙を噴くスカイグラスパーのコクピット内でも、ムゥ・ラ・フラガが信じられないものを見るかのように目を見開いた。
アークエンジェルのブリッジもまた、同様の戦慄に包まれていた。メインモニターに大写しにされた未知の機体の姿に、マリュー艦長が息を呑む。
「な、何なのあの機体は……!? 連合に、あんなモビルスーツの開発データはなかったはずよ!」
「――っ、敵のド真ん中で、あの速度から変形しただと!?」
ナタル少尉が、鉄の規律をも忘れて驚愕の絶叫を張り上げた。
その言葉の通り、超高速でディン編隊の頭上へ突入したその青と白の影は、信じられない制動Gを発生させながら、滑らかな駆動音と共に空中で瞬時にモビルスーツ形態へとその姿を組み替えたのだ。オーブが独自に秘匿していたその異次元の可変機動の美しさとストライクに似た洗練されたフレームに、アークエンジェルのクルー全体が、ただ戦慄のまま網膜にその残像を焼き付けることしかできなかった。
――ガシャ、グォォォォン……ッ!!!(空中変形駆動音)
折りたたまれていた鋭利な四肢が展開し、主神の名を冠する頭部がせり出す。
海面からの烈しい水飛沫を爆発的に巻き上げてホバー駆動で制動すると同時に、蓮の手捌きに一切の狂いなく、マークスマン型ビームライフルの銃口が周囲のザフト機へと向けられた。
――ピピピピピピッ!(超高速マルチロックオン音)
「周囲の飛行型、ディン3機を排除。……次だ」
――キュビィン! キュビィン! キュビィン!
感情を完璧に排した蓮の呟きとほぼ同時に、流れるように放たれた精密な三連射が海上の夜空を切り裂いた。アークエンジェルを上空から追い詰めていたザフトのディン3機が、反撃の旋回を行う暇すら与えられず、コクピットを正確に撃ち抜かれて次々と巨大な火球へと変わっていく。
――チュドォォン!
『バ、バカな!? なんだあの機体は! ディンが一瞬で全滅しただと!?』
残されたディンの隊長機が、戦慄のままその巨体をオーディンへと向け、対空散弾砲を放とうとした。
だが、蓮のコーディネイターとしての脳内処理速度は、敵が引き金を引くよりも早く、次の最適解を導き出していた。
――ガシャアァン!(飛行型・再変形音)
オーディンは砲撃が放たれる寸前、再び鋭利な飛行型(フライトモード)へと瞬時に変形。主翼のバーニアを爆発させ、波飛沫を削るような超低空の超音速移動で、ディンのセンサーの死角へと一瞬で回り込んだ。
『消えた……!? どこへ行った!』
『海面スレスレだ、避けろォ!』
ザフトの指揮官の絶叫。しかし、すべては遅すぎた。
海上の戦場すら度肝を抜かれる予測不能な三次元機動で敵の完全な背後を取ったオーディンは、空中で再びMS型へと三度変形。マークスマン型ビームライフルの鋭利な銃口を、ディンの背面に露出した大型スラスターへと容赦なく突きつけた。
――ズドォン!
『グアァァァッ!!』
精密極まるピンポイントの一撃が、ディンの推進機関を内部爆縮させる。激しい火花と黒煙を海面にぶち撒けながら、ディンはその場に激しくコントロールを失い、海の底へと大破沈没――完全な戦闘不能へと追い込まれた。
『よくも部下たちを! 叩き落としてやるわ!』
執拗に肉薄してくる最後のディンが、重斬刀を引き抜いてオーディンへと猛然と肉薄する。激しい金属の刃が迫る。
後席のシャルは、未体験の激しい変形Gの中で奥歯が鳴るほどに歯を食いしばり、コンソールのホールドレバーを限界まで握りしめながら、前席の蓮の操縦に全てを委ねていた。
「来るぞ、蓮! 斬りかかってくる!」
「……問題ない。計算通りだ」
蓮はレバーを最小限の動きで捌いた。オーディンは迫るディンの烈しい剣撃を、右腕のマークスマン型ビームライフルの銃身だけで無駄なく完璧に受け流すと、その干渉の火花の中で流れるようなステップを踏み、敵の懐の最深部へと滑り込むように潜り込んだ。
そのまま、左腕の機首装甲に備えられた高出力ビームシールドをゼロ距離の至近高度で瞬間展開。盾そのものを武器とする、強烈なシールド・スマッシュをディンの胸部コクピットへと叩きつけた。
――ドゴォンッ!!!
『ガハッ……!? なんだ、このパワーは……!』
ディンは装甲を激しく歪ませながら、海原へと派手に吹き飛ばされ、海面を何度も水切り石のようにバウンドして転がっていった。
オーディンの圧倒的な変形シークエンスと、感情を殺したスナイパーによる超精密狙撃。その異次元の力の前に、ザフトの誇る空中戦部隊は、オーブ領海の手前で手も足も出ずに完全に圧倒され、壊滅状態に陥っていた。
『チッ、ここまでだ! 引くぞ! この新型は化け物だ、国境直前で余計な損失を出すな!』
大勢が決したことを悟ったザフトの残存部隊は、その圧倒的な神装の力を前に、蜘蛛の子を散らすように次々と後退し、領海線の向こうへと逃げ帰っていった。
――シューゥゥゥン……(ジェネレーターの出力収束音)
激しい硝煙の匂いと、静まり返る海上の静寂。
ザフトのディン部隊を瞬く間に駆逐したオーディンは、マークスマン型ビームライフルを背面のウェポンマウントへと静かに収め、波打つ太平洋の入り口で、月光を浴びて厳かに滞空していた。
だが、戦場に訪れた静寂は、決して安息を意味してはいない。
「……あいつ、何者なんだ……!? 連合の新型じゃない……ザフトでもない……!」
エネルギー切れの警告音が鳴り響くストライクのコクピットの中で、キラ・ヤマトは操縦桿を握り締めたまま、眼前に佇む青と白の可変機から一瞬たりとも目を離さずに警戒を続けていた。装甲のカラーが薄れ、まともに動くこともままならない状態でありながら、突如として空から舞い降り、圧倒的な戦闘力を見せつけた未知の怪物を前に、ただ息を呑むことしかできない。
アークエンジェルのブリッジもまた、同様の戦慄に包まれていた。
「……ナタル少尉、敵の熱源反応は?」
「ディン部隊は完全に敗走。ですが……あの未識別機、依然として本艦の至近距離に滞空しています。……敵か、それとも味方か……!」
ナタル・バジルール少尉はコンソールを睨み据えたまま、迎撃陣地をいつでも動かせるようトリガーに手をかけていた。マリュー・ラミアス艦長も、額の汗を拭うことも忘れ、モニターに映る異質な鉄の巨体を見すえて唇を噛む。
「(……。)」
その張り詰めた沈黙を破ったのは、アークエンジェルの全回線へと直接割り込んできた、極めて低く、冷徹な少年の声だった。
――ブゥゥン(通信割り込み音)
『――こちらオーブ連合首長国、国防軍直轄・独立0特務隊所属、ミタミ蓮少尉。アークエンジェル、および連合の新型機、これ以上の戦闘態勢は無意味だ。俺たちに敵意はない』
その冷徹な宣言が響いた瞬間、マリュー・ラミアス艦長は即座に手元のマイクを掴み、メイン回線を開いて返答した。
『オーブ軍……!? 中立国のモビルスーツだっていうの……!?』
驚愕を隠せないマリューの言葉を受け、傍らに立つナタル少尉が即座に通信を逆探知しつつ、鋭くマイクへと問い返した。
『オーブの軍人が、なぜこのような境界海域に最新鋭機を単機で転がしている! 本艦に何の用だ!』
『我が国の首長国たるオーブの宇宙コロニー――ヘリオポリスにおいて極秘裏に建造された地球連合軍の新造艦アークエンジェル。それが我が国の領海境界線へと接近している。その機密艦の現状を確認、および臨検することが、オーブ軍として俺に課せられた第一の任務だ。……アークエンジェル、我が機体の着艦許可を求める』
蓮は淡々と、理路整然とした「嘘の目的」を告げた。現在のアークエンジェルがオーブへ入港するための公式な大義名分を作りつつ、同時にこちらの真の狙いを伏せるためのブラフ。
無線を通じて蓮が有無を言わせぬ着艦許可を求めた、まさにその刹那だった。
アークエンジェル側がこの突然の臨検要求にどう返答すべきか躊躇い、ブリッジに重苦しい沈黙が走るその僅かな隙間。
前席の蓮のイヤーモニターにのみ、独立0特務隊の神代宗一郎艦長からの極秘個別回線が、繋がったままのメイン回線を縫うようにして電理的に鋭く割り込んできた。
『ミタミ少尉、聞こえるか。……アークエンジェルへ接触したな。お前にのみ最優先の秘匿指示を追加する』
『……こちらミタミ。指示を』
『何があってもカガリ様、ならびに後席のシャル・アスハの身元を徹底して隠匿せよ。シャルは日本の皇女であり、カガリ様はオーブ最高権力者の実娘だ。この不条理な戦火の最中、彼女たちの身元が地球連合ヤザフトに割れることは、我が国のみならず戦後の未来にとって致命的なリスクとなる。アークエンジェルへの交渉の際は、あらかじめ用意した大義名分を用い、両名の素性は限界までぼかせ。分かっているな』
『……了解。最適解のために、両名の素性は完全に秘匿する。――追加通信終了』
蓮はその冷徹な脳内ロジックに艦長からの絶対命令を深く書き込むと、後席のシャルやアークエンジェル側に一切の空白を感じさせることなく、流れるような無駄のなさでメイン無線の続きを発話した。
『――さらに、俺の機体の後席には、激動の東アジア戦線からオーブ本国への亡命を希望する、我が国の首長アスハ代表に連なる重要高官が同乗している。ザフトの増援部隊がいつ再接近してくるかもわからない今、これ以上の洋上での対峙は相互のリスクを増大させる。……アークエンジェル責任者、解答を』
カガリの存在については影すら見せず、シャルという具体的な名前や「日本の皇女」という素性も完全に伏せ、あらかじめ用意された大義名分だけで交渉を完璧に上書きする。
その通信を聞いた瞬間、ブリッジの隅にいたカガリ・ユラ・アスハはハッとしてモニターの前に飛び出した。自分の存在がバレて追われてきたわけではなく、オーブからわざわざ「アスハの血族」が亡命のためにやってきたと告げられたことに、強烈な予感を覚えたからだ。
蓮からの冷徹な要求を前に、マリューは一瞬だけナタルと視線を交わした。ストライクのバッテリーは完全に底を突きかけており、ムゥのスカイグラスパーも満身創痍だ。ここでオーブの最新鋭機を拒絶し、再びザフトの強襲を受ければ艦は沈む。それに、相手の大義名分が正当である以上、拒む理由はなかった。マリューは意を決してマイクを握り、直接通信を返した。
『……こちらアークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス大尉です。三民少尉、本艦の第一格納庫を開放します。……着艦を許可します、入ってきてください』
『了解した、ラミアス艦長。着艦する』
蓮はアークエンジェルへの回線を一度閉じると、座席間の身内通信を開き、後席のシャルへ向けて冷徹に告げた。
「シャル。これより着艦する。これからの艦内への臨席において、お前が滅びし日本の皇女である素性は決して明かすな。自らの身分を徹底して隠匿しろ。それが俺たちの生存確率を上げるための絶対条件だ」
「ふん……なめるなと言ったはずだ、蓮。その程度の隠密機動、心得ている。お前の仕事はここまでだ。あとは私が、あの無鉄砲な娘を引きずり戻して見せる」
「……それともう一つ指示する」
スロットルを絞りながら、蓮の静かな、しかし有無を言わせぬ警告が後席へ飛んだ。
「ハッチが開き、格納庫でカガリ様の姿を視認したとしても、すぐに駆け寄って抱きつくような不用意な行為は絶対に起こすな。俺たちの建前は、あくまでヘリオポリス建造艦の確認と、お前という高官の亡命同行だ。再会に浮かれて個人的な感情を少しでも表に出せば、連合に不信感を植え付ける。……分かったな」
「っ……。ふん、言われずとも分かっている。私は泣き叫ぶだけの子供ではない」
シャルの勝気な声の奥に、僅かながらの緊張と、皇女としての意地が滲む。
蓮はそれ以上の言葉を排し、スロットルを滑らかに操作した。青と白の巨体――オーディンは海面を滑るような挙動でフライトモードを維持したまま、アークエンジェルの巨大なカタパルトデッキへと向かって、吸い込まれるように進入を開始する。
――ガシャァンッ!!!(着艦固定音)
重々しいロック音がアークエンジェルの船体に響き渡り、オーディンの脚部が完全に固定された。
ついに、独立0特務隊の刃が、平和の国オーブの手前で、激動のアークエンジェル一行と完全に交錯した瞬間であった。
続く
ご愛読ありがとうございました。アニ督です。3話もある程度早めに出すことができました。AIを活用してるので間違いが少しあるかもしれませんので、そちらは見つけ次第に対処するのでご了承の程よろしくお願いします。4話すぐに出す予定なので、待っていただけると幸いです。では、次回もお楽しみに。