世界を欺いた偽りの砲火の余韻を残したまま、強襲機動特装艦アークエンジェルは、オーブ連合首長国の懐深くに隠された秘密の軍港へと滑り込んだ。
ザフトの目を完全に晦まし、主権侵害の「建前」を完璧に演じきった結果としての、極秘の入港。
巨大な人工岩壁にカモフラージュされたゲートが閉ざされると、それまで荒れ狂っていた外海の波濤が嘘のように消え去り、静謐な地下ドックの空間が広がった。
アークエンジェルが指定された係留ドックへと完全に固定されるのとほぼ同時、ブリッジの自動扉が開き、一人の少年が足を踏み入れてきた。
蓮少尉だった。
オーディンを専用ハンガーへ格納し、後席のシャルを一度機内に待機させたまま、彼は一切の感情の起伏を排した平然たる佇まいで、マリュー・ラミアスたちの元へと帰還したのだ。
だが、安堵を交わす余裕などブリッジにはなかった。メインスクリーンが、極秘ドックの隣のレーンに鎮座する一際巨大な「影」を映し出したからだ。
「――っ!? あれは……!」
アークエンジェルのブリッジで、マリューが息を呑み、座席から身を乗り出した。ナタル・バジルールもまた、驚愕にその目を限界まで見開いている。
そこにいたのは、白い船体に2本の巨大な主砲塔、独特な形状の艦橋をそびえ立たせる、巨大な強襲機動特装艦。
細部の形状や兵装の配置、あるいはその禍々しいまでの漆黒に近い装甲の差異こそあれど、それは間違いなく、地球連合軍の最高機密であるはずのアークエンジェルと、同一の設計思想の下に造られた「同型艦」だった。
「なぜオーブに、我が艦の同型艦が存在するのですか……!? 蓮少尉、あれは一体……!」
マリューが取り乱した悲痛な声を、目の前に立つ蓮へとぶつける。地球連合のG組織、あるいはアークエンジェルは、ヘリオポリスで極秘裏に開発されていたはずのものだ。それがなぜ、オーブの秘密軍港に最初から存在しているのか。軍人として、その矛盾が理解できないのだ。
蓮の瞳が、コンソールの光の中で僅かに動いた。しかし、その声音には何の昂ぶりもない。ただの事実を伝えるために、間近にいるマリューたちへ向かって、淡々と声を紡いだ。
「――特務艦『ヤマト』。あれこそが、俺たちの隊の船です」
「特務艦、ヤマト……。貴方たちの、所属艦……」
マリューがその名前を呆然と反唱する。
ヘリオポリス崩壊の最中、突如として現れ、自分たちを救った謎のモビルスーツ『オーディン』。その全貌の一端が、目の前の巨大な黒き鉄の城として具現化していた。オーブは中立を掲げながら、連合の機密を、あるいはそれ以上の独自軍備をこの地下に隠匿していたのだ。その事実の重さに、ブリッジの面々は言葉を失った。
その沈黙を切り裂くように、ブリッジの全周波無線が突如として強制介入の警告音を鳴り響かせた。
「――艦長、無線を受信! オーブ軍の暗号規格ですが……本国の海軍データには存在しない、未登録のコードです! 所属データが弾かれています!」
CICのミリアリアが、コンソールを叩きながら困惑と警戒の混じった声を上げる。公式データにすら載っていない、正体不明の規格からの暗号無線。
ナタルが即座に険しい表情で身構え、ブリッジの空気が一気に張り詰める。マリューは緊張を押し殺し、手元の無線機の回線を開いた。
『――こちらはオーブ海軍、独立0特務隊。特務艦ヤマト艦長、神代宗一郎だ』
無線越しにマリューの耳元へ直接届いたのは、一切の揺らぎのない、文字通り鉄のような意思を宿した男の声だった。ノイズの向こう側から伝わるその絶対的な規律と威圧感に、マリューは僅かに息を呑む。その身に特務隊の象徴である黒色の軍服を纏った男は、事務的なトーンのまま、無線を通じて冷徹に告げた。
『アークエンジェルへの乗艦を求める。ハッチの開放を願いたい』
先ほどまで、領海線の向こう側でアークエンジェルに向けて「容赦のない艦砲射撃」を浴びせ、世界を騙しきったあの茶番劇の首謀者。
その神代宗一郎艦長が、無線を通じて、アークエンジェルの内部へと、静かに乗艦の歩みを進めようとしていた。
アークエンジェルのハッチが静かに開き、通路の向こうから一切の乱れもない、規律に満ちた等間隔の軍靴の音がブリッジへと近づいてきた。
現れたのは、独立0特務隊の指揮官――神代宗一郎艦長だった。
一分の隙もない、不気味なほどの漆黒の軍服を厳格に纏い、その鋭い眼光は文字通り鉄のような意思を宿している。先ほどまで領海線の向こう側でアークエンジェルに向けて容赦のない艦砲射撃を浴びせ、世界を騙しきった「茶番劇」の首謀者が、いま、マリュー・ラミアスたちの前にその姿を現したのだ。
マリューは緊張にその背筋を伸ばし、乗艦してきた神代に向けて鋭く挙手注目の敬礼を送った。ナタル・バジルールやブリッジの面々もそれに倣う。神代は一瞬だけマリューたちを見据えた後、寸分の狂いもない動作で敬礼を返し、静かに口を開いた。
「オーブ海軍、独立0特務隊。特務艦ヤマト艦長、神代宗一郎だ」
「地球連合軍、第八艦隊所属、アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス少佐です。此度の……我が艦の入港措置、ならびに無線での要求へのご対応に感謝いたします」
マリューの挨拶に応じる神代の表情は、鉄の仮面のように崩れなかった。しかし、その声音には確かな重みがあった。
「挨拶は不要だ、ラミアス少佐。我々は国として、公には貴艦の不法侵入を拒絶し、撃破したことになっている。……まずは、我が国のウズミ代表の娘であるカガリ・ユラ・アスハ、そして日本の皇女であるシャル・アスハ、さらには我が特務隊の蓮少尉をアークエンジェルに受け入れ、ここまで生かして連れ戻してくれたこと、特務隊を代表して深く感謝する」
「それは……私たちは、彼らに何度も危機を救われました。お礼を言うのはこちらの方です」
マリューの言葉に、神代は僅かに顎を引いた。精度高く制御された極秘ドックの様子を一瞥し、神代は言葉を続ける。
「此度の入港は徹底した極秘だ。ザフト、連合、双方の目を欺き通さねばならん。だが、安心しろ。今後はこのドックにおいて、アークエンジェルの物資補給、ならびに損傷箇所の修理に関して、我が隊とモルゲンレーテ社が全面的に協力を約束する。まずは艦を休めるといい」
「……! ありがとうございます、神代艦長」
マリューの顔に、大気圏降下以来初めてとなる安堵の色が浮かぶ。
一通りの対話を終えると、神代はその鋭い視線を、ブリッジの傍らで直立不動のまま控えていた蓮へと向けた。蓮の瞳は、何の変化も交えずに神代を見つめ返している。
「蓮少尉」
「はっ」
"「此度の護衛任務、見事であった。……だが、休んでいる暇はない。夜になり次第、オーディンを出撃させ、モルゲンレーテまでキラ・ヤマトのストライクを護衛しろ」"
「ストライクの護衛……了解。その後は」
「そのままモルゲンレーテの施設へ機体を搬入し、機体各部の修理とメンテナンスを終えろ。それが次の命令だ」
「了解。これより夜間行軍の最適解を演算し、待機します」
蓮は一切の感情を排した声で短く応じると、次なる任務の遂行のためにブリッジを後にした。神代はその背中を、複雑な眼光で見送っていた。
一方、極秘裏にアークエンジェルを降り、オーブ軍の特殊部隊によってそれぞれの屋敷へと送り届けられていたカガリとシャルは、過酷な死線の泥を洗い流していた。
カガリはウズミ代表の待つ本邸へ。
あるいはシャルは、アスハとしての自身の割り当てられた屋敷へと戻り、旅の汚れを落としていた。
ザフトの猛火、あるいはオーディンの後席で直視し続けた、物理法則の塊のような蓮の危うい戦い方。そのすべての硝煙を洗い流し、シャルは衣服を着替え終えた。
鏡の前に立つ彼女の身を包むのは、いつもの華美な衣装ではなく、どこか厳かさを感じさせる静かな装いだった。大きな紅色の瞳に宿る不遜で凛とした光はそのままに、彼女は誰にも同行を許さず、単身で屋敷を出た。
シャルが赴いたのは、オーブの華やかな市街地でも、首長国の政治の中心でもなかった。
夕暮れの潮風が吹き抜ける、静謐な丘の上の敷地。そこに、ひっそりと佇む石の碑があった。
オーブの、あるいは独立0特務隊の過去の激戦で散っていった者たちの名を刻む、慰霊碑。
その石の表面には、蓮がかつてその胸の奥に全ての感情を封印する引き金となった、最愛の女性の名――『神代遥』が刻まれている。
かつて世界が崩壊へと向かう混沌の最中、オーブの兄弟国である日本のために、オーブは国家の決断として遙や蓮を含めた軍人たちを、特務の軍艦と共に極東の地へと派遣していた過去があった。
その派遣された地において、日本の防衛と救助活動に奔走していた特務艦艦長、神代遥。
そして、日本の皇女として、その遥の壮絶な最期を直視していたシャル・アスハ。
遥を失った絶望から、己の心を擦り切らし、心を殺して「機械の真似事」のように最適解だけで戦うようになってしまった蓮。二度と目の前で誰も失わせはしないという強い決意と、言葉にならぬ重い傷跡を背負い、シャルはこの場所へと静かに足を運んだのだ。
だが、シャルが静かに慰霊碑へと足を進め、その全景を視界に収めようとした手前で、彼女の紅色の瞳が微かに動いた。
誰もいないはずの静謐な敷地を囲む、大きな木の影へと隠れる形で、影からそっと石碑の前を窺う。
するとそこには何故か、キラと蓮の姿があった。
――時間を、神代艦長がアークエンジェルへと乗艦する直前まで、僅かに遡る。
外海の硝煙を完全に遮断した、地下ドックの硬質な静寂。
アークエンジェルのモビルスーツ格納庫(ハンガー)の中では、2機の機体が鈍い金属光沢を放ちながら並んでいた。度重なる激戦を潜り抜けてきたキラ・ヤマトの『ストライク』。あるいは蓮少尉の駆る『オーディン』。
先ほどの領海線でも、2機は共にアークエンジェルの船体に張り付き、押し寄せるザフトの猛火から艦を死守するための強固な防壁として戦い抜いたのだ。その機体装甲には、等しく凄絶な死線の爪痕が刻まれていた。
周囲ではすでにオーブの作業員たちが慌ただしく動き始めていたが、蓮は誰の手を借りることもなく、ただ一人でオーディンのコックピット周辺のコンソールを弄り、機械的にメンテナンスを終えようとしていた。
蓮の視線は、コンソールに表示されるエラーログの消去と、駆動系の微調整という「最適解」の作業のみに向けられている。感情を排したその横顔へ、整備ハッチを降りてきたキラが、所在なげに歩み寄ってきた。
「あの……蓮少尉」
キラの声には、大気圏降下から領海線での茶番劇に至るまでの、凄絶な戦いによる疲弊が色濃く滲んでいた。
「僕の方の、ストライクの初期メンテナンスは一通り終わりました。……何か、手伝えることはありますか?」
蓮は操縦桿から手を離すと、一切の感情の起伏を排した瞳をキラへと向けた。コンソールの光が、二人の少年兵の顔を冷たく照らし出す。
「いや。オーディンの基本回路のチェックは終了している。これ以上、お前が手を貸すべき余剰タスクは存在しない」
「……そうですか」
断られ、キラは力なく視線を落とした。自分の居場所がここ(戦場)にしかないと言わんばかりの、痛々しい迷い。それを見た蓮の脳細胞が、一つの合理的な問いを弾き出した。蓮の声音は、ただの事実を確認するように淡々としていた。
「キラ。ここはオーブだ。お前の家族が暮らしている国のはずだが。……会いたくはないのか」
問いに対して、キラの身体が明確に強張った。
中立国だと思っていた故郷。しかし、その国ですら、自分たちを生かすために身内を撃ち据えるような冷酷な政治を平然と行う現実を、キラは先ほど直視したばかりだった。戦火に巻き込まれ、何のために戦っているのかさえ見失いかけている今の自分。そんな傷だらけの姿で、平和に暮らす家族の前に立てるはずがなかった。
「……今は、会いたくないです」
キラは衣服の裾をぎゅっと握りしめ、消え入りそうな声で拒絶を口にした。その拒絶の意味を、蓮は深く追及することはしない。感情を封印した彼にとって、他者の感傷は演算の対象外だった。だが、夜間の護衛任務を控えたキラの精神状態(バイタル)の安定は、次の任務の成功率に関わる。
蓮はコンソールの電源を落とし、コックピットのシートから音もなく立ち上がった。
「なら、少し付き合え」
「え……?」
怪訝そうに顔を上げるキラに背を向け、蓮は機体のタラップを降りながら、手元の通信端末でアークエンジェルのブリッジへ回線を開いた。
「ラミアス艦長、蓮だ。キラ・ヤマトを伴い、これより一時的に艦外へ同行する。夜間の行軍任務に向けた、精神抑止を目的とした措置だ。許可を願いたい」
感情のない蓮の要求に、通信の向こうのマリューは一瞬だけ躊躇う気配を見せたが、過酷な死線を潜り抜け続けてきたキラの疲弊を理解していたのだろう。すぐに、静かな声で承認を返してきた。
『……分かりました、蓮少尉。キラくんのことを、よろしくお願いします』
「了解した」
通信を切ると、蓮はまだ格納庫の床で立ち尽くしているキラを一瞥した。
「行くぞ、キラ」
「あの……どこへ行くんですか?」
「ここからそう遠くない場所だ。お前を連れていくことに、一定の合理性があると判断した」
蓮はそれだけを告げると、キラを連れて車に向かった。
蓮が淡々とハンドルを握り、静かにアクセルを踏み込む。車はドックのゲートを抜け、敷地外の山道へと滑り込んでいった。
助手席のキラは、流れていくオーブの景色をただ無言で見つめ、蓮もまた、前方を見据えたまま一切の言葉を発しない。ただ車輪の転がる音と、微かなエンジン音だけが車内を満たしていた。
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やがて車が目的地へ到着し、二人がドアを開けて外へと足を踏み出す。
そこは、オーブの華やかな喧騒から完全に切り離された、夕暮れの潮風が吹き抜ける静謐な丘の上。
そこに佇むのは、独立0特務隊の過去の戦火で散っていった者たちの名を刻む、冷たい石の碑――『神代遥』の慰霊碑だった。
先ほど衣服を着替え終え、単身でここへ赴いていたシャルが、敷地を囲む大きな木の影へと身を隠した。
息を潜め、木肌に背を預けるようにして、影からそっと石碑の前を窺う。
夕暮れの淡い光の中に立つ2人は、そこにもう1人いる事を、知らないのであった。
夕暮れの潮風が、静謐な丘の上に佇む冷たい石の碑を白く洗っていく。
木の影に身を隠し、息を潜めていたシャル・アスハの耳に、草を踏み締める微かな音が届いた。石碑の前に並んで立つ、蓮少尉とキラ・ヤマト。
先に静寂を破ったのは、度重なる凄絶な戦いと、中立国の不条理な現実に晒されて傷ついていたキラの、擦り切れた声だった。
「あの、蓮少尉……。この慰霊碑は、一体……」
蓮の瞳は、一切の感情を排した無機質な光を宿したまま、刻まれた『神代遥』の名を見つめ、一切の抑揚のない声音で淡々と事実を弾き出した。
「神代遥。元イージス艦の艦長であり、此度の茶番劇を演じた神代艦長の妹だ」
「神代艦長のお妹さん……。ここで、亡くなったんですか?」
「いや。極東の地だ。かつて世界が崩壊へ向かう混沌の最中、オーブの兄弟国である日本のために、我が国は国家の決断として、遥や俺を含めた軍人たちを派遣していた過去がある。遥はその地で、命を懸けて防衛と救助活動に奔走していた」
「救助活動……。じゃあ、戦死、じゃなくて……」
キラの戸惑う言葉に、蓮はコンソールの数値を読み上げるかのように、冷徹に言葉を紡いだ。
「ザフトの攻撃だ。遥を含めた、数十名のオーブ軍人がそこで亡くなった」
「え……? でも、オーブは中立国で……プラントとも戦っていなかったはずじゃ……。それに、僕はあれは、ただの不幸な『事故』だったって……」
キラの繊細な表情に、驚愕と困惑が走る。だが、現場に護衛機のパイロットとして立っていた蓮は、その甘い認識を容赦なく切り裂いた。
「事故ではない。ザフトのモビルスーツ隊は、救助活動を行っていたオーブのイージス艦を、地球連邦軍の軍艦だと誤認して攻撃を行い、撃沈させた。それが真実だ」
「誤認……攻撃……」
「そうだ。この件を受け、オーブは裏でプラントに対して猛烈な抗議を行った。だが、表向きは中立という立場を維持するため、世界を敵に回さないために、ただの事故という形で国民と世界に虚偽の事実を伝えていた」
「――っ」
蓮の淡々とした告白の重みに、木の影で聞き耳を立てていたシャルの紅色の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。自国のために派遣され、理不尽に散っていった遥の最期が、国家の欺瞞のために隠蔽されていた。その事実に、シャルは拳をぎゅっと握りしめ、溢れ出そうになる怒りの声を殺して、そのままじっと二人の背中を見つめ続けた。
キラは言葉を失い、冷たい石碑を見つめることしかできなかった。誰もが嘘をつき、誰もが理不尽に巻き込まれていく。その重圧に押し潰されそうになるキラの横顔を、蓮は感情のない瞳で見つめ、静かに言葉を続けた。
「……キラ。俺は、感情の起伏を無駄なリソースとして封印している。だが、俺が今もオーディンに乗り、この戦場に立ち続けているのは、ただ最適解を演算するためだけではない」
「え……?」
「俺は、遥の叶えたかった夢のために戦っている。誰もが笑顔でいられるこのオーブを守る事。そして、この理不尽な戦争を終わらせる事。彼女が命を懸けて守ろうとした理想、その遺志を代わりに遂行することだけが、今の俺の、唯一の行動原理だ」
蓮の声音はどこまでも静かだったが、その根底には、いかなる物理法則よりも強固な、絶対の覚悟が宿っていた。
蓮は手元にあった花束を、冷たい石碑の前へと静かに手向け、ゆっくりと目を閉じた。キラもまた、胸を突くような蓮の言葉の重みを噛み締めながら、並んで静かに手を合わせる。夕暮れの光の中で、二人の少年兵の影が長く伸びていた。
やがて、手を合わせ終えた蓮がゆっくりと目を開け、隣のキラへと視線を向けた。その無機質な瞳の奥に、僅かながらの、人間らしい微かな和らぎがあった。
「キラ」
「はい……」
「出撃前の時間に、俺の私情に付き合ってもらった。感謝する。おかげで、心が少し落ち着いた」
「……蓮少尉……。ううん、こちらこそ、連れてきてくれて、ありがとうございました」
蓮らしい不器用な気遣いに、キラの痛々しかった表情が、ほんの少しだけ救われたように和らいだ。二人は踵を返し、乗ってきた車へと戻り、丘を降りていった。
完全に二人の気配が消え去ったのを見計らい、シャルは静かに木の影から姿を現した。
金髪のサイドテールを潮風に揺らしながら、彼女は一歩、また一歩と石碑の前へと歩みを進める。その端正な顔には、先ほど蓮の口から聞いた不条理への憤りと、そして誰もが笑顔でいられるオーブを守り、戦争を終わらせるという遥の夢を代わりに背負って戦っている蓮への、言葉にならぬ切ない感情が張り付いていた。
「……ふん、石頭の大人たちの考えることは、どいつもこいつも胸糞が悪いな」
シャルは不遜な口調で吐き捨てながらも、蓮と同様に、用意していた花束を石碑の前へと静かに手向けた。二度と目の前で誰も失わせはしない、あの男を壊させはしない。その決意を新たにしたその時、シャルの背後から、重々しい足音が近づいてきた。
「――やはり、ここへ来ていたか、シャル」
振り返ったシャルの紅色の瞳に映ったのは、一切の感情を読ませない厳格な面持ちを纏った男――オーブ連合首長国の最高権力者であり、シャルにとっては伯父にあたるウズミ・ナラ・アスハだった。
「ウズミ伯父様……。丁度いい、貴方に聞きたいことがあった」
シャルは腕を組み、その鋭い眼光をウズミへと向けた。身内としての気品を保ちながらも、不遜で凛とした口調は崩さぬまま、先ほど木陰で耳にした国家の闇を、統治者たる伯父へストレートに叩きつける。
「蓮から聞いたぞ。あの日本での悲劇……神代遥たちの死は、ザフトによる誤認攻撃だったそうだな。それを貴方たちは、中立という薄汚い建前を守るために、事故だと世界を騙した。……それは真実か」
最高機密に属する問い。しかし、ウズミは一切の動揺も見せず、ただ深く、重い息を吐き出して姪であるシャルの目を正面から見据えた。
「……如何にも、その通りだ、シャル。カオシュンやあの地での不条理、国家の長として、返す言葉もない」
ウズミの声音には、一つの国家を背負う統治者としての冷徹な現実の重みがあった。
「あそこでザフトと全面戦争に突入すれば、オーブという国家そのものがプラントの物量に圧殺されていた。中立というオーブを守るため、ひいてはこれ以上の無辜の民を失わせぬためにも、当時は国民や世界に嘘をつくしかなかったのだ。……それが、私の選択した現実だ」
「ならば、なぜオーブは未だに曖昧な態度を続ける! 毅然たる態度を示すというなら、我が国は今すぐ地球連邦側につき、ザフトの非道を討つために戦うべきではないのか!」
シャルの紅色の瞳が、激しい義憤と憎悪に燃え上がる。
日本の首都・東京の陥落で実の父親を失い、故郷である国そのものを奪われ、ようやく逃げ延びたカオシュンでさえ、自分たちが幼い頃から共にいて家族同然だった老執事ハゴットを、ザフトに容赦なく殺された。すべてを奪ってきたザフトを絶対に許すわけにはいかないという、血を吐くようなシャルの叫び。だが、ウズミはその激昂を真っ正面から受け止めながらも、冷徹極まるトーンでシャルへと問い返した。
「――ではシャル。地球連邦が行った『血のバレンタイン』は、正しかったというのか?」
「それは……っ」
ウズミの不意の一突きに、シャルは息を呑んで言葉を詰まらせた。
「連邦は核を用い、農業プラント『ユニウスセブン』を破壊し、24万人もの一般市民の命を灰にした。……その連邦の掲げる正義の側に立ち、ザフトに報復の銃口を向けることが、貴方の言う正しい戦いなのか?」
「しかし、ザフトが父親を、爺を……蓮の大切な人たちを殺したのは事実だ! それを……!」
「武器を使い、武力によって生み出される力など、その先に生まれるものは憎しみだけだ、シャル 力で抑え込めば、抑え込まれた側はさらに強い力と憎悪で打ち返してくる。その報復の連鎖こそが、いま世界を焼いているこの戦争の正体なのだ。どちらかの陣営に加担することは、その狂気の連鎖に自ら身を投じるのと同義だ」
ウズミは視線を冷たい石碑へと向け、その眼光に鉄のような意思を宿らせた。
「だからこそ私は、法や建前の及ばぬ闇の中で動く、独立0特務隊を作った。神代を艦長に据え、蓮少尉をあの『オーディン』に乗せてな。特務隊の武力は、敵を滅ぼすための力ではない。破滅を瀬戸際で防ぎ、我が国の中立と理念を死守するための盾だ。シャル、お前は日本の皇女だ。自国がどのような不条理に呑まれ、どのような結末を迎えたか……その意味をしっかりと理解し、胸に刻め。ただ敵を討つ力だけを求めては、お前もまたその憎しみの連鎖に呑まれることになる」
伯父としての、あるいは一国の長としての重すぎる教えが、シャルの胸に深く突き刺さる。
かつて東京とカオシュンで全てを奪われ、守られるだけの弱さを捨てると誓って戦う力を求めたシャル。だが、連邦の欺瞞とザフトの憎悪が絡み合う世界の現実、あるいは家族同然だったハゴットの喪失さえも内包する戦争の本質を突きつけられ、彼女は反論の言葉を喉の奥に詰まらせた。
夕暮れの潮風が、丘の上の二人の衣服を激しく揺らす。
神代遥の慰霊碑の前で、伯父の冷徹な覚悟と戦争の本質を直視したシャルは、拳を強く握り締めながら、自らが背負うべき役割の真の意味を、静かに理解していくのだった。
完全に陽が沈み、オーブの島々を夜の静寂が包み込む頃、周囲には濃い川霧のような湿った気霧が立ち込め始めていた。
視界を白く遮る霧の中、ヘッドライトの鋭い光線だけを頼りに、一台の軍用車両が静かに公道を先導していく。その背後からは、周囲の木々を激しく揺らす重々しい地響きが続いていた。
ズシン、ズシン、と等間隔の足音を響かせ、霧の向こうから姿を現したのは、キラの駆るストライクだった。
夜間行軍という極秘の移動。キラは軍用車両の微かな誘導の光だけを見つめ、コクピットの中でただ無言のまま、機体を一歩ずつ前へと歩ませていた。先ほど丘の上の慰霊碑で聞いた、蓮少尉の言葉。あるいは、神代遥という女性の遺した重すぎる夢と、理不尽な戦争を終わらせるという絶対の覚悟。それらが頭から離れぬまま、キラはただ課せられたタスクをこなすように操縦桿を握っていた。
キィィィィン――。
深い気霧に覆われた上空から、微かに空気を切り裂く鋭い金属音が響く。
ストライクの頭上、目視すら困難な濃霧の空から、キラを見守るように旋回を続けているのは、飛行形態に変形した蓮の愛機『オーディン』だった。
蓮の視線はコンソールの熱源センサーと対空レーダーの数値を無機質に追い、周囲の死角にザフトの機影や不審な熱源がないかを完璧に演算し続けていた。感情を排した彼の脳細胞にとって、この護衛任務をミリ単位の誤差もなく遂行することだけが、今の最適解だった。
やがて、先導する軍用車両が、公道の終着点である剥き出しの巨大な崖の手前で静かに停車した。
ゴゴゴゴゴ……。
突如、地鳴りのような重低音とともに、自然の岩肌に偽装されていた崖の一部が左右へと割れ、巨大な鉄の扉が姿を現した。中から溢れ出してきたのは、人工的な防爆灯の鈍い光。オーブの技術の結晶たる、モルゲンレーテ社の極秘地下施設の入り口だった。
ストライクは車両の誘導に従い、開かれた闇の奥へと足を踏み入れる。そこには巨大なモビルスーツ用の地下エレベーターが待ち構えていた。機体が中央のプラットフォームに立つと、ロック完了のアラートとともに、ストライクは静かに地下の深淵へと降りていった。
一方、上空に取り残された形となったオーディンのコクピット内。蓮の元へ、コンソールを通じて施設側からの特殊な暗号通信が入る。
『オーディン、蓮少尉。崖の上部に偽装された第2エレベーターを開放した。そこへの誘導シグナルを送る。そのまま進入されたし』
「了解」
蓮は一切の抑揚のない声音で短く応じると、メインモニターに表示された緑色の誘導ラインへと機体の機首を向けた。
霧を切り裂き、崖の頂上へとアプローチをかける。そこには、周囲の地面と同化するようにカモフラージュされていた岩盤がスライドし、上へと昇ってきた巨大なエレベーターの天面が口を開けていた。
「変形」
蓮が操縦桿のスイッチを冷徹に押し込む。
空中でオーディンの機体構造が瞬時に組み替わり、流線型の飛行形態から、四肢を持つ無骨なモビルスーツモードへと姿を変えていく。推進剤の噴射位置をミリ単位で狂いなく制御し、重力に逆らうようにして、蓮は機体を完璧な垂直降下へと移行させた。
ストッ、と小気味良い衝撃とともに、オーディンは昇ってきたエレベーターのプラットフォームの上に完璧な着地を果たす。
着地と同時に強固な固定クランプが機体の脚部をロックし、周囲のアラート灯が激しく点滅を始めた。
ゴオォォォ……と低い駆動音を立てながら、オーディンを乗せたプラットフォームは、モルゲンレーテ社の広大な地下施設の深淵へとさらに沈み込んでいった。
天井のハッチが閉じ、完全に外部の光が遮断された世界。無機質な防爆灯の光に満ちた地下ドックへと降り立ったオーディンは、そのまま自動誘導レーンに従って専用の格納庫へと滑り込んでいく。
ガシャリ、と強固なクランプが脚部と背部を完全に固定したのを確認し、蓮はシステムの完全停止を完了させた。
コンソールの光が消え、静寂の戻ったコックピットから蓮はタラップを使って床へと降り立つ。夜間行軍のタラップを降りた蓮の瞳に、ハンガーの隣のレーンに鎮座する、見慣れぬ3機の機影が飛び込んできた。
「……これが」
蓮の無機質な瞳が、その機体を捉える。
白い装甲に、むき出しの赤いフレーム。それは、オーブ連合首長国が次期主力モビルスーツとして極秘裏に開発・生産を進めている試作機――『M1アストレイ』だった。
連合のG兵器とは異なる、しかし確かにあのヘリオポリスの技術思想を継承した独自の機体。初めて実物を見るアストレイの構造を、蓮の脳細胞が静かにスキャンし、データとして処理していく。
「実物を見るのは初めてかしら。蓮少尉」
硬質な足音と共に、ハンガーの通路から聞き覚えのある大人の女性の声が響いた。
振り返った蓮の視線の先にいたのは、白衣を纏った知的な女性――エリカだった。
あの凄絶な過去の最中、蓮に『オーディン』を極秘裏に託したその人であり、二人がこうして顔を合わせるのは、あの激動の別れ以来のことだった。蓮は一切の感情を交えぬまま、寸分の狂いもない動作でエリカに向けて挙手注目の敬礼を送った。
「エリカ主任。お久しぶりです。……オーディンは、現在も稼働率に問題ありません」
「ええ、データはヤマトから受信していたわ。過酷な死線をよく生き残ってくれたわね、蓮。……貴方にあの機体を託して、本当に良かったわ」
エリカは慈母のような、しかし技術者としての厳しい視線を蓮へと向け、小さく微笑んだ。挨拶を終えた蓮は、表情を変えないまま、エリカにキラの居場所を問いかけた。
「キラはどこにいますか」
「ええ、ヤマト少尉なら丁度今、そこで手を貸してもらっているところよ。こちらへ」
エリカはそのまま蓮を先導し、アストレイが並ぶハンガーの奥、さらに厳重に仕切られた実験ドックへと案内した。
ガラス越しに見下ろすその場所では、一機のM1アストレイのコックピットハッチが開かれ、無数のケーブルが接続されていた。コンソールに向かって猛烈な速度でキーボードを叩きつけているのは、ストライクのパイロット――キラだった。
「ヤマト少尉には今、アストレイのOSの調整を行ってもらっているの」
エリカが静かに、しかし驚嘆を隠しきれない声で液晶モニターを指し示した。
「アストレイは完成しているけれど、ナチュラルがまともに動かせるOSがどうしても出来上がらなかった。……それを彼が、自分のストライクのOSを基にして、誰でも……コーディネイターでなくとも扱えるように調整を行ってくれているわ。本当に、恐ろしいほどの天才ね」
蓮の瞳が、狂気的な速度でコードを書き換えていくキラの背中を静かに見つめる。先ほど遙の慰霊碑の前で、戦う意味に迷い、傷ついていた少年のものとは思えない、純粋な技術者としての驚異的な演算速度。蓮はそれを、最適解の遂行能力として冷徹に評価していた。
エリカはキラの後姿から、隣に立つ蓮へと視線を戻し、真剣な面持ちで本題を切り出した。
「ところで、蓮。貴方のオーディンについてだけど、此度の入港を利用して、武装強化の改良を行いたいと考えているの」
「武装強化、ですか」
「ええ。領海線でのザフトとの激戦のデータを見て痛感したわ。オーディンの基本性能は極めて高いけれど、現在の泥沼の戦況を切り抜けるには、手数がまだ足りない。……幸い、ここにはストライクの戦闘データと、モルゲンレーテが蓄積してきた連合のG兵器の技術がある。そのストライクのストライカーパックの技術や武装思想を一部流用して、オーディンの火力を引き上げる改良を行いたい。……受けてくれるかしら」
エリカの提案は、プロの技術者としての極めて合理的、かつ蓮の生還率を底上げするための確かな提案だった。
蓮の脳内で、その提案による機体スペックの向上値が瞬時に演算される。次なる不条理な戦場を生き残り、遥の夢を代わりに遂行するためには、これ以上ない最適解だった。
「了解しました。オーディンの改良案、主任に委ねます」
「ありがとう。直ちにモルゲンレーテの全リソースを投入して、仕様変更に取りかかるわ」
蓮の承諾にエリカは力強く頷き、即座に手元の端末で技術兵たちへ指示を飛ばし始めた。
ガラスの向こうでキーを叩き続けるキラの姿、そしてこれから姿を変えようとしている愛機オーディン。
オーブの闇の奥底、モルゲンレーテの地下ドックで、理不尽な戦争を終わらせるための新たなる力が、静かに産声を上げようとしていた。
オーディンがモルゲンレーテ社の地下施設へと格納されてから、一夜が明けた。
地上の山々から昇った朝日の光が、カモフラージュされた岩壁の隙間から、地下へと続く通気ダクトの奥底へ微かに差し込み始めている。
だが、その日の光すら届かぬ地下ドックの中では、夜を徹して駆動音と溶接の火花が途切れることなく響き渡っていた。
エリカの指揮のもと、極秘裏に開始されたオリジナルMS『オーディン』の仕様変更。ストライクの戦闘データや、蓄積された連合の技術をオーディンへと最適化するための工程は、文字通り不眠不休で進められていた。
蓮は機体のメンテナンスハッチが開かれたコックピットの中で、作業服に身を包んだままコンソールに向き合い、ミリ単位のデータ調整を冷徹に繰り返し続けていた。感情を排した彼の瞳には、ただ最適解の数値のみが映っている。
同じ頃、そのモルゲンレーテ社の施設へと続く山道を、一台の車が静かに走り抜けていた。
朝の澄んだ光が差し込む車内、窓の外を流れる緑の景色を大きな紅色の瞳で見つめていたシャル・アスハは、ふと思い出したかのように、助手席に座るカガリへと視線を向けた。
カガリはアークエンジェルを降りて以来、これからのオーブの行く末やザフトへの憤りで、どこか硬い表情を崩していなかった。シャルは腕を組み、不遜ながらも静かなトーンで問いかけた。
「カガリ。一つ聞きたいことがある」
「ん? なんだよ、シャル」
カガリがバックミラー越しにシャルへと視線を戻す。
「貴方、蓮とはどこで初めて会ったのだ? あの男、いつもただの機械のように最適解を口にするばかりで、過去の身辺を一切語ろうとしない。貴方とは、随分と古い付き合いのように見えたが」
シャルの問いに、カガリは一瞬だけ意表を突かれたように瞬きをし、それから少しだけ表情を和らげて昔を懐かしむように息を吐いた。
「あいつか……。昔さ、蓮がオーブ軍の軍学校に入った時のことだよ」
「軍学校?」
「ああ。アスハ家と昔から付き合いのあった、あの神代遙の紹介で知り合ったんだ。遙が『凄く優秀で、少し変わった面白い子を連れてくる』って言ってさ。最初に出会った時の蓮は、今みたいに心を殺したロボットなんかじゃなくて、もっと生身の人間臭い奴だったんだよ」
カガリの口から告げられた、その名前。
かつて世界が崩壊へ向かう混沌の最中、自国である日本のためにオーブから派遣され、命を懸けて救助活動を行っていたイージス艦の艦長――神代遙。
シャル自身はその女性と直接会ったことはなかった。だが、日本を蹂躙したザフトの誤認攻撃によって、目の前で跡形もなく一瞬で消し去られたあのイージス艦を率いていた指揮官の名が、他ならぬ彼女だったのだ。
そして、その遙がかつてカガリへと引き合わせ、いま目の前で心を殺して戦っている生身の蓮を、誰よりも深い奈落へと突き落とした。その因縁の重さに、シャルは深く息を呑んだ。
カガリはシャルのその僅かな視線の揺らぎを見逃さなかった。カガリは助手席で身体を反転させ、いたずらっぽく、しかし真剣な目でシャルを見つめてきた。
「なあ、シャル。逆に聞くけどさ……お前、蓮のこと、どう思ってるんだ?」
「っ……!?」
不意の問いに、シャルの端正な顔が瞬時に真っ赤に染まった。
シャルは咄嗟に腕をきつく組み直し、赤くなった顔を隠すようにふいっと窓の外へそっぽを向いた。
「な、何を言い出すのだ貴方は! あ、あの男に対する評価など、決まっているだろう! 人に対するあの無愛想な態度や、人を不快にさせる合理主義など、到底褒められたものではない!」
早口でまくしたてるシャルの声は、明らかに動揺で上ずっていた。カガリがにやにやとした笑みを深める中、シャルは自身のプライドを必死に保ちながら、なんとか毅然とした口調を取り戻して言葉を絞り出す。
「……だが、まあ、軍人としての、その、実力と判断力は、それなりに評価してやらんこともない。私の絶対的な護衛として、あれほど頼れる男はそういないからな。……ただ、それだけだ!」
不遜な口調で言い訳のように締めくくったシャル。彼を喪うことへの明確な恐怖と執着を抱きながらも、素直になれない彼女の不器用さが車内に満ちる。
カガリはそのシャルの様子に声を上げて笑うことはせず、ただどこか優しく、サバサバとしたアスハの娘らしい目で姪を見つめ、静かに告げた。
「ふん、お前らしいや。……まあ、お前と蓮の関係がこれからどうなろうと、私はいいよ」
「カ、カガリ……っ」
「あいつは遙を失ってから、ずっと一人で地獄の中にいるようなもんだ。お前みたいな我が強い奴が隣で騒いでるくらいが、今のあいつには丁度いいのかもな」
カガリの不器用な、しかし確かな信頼と後押しを含んだ言葉に、シャルはそれ以上反論することができず、ただ熱を持った頬を冷ますように窓ガラスに額を押し当てることしかできなかった。
やがて、車は山道の奥に佇む剥き出しの巨大な崖へと到着した。
割れた岩肌の奥、防爆灯の光に満ちたモルゲンレーテ社の地下施設へと進入し、車が停車する。
カガリは車を降りると、アストレイのOS調整に没頭しているヤマト少尉の姿を見つけ、迷いのない足取りでガラスの向こうの実験ドックへと歩いていった。
一方、金髪のサイドテールを揺らしたシャルは、ドックの重機に囲まれて改修の進むオーディンを見上げると、車中でのカガリの言葉を胸に抱いたまま、迷うことなくそのコックピットの前に設置された作業用足場へと歩みを進めた。
コンソールの光に照らされる蓮の横顔を見つめ、シャルは小さく息を吸い込んだ。
「蓮。相変わらず機械のように没頭しているな」
不遜で凛とした声に、蓮は手元の端末から一切の視線を外さないまま、抑揚のない声音で応じた。
「シャルか。用件は」
「……ふん、様子を見に来てやったのだ。護衛の機体が一晩中壊れていては、私の安全が保障されんからな」
腕を組み、ふいっと視線を逸らしながら傲岸に告げるシャル。だが、その言葉に蓮はやはり眉一つ動かさず、淡々と事実を口にした。
「調整作業の効率に問題はない。様子見による作業への好影響は確認できない。不要だ」
「くっ……。相変わらず無愛想な奴だな。分かった、分かればいいのだろう」
シャルは端正な顔に少しだけ不満げな色を滲ませ、苛立たしげに足場を踏み鳴らした。だが、すぐにその紅色の瞳を、装甲が外され、内部フレームを露出させているオーディンへと向けた。
少しの沈黙の後、シャルは胸の奥にある、ずっと燻り続けていた問いを蓮へと投げかけた。
「……蓮。この鉄の塊は、私でも動かせるようになるのか」
「モビルスーツの操縦か?」
蓮の瞳が、ようやくシャルの方へと向けられた。感情を排したその眼光が、少女の真意を測るように見つめる。
「何のために乗りたい。お前は日本の皇女だ。前線に出る必要性はない」
「……いざという時に、大切なものを守れる力が欲しいのだ」
シャルの声から、先ほどまでの不遜さが消えていた。
東京での父親の死、日本の喪失、地家族同然だった老執事ハゴットの死。すべてを奪われ、守られるだけの無力さに血の涙を流してきたシャルの、それは魂からの切実な叫びだった。先ほどウズミ代表から「武力は憎しみを生むだけだ」と諭された言葉は、今も胸に重く突き刺さっている。それでも、ただ手をこまねいて誰かが擦り切れていくのを待つことだけは、絶対に嫌だった。
蓮はシャルの紅色の瞳の奥にある、いかなる物理法則よりも強固な覚悟を静かに認識した。その歪なまでの執念をノイズとして切り捨てることはせず、ただの合理的な事実として、淡々と答えを紡いだ。
「――可能だ。お前はナチュラルだが、現在ヤマト少尉が構築しているアストレイの新型OS、あるいはオーディンのサポートシステムを最適化すれば、努力次第でモビルスーツの操縦は十分に可能になる」
「本当か……!」
シャルの顔に、ぱっと光が灯る。
彼女は再び腕を組み、いつもの凛とした、しかしどこか誇らしげな笑顔を蓮へと向けた。
「そうか! ならば私がそのアストレイとやらに乗れるようになったら、蓮、お前の後ろを守ってやる! いつも一人で機械のように戦ってばかりのお前の背後は、この私が完璧に護ってやるからな!」
傲岸不遜な、しかし嘘偽りのない真っ直ぐな笑顔。
遙を失ったあの日から、一人で心を殺し、機械の真似事のように擦り切れる最適解だけで戦場を駆けてきた蓮にとって、その言葉は演算の枠を大きく踏み越えるものだった。
蓮の瞳が、コンソールの光の中で僅かに揺れる。だが、彼はその感情の起伏を即座に処理すると、ほんの少しだけ、声の硬さを和らげて応じた。
「……そんな日が来ればな、シャル」
「ふん、来るに決まっているだろう。楽しみに待っているがいい」
朝の澄んだ空気が、ドックの温かい機械熱と混ざり合いながら二人の衣服を揺らす。
遙の遺志を背負って戦う少年と、二度と目の前で誰も失わせないと誓う少女。オーブの闇の奥底で、二人の不器用な約束が、静かに、しかし確かに結ばれるのだった。
モルゲンレーテ社の地下施設で行われていた強襲機動特装艦アークエンジェルの極秘修理、および物資の補給はすべて完了した。
同時に、ヤマト少尉のストライクが蓄積してきた戦闘データは、オーブ次期主力機アストレイのOS熟成に多大な貢献をもたらし、そして蓮少尉の駆るオーディンの武装強化改修をも完全に終わらせていた。
かつて大気圏を降下し、過酷なインド洋での死闘を経て、この極秘ドックへと辿り着いた白き船。すべてが整い――ついに、アークエンジェルがオーブを離れる日が訪れた。
白波が穏やかに打ち寄せる専用の軍港。
その港の片隅で、ウズミ、カガリ、そしてシャルの三人は、静かに巨艦の佇まいを見上げていた。カガリはヘリオポリスからインド洋に至るまで、共に死線を潜り抜けた白き船との別れを惜しむように唇を噛み、金髪のサイドテールを潮風に揺らしながら並ぶシャルは、腕を組んだまま、不遜で凛とした紅色の瞳で水平線を見つめている。その隣に立つウズミの厳格な面持ちには、国家の長としての冷徹な現実と、彼らにオーブの未来の一端を託したという、無言の重みがあった。
キィィィィン――という、主機の出力を上昇させる特有の高周波音が響き渡る。
係留クランプが次々と解放され、アークエンジェルの巨体が少しずつ、しかし確実に前へと進み出した。
船体がゆっくりと海を離水し、白い水飛沫を豪快に跳ね上げながら、巨躯が空中へと浮き上がる。その瞬間、港のドックから出撃したオーブ海軍の護衛艦隊が左右に展開し、アークエンジェルを囲むようにして領海境界線までの先導を開始した。
そして、その艦隊の遥か上空――。
改修を終え、新たなる力を宿した鋭利な愛機に乗り込んだ蓮は、オーディンをその洗練された飛行形態へと変形させ、濃い青空を鋭く切り裂きながら上空からの護衛を続けていた。
コンソールに並ぶ改修済みの武装ステータスを無機質な瞳で一瞥し、蓮は周囲の警戒演算に徹する。感情を排した彼の脳細胞にとって、アークエンジェルを無事にオーブの主権外へと送り届けることだけが、この任務における最終的な最適解だった。
やがて、水平線の向こうにオーブの領海境界線が迫ってきた。
それを合図にするかのように、周囲を固めていたオーブ海軍の軍艦が一斉に速度を緩め、緩やかに反転を始める。ここから先は、再びザフトや地球連合の目が光る、弱肉強食の公海へと繋がる戦場だ。護衛の盾を失ったアークエンジェルは、自らの出力だけで、真っ直ぐに前方へと突き進み続ける。
蓮は飛行形態のオーディンを加速させ、オーブの領海内ギリギリの限界線にまで機体を接近させた。これ以上進めば、中立国オーブの軍人として国際法に抵触する、文字通りの境界線。
操縦桿の通信スイッチを冷徹に押し込み、蓮はアークエンジェルのブリッジへ向けて、暗号無線を開いた。
「――こちらオーディン、蓮少尉。これより我が機は反転、帰投行動に移る」
一切の抑揚のない、徹底して冷徹な声音。だが、蓮はその言葉の最後に、感情を閉ざした彼なりの、最大級の願いを載せて無線へと告げた。
「貴官達が無事にアラスカへ辿り着くことを、願っている」
その無線の直後、ノイズを排したクリアな音声で、アークエンジェルのマリュー艦長の声が直接、蓮の耳元へと返ってきた。
『蓮少尉……。あのインド洋での劇的な合流からここまで、貴方の最適解に、私たちは何度も救われました。独立0特務隊、そして貴方のこれまでの素晴らしい護衛に、心から感謝いたします。本当に、ありがとうございました』
マリューの、プロの軍人としての、あるいは一人の人間としての温かい感謝の言葉。蓮はその言葉を受けてなお、瞳の数値を微じろぎもさせず、ただの事実として淡々とマイクへ声を紡いだ。
「――アークエンジェル、幸運を」
蓮は短くそれだけを告げて通信を切ると、オーディンのスロットルを鋭く引き戻した。
大気を激しく引き裂きながら、飛行形態のまま美しい弧を描き、オーブの本島へと向けて反転し、引き返していく。
中立の建前を維持するための形式的な反転。
満身創痍の修理を終えた白き船アークエンジェルは、加速を続けながら水平線の彼方、地球連合軍本部アラスカへと向かって、真っ直ぐに海を突き進んでいくのだった。
続く
ご愛読ありがとうございます。アニ督です。なんとかAIのおかけで早めに投稿する事ができました。試しという形でガンダムシードの世界を舞台にAIを活用してオリジナルキャラを付け加えて、書いてきましたが、思った以上に読んでくれる方やお気に入りに登録してくれた方がいたので、今後も続けていこうと思っています。少し投稿時期が不安定になる時があると思いますが、これからも応援して頂ければ幸いです。それでは、次回もお楽しみに。