次回は六千文字以上を目指します(`Д´)ゞラジャー!!
電車に乗ってから十五分後。電車内のアナウンスが七回目の駅の到着を知らせた辺りで彼方は突然立ち上がると、俺の手を引いてプラットホームに降り立った。
駅のホームから空を見ると、曇りである事が分かる。鈍色の雲が厚く垂れ込めており、今にも一雨来そうな天気だ。
傘、持ってきてないな。こんな事なら、天気予報でも見ておけば良かった。軽い後悔を胸に、がらんと空いたホーム内も一緒に見渡す。
「それにしても、何処に行く気なんだ? 行きたい場所が在るって聞いたから、付いてきたけど」
「まぁまぁ。その内分かるよ」
階段を上がり、改札口を出る。肌寒い風が身を突き刺して、思わずぶるりと震えた。
目の前に広がるのは、装飾過多なパチンコ店と、無駄に広いくせに車が全く止まっていない駐車場。あとは道を制限するように、これでもかと言う程の緑が生い茂っている。
「なんか、中途半端な田舎だな。で、こんな所で何する気なんだよ。パチスロでもするのか?」
俺の言葉に、彼方は小さく首を振る。質問の答えは、「その内分かるから」だった。一体、俺を何処に連れて行く気なのだろうか。疑問に思うも大人しく、彼方の小さな背中を追いかける事にする。
妙に静かな町だ。聞こえてくる音と言えば、たまに車道を通る車の走行音と、風に吹かれて鳴り響く葉擦りの音。雨が降りそうな曇り空のせいか、人気すらも感じられない。
何故か、あれ程にもウザったいと感じていた群衆の靴音が恋しくなってくる。マーケット前のスクランブル交差点。特急電車を待ち侘びる人々。甲州街道を右往左往する乗用車が。
静かなのは良いが、不気味な程静かなのは頂けない。この静けさは前に体験した事がある。そう、確か刹那と二人で空家に忍び込んだ時以来だ。まるで、世界から自分以外の人間が攫われたような静けさが――
「真君。顔色悪いけど大丈夫?」
意識が呼び戻される。ハッと俯かせていた顔を前に上げると、彼方が心配そうな表情で俺を眺めていた。
「ああ。大丈夫。ただ、少しばかり静かすぎやしないかって思ってさ」
「確かにね。まぁ、寒いし雨も降りそうだし……人気が無いのも納得いくんじゃない?」
「その天気の悪い日に、彼方は俺の事を遊びに誘ったのか」
「いいじゃんいいじゃん。真君と遊びたくなったんだもん。思い立ったが吉日って言うでしょ?」
俺にとっては、とんだ迷惑でしかない。クリスマスの日、電話番号やメールアドレスを交換したんだから、事前に連絡を入れて欲しい限りだ。
内心辟易としながら、彼方の後ろを金魚のフンのように付いていく。やがて周りの景色は緑色一色になっていき、地面もコンクリートから土に変わっている事に気づいた。
どうやら、いつの間にか森の中に入っていたらしい。天に向かって伸び上がる木々の隙間から、相変わらずの灰色の空が見える。
冬の日に、それもこんな所に入り込んで、何を見せたいのだろう。ただ単にこの道が、目的地への近道なだけかもしれないが。
不意に、自分の鼻先を生温い何かが触れた。それを合図に、森全体が途端にざわめきだす。
「うわっ。雨降ってきた。傘持ってきてないし……」
「あちゃー。このタイミングで……少し先行った所に、雨宿り出来る場所が在るから、そこまでダッシュだ真君!!」
俺の有無も聞かずに、彼方は自分のダスティパステルカラーのトートバックを大事そうに腕で抱き抱えながら、走り出す。面倒臭いと心中で呟きながらも、仕方無く俺は靴の裏で地面を強く蹴り上げる。
走り続ける間、俺の事など知ったことかと言わんばかりに、天空から降り出す雨水は洋服や肌を濡らしてくる。本降りになった雨は木の葉を震わせ、木々と雨水の合唱は空にまで響き渡った。
それにしても、彼方の運動神経はどうなっているのだろうと思う。足場の悪い土の地面を跳ね上がるように駆け上がり、俺から段々と距離を離していく。既に小さくなった彼方の後ろ姿を、転びそうになりながら追いかけるのが俺の精一杯だった。
やがて、彼方はある大樹の下に駆け寄ると、遠く離れた俺に手を振った。どうやらここまで来い、と言う事らしい。
大樹の下に漸く付いたと思えば、走り疲れた俺の背中を彼方が楽しそうに叩いた。殴られた場所がハリセンで叩かれたかのようにヒリヒリと痛む。
「もう、真君体力無さすぎ。普段から運動もせずにぐーたらしてるから、こんな事になっちゃうんだよ」
「うる、さい。そもそもっお前がっ早すぎるんだよ……」
咳こみ、荒く息を吐き出しながら弱々しく言った。クリスマス時に、彼方には俺が無職だって事は暴露しているが、別にその事を弄る必要なんて無いだろうに。
そんな俺とは対照的に、彼方は息すら乱れていない。一体小柄なその体躯には、どれほどの筋力と体力が漲っているのか。不思議に思う俺なんて知らん振りで、彼方はトートバックの中からレジャーシートを取り出した。
「じゃーん。どうせだから、雨止むまでお話しようよ。ここなら雨も凌げるし」
「それはいいけど……何て言うか、その」
天真爛漫と言ったような表情を浮かべる彼方に、なんて表現すれば良いのだろうか悩む。俺は小さな女の子から目を背け、成るべく平常心を取り繕いながら、単刀直入に言った。
「さっきから、服が透けてる。それをどうにかしてくれ」
トレンチコートはまだしも、ダスティブルーのニットが濡れて肌に密着しているのだ。夏場のような薄着なら、下着も見えた事だが……無念。
それは兎も角。彼方は自分の洋服に目を落とすと、ニットを脱ぎだしながら、今日何度目かの和やか顔で言った。顔が羞恥に赤くなっていたらプラス得点なのだが、顔色はあまり変わっていない。
「真君カワイイ~。やっぱりお年頃だから、女の子のエッチな姿見ると、恥ずかしくなっちゃうんだね」
「っは。誰が。お前のような貧相な身体を見たとしても、これっぽっちも欲情なんかしない――」
そこまで言って、しまったと思う。彼方は肩を震わせ、和やか顔から一転。般若のような表情になった。やはり発言には気をつけなければ。
「そういう事言わないの。結構気にしてる子も多いんだから……ね?」
「はい。すいませんでした」
地面スレスレに頭を下げる俺を見て、彼方は鼻で笑った。何故か物凄く、その態度が癪に触った。
水玉模様の描かれたレジャーシートを地面に敷いて、彼方は腰を降ろした。その後自分の右隣を手の平で叩き始める。
小柄な少女の右隣に、自分も座る。この森の主にも見える立派な大樹は、天空から降ってくる傍迷惑な雨水を、一身に受けていた。
暫く止むことは無さそうだ。青空を覆い隠している雲達を見据えながら、嫌々とそう思う。洋服は濡れるし、風は冷たいしでもう散々だ。身体が小刻みで揺れるのを止められないでいると、突然に頭から何かが覆いかぶさった。
妙な温もりを持つそれを手に取ってみる。自分の頭に覆いかぶさった物の正体は、彼方の着ていたトレンチコートだった。
左隣を見ると、ニットとトレンチコートを脱いで、ゼブラカラーのカットソー一枚姿の彼方が目に入る。炎のように情熱的で、艶美な赤色のショートヘアが風によって靡いていた。
「寒くないのか?」
「全然。こう見えても身体は丈夫だからね」
「本当かよ。風邪引かれたら困るんだけど……」
心配する俺を他所に、彼方はケタケタと笑って見せた。向日葵のような明るいその笑顔を見せられ、不覚にも胸が高まってしまったような気がした。
「なんだか、嬉しいな……真君と、こんな他愛ないお話がまた出来るだなんて」
目を細めながら、嬉しそうに笑った。
その笑顔に、突然の既視感を感じて――なんだか、懐かしい気分に陥る。
「……実際さ、彼方と俺が離れてから、どれくらい経つんだ?」
そう聞くと、彼方は悩むように顎に手を添えた。
俺の過去を知っているのは、今関係を持っている中で朽木彼方しかいない。もしかしたら、所々欠如している記憶を、彼方は教えてくれるかも知れない。
そんな希望を胸に、意を決して聞いてみたのだが……。
「ノーコメントで」
「そろそろ俺、泣いていいかな」
頼みの綱で在る朽木彼方は、自分の唇の手前に人差し指を立てると、ウィンクしながら可愛げに言ってみせた。
なんなんだ、コイツは。秘密主義者かなんかなのか? 政府のエージェントでもやってんの?
胡乱げな目で俺は彼方を見つめると、目の前の彼女は苦笑混じりに口を開いた。
「真君って、記憶が一部欠如してるんだよね。それも、綺麗さっぱり親戚に居た頃の人間関係と、思い出だけを」
「ああ。まぁ他にも、家族の関係とかも忘れたんだけどさ。その頃友人だった奴らの事が、あまり思い出せなくて……」
慶太、海斗、彼方の名前と存在は思い出したのだが――どうやって離れ離れになってしまったのかは、覚えていない。
更に言えば、彼方が口にする『夜空』なんて人物は、存在すらも覚えていない。いや、確かにクリスマスの日、それらしき人物を夢の世界で目にしたのだが……。
「―ー
「……ああ、聞いたことある」
解離性健忘とは、一種の記憶障害である。
過度のトラウマやストレスによって引き起こされる、防衛反応。自分にとっての重要な情報を思い出せない状態を言うらしい。
「それが、どうかしたのか?」
彼方の質問の意図を察する事が出来ず、聞いてしまう。
対する彼方は、顔を俯かせ、一言一言を強く噛み締めるように、苦しそうに、俺の言葉にゆっくりと応えた。
「真君……。思い出す必要なんて無いんだよ、別に。わざわざ、辛いことを思い出す必要なんて」
「辛いこと……って、なんだよ」
彼方は、不意に俯かせていた顔を上げた。
二つの瞳が俺を覗き込む。能面のように無機質で、無表情な彼方の顔が、目に飛び込んできた。
「ねぇ。これ以上、とやかく言わないで欲しいな。折角真君と出会えたのに、まだ真君が壊れて、何処か遠くに行ったら、私耐えられない」
底なし沼のように深く、暗くて、虚ろな瞳が俺を覗き込む。
彼方はレジャーシートに手を付いて、俺に擦り寄ってきた。左手の爪先で自分の首筋を狂ったように掻き続け、右手の腕が俺の首裏に回る。
突然変わってしまった彼方の表情は、兎に角虚ろだった。ぶるりと背筋が震えるのを感じる。彼方は更に顔を近づけると、囁くように言葉を紡いだ。
「ねぇ。思い出さなくても良い記憶が在る。そう、思うでしょ?」
二つの虚ろな瞳が、俺を覗き込んで――。
俺は、彼方の問いに頷く事しか出来なかった。
『人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇』
イギリスの映画俳優、チャールズ・チャップリンがこの世に残した名言だ。
果たして、俺の人生は、ロングショットから見たら喜劇に思えるのだろうか。
少なくとも、人生をクローズアップから見てきた俺にとっては、喜劇とはとても思えない。
ならば、俺の人生を一番近くから見てきた、彼方や刹那、そして文は俺の人生をどう捉えたのだろう。
喜劇か、それとも悲劇なのか。そんなもの、俺には知る由も無かった。